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 ストームっていいな。
 しっとりと流れるバラードを聴きながら、真白は、不思議なほど静かな気持ちで、そんな風に思っていた。
「アイドルって、口パクオンリーやと思ってたわ」
「結構上手いやん」
「つか、雅君、普通にかっこええんちゃう?」
 そんな声が、前の方の席から聞こえてくる。
「親しい人たちのためにコンサート開こうなんて」
 ミカリが苦笑しつつ、グラスを真白に勧めてくれた。
 冗談社のテーブル席。同席しているのはミカリの外、九石ケイと高見ゆうり、大森妃呂。
「考えることが可愛いわよね、ストームって」
 ミカリの言葉に、真白は無言で微笑した。
 明るめの曲も、どこか静かにアレンジしてある今日のミニライブ。
 ストームは、全員がタキシードを着て、歌う曲はジャズだったり、バラードだったり、内容的にも聞き応えがある。
 最初、「アイドルのライブねぇ」と、半ば苦笑していた者たちも、今は、けっこういい雰囲気で、その歌声に聞き入っている。
「東條君、上手いですね」
「彼は、絶品よ」
 思いっきりのろけられ、真白は思わず笑っていた。
 時々、誰かがステージから降りてくる。歌いながらテーブル席を回り、顔見知りのゲストとふざけあい、いい雰囲気で話している。
 「嵐の十字架」の出演者もいたし、「ミラクルマンセイバー」で観た顔もいた。それから、雑誌で観た顔の女性も。
 りょうはまだ、一度もステージから降りてはこなかった。
 かなり後部に席をとっているから、真白の位置から、その姿は遠目にしか見えない。向こうも気づいていないだろう。
 元気そうだし、楽しそうにしている。
 よかった、と素直に思う。あんな別れ方をして、ずっと気になっていた。きっと父は、彼を傷つけたのだろう。そんな気もしていたから。
「今日は、来てくれてありがとう」
 飲めない性質なのか、ミカリはずっと、ノンアルコールのドリンクを口にしているようだった。隣では、完全に出来上がった彼女の同僚たちが、賑やかに騒いでいる。
「本当はね、来ないって言われたら、大阪まで迎えにいくつもりだったのよ」
「また、そんな」
「幸せになれる人には、絶対に幸せになってほしいの、おばさんのおせっかい」
「な、何言ってるんですか」
 ミカリさんみたいな綺麗な人が、おばさんだなんて。
 が、そのミカリの目が、不思議なほど寂しそうに見えたので、真白は、思わず言葉を失う。
「あのね、」
「は、はい」
「………片瀬君は、真白ちゃんが好きなのよ」
「……………」
「それはね、もう、真白ちゃんが、想像できないくらい好きなのよ」
「いや、それは」
 それは――ちょっとないと思う。
「好きすぎて、自分の気持ちでいっぱいいっぱいで、真白ちゃんの気持ちなんて、多分、想像できないのよ」
 私の……気持ち。
「りょうは……色々、わかってくれてると思いますけど」
 そういうところは結構敏感で―― 
 言われる前から、人の気持ちを先読みして、妙なほど気を回す癖があって。
「どうかな」
 ミカリは、息を吐くようにしてかすかに笑った。
「私からみたら、真白ちゃんも同じ。自分の気持ちでいっぱいいっぱいで、片瀬君の気持ちなんて、想像もできてない」
「…………………」
「少しだけ、彼に本音をぶつけてみて。それだけで、随分違うと思うけどな」
―――私の……本音……。
 ステージに、りょうが現れる。
 真白は、はっとして、咄嗟に視線を下げていた。
 りょうの背後には綺堂憂也。彼は椅子に座り、ギターの弦を調整している。
 まばらな拍手の中、中央に立ったりょうは深く一礼した。
「片瀬です」
 わっと、前の席から歓声があがる。
 それが、劇団「臨界ラビッシュ」の一団であることは、見覚えのある顔で、真白にも判っていた。
 りょうと噂になっていた女優が、その席に座っていることも。
「今回、将君にしごかれて、俺、初めて作詞ってやつをやりました」
 一人で喋るのに慣れないのか、りょうは照れたように髪に手をあて、その目をわずかに、真白のいる席の方に――向けた気がした。
「作曲は憂也で」
 りょうが紹介すると、背後の憂也が、片手だけを軽く挙げる。
「ピアノ演奏は将君です」
 ステージ右の後方にあるグランドピアノ。真白は初めて、その前に柏葉将が座っていることに気がついた。
「将君、ピアノなんて弾けたんだ」
「ひゃー、さっすがお坊ちゃまだな」
 意外そうな誰かの声が、客席から聞こえる。
「今回のライブで、片瀬君がソロで歌ってた曲」
 ミカリの声がした。
「すごく、いい曲よ」
 りょうの咳払いが、ミカリの声に被さった。
「ちょっと、つか、かなり恥ずかしいんだけど、聴いてください」



 
言葉では伝えられなくて
 指先で触れてみた
 伝わった?って俺が聞いたら
 君は、きれいな目で笑ってくれた

 
 勝気で不器用な君に
 どうすれば喜んでもらえるのか判らなくて
 どんなにかっこつけたって
 肝心なとこですべってるみたいだ
 ブレゼントしたピアスも
 まだ引き出しの中で眠ってるんだね




―――りょう……
 真白は、自分の口元に両手をあてていた。
 苦しいくらい、胸がいっぱいになっていく。



 恋は面倒で、やっかいで、それから少し重たいもの
 誰かを本気で好きになるなんて、
 あの頃は想像してもいなかった
 君に、あの日出会うまでは

 大切な時に
 傍にいてやれない俺だけど
 寂しい夜に、抱いてあげられない俺だけど
 君を好きな気持ちだけは本当で
 時々、ちょっとおかしいくらい
 君がいないとだめになる


 心だけ、繋がっていればいいと思ってた
 でもそれは、都合のいい俺の言い訳だったね
 

 大切な時にいつも
 傍にいてやれない俺だけど
 哀しい夜に、抱いてあげられない俺だけど
 信じていて
 今は2人離れていても
 辿り着く場所は一緒だから


 今は口にできない言葉も
 君へ、届けると約束するよ






―――やだ……もう。
「ごめんなさい、」
 真白は、ハンカチで口元を押さえて立ち上がった。
 来るんじゃなかった、聴くんじゃなかった。
 サニタリーに駆け込んだ途端、堪えていた涙が、溢れ出した。
 それは頬を濡らし、嗚咽となって唇を震わせる。
 しゃくりあげながら、何度もハンカチで目元を拭った。
 なんで泣けるんだろう。
 涙なんて今更、何の意味もない自己憐憫なのに。
 もう答えはとっくに出てるのに、今日は、それを伝えるためだけにここに来たのに。
 りょうの歌が、言葉になって胸の奥に突き刺さる。
 わかんないよ、りょう。
―――もう私、どうしていいか、判らない。
 




 












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