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「面白くないなんてもんじゃねぇだろ」
 珍しく苛立った声を上げたのは、一番寡黙なはずの、片瀬りょうだった。
「なんなんだよ……あの女は」
 爪を噛む横顔には、押さえきれない怒りが浮かび出ている。
「そ、それは、僕にも、ハイ」
 小泉旬が、おどおどと口を挟む。
 新しくストームのマネージャーになった女、真咲しずく。
 もう一人、新しくついたマネージャー、片野坂イタジ。
 二人の会話を盗み聞きして――報告してくれた現場マネージャー小泉旬は、怯えたように残るメンバーの顔を交互に見る。
―――解散か……。
 予想もしていなかった展開に、東條聡は怖いような動悸を感じた。
 対面に座る綺堂憂也、柏葉将、そして自分の隣に座る、片瀬りょうの顔を見回してみる。
 全員がおしだまっている。
 が、はっきりと動揺を見せたのはりょうくらいで、憂也は、まだ眠いのか、どこかぼんやりした目をしている。
 将は、ただうつむいて眉を寄せているだけだった。
 J&M事務所の六階にある講師控室。
 そこは、レッスン時にはそのまま、講師の控え室になるが、何もない日は、たまに事務所に顔を出す――いわゆるデビュー組の休憩室、兼、事務所との打ち合わせ部屋になる。
 広い間取りに豪華なソファ。そしてコーヒーやジュース各種が、常に飲めるようにセッティングされている。大型のホームシアターなんかも備えてあって、なかなか居心地のいい部屋なのである。
 暗黙の了解で、特別な人間しか出入りできないようになっているこの部屋には、時々、とんでもない大物が、ひょいと顔をのぞかせることもあるらしい。
 聡はまだお目にかかったことはないが、りょうは、一人で打ち合わせのために訪れたところ、いきなり緋川拓海に遭遇したことがあるという。
 そして今日。
 雅之の、衝撃的な告白を聞いた、その翌々日の早朝。
 みんなで一回、集まらないか――昨夜、おそらく全員の携帯電話に、そう言って電話してきてくれたのが、片瀬りょうだった。
 予想はしていたが、集まったメンツの中に雅之の姿はない。
―――本当は、そういうことは、リーダーの俺がしなきゃいけないのにな。
 と、聡は、多少申し訳なくなって、この中では最年少の、片瀬りょうの横顔を見上げた。
 東京で一人で生活し、親から絶縁されているりょうが、本当は今、一番誰かに頼りたい年齢なのに……。
「それにしても、何者なんだよ、あの女。ミーとかユーとか、わけわかんねぇし」
 そのりょうが、まだ怒りの覚めやらぬ口調で呟く。
「………つか、りょう、お前マジでしらねーの?」
 生あくびと共に、沈んでいたソファーから半身を起こしたのは、それまでずっと眠そうにしていた綺堂憂也だった。
「彼女があれでしょ、噂の真咲お嬢様。J&Mの後継をめぐって、唐沢社長と対立してるっつー、タイヘンやっかいな立場の人」
「社長と対立??」
 眉をひそめただけのりょうに代わり、思わず口を挟んでしまったのは、聡だ。
 社長って、あれか、泣く子も黙る、天下のJ&Mの唐沢直人。この事務所の、実質上の独裁者。
 さすがに冷や汗が浮いた気がした。
「そ、それ、俺も知らないし。つか、なんだって、俺らのマネージャーになる人が、唐沢社長と対立してんだよ」
「説明しろっていうなら、1日だってするけど」
 憂也は面白そうな声で言い、わずかに唇を湿らせた。
「もともとうちの事務所は、かーなり前に亡くなった真咲副会長と、……ずっと入院してるとかいう、城之内会長が、2人して作った会社なわけじゃん」
 J&M株式会社の、伝説のアベック創業者。
 真咲真治
 城之内慶
 それは、聡も知っている。
「しずくさんは、真咲副会長の一粒種。子供のいない城之内会長にとっても、大切な親友の忘れ形見ってわけよ」
 憂也の声を聞きながら、聡は、パンフレットでしかお目にかかったことのない、ふっくらとした赤味の濃い老人の顔を思い出していた。
 この事務所の会長職についている――、城之内慶。一体何の病だろう、表舞台から姿を消して、もう何年にもなるという。
「そんなわけだからさ、真咲パパも、城之内会長も、本音を言えば、しずくおじょーさんに会社を継いでほしかったわけよ。でも、それに横槍を入れたのが、今の社長の唐沢サンで」
 憂也は、天井を見ながら、そこで、ちょっと一息入れた。
「当時、事務所タレントの中で、一番力のあった美波さんとタッグを組んで、お嬢さんを海外に留学させとか、させないとか……びっくりしたよ、J&Mのお姫様が、なんだって今更、俺らのマネージャーなんだろうね」
 誰も何も言わないので、憂也はおどけたように肩をすくめた。
「もしかして、復讐のためだったりしてさ。自分を追い出した唐沢社長と、美波さんへの」
「美波さん……も、なのかよ」
 そこで、その人の名前が出てくるとは思わなかった聡は、ただ普通に戸惑っていた。
 聡の感覚では、美波涼二とは、常にストイックで、自分にも周りにも厳しくて――そんな利権争いに、顔を出すタイプにはとても見えないからだ。
 が、憂也は、さも意外そうに眉をあげた。
「別に驚くことでもないだろ、美波さんは、今の事務所で一番社長に信頼されてるし、実際、ほとんど立場は経営者じゃん」
 ひょっとすると、唐沢社長より、立場が強いかもしれないし。
 と、憂也は、意味ありげな目で付け加える。
「だって、社長の代行として、ほとんどの決定権を持ってるんだぜ?プロデューサーとしても、秀逸だよ。ヒデ&誓也なんて、美波サンが育てたようなものだし、今、関西で人気爆発の、コージや哲太を発掘して、育ててるのも美波サンだし」
 憂也は指を折り、尽きることなく例を挙げていく。
「ゆ、憂、お前、……相変わらずだけど、詳しすぎ」
 憂也は、昔から、何故か事務所の内部事情に、妙なほど詳しいのである。
 聡がそう言うと、憂也は、何故か――ずっと黙っている柏葉将をちらっと見て、そして髪をばさばさとかきあげた。
「まぁ、もともと、お嬢様は超変わり者で、会社のことなんて関心すらなかったって話だけどね。唐沢社長と仲悪いのだけは、本当なんじゃない?」
 確かにそれは、先夜の二人の態度――というか、唐沢社長の態度からして、明白だった。
「……確か、緋川さんと美波さんも、仲が悪かったよな」
 りょうが、いぶかしげに口を挟む。
 憂也は、即座に頷いた。
「いわゆる緋川派と美波派だよ。昔のJを知ってる人たちは、唐沢社長と美波さんのやり方に、強烈な反発感じてるからね。それが緋川さんをリーダーにした緋川派……ギャラクシーさん、マリアさん、サムライの上の人たち」
 サムライ6は六人組の人気ユニットだが、年長者と若年層からなる、ふたつのユニットに分かれているのである。
「で、唐沢社長と美波さんに信奉してんのが、ヒデとか、誓也とか……ま、比較的若い俺ら世代。いわゆる、美波派」
「つか、昔のJってなんだよ、今とどう違うわけ」
 聡は思わず聞いていた。
 この事務所に、さまざまな確執や問題があるとは知ってはいたが、今まで、さほどそれを深刻に考えてみたことはない。
 が、今の社長――聡たちの生与奪を握っている唐沢直人と対立している女が、自分たちのマネージャーになるとすれば、静観してもいられない……ような気がする。
「それは俺もよく知らない」
 が、憂也はあっさりとそう言って、傍らのペットボトルを持ち上げて唇をつけた。
「ただ、前は、アイドル専門っていう事務所じゃなかったって話だよ。本格的なバンドとかさ、アーティストをじっくり育てるための良心的な事務所だったとか」
 じゃ、今は良心的じゃないのかよ。
 と、聡は思ったが、それは口には出せなかった。世話になった事務所である。感謝もしている。が、今まで聡は、自分の意思とか存在とかが、事務所の人たちから尊重されていると思えたことは一度もない。
「まぁ……どっかで流れが変わったんだろうね。美波さんたちのキャノン★ボーイズがあたって、そこらあたりから、アイドル専門事務所にシフトさせたんじゃないかな」
「………アイドル、専門か」
 りょうが呟く。
「その変革の急先鋒が、唐沢社長と美波さんなんだろ」
 それまで黙っていた柏葉将が、皮肉めいた声で呟いた。
―――アイドルはホストと同じだ。
 聡は、いつか聞いた、苛烈なまでの美波の言葉を思い出していた。
―――歌が上手いのがそんなに自慢か、お前の本業はサービス業だ、それを忘れて気取っても、誰もお前なんか見ちゃくれない。
 あれは、Kidsになってほどない時だった。レッスンでは、いつも聡の歌唱力は賞賛の的だった。そんな自慢の鼻を容赦なくへしおられた言葉。
 一芸に秀でた若手の多くが、聡と似たような洗礼を受けている。あれが、かつて、日本芸能界に綺羅星として君臨していた男の哲学なのか、ポリシーなのか……。
 今でも聡は、その言葉が美波の本音なのか、若手を奮起させるための叱咤なのか、判らないままだ。
 憂也は、横目でちらっと将を見て、そしてうなずく。
「だからさー、マリアさんにしても、ギャラクシーさんにしても、デビュー前は、比較的自由にやりたいこと、やらせてもらえてたんじゃないかなぁって思うんだよね。今はさ、言っちゃ悪いけど、俺ら、アイドルの枠から外に出させてもらえないじゃない」
 憂也の声はさばさばしていたが、その口調には、あきらめのような冷めた感情が滲んでいた。
 ここらあたりが、憂也の態度が最近おかしかったことに起因しているのかも……と、聡は思う。
―――アイドル……
 アイドルの枠。
 枠ってなんだろう、そもそもアイドルってなんだろう。
 聡はふと、どこか寂しげなミカリの横顔を思い出していた。
「ただ、俺らもそうだけど、若い連中は、そもそも、その作られた「アイドル」になりたくてうちに来たわけじゃない?だから、当然、唐沢社長と美波さんに傾倒していくんだけど、昔の人たちは、そうじゃねぇだろって、そういう意識がのこってんだと思うよ」
「あの……真咲って女の人も、そうじゃねぇって思ってる人なのかな」
 だとしたら、俺らの味方……なのかも、と、一縷の望みをかけて呟いてみた聡だが、
「あんなバカそうな女、何も考えてねーに決まってるだろ!」
 冷たい口調で、吐き捨てるように言ったのは、将だった。
「ま……彼女に関しては、正直、謎だね。つか、あんなヘンな人だとは思ってもみなかったし」
 憂也は、空になったペットボトルを傍らのテーブルの上にぽん、と置いた。
「……で?貴重な時間に、いつまでもこんな話してていいわけ?」
 続いて出た憂也の言葉に、その場にいた者全員が黙り込んだ。
 そうだ。
 問題は雅之のことだ。
「……いまさら、マネージャーがどう変わろうと関係ねーよ、雅をさ、あのまま辞めさせられねぇだろ」
 最初に沈黙を破ったのは、この集いの発起人でもあるりょうだった。
「……憂也、一番仲良かったけど、どう思ってんだよ」
「……………」
 憂也は、それには答えず、ただ指を唇に当てる。
「何か聞いてないの?」
 りょうが重ねて聞くと、ただ、ひょい、と肩だけをすくめる。
「……ま、何か悩んでんなってのは、うすうすね。ただ、理由までは聞いてない」
 そこでまた、会話が途切れた。
「……つーか、理由とか、ちゃんと聞いた奴、いないの」
 聡は、たまりかねて口を挟んでいた。
「……つか、理由なら全員が聞いてるじゃん、こないだ」
 憂也が素っ気無い口調で言う。
―――あれが……理由かよ。
 雅之が、唐沢社長に何を聞かれても一切答えずに繰り返したのは、もう疲れた、自由になりたい、一般人に戻って、普通に平凡に暮らしたい、……というセリフだけだった。
 何故そんな風に思い込んでしまったのか。聡の聞きたいのはそこだったが、確かにあの夜、切々と訴える雅之の目に、嘘を言ったり無理をしている風はなかった気がする。
 誰も何も言わない。
 りょうは難しい顔で黙り、憂也はただ、冷めた目で空を見ている。
 将は、やはり、同じように眉をひそめたままだ。
「最近さ、携帯に電話しても出てくんねーの。もう、ずっと、そんな感じ」
 ため息まじりにそう言って立ち上がったのは、憂也だった。
「俺がわかるのは、今のバラエティが雅の性にあってねーってことだけ。色々悩んでたみたいだけど、それ、俺らには打ち明けたくないみたいだから」
「……なん、で」
 聡は、少し驚きながら呟いて、ああ――俺も人のことは言えないな、と思い直した。自分のことで必死だったこの二年。メンバーの抱えているものなんて、はっきり言って省みる余裕さえなかったし、逆に、自分の抱えているものを、メンバーに打ち明けようとも思えなかった。
 みんな、それぞれ一人で仕事を抱えているし、前向きに頑張っている。……ように見えた。そんな中、後ろ向きなことを言うことができなかったのだ。
「………辞めたいなら、……いいんじゃないの、それでも」
 さらりと言おうとしたのだろうが、それでも憂也の声は、一度途切れた。
「で、俺たちも解散か」
 柏葉将が低く呟く。
 おさえてはいるが、ひどく怒りを感じているのがはっきりと判る声。
「……冗談じゃねぇ、雅一人のために解散かよ」
「じゃ、自分のために雅の人生縛るのかよ、将君は」
 即座に言い返したのは憂也だった。
「よせよ、ケンカは」
 聡が何か言う前に、一瞬よぎった険悪なムードをさえぎったのはりょうである。
「……将君は、なにも自分のために言ってるわけじゃない。それは、憂也も判るだろ」
「……………」
 ため息を吐き、憂也は再びソファに背をあずける。
「じゃ、りょうはどうすんのさ」
 少し、意地悪い声だった。
「自分は辞めたくてさ、もう、こんな環境にもギャンブルみたいな人生にも疲れちゃって、ほのぼの堅実な人生送りたくなってさ、で、辞めようって時に、ちょっと待ってよお前辞めたら俺ら解散だから頑張れよって言われたらさ、どうなのよ」
 りょうだけではない。全員がそれには黙る。
 今、自分が置かれている立場のもろさ、危うさ、存在の不確かさを、全員が共有しているからかもしれない。
 そういう意味では、先夜、思いつめた表情で辞めますと言った雅之の姿は、そのまま、明日の自分たちかもしれなかった。
「雅の人生は……しょせん、雅のもんなんだ、俺たちには縛れないし、責任も持てねぇよ」
 さばさばとそう言い、憂也はペットボトルを掴んで立ち上がった。
「じゃ、俺、朝イチの仕事入ってるから」
 俺ら5人。
 つながったと思ったものは、幻だったのかもしれない。
 聡は頼りなくなりそうな気持ちでそう思いながら、自分もしかし、セイバーの撮影時間が迫っていることを思い出していた。
 じっくり話しあう時間さえない。
 気持ちを――ひとつにする余裕さえない。
 そのまま出て行きかけた憂也が、扉の前で脚を止めた。
「………雅もいろんなこと考えて……それで、辞めるって決めたんだ。俺は、仕方ないと思ってるよ」
 そのまま、扉が閉まる。
 次に立ち上がったのは、将だった。
「……悪いけど、大学、後期試験の最中なんだ」
 何か言いかけたりょうが、そのままあきらめたように苦笑してうなずく。
「……俺、解散はしたくない。でも」
 そう言う将もまた、何かに迷っているようだった。
「今回ばかりは、憂也の言い分にも一理あると思ってる。……最後は、雅の決めることだし、俺らがどうこう言うことじゃないだろ」
 鞄を抱えて扉に向かう将を見送った小泉旬が、すまなそうにりょうを見上げる。
「りょうくん、もうすぐ、朝の撮影が……そろそろ異動しないと」
「わかってます」
 うなずいたりょうが、聡を見上げる。
 聡は――なんと答えていいかわからず、えっと、視線だけを泳がせてしまった。
 なんだろう。
 憂也の言うことは、その通りだと思う。
 将君だって納得したくらいだし。
 俺だって――辞めたい時は、まぁ、気持ちよく見送って……欲しいのかな。
「……………」
 でも。
 なんだかな。そんなもんでいいんだろうか。
「俺は、ちょっと頑張ってみるよ」
 聡が黙っていると、りょうはそう言って立ち上がった。
「頑張るって……?」
「説得、時間みつけて、ひっ捕まえて辞めんなって言ってやる」
 あまり、他人に干渉しなさそうな、りょうの発言だとは思えなかった。
 聡は少し、あっけにとられて、その整いすぎた横顔を見つめる。
「……失ってさ、初めてわかるもんもあるって、俺、よく知ってっから」
 その声は、少しだけ寂しそうだった。
「今の場所がサイコーだって、俺が判っちゃったように、雅も……わかるかもしんねーだろ、もしかして」


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「成瀬につきあっている女がいる?」
 唐沢直人は眉を上げて、目の前に立つ男を見上げた。
「ま、おそらくその線じゃないかと、藤堂常務が言ってます」
 答えるのは美波涼二。
 いつみても、憎いくらい美貌の男を、唐沢は目をすがめて見つめる。
 事務所四階にある社長室。
 全ての営業を終えた深夜。そこにいるのは社長の唐沢と、そして美波の2人だけだった。
「だったら別れさせればいい、藤堂なら、それはお手の物だろう」
 唐沢は眉をあげてそう言い、椅子に背を預けて空を睨んだ。
 J&Mの「別れさせ屋」
 それが、唐沢の側近でもある常務取締役――藤堂戒の隠れた本職である。
 名前こそ冗談のようだが、やっていることはヤクザと同じだ。
 J&Mが売り出そうと決めたタレントの過去――現在に及ぶ、すべての女関係を清算して回る。証拠写真を高値で買い、念書を書かせ、今後、一切近づくなとやんわりと脅しを入れる。これは、たいていどの事務所も程度の違いはあれ、やっていることである。
 実際、顔だけが取り得のバカなガキどもは、どんなに禁止しても、雨後の竹の子のように、次々と女を作りたがる。
 そして、デビュー前、後を問わず、その竹の子を育ちきらない内に摘み取るのが、まさに藤堂の仕事なのだった。金も使うし、もっと汚い手段も使う。詳細までは唐沢も知らない。
 ストームで言えば、片瀬りょうの後始末が一番やっかいだった。今は、さすがに自覚があるのか落ち着いているが、両親と離れているという精神的な不安定さが、デビューしてもしばらく続いていたのかもしれない。
 よりにもよって……といえるくらいのやっかいな女と、一時つきあっていたのが、今でも苦々しく思い出せる。
 綺堂憂也は、去年、イエロープロダクションの元モーニングガールとのデート現場をスクープされた。デートというより、綺堂が一方的に追いかけられていたらしいのだが。
 男と女の関係だったかどうかまでは知らないが、友達です、と言い切れるような関係でもなかったろう。
 スクープ誌「ザ・ワイド」
 その出版社――宗栄社には、厳重に抗議をし、約半年、緋川拓海と貴沢秀俊を取材協力させることを禁止した。テレビ各局にも、モーニングガールが出る番組には、Jのタレントを出さないと脅しをかけた。――結果、イエプロは、モーニングガールからそのタレントを辞めさせた。
 テレビ各局のワイドショーは、基本的にJ&Mの意向を無視した報道はしない。だから、たった一時、世間を騒がせたその醜聞は、やがてあっさりと忘れられていった。一人の少女の運命だけを変えて。
 綺堂は、その騒ぎの中、ずっと沈黙を守っていた。迷惑だったのか、傷ついたのか、今でも唐沢にはわからないし、関心もない。
 そして東條聡。
 唐沢が掴んでいるのは、彼をして――唯一、口を挟めないところにいる女との噂だった。
 これに関しては、公にならない限りは、黙殺するつもりの唐沢である。九石ケイは、ある意味真咲しずく以上に苦手な女だし、実際、相手があそこの社員ならバカな真似はしないだろう。
 柏葉将に関しては、どこを叩いても何もでてこなかった。いまだに浮ついた噂はひとつもない。
 実際、年頃の健康な男に、出ないはずはないのだ。あれは、
――柏葉の頭の良さと要領ゆえだろうと唐沢は思っている。
 で、今は成瀬雅之だ。
 正直、唐沢は、うんざりしながら美波を見上げた。
 まったく、さかりのついたガキどもというのは始末に負えない。彼らは自分の立場や存在の意味がわかっているのだろうか。
 この事務所に入り、デビューを果たした時点で、彼らは普通の幸せをすべて放棄しなければならない存在になったというのに――。
「まだ、藤堂常務にも掴みきれていないんです、成瀬の相手が……ただ、」
 そこで美波は、何かを考えるように唇に指をあてた。
「それとは別件で、少々きなくさい噂を耳にしましてね。これは、出版関係の噂で、直接うちのことを指しているかどうか、未確認なんですが」
「………なんの話だ。暴露本のたぐいか」
 唐沢は眉をひそめる。
 また――宗栄社絡みかもしれない。
 実際、あそこの系列出版社は、どんなに圧力をかけても、Jのスキャンダルを手をかえ品をかえ、あからさまにダメージを与える意図で報道し続ける。
 視聴率のためなら靴でも舐めるテレビ関係者と違い、出版関係者は、妙なまでにプライドが高く、表現の自由意識が強い。正直、手に負えないというのが本当のところだ。
 まだ若い頃、唐沢は、当時の芸能週刊誌を牛耳っていた男に、権力と、そして脅しをもって対峙した。
 が、その時得たと思った勝利は、長期的な視点から見ると、明らかに損失だった。ただ、いたずらに、やっかいな敵を作ってしまったにすぎない――
「いえ、それよりも、少しばかりタチが悪そうな」
 美波がそう言いかけた時、
 そこで、スタンダードな着信音が響いた。
 自分ではない、目の前に立つ美波の携帯電話がなった音。
「失礼」
 と、断ってから、携帯をポケットから出した美波の表情が、唐沢にもはっきりとわかるほど、意外そうに変化した。
「すいません、すぐに戻ります」


                    ※


 彼の手が私の膝を抱き、少しためらってから押し開く。
 私は、その、ためらいの瞬間に、無限ともいえるほどの愛しさを感じる。
 彼の唇が、熱を帯びたうわごとのように私の名前を繰り返し呼ぶ。
 腿に、膝裏に、何度も何度も乾いた唇が押し当てられる。
 触れ合う素肌は、互いの汗で濡れている。体と粘膜のこすれる音。吐息、シーツと体重の軋み合う音。
「あ……あ」
 私はうめいて、彼の背に両手を回して抱きしめる。若い肌は、私の手のひらに吸い付いて離れない。首筋にも、鎖骨にも、そして綺麗に引き締まった顎の線にも、彼の若さがほとばしっている。
 到達という終わりに向けて律動がはじまる。
 頂点が見えたとき、私は何故か衝くような悲しみを同時に覚える。
 いかないで。
 やめないで。
 何故に、セックスは理性を奪うように性急に私たちを高みに――高みに、精神の高みに押し上げるのか。
 彼は私の名を呼び、狂おしく突き入れてくる。
 私も――たまらず、彼の名前を、ほとばしる情熱とともに、まるで獣じみた声で呼んでいるのだ。無意識に。
「まさゆ









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