6


『やばいよ、凪、やめときなって』
 携帯から聞こえる友人の声は、明らかに焦っていた。
『付属の先輩に聞いてみたけど、海堂ってとにかくサイテーらしいよ。女を釣るだけ釣って、1回やったらポイなんだって』
「やったらポイ?」
 聞き返した凪の耳元に、重いため息が帰ってきた。
 予備校で知り合い、この春、同じ大学に合格した友人。そもそも家庭教師のバイトは、東欧医科大付属高校出身の、彼女の紹介ではじめたものである。
『身体目あてなの、判る?セックスしたら、バイバイってこと!』
「………ああ、」
 そういうことか。
『妹の家庭教師、自分の好みで選んでは、食い物にしてるんだって。だから短い間に何人も変わってるし、報酬も割高なんだよ』
「……………」
 なるほどね。
 それで、家庭教師のプロフィールを、いちいち兄貴がチェックしていたわけだ。
「ま、気をつける。なんにしても、今月いっぱいで辞めるから」
 まだ心配している友人に礼を言って電話を切る。同時に、部屋の扉が開いた。
「なに?電話?」
 コーヒーとケーキをトレーに乗せてきた男が、楽しそうな目で凪を見下ろす。
「ありがとうございます」
 それを受け取りつつ、凪はなれない高級ソファに背を預けた。
「ごめんね、ミサ、もうすぐ帰ると思うんだけど」
 碧人はにこやかに言い、凪の対面に腰掛ける。
「…………」
 何かあったら。
 凪は、防衛手段と脱出手段を頭の中にめぐらせた。
 海堂家の家庭教師。本当は即日辞めたかったが、さすがにそうもいかなかった。今月いっぱいだけは、続けよう――そう思って来たものの、当のミサは不在、思いっきり2人きりである。
 が、正直言えば凪は、友人が言うほどの不安は感じてはいなかった。
 どう見てもプライドが高そうな男は、多分、ゲーム感覚で女を落すことに楽しみを見出しているのであって、強引にものにすることはしないだろう。そんな気がする。
「ミサ……ひょっとしたら、親父のとこかもしれないな」
 今日も、どこか憂いを見せてそういう碧人の横顔は、いかにもこの話題につっこんでくれと言わんばかりだった。
「お父さんの所ですか」
 沈黙よりはましなので、凪も適当に話を続ける。
「別居してるんだ、この近くのマンションで一人暮らし」
「………へぇ」
「あ、医者なんだけどね、一応、でも婿養子だから、居づらいのかな」
「はぁ」
 別に別居と医者とは関係ないとは思うのだが。
「いつ来ても親いないし、へんな家だと思ってるだろ、ミサがあんなになったのも、ガキの頃から親父が家でてるせいなんだよね」
「…………」
「勝手な親父でさ……、それでも女の子は父親がいいのかな、気に入らないことがあると、すぐに親父のマンションに行っちゃうんだ」
 そう言って、碧人は寂しげに微笑する。
「おふくろは病院の経営に必死で、ほとんど家によりつかないしね、まぁ……そこそこ孤独なんだ、俺」
 演技だったらたいしたものだし、本気だったら多少同情しなくもないが、凪はあえて素知らぬ顔でコーヒーを飲んだ。
「あ、ケーキ、いただきまーす」
「…………どうぞ」
 ちょっとしらけた空気の中、凪は高級そうなショートケーキを平らげた。
「凪ちゃんの彼氏ってなんの車乗ってるの?」
 多分、失敗したと思ったのだろう。足を組みなおした碧人は、あっさりと話題を変えてきた。
「てゆっか、そもそも持ってないです」
「へー」
 凪は、横目で、ちらっと一人ごちている男を見あげる。
 また自分自慢か――まぁ、もう慣れたけど。
 こういう人もいるんだろうな。
 他人と比較することでしか、自分の価値を図れない男。
「じゃ、かっこいいんだ」
 じゃ、というのは、他にとりえがないだろ?という意味らしい。
「…………あまり」
 凪はそれだけ言って、くりくり坊主になった成瀬の顔を思い浮かべた。いけない、ここで笑ってる場合じゃない。
「わかんないなぁ、じゃあ、何が取り柄なの?」
 おかしそうな声。
「高卒で仕事してんだよね、で、金もないんだ、なんか、いいとこなさそうだなぁ、彼氏」
「………一生懸命なとこです」
 少しむっとしつつ、凪は言った。
「ぶっ、青くねー?それ」
「時々私のことなんて、頭の中から消えるくらい、仕事にのめりこんでるとこですね」
「……へー」
「仮に」
 凪は、わずかに考えてから、前に座る男を見上げた。
「私の彼が、ストームの成瀬だったら、……どう思います?」
 碧人は、即座に破顔した。
「えー、ありえないだろ、つか、あんなバカっぽいの、凪ちゃんには似合わないよ」
「そうですか」
「これ、親切から言うことだけどさ」
 男は、目に同情を滲ませつつ凪を見下ろした。
「ああいう表にでるプロフィールに、自分の格下げるようなこと書かない方がいいと思うよ」
「…………」
 好きな芸能人のタイプのことだろう。もしかしなくても。
「アイドルなんてさ、しょせんはバカで、顔だけがとりえなわけじゃん?考えてることといえば、女の子にもてたいだけでさ。へらへら笑って歌ってさぁ、なんか気楽な奴らって感じがしない?」
「そんなに気楽でもないと思いますけど」
 そう言うと、碧人はバカにしたように苦笑した。
「凪ちゃんは見かけに騙されてるんだよ、男だったら判るね。ああいう連中はマジ、女のことしか考えてねーから。そもそも、もてたいから芸能人になってるわけでしょ」
 これが、一般的な男性の、アイドルに対する評価なのだろう。
 わかっていても、それでも凪は、腹立ちを抑えるのに必死だった。
「俺らみたいに、人の命を預かるような仕事じゃないじゃない。歌って踊って、ただ笑うだけでちやほやされて、あんなの、ちょっと顔がよきゃ、誰にだってできる仕事じゃない」
 凪の沈黙をよそに、碧人は、朗々と続ける。
「その点、医者は違うね。なんたって人の仕事の中では、最高ランクの職業だよ、だって命だぜ、対象は」
 家族そろって医者だという。ある意味、その素直さ――というか、家族に対する強烈な誇り、みたいなものは、この男のいい所なのかもしれない。
「人の命を救う仕事だよ?こんな仕事をやろうとしてる凪ちゃんがさ、アイドル好きなんて、ちょっとがっかりしちゃうよ、実際」
「アイドルだって、人くらい救えると思いますけど」
 凪も、さすがにムキになっていた。
「心を救うのも大切な仕事ですよね、大勢の人に生きる希望を与えるのって、すごいことだと思いますけど」
「ちょっとちょっと、何熱くなってんだよ」
 と、碧人は、あきれたように横顔で笑う。
「それ、おおげさすぎ、つか、アイドルなんて、そんなにご大層なもんじゃないだろ」
「楽しいって思えることは、生きたいって思うことですよね、私は、人を楽しませる仕事をしてる人たちって、本当にすごいと思ってます」
「………あのさ」
「誰にでもできることじゃないですよね」
 さすがに凪がしつこかったのか、今度は碧人がむっとしておし黙った。
 それから、軽く嘆息して足を組みなおす。
「ま、ファンが夢みるのは勝手だけどさ、連中にしてみれば、金のためにやってることだよ」
「それだけじゃないと思いますけど」
「だから、金と、それから自分のためなんだって」
 むかつくほど、きっぱりとした口調だった。
「芸能人なんていう連中は、基本、自分さえよけりゃいいんだよ、欲しいのは人気と金だけ、誓ってもいいけど、ファンのことなんて考えてもないね」
「まるで見てきたようなこと言うんですね」
 凪は言い過ぎた自分に舌打ちしたい気分だったし、碧人がその刹那、明らかに不快になったのもよく判った。
「親戚が、音響関係の仕事してるんだ、俺だって、何も知らずに言ってるわけじゃないよ」
「………」
 眉根に縦皺をきざんだ碧人は、はじめて柔和な仮面を剥がし、うるさげな目になった。
「人に夢を与える仕事?まずてめぇらが世話になってるスタッフや家族に夢を与えろっつー感じだけどね、俺的には」
「…………」
「音響スタッフなんてさ、ツアーなんてはじまったら、家族なんてほったらかしで全国めぐりだ。土日なんて絶対に潰れる。朝から深夜まで働かされて、なのに、しょせんはスターの手下扱い、表には、顔も名前も出てこないし残らない」
「……へぇ」
「そいつの夢だかなんだかしんねーけど、冗談みたいな薄給でさ、盆も正月もないんだぜ?当のアーティストや、イベント会社には何百万って入ってくんのに、そいつはいつまでたっても下働きの安月給、あげく、若いタレントに呼び捨てにされてさ、バカみたいだろ」
「……………」
「人に希望を与える仕事だかなんだかしらねーけど、現実はそういう搾取がまかりとおってんだよ、大金が動く世界に、綺麗も純粋も有り得ないね」
 もしかして、その親戚の人が、ストームの裏事情に詳しいという人だろうか。
 凪の表情を見透かしたのか、碧人は、軽く肩をすくめ、頭を掻いた。
「ああ、ストームね。そいつ、今回のツアコンにも同行するらしいよ、頼めばチケットくらい、回してくれると思うけど」
 多分、それは、碧人の――かなり親しい人物なんだろう、と凪は思った。
 でなければ、ここまで露わな嫌悪を見せたりはしないはずだから。
 

                 7


「いや、だからそれじゃ、不十分なんですよ、はい、機材リストがないと、うちも予定のたてようがないんで」
「栃木GRYから、まだ連絡ない?」
「あのハコ、電力的にやばいんじゃないかと思うんですよ、発電機手配しますか」
「大分SEVENさん、図面ファックス届きました、階段無理です。スピーカー入れません」
 渋谷にある商業ビルの六階。
 ここが、音響マネジメント会社「Rainbow」の本社である。
 ニ十畳程度の室内に、ぎっしりと詰め込まれた机。そこで、社員総勢十名が、二週間後に迫ったツアーの準備に追われている。
「お、将」
 すっかりそのスタッフに交じっている悠介が、入ってきた将を見上げて手をあげた。
「進行は?」
「かつかつだよ、ハウスの機材リストが届かなくてさ、今週中には回線表送らなきゃやべーのに」
「そっか」
 将は、ほとんど殺気だっている社内を見回した。
 全国の小都市、約十箇所を、二週間で回る強行ツアー。前日の準備、搬入搬出異動を含めたら、スタッフにとって、実質半月、休みはないといっても過言でない。
 それは、その期間、休みなく東京の仕事が入っているストーム5人にも同じだった。
 死のロードじゃん、
 とは、冗談めかして憂也が言ったセリフだが、全くその通りだ。
「で、どうだった」
 と、悠介は、シャツの袖をまくりながら歩み寄ってきた。
「今日が、関東関西地区の発売日だったんだろ、ファンクラブチケット」
「完売、三十分でソールドアウトだってさ」
 将が言うと、おおーっと、そこそこで声と拍手があがる。
 一応笑顔で答えたものの、将はすぐに笑顔を消した。
 関西関東でチケットが売れるのは、ファンクラブの数からいえば当然で、むしろ怖いのは、ファンクラブ層のほとんどない、郊外部の小都市だった。そこは今回、ファンクラブ枠と一般枠を同時発売と言う形で対応している。
 かつて、りょうと憂也の人気だけで持っていた頃、テレビに出演する機会のなかったストームには、絶対に無理だと言われていた小都市圏。デビュー二年目のツアーで、がら空きの三階席という悪夢を体験したのも地方である。
 しかも、現況はその頃よりさらに厳しい。
 新曲を一年近くリリースできないでいる中、ストームとしての活動は休止したまま、かつて人気を支えたりょうと憂也は、ゴールデン枠から姿を消して随分になる。
 今は、その反面、聡、将、雅之が毎日のようにテレビに出ている。そこが、どこまで浸透しているか、である。
―――ぶっちゃけ、難しいだろうな。
 将は無言で眉をひそめた。
 準備期間が殆どなかった今回のツァー、情報は、J&Mの公式サイトとファンクラブ会報のみ。ラジオで毎日宣伝しているものの、一般には殆ど知られていないはずだ。
 それで、どこまで健闘できるか。
「まぁ、大丈夫だよ、いざとなったら東京から流れていくだろ」
 悠介が肩を叩いてくれる。
 東京の熱心なファンは、北海道でも九州でもついてくる。が、今回は、それではダメだと――将は内心思っていた。
「お、将君、丁度いい」
 頭をがりがり掻きながら入ってきたのは、この会社の社長、兼モニターオペレーターの前原大成だった。
「どうにもこうにも、足りない機材ばかりなんだ、予算の追加を事務所に頼んでもらえないか」
「やってみます」
 将は、そう言い、差し入れの袋を悠介に手渡した。
「お前、顔色悪いぞ」
 悠介が囁く。
「寝てねぇんだ、肌に悪いって、今日もメイクさんに叱られたよ」
 ライブ通いが趣味だった将にしても、自分の力でそれをするということが、ここまで大変だとは思ってもみなかった。
 ライブハウスには、通常ライブ用の機材が全部揃っていると思っていたのが、そもそも大きな間違いで、当たり前だが、揃えている機材はハウスによってまちまちだ。
 そのリストをまずもらうことから始まり、足りない部分はこちらで用意して持っていく。
 が、ハウスによっては、駐車場がなかったり、階段が狭かったり、連絡が取れなかったりと、細かな問題が山積みなのである。
 特に今回、専門の照明スタッフは同行しないから、それらも全て、「Rainbow」で回さなければならない。足りない人員は、地元プロモーション会社の協力と、そしてアルバイトで補うほかない。
 すでに開催先でのプロモーターとアルバイト確保に、悠介が飛び回ってくれている。
「前原社長、すいません」
 将は、予算書を整理した後、あきらかに目の下にクマを作っている五十男に頭を下げた。
「今回は、無理を承知で聞いてくれて、本当に感謝してます」
「なにいってんの」
 普段陽気な前原社長は、いっそう陽気な声で笑った。
「いつも元気な将君らしくもない、前ちゃんでいいよ、いつもみたいに」
「……報酬も、そんなにないだろうし、申し訳ないと思ってます」
 かつかつの予算。
 前金として振り込んだものも、実際は、必要経費で殆ど消えてしまうはずだ。
 が、前原はさらに大きな口をあけ、いっそう楽しげな顔で笑った。
「僕らはそもそも、でかいとこで歯車みたいな仕事すんのが嫌で、飛び出した輩だからね、しょせん金なんかより、仕事が好きなやつばっかそろってるから」
 元々は、大手ミュージックスタジオ「YAMADA」に所属していた前原は、そこでの将来を蹴ってこの会社を設立した。今まで、二度の倒産の危機を乗り越えている前原は、そのせいか何に対しても寛大でおおらかだ。
「こういう、手作り感覚のライブが、僕もそうだけど、みんな好きで好きでたまんないんだよね。最近は、イベンター通しての仕事ばっかだからねぇ、まぁ、その方が報酬もでかいし確実だし、でも、確実だけどつまんないんだよねぇ」
 夢って不思議だよな。
 前原の楽しげな声を聞きながら、将は静かな気持ちで思ってしまっていた。
 そのためなら必死になれる。何もかも忘れてのめりこめる。俺みたいな若造でも、前さんみたいな大人の人でも。
「………実際、うらやましいよ、将君や浅葱君にしても、ストームのみんなにしても」
 将の持参した差し入れのシュークリームを口にしながら、前原は少し苦笑して呟いた。
「その年で、賭けられるものを持っている、見つけている。それはとても幸せなことだよ。……うちにも、バカな息子が一人いるんだが」
「前さんにですか」
 指輪もなく、弁当はいつもコンビニもの。家庭の匂いを一切させない前原に、家族がいること自体初耳だった。
「君らの半分も必死になっていない。あたえられた環境で、他人を否定しながら漫然と暮らしているだけだ、……まぁ、それが、イマドキの若者なのかもしれないけどね」


                 8


『へー、そうなんだ、じゃ、続けんの?そのバイト』
「まぁね」
 凪は携帯を持ち直した。
 久々に係ってきた電話、久々に聞く恋人の声。
『そっかぁ、大変だ』
 疲れているのか、雅之の声は、どこか眠そうだった。
 凪の話も――多分、まともに聞いていないのだろう。
 切ってあげようかな、とも思ったけど、久し振りに聞く声だし、もう少しこのままでいたかった。
 千葉にある自宅の自室。凪はベッドに寝転んだまま天井を見上げる。
 隣の部屋には、もう誰もいない。自宅から通いを決めた凪とは逆に、風は家を出て一人暮しをすることに決めてしまった。
 母は友人とお出かけで――ちょっと寂しい春の夜。
「まぁ、ミサちゃんも馴染んでくれたしね、せっかくだから続けることにした」
『へぇ』
 あれだけしつこかった碧人は、次に会った時は、挨拶にも出てこなくなった。その次には、玄関に女物の靴が置いてあった。
(そっか、兄貴の彼女じゃなかったんだ。)
 ミサが、態度を軟化させて素直になったのもその日からである。
 多感な少女は、自分の家庭教師が常に兄と関係を持つのが、嫌でたまらなかったらしい。
(やっだー、兄貴、そんなこと言ってたんだ、うち両親仲いいよ、パパ、仕事が忙しいからマンション他に借りてるだけ)
 話してみると意外に人懐っこい、可愛い女の子だった。
 ただ父親に関しては、それ以上のことは触れたがらないし、どこか曖昧な言い回しだったから、多少、問題は抱えているのだろうが。
(それにしても、うちの兄貴もやな男だよねー、あれだけ凪ちゃん凪ちゃんってしつこかったのにさ)
 凪は、なんとなくだが、態度を急変させた碧人の気持ちが判るような気がしていた。
 思わず言い合いになってしまったあの夜、多分彼は、彼としてはあまり見せたくない部分を、つい見せてしまったんだろう。
 凪も意地になってしまったが、その意地につられたのかもしれない。
 逆に凪は、今まで無関心だった碧人という男に、以前にはない興味を感じるようになっていた。
「あのさ、ツアーのスタッフに、カイドウって人いる?海にお堂の堂って書くんだけど」
『―――海堂?………うーん、……そんなスタッフいなかったと思うけどなぁ』
「音響関係の人らしいけど」
『……うーん、レインボウさんの中に……いねぇよなぁ』
 もともと物覚えが悪い男だけにその言葉だけでは信用できない。
 しかも、多分、半分寝ながら答えてるだろうし。
―――まぁ、親戚かぁ。家族中医者っていってたし、苗字違うのかもね。
『あ、そだ、それよか取れたから、最前列のペアチケット』
 もしかしなくてもそれが本題だったのか、ふいに雅之の声にはりが戻った。
「ペア?一枚でいいのに」
『いやー、一人じゃ寂しいだろ、風でも誘ってさ、絶対に来いよ、今回のライブ』
「………真白さんは来るの?」
『あー……どうだろ』
 雅之の声が、途端に曇った。
『彼女なら、大阪の時に来るんじゃねぇ?なんにしても、りょうが手配してるだろうし、気にしなくていいよ、うん』
 その口調が、これまたバカ正直に言い訳めいていたから、ああ、やっぱり、あまり上手く言ってないんだな、ということだけは判ってしまった。
『――明日が、栃木とか大分とか、ちょっと難しいとこのチケット販売なんだけど』
「あ、そうなんだ」
 チケット販売が、こんなにぎりぎりに行なわれるものだとは知らなかった。
 まぁ、急きょ決まったツアーだから、何もかも異例ずくめなんだろうけど。
『昨日が大都市圏の販売でさ、それは、まぁすぐに売れたんだけど』
 何故か、雅之の声は、不安げだった。
「今回は売れないの?」
 それはないでしょ。と、思いながら凪は聞く。
『売れてるアイドルのコンサートチケットは、たいてい三十分たらずで完売なんだよなー、うちのデビュー組で、チケット余り経験してんの、ぶっちゃけ、うちくらいでさ』
「…………」
『まぁ……地方は、ストームは弱いんだよね、昔から』


 翌日、バイト先のファミレスに自転車を走らせながら、凪は、昨夜の雅之との会話を思い出していた。
 ちらっと腕時計を見る。
 午後十時一分前、電話予約はその十時にスタートだ。
(……当日完売は難しいかもって、将君も言ってたし。まぁ、去年の夏も、ぶっちゃけ、地方は多少チケットがあまったんだ。今回はキャパが狭いから、いずれ完売するとは言われてるんだけど……)
 チケットの当日完売。
 それが、人気のひとつのパロメーターになるなら、確かに即日、しかも短時間でのチケット完売は、今のストームのおかれた状況からすると、絶対に欲しい条件なのかもしれない。
 ただ、凪は、不思議なほど妙な確信を持っていた。
 むしろ、雅之や、それからあの豪胆な柏葉将が、何を心配しているのか判らないくらい。















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