6

 
「ふぅん………」
 話をすべて聞き終えても、ミカリはどこかつまらなそうだった。
 まぁ、――それもいつものことで。
 ようやく、そんな恋人のリアクションにも、慣れつつある。
「俺は――うまく言えないんだけど、やっぱ」
 東條聡は頭をかきつつ、すっかりなじみになった冗談社の室内を見回した。
 まるで穴倉――もとい、穴場のような密会場所。
 が、さすがにそこで、何かできるわけではない。
 聡にすれば、毎日でも会って、毎日でもしたい……ところだが、実際のところ、小泉がべったりと張り付いている過密スケジュールの中で、ミカリのマンションに通うことは不可能だった。
 で、取材にことつけて、仕事の後、冗談社に顔を出すことにした。
 これなら、小泉もあっさり認めてくれるし、今夜のように、「じゃ、僕はあちこち連絡しないといけないんで、車で待ってますから」と、席を外してくれる時もあるからだ。
 もしかして気づいてるのかもしれない……と、思うこともさすがにあるが、元来口下手で、他人に干渉することが苦手な性格のせいなのか、小泉はそのことには何も触れては来ない。
「やっぱ……このまま、雅やめさせちゃ、いけないんじゃないかって」
 広さにして三畳もない、狭くてタバコ臭い応接室。
 聡は、クッション感のまるでないソファに座り、対面に座るミカリが、コーヒーにミルクを入れるのを見ながら言った。
 隣室の編集室では、この会社の社長兼編集長九石ケイが、何かエキサイティングな電話を――多分、印刷会社と交わしている。いや、聡が来てからずっと切れないその電話、察するにどうも印刷代を値切り倒しているらしい。
 で、その横では、聡が来て以来一度も振り向かずにパソコンのキーを叩き続けている、縦ロール髪でチャイナドレス姿の女が「社長、まだまだ」と、指で床の方を指し示している。
 察するに、まだ値切れと言っているのだろう。
 初めて見た時は、三つ編みにセーラー服を着ていたその人は、高見ゆうりさんといって、この会社の経理や福利厚生、パソコンを使っての紙面の編集、ライターやデザイナー、取材先の手配、などなど、雑多なデスクワークを一手に引き受けている人だった。
 二度目に会った時は、メイドの衣装を着ていた。
 綺麗……と言えなくもない顔だちだが、まぁ、それ以外の部分が、女の印象を異性でない、むしろ異星人的なものにしてしまっている。
「あっ、東條さん?先日は色々失礼しました。私、初めての取材で緊張しちゃって、なんか失礼なことしちゃったんじゃないかと。よく言われるんです。人の話はちゃんと聞けって、いえ、聞いてるんですよー、聞いてないように見えます?頭の深いところではちゃんと聞いてるんです。でも、人にはそう思われないって悲しいですよね、じゃ、失礼します」
 と、先月知り合いになったばかりの、カリメロ、こと大森妃呂は、相変わらず自己完結ばかりしている。
―――だ、大丈夫なのかな、この会社。
 正直、名前だけでなく、中身も相当やばそうな会社だ。
 国道沿いの吹けば飛ぶようなおんぼろ建物。今も、道路をトラックが通るだけでぐらっと揺れる。
「つーかさ、払えないもんは払えないのよ、そんなに言うなら、うちの事務員ソープに売って金つくったろか!」
 そこでミカリが扉を閉めたので、あまり聞きたくない会話は幕切れとなった。
「どうして?」
 コーヒーを聡の前に置きながら、ミカリは、ふっと聡の目を見上げてきた。
 どうして。
「なんで止めるの?やっぱり解散させたくないから?」
「………それは……」
「綺堂君と柏葉君は大人ね」
 ミカリはかすかに笑って、自分もコーヒーカップを持ち上げた。
「何が本人の幸せかなんて、しょせん、本人しかわからないことだから……考えるだけ考えて、その上で出した結論なら、それを尊重するのもアリだと思うよ」
 どこか突き放した声でそういい、ミカリはなおも、静かな目色で聡を見つめる。
「うーん……それは、わかってるんすけど」
 ただ。
 なんていうか、その。
「……俺自身が、あれですよ、そのぅ……人に手引っ張ってもらわねぇと、見えないこともあったから」
「………」
「まぁ、手を引っ張るのも楽じゃないんだけど……俺ら、そもそも一人じゃなくて五人だから」
「………」
「なんのための五人かって……、なんていうか、そんな感じで」
 たとえば。
 一人の目で見える世界は狭いけど。
 見えない部分を、人の目でおぎなってもらって、……で、ここ違うじゃん、とか。
 お前、目的地と別のとこ行ってるじゃんとか。
「ミ、ミ……ミカリさんと両思いになった時、」
 な、なってるよな。
 ここで否定しないよな、まさか。
 聡は、そっと目の前の人を見上げたが、ミカリは、それには、微かに笑んだだけだった。
「あの時の俺、視野がこんくらいになってて、で、それが俺の世界のすべてだったんだけど」
 聡は自分の手で、顔の輪郭にそって視野の幅を示して見せた。
「それを、ですね。口には出さなかったけど、そうじゃねぇだろって、将君や……りょうに、ずっと言われてたような気がする……から」


                   7


「かわいくて仕方ないって顔してるね」
 図星を指され、ミカリは思わず赤らんでいた。
 が、それをすぐにクールな仮面で覆い隠す。
「正直、大変なスクープといえば、スクープですけど、どうしましょう」
「そうね、ストームの解散かぁ……ま、あの子もバカだねぇ、カモが葱しょっても、ここまで美味しいネタ持ってこないよ?」
 笑うと、年相応の笑い皺が口元に寄る。
 が、この年上の女性には、顔立ちや年などまるで感じさせない、パワフルな魅力と若さがある。
 九石ケイ。
 ミカリが、この世界で誰よりも信頼している女。
「で、どうするの?あのお人よしの僕ちゃんに、力を貸すって約束しちゃったわけ?」
「……私自身が」
 ミカリは苦笑しながら、まだ暖かなカップをそっと持ち上げた。
 その縁に唇をつけていた男は、もう、この事務所を後にしている。
 正直、会えば、もっと近くにいたいと思うし、触れていたいと思う。でも、それを言葉にしたことは一度もない。
「周りに、手を引っ張ってもらってばかりの人間でしたから」
「………ま、ストームの解散云々より、目玉は、なぜに成瀬君が脱退を決めたか、そのあたりにありそうね」
「ですね」
「煌さんに依頼しますか」
 口を挟んだのは高見ゆうりだった。
 煌とは、この冗談社と同じビルに入っている探偵事務所である。
「それもいいけど、ちょっと気になる情報を、直人から仕入れちゃったのよね」
 ケイは嘆息しながら、愛用のタバコに手を伸ばした。
「唐沢っちですか」
 ミカリは思わず失笑する。
 直人――と、そんな呼び方をするのはケイくらいで。
 唐沢っち――そんな呼び方をするのも高見くらいだ。
 泣く子も黙る、天下のJ&M事務所。その代表取締役社長、唐沢直人を。
「気になる……とは」
「今の時点で」
 ケイは、きりっと伸びた眉をひそめながら、タバコに火をつけて唇に挟んだ。
「それが成瀬君とどう絡んでんのか未知数なんだけど、直人もそこに引っかかってんだと思うのよね。話が出てきたタイミング」
「……なるほど」
「ミカリには、ちょっとしんどい取材になるかもよ」
 それだけで、ミカリには察しがついた。
「宗栄社絡みですか」
「ビンゴ」
 ぱちん、と指を鳴らし、ケイは大きく煙を吐いた。
「正確には冬源社、もともとは宗栄社を辞めた編集長がたちあげた会社だけど、実態は宗栄さんの子会社も同然だからね」
 暴露本。
 過激な写真週刊誌。
 冬源社とは、そんなもので、この出版業界を、話題とスクープを糧になりあがってきた新進出版社である。
 その母体とも言える宗栄社は、もともとミカリが籍を置いていた会社でもあった。
「……冬源の編集長は、あれですか、かつて貴沢秀俊のスキャンダルで……」
 ミカリは言いよどむ。
 筑紫亮輔。
 ミカリもよく知っている、蛇にも似た性格を持つ男。宗栄社の看板雑誌「ザ・ワイド」の前身でもある、女性週刊誌の元編集長。
 一度くらいついたネタは死んでもスクープする――それが、芸能人から蛇蝎のように嫌われていた、筑紫亮輔の信条だった。
 その筑紫と徹底的に争い、芸能マスコミのドンとも呼ばれていた筑紫を、マスコミの表舞台から叩き出したのが、――当時、J&Mの取締役社長に昇格したばかりの、唐沢直人だったのである。
 かつて、まだ貴沢秀俊がキッズとして全盛期にあった頃、一度だけ浮上したスキャンダル。スクープする側、される側、双方が、かなり汚い手を使い、巨額な金が闇に消えたという。それも――、業界では有名な話である。
「そう。J&Mの圧力に負けて、天下の宗栄を首になった男。とはいえ子会社落ちしただけだから、今でも社員みたいなもんだけどね。……ただ」
「…………」
「筑紫にしろ、宗栄社にしろ、当時はさすがに面白くなかったろうし、今でも相当、直人のことを恨んでるはずだけどね」
 ま、直人はそういうことはあっさり忘れる男だけど。
 ケイは苦笑して言い添える。
「どうも……その冬源から、暴露本よりたちの悪そうなもんが出てきそうなのよね。相手がJ&Mの現役アイドルだとしたら……ちょっとした、騒ぎにはなるでしょうが」
「ターゲット、ロックオン」
 と、場違いなことをふいに言ったのは高見ゆうりだった。
 が、その場にいる全員が、その意味は理解している。
「確かに、判るのも時間の問題ですね」
 ミカリは言った。
「あー、またやっちゃうんですかー、もう、やばいことはやめてくださいよ」
 大森が両手をすりあわせながら呟いた。
「……ま、あとは高見に任せてみましょうか」
 ケイは苦笑して、こりこりと眉の端を小指で掻いた。
















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