指先で伝えたい5
六
「今……何考えてるかあててあげよっか」
真白が言うと、澪は少し驚いたように顔を上げ、何度か瞬きを繰り返した。
30分前に映画館を出て、2人は今、自販機前のベンチに座っていた。
真白から話すことは特になくて、所在無く紙コップを弄びながら、デートの相手が「行こうか」と言ってくれるのを待っていたところだった。
映画館を有した、大きな複合デパートである。
休日のせいか、家族づれが多い。三階の映画館の前には、カップル客と、そして子供が溢れている。
ベンチに座ったままの澪は、ほとんど手付かずのポップコーンの箱を抱いたまま、何故がぼんやりと足元を見つめていた。
そして、真白が声を掛けると、はじめて、我に返ったように顔を上げた。まるで夢から覚めたような眼で。
「……片瀬君が考えてること、当ててあげようか」
仕方なく、真白は同じことを繰り返した。
澪の目が、少しだけ険しくなる。それをけげんに思いつつ、
「俺はホスト向きじゃないな、……そう思ってない?」
と、言ってやった。
「なんだよ、それ」
「だって、サービス悪いじゃない、ずっと黙ったまんまなんて失礼でしょ、人のこと誘っておいて」
あっけに取られていた澪は、そこでようやく表情を崩し、笑顔になった。
「なんか、可愛いね、真白さん」
「は?」
「寂しくなった?やっと俺とデートしてるって気持ちになってきた?」
「……あのねぇ」
怒ったふりで目をそらしながら、頭の中では別のことを考えてしまっていた。
笑うと可愛い。
今日はいっぱい……この傲慢男の笑顔を見た。
意外とよく笑う奴だ。マクドで食事して、ナゲットが落ちただけで笑っていた。それがおかしくて、結局真白も笑っていた。
莫迦なカップルに見えたろうな、と思う。
彼の容姿は、初めて行く町でも目茶苦茶目立ってて、それが少し苦痛だったけど――。
見られることに慣れているのか、澪は終始楽しそうだった。複雑そうに見えて、結構単純な男なのかもしれない。
少なくとも初めて、真白は彼を、精神的に、二つ年下だと実感していた。
「ごめんな、次はどこに行こうかって考えてた」
澪は、顎の下で指を組み、綺麗な眼をすがめるようにしてに笑った。
これ、絶対に営業スマイルだ――と、真白は思った。
でも判ってても、それでも一瞬ドキっとしてしまうくらい、魅力的な笑顔には違いない。
「次はもうダメ。そろそろ帰るよ、私……門限七時までだから」
次の予定――それは嘘だな……と思いながら、真白は時計を見てそう答える。
澪が考えていたのは、次の予定ではないだろう。
何が気に入らなかったのか、それまで笑顔だった澪は、映画の途中から、ふいに、何か投げやりな、遠くを見るような目になった。
真白にしてみれば、時間つぶしにチョイスした映画だった。
少し前に大ブームになった洋画をパクったような内容で、出でくる俳優も未熟で、ただひたすら辛気臭いだけの内容だったのだが――。
「じゃ、もう少し歩いて、いい?」
澪は素直に頷いたものの、そう言って、やはりどこか物憂げに立ち上がる。
「……いいけど」
仕方なく真白も立ち上がった。
何処を。
とは聞かなかった。
今日一日、男のペースに合わせて、つきあってみて判った。
そっか、デートって何処に行くとかじゃなくて、ただふらふらと店をひやかしたり、街中を歩いてみたり――そんなことで成立するものなんだ、と。
尚哉とは、一回だけ映画に行った。あとは一緒に下校している。それくらいしか、デートらしいことをした経験がない。
今まで、尚哉から、何度となくあった誘いを、することがないという理由で、真白はなんとなく断り続けていた。
―――だって、……買い物は女同士の方が気が楽だし。
―――観たい映画も特にないし。
―――狭い町で、一緒にご飯なんか食べてたら目立っちゃうし。
頭の中で尚哉への言い訳を考えながら、少し先を歩く澪の背中を、真白は意味もなく見つめていた。
不思議だった。朝見た背中が、今は別の人のように見える。
今日一日、ずっとこの背中を見ながら歩いたせいだろうか。
なんだか――すごく、懐かしくて、妙な親近感がある。
親近感というより、安堵感。安堵感というより――。
―――な、何考えてんだろ、私。
思いがけない方向に発展していく自分の思考。それに初めて戸惑った時、澪が足を止めていた。
「今日さ、どうだった」
「どうって?」
振り返って、男は笑った。
いつもの彼に戻っている。からかいを含んだ小悪魔のような笑顔。
「俺のこと、ちょっとは好きになったかな、と思って」
「…………」
人間としては、ほんの少しだけ好きになった――と、言いかけてやめた。
「……ならないよ、なってどうすんの」
肩が並ぶと、澪は再び歩き始める。
「どうするって、好きになったら、あれしてこれして」
歌うような声である。
真白は、うつむいたままで続けた。
「片瀬君、……私のこと、」
「澪って呼んでよ」
「……真面目に好きとかじゃないんでしょ。他に彼女いるみたいだし、それに……仮に私が、あなたのこと、好きになったとしても」
「仮でもオッケー」
「……真面目に聞いてよ。そんなの、うっとおしいだけじゃない。色んな子にもてたって、片瀬君が好きになれるのは、たった一人だけなのに」
「…………」
返事がない。
真白は隣を歩く男を見上げた。綺麗な横顔に、商店街のアーケードの照明が逆光になっている。
「それでもさー」
澪が、ふいに口を開いた。
笑うような声なのに、何故かそれは、はかなく聞こえた。
「それでも、色んな子にもてたいって思うんだよね。みんなにきゃーきゃー言われてさ」
「……なに、それ」
「あの人かっこいいって羨望されて、男にも羨ましがられて、スタイルとかも真似されて――そんな存在になりたいって、本気で思ってた時期があったんだよね」
「…………」
東京で、アイドルみたいなことをしていたと――そう聞いたことを、真白は今さらのように思い出していた。
「真白さんには、莫迦にされそうな夢だけどさ」
ようやく振り返り、澪は、おどけるような目になった。そして、冗談のような口調で続ける。
「そんな莫迦も日本には結構いるわけよ、自惚れやで見栄っ張りで」
「自意識過剰で、自分が注目されてないと我慢できなくて」
真白は自然に言葉の後をついでいた。澪は笑う。
「そうそう、いっつも流行ばっか追ってて、家にはファッション雑誌がいっぱいで、で、完璧に雑誌真似て決めてるくせに、これが俺のスタイルさ、みたいにさりげなく装ってみたり?」
「…………」
「だからかな、自分と似た奴見ると、腹たつんだよね。ああ、こいつも俺と同じで莫迦だよなって」
ちょっと、何も言えなくなっていた。
そんな、自虐的な言い方をする、澪の本心がわからない。
そのまま何も言わなくなって、ポケットに手を突っ込んだまま、澪は駅方面に向かって歩き出した。
「煙草の話は、嘘、……ごめん、からかっただけ」
駅のホームで生暖かな風を受けながら、澪の背中がふいに呟いた。
「悪いけど、部活は、やっぱパス。……マジ、体力ないから、……いまさら行き辛いしさ」
「片瀬君は……、要はアイドルとか、有名人とか、そんな人になりたかったわけ?」
「…………」
澪は少し黙る。背中が、かすかに苦笑する気配がした。
「ガキの時から、お袋にそう言って育てられたから――あんたは顔がいいんだから、絶対に有名になれるって」
「で、実際なれたんでしょ」
「掃いて捨てるほどいるサンタレの一人に」
「…………まだ、片瀬君は、十五かそこらじゃない」
「もう遅いんだよ、俺らの世界じゃ」
「…………」
「だから、足洗った。ちゃんと高校でて、大学でて、就職するのも人生だろ」
「中途ハンパに田舎町の子をひっかけてるより、」
考えるより先に、言葉が出てしまっていた。
ようやく真白は、自分の苛立ちの理由が判った気がした。
「世界中の女の子ひっかけてやろうって、そういう目的でかっこつけてる奴の方が、何倍もかっこいいと思うよ。確かに莫迦だと思うけど、でも、……莫迦でいいじゃん」
「…………」
「莫迦になれなくて、逃げ出す方がよっぽどかっこ悪いよ。……それ、今の片瀬君と、私のことだけど」
認めたくないけど、私とあなたは――似てるから。
その言葉は言えなかった。
「また、こんな感じで会わない?」
前を向いたままで、澪が呟いた。
「今日だけっていう約束だから」
電車が滑り込んで来て、会話が途切れる。
澪も何も言わなかったし、真白も何も言えないままだった。
七
インターネットで検索したら、意外にも数件のヒットがあった。
片瀬りょう。
―――あ、芸名って、ひらがななんだ。
その下に、本名片瀬澪、東京都出身、と書いてある。テキストだけで写真はない。
澪でもいいと思うけど……当て字だから、読めないのかな。そんなことを考えながら、画面に流れる文字を追う。
J&M事務所所属。テレビ出演、飛び出せJam・キッズクラブ。××年、事務所入り。××年、退所。
「…………」
それを、澪の年に換算すると、小学校半ばで事務所に入って、中学三年でやめた――という計算になる。
「なによ、全然若いじゃない」
書いてあるのはそれだけ。後は、全く知らない人の芸名が同じように並んでいる。
ホームに戻って、ようやく気づいた。ここは、個人サイトで「Jam・Kidsを応援しよう」というタイトルがついている。
―――ジャムキッズ……?
なんだか甘ったるいそのネーミングに、真白は首をひねっていた。
そういえば、クラスの女の子たちが、そんなことを言っていたっけ。
「えーと、ジャムキッズ、ジャムキッズ」
あれこれクリックしてみて、ようやく判った。
つまり――東京にある芸能事務所「J&M事務所」に所属する、デビュー前のタレント予備軍を「jam,Kids」と呼ぶらしいのである。
それが正式なグループ名だと思ったが、そういうわけでもないらしい。
Kidsと呼ばれる彼らは、デビューしているわけではないのである。
なのに、事務所に通ってレッスンをする傍ら、テレビやコンサート、映画やドラマなどに、ちょくちょく出演しているらしい、で、ファンクラブなどもあるらしい。
―――これって……普通のタレントと変わらないじゃない。
デビュー前と後の差なんて、どこにあるんだろう……そう思いながら、J&M事務所で検索してみて、吃驚した。
ほとんど芸能に興味のない真白でも知っている――有名な男性アイドルの名前がずらずらと並んでいる。
緋川拓海。
「うそ……抱かれたい男の殿堂入りじゃん」
あまり芸能に興味のない真白でも、彼の出演ドラマは全部みている。
貴沢秀俊。
「あ、知ってる」
ヒデと呼ばれ、バラエティ番組などでよく見る美少年タレントだ。
澤井晃一
音楽番組で、よく司会をしている関西弁の美少年。
「はぁ……」
色々調べてみて、ようやく真白にも理解できた。
つまり――Jam,kidsとは、正式に事務所からデビューしているわけではないのだ。ここでいうデビューとは、いわゆる「歌手デビュー」を意味するらしい。
事務所で無料レッスンを受けながら、時々アイドルのステージで踊ったり、歌ったりする。――その中で特出した者だけが、テレビに出たり雑誌の取材を受けたりするようになる。
つまり、正式にデビューする前に、人気だけが先行している……という形だ。
それでも――いくら人気が出ても、確実にデビューできるわけじゃなくて、全国から星の数ほど集まった者の中から、たった一握り、ごくごく数人がデビューできるにすぎないらしい。
それ以外のKidsたちは――。
たいてい、大学進学か、就職を機に、事務所を辞めてしまっている。
「真白?まだ起きてんの?」
背後からいきなりかけられた声に、びくっと全身を震わせてしまっていた。
うわっと驚いて、画面を閉じようとした。が、慌てて、上手くクリックできない。
「あらあら、どうしたのよ、あんたでもアイドルなんかに興味あるんだー」
いきなり襖を開けて入ってきたのは、五つ年上の真白の姉、葉月だった。
女子大を出て、すぐに地元の銀行で仕事をしている葉月は、昔からミーハ―で、よくアイドルのコンサートなどにも行っている。
今でも外見が幼くて、一緒に出かけると、必ず、真白が姉だと間違われるほどなのである。
お姉ちゃんなら、もしかして、知ってるかな……と思ったら、案の定、パソコン画面を見て、姉は嬉しそうに眉を上げた。
「Jam,Kids……って、ねぇ、もしかして、あんたさ。あんたの学校にいる片瀬って子に興味もったんじゃない?」
ふいに名前を出されて、真白は真面目に動揺した。
「ばっ、……違うわよ、これ、は、その、たまたま」
「ちょーどよかった。説明の手間はぶけたわ。実はねぇ、うちの会社の先輩で、熱心なJam,Kidsの追っかけの人がいるんだけど」
にたっと笑って、葉月は、膝で擦り寄ってきた。
「………………は?」
いるのか、そんな人が。
真白はしばし、唖然とする。
「今年の春にやめた、片瀬りょうって子が、あんたの高校に入ってるって、どっからか情報仕入れたきたらしいのよねー。ちょっとさ、会う段取りとかつけてやれない」
「はぁ??」
今年22歳になる姉の先輩なら――少なくともそれ以上の年齢なわけで。
そんないい大人が、高校生の追っかけ??
「……なんか、キモくない?」
「そぅお?結構大人のファンが多いのよ、Jamの子って」
「だったら、直接、学校に押しかけて会えばいいじゃない」
何故か少し、むっとして、ばたん、とパソコンを閉じながらそう言った。
「あいつ、世界中の女の子にもてたいみたいだから、いいんじゃない?むしろ喜ばれると思うけど」
「……そりゃ……そう言っとくけど」
ぱちぱちと目をしばたかせた姉は、しばし、唖然とした目になった。
「つか、そこで、どうしてあんたが怒るのよ」
「べ、別に、どうして私が」
「おかしな子、尚と喧嘩でもしてんの?」
「なっ、なんで尚なのよ、そこで」
「ああ、いいわねぇ、青春まっさかりの女子高生は」
ちくりと嫌味を言って立ち上がり、憮然としながら出て行きかけた姉の足が、ふと止まった。
「あら、あんたも見に行ったの。春のエチュード」
その視線が、投げた鞄から半分のぞくパンフレットに落ちている。
「……ああ」
―――まさか、片瀬澪と行ったとは、絶対に言えないが。
「結構泣けたわよ〜、これも、その会社の先輩と行ったのよ、主役の弟役の子がねぇ、片瀬りょう君と同じ、やっぱりkidsの子なんですって」
「…………」
「知らない?綺堂憂也君っていうんだけど」
「…………知らない」
そうだったんだ。
ようやく真白は、澪の表情の意味が判った気がした。
ポップコーンを抱えたまま、どこかぼんやりと床を見ていた横顔が、ふいに胸を締め付けるような切なさと共に蘇っていた。