指先で伝えたい6




                 八



 ねぇ――やっばり、あんたも片瀬りょうに興味あるんじゃない? 

 そんな姉の冷やかしを無視しつつ、真白は、古いアイドル雑誌を何冊か受け取った。
 姉が、銀行の先輩に借りた――という代物である。
「大切にしてよ、それ、先輩の宝物みたいだから」
「…………」
 一体いい年して、子どもタレントを追っかける人ってどんなだろう。そう思いながらも、部屋に戻って雑誌をぱらぱらとめくってみる。
 丁寧に付箋がしてあったので、すぐに該当ページは見つかった。
「ぶっ……」
 思わず、吹き出しかけていた。
 一目で判る。なまめかしくて爽やかな、特徴的な目に、少しふっくらした唇。
 今とさほど、顔の感じは変らないけど、髪だけが、ほとんど金髪に近い茶髪だ。
「なによ、ガンガンに抜いてるんじゃない」
 数人の仲間と共に、ピースサインをしながら収まっている写真。
「あはは、ガキ丸出し」
 いくつくらいだろう。まだ中学生か、……小学生か、そのくらいに見える。
 莫迦みたいに目いっぱい笑う澪の顔は、楽しいというより、むしろ痛々しく見えた。
「…………」
 何冊か手繰る。どの写真の澪も、思い切り笑っている。赤と青の派手なステージ衣装。まるで王子様を思わせるような、ぴらぴらのレースのブラウスにラメ入りのズボン。
 今時こんなもの、着るんだ……とあきれた。アイドルのコンサートなんてこんなものだろうか、センスも何もあったものではない。
「……ピエロじゃん、まるで」
 それ以上観るのが辛くなって、真白は本を閉じていた。
 あの取り澄ました男が、あんな衣装を着て、媚を売るように笑っている。
 小学生かそこらで、髪を染め、大人のような目をして気取っている。多分、必死だったんだ――それが判る、判るだけに、なんだか胸が痛い。
―――なにやってんのかな、私……。
 畳の上に仰向けになって天井を見上げた。
 夏休みにはいって、当然のことながら、澪と会う機会はなくなった。
 尚哉とも七生実とも連絡を取っていないから、澪が果たして部活に出ているかどうか、まるで情報は入ってこない。
 が、多分――出てはいないのだろう、と思う。
「…………悪かったかな……」
 わざと選んだ映画じゃないけど、……澪は、どう思っただろうか。
 謝ることは何もないし、かえって相手を怒らせるだけだろう。でも――。
 何やってんのかな、あいつ、今ごろ……。
 何故かやたら、そのことばかり気になっていた。


                九


「あれ、真白?」
 体育館の片隅で、大学から来た監督と話をしていた尚哉は、少し驚いたような顔をこちらに向けた。
 それにつられたように、体育館にいる、何人かの部員が振り返る。
 ちょっと気まずくなって、真白はわずかに手だけを上げた。
「あー、真白さんだ、お久ですぅ」
 ふいに、甘ったるくて甲高い声がした。真白はわずかに眉を寄せる。
 手前のコートにいたのは、真白がこの五月まで所属していた女子バスケ部の連中だった。
「もう、薄情ですねぇ、元キャプテンなんだから、たまには顔出してくださいよぉ」
 無邪気な顔で駆け寄ってきたのは、一年生の安曇杏子である。
 コートの中では、ボールを片手に指示を飛ばしている、親友の七生実の姿も見える。
 七生実は視線だけこちらに向け、コートにいた何人かは、笑顔をみせながら頭を下げてくれた。
 今年の五月まで、真白は、この部の主将だった。
 二年の時からガードでレギュラーポジションを得て、チームは、県内の大会では、そこそこ上位に食い込むくらいの活躍をしていた。
「でも真白さん、元気そう。もう、脚はいいんですかぁ?」
 目線が自分より下の安曇杏子が、無邪気な目で見上げてくる。白い肌に、細かなそばかすが散っている。目鼻立ちのバランスがいい意味で悪い、個性的な顔をした少女。
 練習用のユニフォームのゼッケン。ナンバーは、かつて真白がつけていたそれだ。真白は、感情を隠して、微笑した。
「それが、もう全然へーきなの、辞めるの早まったかなぁ、あたし」
「三年は受験ありますしねー、いいんじゃないですか、人それぞれで」
 にこっと笑ってそう言うと、杏子は、きゅきゅっとパッシュを鳴らしながら、再びコートに戻っていく。
 その背中を見送った真白は、視線を伏せて、きびすを返した。
 広い体育館の中。夏休みの午前中は、男女バスケ部が使用しているが、片瀬澪の姿は、どこにもないようだった。
―――来るんじゃなかったな……。
 溜息のようにそう思う。自分を見る部員の目に、なんだか一様にわざとらしい笑顔が浮かんでいるような気がする。
 小学校からずっとバスケをやっていた。その真白が足を痛めたのは、高校二年最後の冬休みのことである。
 主将になって最初の試合、転倒した時、膝を打ったのがいけなかった。
 冬休みまるまる部活を休んで――四月に戻った時には、もう、部内の雰囲気は一変していた。
 自分が今までいたポジションには、中学総体で準優勝、という実績を持つ、安曇杏子が当然のように立っていて……。
「真白、来るなら、言ってくれればいいのに」
 図書室に向かう渡り廊下を歩いていたら、背後からそう言って七生実が追いかけてきてくれた。よほど慌てて追いかけてきたのか、手には、まだバスケットボールを抱えている。
「平気?……杏子の奴、また嫌味言わなかった?」
 七生実は不快気に眉をひそめている。
 真白は微笑して首を振った。安堵したのか、親友はほっとため息を吐く。
「……今でも思うけど、何も真白が辞めなくてもよかったんだよ。コーチだって、レギュラーは真白でいくって決めてたんだし、なのに」
「いいの、マジで足駄目になっちゃったし。ホラ、勉強も、私、七生実と違って頭、悪いから」
「……ま、それならいいけど……」
 私生活では結構遊んで、クラブ活動もしっかりやっている七生実だが、成績は、学年で一、二を争うほど頭がいい。県外の国立大学の推薦も決まっているという。
 頭もよくて、美人で――性格もさっぱりしている。実は、ほんの少し、そんな親友にジェラシーを感じている真白なのである。
「……正直、個人的にはむかついてるけどね……いくら、総体で優勝経験してるからって、一年からレギュラーにしろってコーチにねじこんで」
 眉をしかめながら、七生実は呟いた。
「で、それが無理なら辞めますって……杏子の奴、ナニサマって感じだよ」
 そう言いながらも、部内では、そんな感情をおくびにもださず、いい先輩をやっているのだろう。
 七生実は、本当に理想的な主将だと、真白は思う。
 そういう意味でも――自分は、辞めてよかったのだ。
「部の連中は、そんな事情も知らずに……辞めたあんたのこと、悪く言ってる奴もいるけど、見てる人は、ちゃんと見てるから」
 最後にそう言って、七生実は、真白の肩をぽん、と叩いてくれた。
「……で、来てるよ、お目当ての彼」
 そして、ふいに、いたずめらいた眼差しになる。
「……はっ?」
「片瀬でしょ、真白の目的は。――彼、夏休み入ってから毎日来てるよ。しかも朝一番に」
―――朝一番?
 さすがに驚いて、親友を見上げる。
 七生実も、微かに笑って、さぁ?とでも言いたげに肩をすくめた。
「……どういう心境の変化かしらないけど、毎日一人で体育館の掃除して、一人でボール磨いてる。こう言っちゃなんだけど、少し憐れを誘う存在」
「…………」
 その七生実の眼が、真白の肩越しで、ふと止まる。
 真白もつられて振り返る。
 体育館のある方角から、今度は尚哉が追いかけてきていた。ユニフォーム姿。片手には、日誌か何かを抱えている。
「じゃ、アタシ、これで」
 七生実は、小声で囁いた。
「……片瀬、今も一人で部室裏の倉庫にいたよ。つか、気をつけてあげな。どうも荒神原が、散々しごいてるみたいだから」
―――え……?
 荒神原君が?
 男子バスケ部の副主将で、超がつくほど生真面目な男。
 意外な名前に、視線を七生実に向けようとした途端。背後に、尚哉が立つ気配がした。
「……あれ、七生実さん、もういいの?」
「あ……うん」
 はぁっ、と、尚哉は、疲れたような嘆息を漏らした。
「驚いたよ。来るんなら、携帯にメールくらい入れろって、俺、今日、夕方用事があってさ」
「……あ、うん」
 別に、尚に会いにきたわけじゃないんだけど……とは言えなかった。
「……なんだよ、夏休み入って、ずっと忙しいとか言ってたくせに」
「……ごめん、えと、短期講習……昨日までだったから」
 もごもごと言い訳を繰り返す前に、尚哉はふいに、ばんっと両手を目の前で合わせた。
「実は頼みがあるんだ、真白、頼む!」
「……今度は何よ」
 擦るように手をあわせた男は、そろそろと顔を上げる。
「マネージャー、……やっぱ、みつかんなかった」
「…………」
「悪い、祭りで男バスがやる<たこ焼き喫茶>、お前、手伝ってくれないか」
 二年と三年は大会近いだろ、一年は人数少なくて、しかも要領わかんないから、ばたばたでさ、と、真白が黙っていると、尚哉は言い訳がましくまくしたてる。
「……って、どのくらい、準備できてんの」
「えーと、業者に頼んで、機材だけは貸してもらえることになってる」
「後は」
 と、聞くと、尚哉は黙った。うそでしょ、と真白は思う。あと、祭り当日まで五日もない。
「……尚」
「頼むよ、お前だけが頼りなんだ、俺、もう先輩とかに、お前が手伝ってくれるって言っちゃってるんだよ」
「……はぁ……?」
 さすがにあきれて物が言えない。
 唖然として黙っていると、尚哉は初めて、弱気のような目の色になった。
「俺……練習きつくて、それどころじゃなくて……でも、なんだかんだいって、下級生は俺がしきってるから、色々仕事回ってくるし」
 そう言う尚哉は、確かに夏休みに入ってからひどく痩せた。
 日焼けして、一回り身体が引き締まった感がある。そういえば、連絡もあまりなくて、練習きついのかな、と思っていたのは確かだった。
 真白の表情から、了解の意思を読み取ったのか、尚哉は、すぐに彼らしい笑顔になった。
「じゃな、とにかく頼んだ、一年坊は、好きに使ってやっていいから」
 そして、よほど慌てているのか、そのままちらっと腕時計を見て、背を向ける。
「ねぇ、一年ってどこにいるのよ」
「部室、いま、あいつらだけで、祭りの準備してるから」
 遠ざかる背中から、声だけが返って来た。


                十


 部室の裏倉庫から、「男子バスケ部・たこ焼き喫茶」と書かれた巨大な看板がふらふら揺れながら、担ぎ出されている。
 階段を昇りかけていた真白は足をとめた。
 なんだか、妙に頼りない足が、使い込まれた看板の下からのぞいている。
「……片瀬君?」
 何故か確信をこめてそう呼ぶと、途端に、がたっと看板が落ちた。
「ちょ……何やってんの」
 慌てて駆け寄り、ずるずると地面に落ちていく看板を支えてやる。
 独りでは無理だ。高さにして、大人の二倍近くもある巨大看板なのである。
「吃驚した、……急に名前なんか呼ぶからさ」
 ひょい、と顔を上げたのは、信じられなかったが、やはり、片瀬澪だった。
 部室裏の倉庫に一人でいるよ――。
 とは、七生実の言ったセリフだが、これでようやく納得がいった。一人で看板を出そうとしていた、というわけだ。
 澪は、Tシャツに、下はユニフォームのジャージである。
 白い肌が薄汚れている。髪も乱れて、なんだか、いつもの彼とは別人に見える。
「びっくりしたのは、私よ、一体一人で……何やってんのよ」
 判っていて、聞いてみた。
 祭りの準備をしているのは判る、が、他の一年は何をしているのだろう。
「看板、年度を今年に書き換えろって言われたから」
「他の……一年は」
「ジュースと弁当の買出し行った。……真白さんいないからじゃない?」
「…………」
 澪は、ばんぱんと、手の埃を払い、そして、地面に置かれた看板に眼を向けた。
「きったねぇな、このたこ焼き、まるで黴生えてるように見えない?」
「……色、変色してるからね」
 もう、何年も前に作られたそれを、毎年毎年、年度だけ変えて再利用しているのである。
「どういう心境の変化?」
 痩せたな……と、思いながら、真白は聞いた。
 最後に会ったのは、終業式の日だった、あれから十日たらずで、結構やつれたような感じがする。
「……練習……出てるって聞いたけど」
「まぁね、家でごろごろしてたら、オヤジも煩いし」
「……仕事、一人でやらされてんの」
「まぁ、今までさぼってた分があるしね」
 声は、意外なほどさばさばしている。
 結局、澪と共にしゃがみ込み、絵の具をパレットに出しながら、真白は聞いた。
「誓桐祭りも出るの?」
「……七月?それ」
 そんなことも知らずに看板描いてるのか……と思いつつ、頷いてやった。
「んじゃ、出るよ、何やるのかしらねーけど」
 一体どういう心境の変化だろう。
 釈然としないまま、真白も筆を持ち、看板に向かう。
「なにか、あったの?」
「何って?」
 はぐらかされるような応え方に、真白は少しむっとして眉をしかめる。
 と、その表情を読んだように、澪はひょい、と顔を上げた。その眼は、楽しげに笑っている。
「あ、強いて言えば、部活に出れば会えるかなって思ったから」
「……誰に」
「真白さん」
 冗談なのか、本気なのかわからない、が、からかっているとしか思えない笑顔。
 無言でその目をにらみつけると、澪は困ったように苦笑した。
「……ま、他にすることもないから」
 そう言って、ぺたぺたと、絵の具を模造紙に落としていく。まるで子供のように下手な手つきだった。
 もしかして、……あの映画を観たことが、何かのきっかけになったのかな、と、真白はふと思っていた。
 何の根拠も理由もないけど、なんとなく、そんな気がしたし、それが、いい方向に繋がってくれればいいな、と思った。
「下手だね……」
「そう?」
「字下手なんだ、つか、小さいよ、バランス考えなよ」
「いいだろ、字なんかどうでも」
 澪からパレットを受け取りながら、真白は、不思議なくらい、楽しい気持ちになっていた。
 ここ数日のわだかまりが、すうっと溶けて消えたような気がする。
 どういう理由からかは定かではないが、澪は、今、この町に馴染もうとしているような気がした。拒絶するのを止めて、受け入れようとしているような気がした。
「ねぇ、たこ焼き喫茶ってさ」
「うん」
「マジで、たこの着ぐるみ着て、客寄せすんの」
「……子供多いからね、それ、ちなみに一年の仕事だから」
「…………マジかよ…………」
 本気で蒼ざめている顔が可愛い。
 黙って立っていても、汗が滲むほどの陽気だった。
 しゃがみこんで絵筆を動かしていると、互いの雫が、渇いた地面に吸い込まれていく。
「できた」
「うん、たこ焼きらしくなったね」
 立ち上がって、汗にまみれた顔を見合わせあって、二人は自然に笑っていた。








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