9
撮影直前、携帯電話を切った柏葉将は、多少、呆然として顔を上げた。
誰に最初に電話すべきか。
憂也か、雅之か、それかもりょう――。
迷っている間に携帯が鳴る。
『はぁい』
なんだか、妙に懐かしい声だ。最近はずっと忙しくて、もう何日もオフィスに顔を出していないから。
『チケット完売おめでとう、一般発売が、ものの十五分でソールドアウトだってね』
「……お、おう」
我ながら、情けない声が出た。
『ちょっとちょっと、ユー、この程度で、まさか感動してんじゃないわよね』
「別に、」
と言いつつ、チケットが売れ残るという惨めな事態は、これは実際に体験したものでないと判らないと将は思っていた。新曲が一週でチャート外に落ちるようになって一年以上、コンサートの規模もキャパも縮小され、ここ半年は、音楽活動さえしていない。
ファンクラブ枠以外で、地方でどこまで健闘できるか――これは、今回、将が課した大きな目標で、だから地方のキャパを関東地区より大きくしたのだ。
『で、肝心の準備はどうなの』
「頑張ってるよ」
『頑張りは関係ないでしょ、問題は何が魅せられるかよ』
「みせてやるよ」
むっとして、将は声を荒げていた。
「チケットは取ってないけど、観にくらいはこれるんだろ」
『美波君が、ちゃんと手配してくれてるから』
「…………」
ぐっとくる。
くそ、聞くんじゃなかった、マジで。
『今度、美顔パック送ってあげるわ、バニーちゃん』
最後に、くすくすと笑いながら真咲しずくはそう言った。
『しっかり寝て、きれいな顔に戻しておいて、楽しみにしてるから』
それだけ言って電話が切られた。
「……………」
唖然としていた将は、切れた携帯を見下ろした。
つか一体、何が言いたくてかけてきたんだ?この女。
それでも――妙に明るい気持ちのまま、将は、憂也の番号をコールしていた。
10
「いやっっったーっっっ」
握り拳を突き上げ、飛び上がった雅之を、周りの者たちがぎょっとして見あげる。
「どうしたの、雅君」
「疲れすぎて、ついに頭にきたんやないやろな」
そんなジョークに誰もが真顔で頷くほど、今は全員が疲弊しきっていた。
バラエティ番組の企画、崖っぷち芸能人サッカー部。
今日の撮影は、地元高校サッカー部との練習試合。5−0のスコアで完敗だった。これで五試合目。いまだ、無得点、連敗記録が更新され続けている。
「あ……ちょい、個人ごとで」
雅之は、こそこそ携帯を隠しながら輪の中に腰を下ろした。
グランドの片隅、陰になっているそこに、全員がへたりこんでいる。スタッフがいないから、つまりデジタルカメラは回っていない。思いっきり素になっていい時間帯だった。
さすがに、全員が肩を落としていた。相手は高校生。特に名門チームではない。それが、五戦五敗の体たらくである。
「つか、無理なんやろなぁ、やっぱ」
「ガッツだけで勝てれば、才能も監督も必要ないやん」
うつろに漏れる愚痴めいた言葉。
何か言おうとした雅之も、そのまま口をつぐんでいた。
チケット完売――憂也からの電話で、一時痛みを忘れたものの、腿も脛も石を巻かれているように重い。
「まぁ、せめてゴールキーパーは、本職じゃないとなぁ」
体格だけは立派なディフェンダー、おはぎが言い、サッカーの名門、九州国実高校出身の、ミラクル中田という臨時キーパー役が、こくこくと頷いた。
「ぶっちゃけ、ボールがびゅんびゅん頭超えていくねん、わし、本当ならフォワードやで?」
身長が百六十そこそこのミラクルは、その身長ゆえに名門国実高校では一度も一軍にあがれなかったらしい。が、雅之の見るところ、一番実力があるのがこのミラクルで、ゆえにキーパーの代役も問題なくこなせている。
「しょうがないやろ、PKじゃ、お前以外全員ぼろぼろやったし」
つっこんだのはマジシャンマギー。
「あれはまぐれや、たまたまや」
元々ゴールキーパーは、元プロサッカー選手の仙波隼人がそのポジションについていた。
フォワードの神尾恭介、それからゴールキーパーの仙波隼人。元東京イーグルスの一軍だった2人が、いわば、「芸能人チームの助っ人」という形でついていたのである。
「こなくなっちゃいましたからね、あの2人」
呟き芸人ゴローが呟く。
元々麻雀ばかりやっていた神尾と、端からやる気がなかったのか、たまに来ては喋って帰るだけの仙波。
そもそも彼らの出演料は出来高制で、毎回出演することは条件ではなかったという。気が向けば来て、向かなければ来なくていい。その代わりギャラはでない――という契約。
「……………」
雅之は、暮れなずむ空を見上げて嘆息した。
2人が来なくなったのは、先月、雅之が珍しくぶちきれて、マジで言い合いになってしまった日からだ。
雅之の場違いな熱さに、神尾は辟易したのかもしれない。もともと遊び感覚で参加していたから、真面目な展開についていけなくなったのかもしれない。
「他の人呼べないかってプロデューサーさんに聞いたんだけど、ほら、それやるとなんでもアリになっちゃうからって」
「なんにしろ、今のままやと、まともなゲームなんてできへんな」
ミラクルが、どこか冷めた口調で呟いた。
―――結構、面子は揃ってんだよな。
と、雅之はあらためて思ってしまう。
性格は気弱だが、がっしりとした体躯を持つおはぎは、社会人サッカー経験者。
売れないマジシャン、モギーは帝京高校で、全国高校サッカーの準決までいった経験がある。
自虐ネタのカズシは、J2の、サンプラス広島のユースチームに所属していた。
ミラクル中田は高校では一度もレギュラーを取れなかったらしいが、技術は確かで、今もまるで衰えていない。
全員が、二十代後半から三十前半。雅之がその中で一番若い。やる気になれば、全員に体力はあるし、もともとの素質もある。
しかしそれゆえに、現実が見えてしまうのも辛いところで――。
実際、今のメンバーでどう頑張ろうと、日本を代表するプロサッカーチーム「東京イーグルス」に勝てるはずなどない。それは、口には出さないがすでに全員が理解していた。
それでも、フィールドに立たなければならない。興行として、少なくとも見栄えのするものにしなければならない。
「やっぱ、全員ディフェンスで……」
「ばーか、ざけんな、いまさらできるかよ」
重たいため息が、その場を包んだ。
すでに、番組の方針が、「うだうだブラックトーク」から「努力、汗、涙」路線に変換されつつある今、元のギャグ路線に逃げることだけは許されない。
多分プロデューサーも、今頃頭をひねっているはずだ。なにしろ、番組の目玉だった丸刈り企画は、雅之のフライングのため、どこかかすんでしまっている。このまましょうもない試合をすると、せっかく盛り上がった企画の最後が締まらない。
「あ、でもさ、みてくださいよ」
陰鬱な空気を切って、ふいにおはぎが立ち上がった。
「リフティング、もう百回はいけるようになったんす、いやー、久々にやっても、身体ってのは覚えてるもんなんすね」
「ばーか、そんなんで試合に勝てるわけないやん」
「死ぬまでやってろ」
どこか暖かな罵声が飛び交う中、おはぎの太い腿が、危なっかしくボールを弾き始める。
いつの間にか、全員が「いち、にぃ、さん、しぃ」と、その回数を数え始める。
夕風が涼しい。ほてった身体も、流れる汗も、風に吹かれて引いていく気がした。
なんか、いいな。
風に吹かれながら、雅之は自然に微笑していた。
よくわかんない。この時間が、なんかすげー楽しい気がする。
先月の初めまで、まったく見も知らなかった他人同士。それが今は、毎日のように顔をつきあわせ、ぶっ倒れるまでハードな練習を繰り返している。
練習メニューは、一応ユースながらプロに近い位置にいたカズシと、そして社会人サッカーで活躍したおはぎの2人がたててくれている。
ストレッチ、吐くほど辛いランニング、鬼ごっこと呼ばれるパス練習、キック練習、ゴールキック練習、残りの一時間が二組に分かれてのミニゲーム。
9時から始まる練習は、おおよそ12時近くまで続く。当然、他に仕事を持つ者もいて、実際、テレビで大げさに煽る以上の、相当ハードな日々だった。
「でもよ、気がつけば、九十分、走れてたりするんだよな、俺」
「あ、俺も、前は前半で足がつってたんだけど」
それは、雅之も感じていた。
ミニゲームをしていても、完全に抜き去ったと思ったおはぎがふいに追いついてくることがある。俊足を誇る雅之にとって、かなりショックな出来事ではあったのだが……。
なんにしても、あと足りないのは戦術だ。
それから、経験。
東京イーグルス一軍との試合は、今月の終盤。丁度、ライブツアーの中日である。それが、おそらくこの企画「崖っぷち芸能人サッカー部」のフィナーレになるだろう。
ほんと、死のロードだよ、マジで。
「…………」
なんとかしなきゃな。
雅之は、寝転んだまま、煌き始めた星を見上げた。
ストームのことだけじゃない。俺は、このチームのキャプテンだから――
11
「そっか、うん、いや、嬉しいよ、超嬉しい」
りょうは、それだけ言って、携帯を切った。
まだ、将の弾むような声が耳に残っている。心配していた地方興行が収入面で成功したことより、将の、めったに聞けない興奮した声の方が嬉しかった。
―――将君、がんばってたからな。
将だけじゃない、憂也も、雅之も、聡も――自分も、なんだか今回は、いつになく必死で頑張った。それだけじゃなく、誰もが全員、それぞれがやりたいことを認め合い、当たり前のように支えあってきたような気がする。
なんでだろう。
「どうしたの?」
開けっ放しの扉の向こうから、顔をのぞかせた人が不思議そうに見つめている。
「どうしたのって、なんで?」
りょうは携帯を閉じながら、その人が背後に近づいてくるのを感じていた。
劇団「臨界ラビッシュ」の二階にある寮。
稽古が遅くなった日は、ここで寝泊りしてから朝一番で東京に帰る。それが最近のりょうの日常だった。
「いつになく、楽しそうな顔してたから」
「そうかな」
「昨日観た夢でも、思い出してるみたいな目をしてたわよ」
「…………」
この人は本当に鋭い。鋭いというか、人の心の機微をつかみ、それを表現するのが上手い。
女優――しかも、一級品の本物。
りょうは、それを、目の前の女に会って初めて知った。劇団ラビッシュのトップスター織出佳世。
「不思議だな、と思ってさ」
寄り添ってくる温みを引き寄せながら、りょうは遠い目をして呟いた。
「他人だったんだ、もともとは。友達だったけど、本質的には他人だった」
「……それで?」
「デビューしてからそれが判った、嫉妬や、疑心や、考え方の違いや……色んな葛藤があって、俺も一人で頑張ってるつもりだったし、みんなもそれぞれ、一人でやってるつもりだった」
たった半年前、どこかぎこちなくて、互いの気持ちが読めなくて、すれ違ってばかりいた5人。
「それが、なんで――こんなに、いい感じになれたかな、と思ってさ」
「予定調和が乱されたのよ」
佳世の返事は、即座だった。
その感情のこもらない冷静さが、この女の魅力だと思う。
肩を抱いて引き離すと、女は猫のようにするっと逃げた。
「悪いけど、意味わかんない」
「現状を維持していた環境に、外部から石が投げ込まれたのよ。あなたが気づかない何かがそこにあったってこと」
「……何か」
「変化は常に、外部からもたらされるのよ。アクション、変化、アクション、変化、この繰り返しよ、物語も人生も」
「…………」
「その刺激がなくなれば、人生も芝居も退屈なだけ。ただそれは、いつもいい方に変化するとは限らないけど」
りょうの前に膝をついたまま、佳世がじっと見あげてくる。
「強くなったのね」
「なんで?」
「前みたいな目で私を見ないから」
「どんな?」
女の指がりょうの頬をなぞる。りょうはその手を包み、指先に口づけた。
「捨てられそうな子供が、母親を見るような目」
「……………」
「愛情に飢えた子供が、必死で媚を売っている目よ」
辛らつでも、不思議とそれは優しく聞こえた。
「本当に人を好きになっても、」
りょうは苦笑し、目の前の女から視線をそらした。
「そんなに冷静に分析できるものなのかな」
「恋愛感情は役者にとって重要なストックよ、それは、怒りにも悲しみにも歓喜にも絶望にも応用できる」
「…………」
「あなたはそれを知りたくて」
ずるい眼差し。でも多分、鏡のように自分が同じ目をしていることを、りょうもまた自覚していた。
「ここにいるのよ、そうでしょう、片瀬りょう」
もう会えないな。
抱きしめる肌の温もりに溺れながら、りょうは静かな気持ちでそう思っていた。
もう、俺には資格がない。
もう――あの人に、会うことはできない。
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