3


「雅、」
―――おふくろ、悪い……
「おい、雅!」
―――もう少し、あと五分でいいから、
「……いい夢見てんだよぉ、今」
「ばかか、てめぇは!」
 怒声と共に、ごきっと頭を叩かれる。
 はっと夢から覚めた成瀬雅之は、ぎょっとして周囲を見回した。
「おい、よだれ」
 と、隣席の東條聡に肘で脇をつつかれる。
 慌てて口の端を拭った雅之は、ようやく今、自分が置かれている状況を理解した。
 いや、理解する前に、怒りのオーラに包まれている柏葉将の顔を見て、さーっっと青ざめてしまったのだが。
 六本木。
 J&M事務所六階にある打ち合わせルーム。
 何度も触れているが、ここは、一定の立場の人間なら、自由に使用することができる場所である。
 ホームシアターや、ドリンクバーなども備え付けで、なかなか居心地のいい空間なのである。
 そこに今、今度のライブツアーのスタッフが、参加アーティストも含め、全員集合している。長机を並べて総勢四十名、最初で最後の、全員の打ち合わせ会議。
 で、その重要な会議開始後、ものの10分で夢の世界に突入していた雅之は、全員のあきれきった眼差しを一身に浴びるはめになっていた。
「まぁ、勘弁してやって、この人最近、毎晩ハードなプレイで疲れきっちゃってるから」
 と、そこにさらに余計な軽口を挟んだのは、左隣に座っている綺堂憂也。
 うおっと、顔から火を出して、その意味深な言葉の誤解を解こうとした雅之だが、その場は、穏やかな笑いに包まれた。
「大変だよね、企画っていってもマジで試合やるんでしょ」
「応援してるよ、成瀬君」
 と、優しい言葉をかけられたから、憂也の助け舟?は、ちゃんと奏を成していたようだった。
「いや、甘やかさないでください。貴重な時間を割いて集まっていただいているのに、当の俺らが本当にすいません」
 きっちり謝罪してくれる将には、むろん、この後、ぎっちり叱られなくてはならないようだが……。
「で、ライブツアーのタイトルなんですけど、これ、5人で考えてきたんですが」
 将は、用意してきた紙片を目の高さにあげてみせた。
 綺麗な文字で、
「TEAM STORM」
 と書いてある。
 へぇ、とか、うーんとか、いぶかしげな眼差しとか、いいんじゃない、みたいな頷きとか、―――さきほどまで寝ていた雅之でも、さすがに周囲の反応にはドキドキしていた。
 昨日、雅之の部屋に集まって、ほとんど徹夜のミーティング。すったもんだの末、全員一致で決めた命名。発案は東條聡で、雅之も俄然気に入っている。
「ちょっと寂しくないかなぁ」
 呟いたのは、バックバンド「RUSHU」のリーダー、宮沢カズ。
 デビュー当時からストームのバックを務めてくれているバンドで、所属は「スターライト企画」。規模は小さいが、秀逸な人材が揃っている音楽事務所で、J&Mでは、ギャラクシーもそこを使っている。
「インパクトがないかもね」
「素人のコピーにしては、いい線いってると思うけど」
 他のメンバーからも、リーダーに習った声が飛ぶ。
「うーん、」
 と、将は少し、困ったように鼻の端を掻いた。
 コンサートツァーのタイトルは、たいていイベンター会社が抱えるプロのライターが考える。
 そもそも大規模なコンサートは、J&M事務所が大手イベント会社に委託して、そこからスタッフ会社やバックバンドを手配するといった段取りで運んでいくのが常なのである。
 が、今回は、将の意向や予算の都合もあり、イベンター会社を通さず、「Office J&M」――というより、「ストーム」が直にスタッフ会社に依頼する形で、ライブの企画、制作をするスタイルをとっているのだ。
 だから、舞台演出や、チケット、グッズ販売は無論、バックバンドの手配、機材、音響の手配――と、とにかく全てのことに、ストーム自ら関わっていかなければならないのである。
「このタイトルには、ストームのこだわりがあるんです、そこを理解してもらえないでしょうか」
 口を挟んだのは、将の隣に座している浅葱悠介だった。
 品のいいスーツを身につけた長身の男は、こうしていると若手営業マンに見えなくもない。が、実体は将の友人で、大学生。日本を代表する大手建設会社の御曹司である。
 忙しいストームに代わり、スタッフとの連絡や調整を一手に引き受けてくれているのが、ここにいる浅葱悠介だった。実際、このライブツアーの骨格の大半は、将と悠介が組み立てたものだ。
 学業そっちのけでライブ活動をしている浅葱悠介はともかく、昼ドラの撮影が押している将には、この一ヶ月は、まさに寝る間もないほど忙しい日々だったはずだ。
―――あー、俺、反省だな。
 と、雅之は、疲れなど一切見せない将を見上げながら、軽く自分の頭を小突いた。
 確かに寝ている場合じゃない。
 もしかすると、ストームにとっては、これが最後になるかもしれないライブツアーだ。
「今回は、キャパが、大きくて二千程度のハウスでやるライブだから、とにかくいつも以上に、お客さんとの一体感を大事にしていこうと思うんです」
 将は、落ち着いた声で、ツアータイトルの由来を説明しはじめた。
「俺たちもチームだし、お客さんもみんな、俺らと同じチームだよ、と、そんな一体感や連帯感を、ライブを通じて、ファンに伝えていけたらいいと思ってます」
 わずかな沈黙の後、ぱらぱらと拍手があがる。その言葉には、全員が納得してくれたようだった。
「それでいいんじゃないかな」
 手を叩きながら言ってくれたのは、音響マネジメント会社「Rainbow」の社長、前原大成だった。
 五十前の、一見温厚そうな紳士だが、いまだに現場で指揮をとる凄腕のPAエンジニアである。この「Rainbow」は、ストームのコンサートには必ず呼ばれる常連で、前原社長とストームは、デビュー当時からの付き合いだ。
 今回も、将は、一も二もなく、「Rainbow」に依頼することを決めていたようだった。
「シンプルすぎてどうかな、と思ったけど、心に突き刺さるものがある、なにより、君らの心意気の強さを感じるね」
「チームか……」
 と、チケット、グッズ販売チーフであるRainbow副社長重岡が、腕組みをしつつ社長を見上げた。
「確かになかなかいいですね、グッズで、Tシャツ類の売れ行きもよくなると思います」
「今回は、予算的に、あまりグッズに裂けない部分があるんですけど」
「いや、今後の活動のためにも、興行収入をあげることは大切だよ」
 と、早速議論が始まっている。
「衣装は、できるだけ普通でいこうかと思ってるんです」
「いやー、どうかな、サムライでそれをやったけど、意外に地味で、ちょっと拍子抜けした印象があったね」
「お客さんと近いし、なるべく普段の俺らを見せたいと思ってるんですが」
「二時間のステージで、衣装にもめりはりつけてもいいと思うよ、ファンの子は、アーティストのコンサートが見たいんじゃなくて、アイドルの華やかな姿が見たいんだから」
「いや、それはそうなんですけど」
 興行にかけてはプロの連中相手に、将と悠介は、自分たちのポリシーを一歩も譲らず説明している。Rainbowにしても、引き受けた以上失敗は許されない。今回失敗すれば、二度とJ&Mから声がかからなくなるかもしれないからだ。
 そういう意味では、前原社長には感謝するしかないと、あまり物事を深刻に考えない雅之でさえ思う。
 ストームの現状をよく判った上で――しかもこのライブツアーに、会社としてのOffice J&Mの後押しがまるでないのを承知の上で、引き受けてくれたのだから。



                 4



「ほんと、スタッフの苦労が、今回ほどわかったってのもないよな」
 聡の言葉に、全員が頷く。
 会議が引けて、後片付けも自分たちでして、五人と、それからここ最近、六人目のメンバーになりつつある浅葱悠介は、J&M本社ピルの屋上にいた。
 夕暮れの群青が、六人の頬を染めている。風に甘い香りがまじっているのは、桜が開花しはじめたせいだろう。
 それでも東京は、まだどこか肌寒く、4月は間近だというのに、春は遠いといった感じだった。
「演出とか構成では、参加させてもらったことはあっても、ここまで関わったのって初めてだし」
 フェンスに背をあずけ、空を見上げながらりょうが呟く。最近、大阪と東京を行ったり来たりのりょうは、さすがに疲れきった目をしていた。
「俺らは見せることしか考えてねぇけど、売るってことも大切なんだよな」
 雅之も、嘆息しつつ呟く。
 長い打ち合わせ会議の最中、聞きたくない話も沢山聞いた。狭いキャパしかない会場では、数をこなさなければ収益はあがらない。が、その一会場でも埋まらなければ興行としては失敗とみなされる。
 今回、一番大きな会場が岩手と栃木で大分で、キャパが1,500から2000程度。
 ファンクラブ会員でソールドアウトが見込める関東関西圏はともかく、そこが埋まるかどうかが、実質成功の分かれ目とも言えた。
 設定された売り上げの目標数値というのもあった。その最低ラインをもし割れば、少なくともJ&Mは納得しないし、ストーム解散のいい口実になるだろう。また、Jを得意先にしているRainbowにしても、弱小企業ゆえに、致命的な失敗になるはずだ。
 全員が、各々、再度かすかなため息を吐いた。
 現実の厳しさを、あらためて知った気分だった。
「ま、失敗したら、社長の雷どころの騒ぎじゃねぇだろうしな」
 将が、眉を掻きながら呟く。
「あの人、最後まで反対してたんだろ」
 と、しゃがみこんだままの憂也。
「そりゃそうだろ、前例ねぇもん、デビューして三年のユニットが、そんな狭いライブハウスでツアーやるなんて」
「真咲さんが説得してくれたのかな」
 聡が言うと、
「……いや、多分」
 と言いかけた憂也が、そこで口をつぐんで立ち上がった。
「ま、いいじゃん、とにかく楽しもうぜ、俺らは俺らでいつも通り、今しかできないバカやるしかないんだからさ」
「……だな」
 と、さすがに疲労を見せていた将も、そこでやっと将らしい笑みを浮かべた。
「憂也、曲のアレンジは、頼んだからな」
「了解」
「聡は振り付け」
「うん、頑張るよ」
「雅とりょうは、ソロパートの作詞、忘れんなよ」
「お、おう」
 作詞!
 今までやったことのない分野に、雅之は、完全にテンパっている。
「じゃ、俺、音響さんと打ち合わせ行ってくるわ」
「悪いな、悠介」
 殆どボランティアで参加してくれている浅葱悠介。
 彼が、忙しい将の意向を、漏らさずスタッフに伝えてくれるから、将も安心して仕事ができるのだ。
「あー、俺も行かなきゃ、今夜には大阪もどんないと」
 と、りょう。
「俺も……行ってくる」
 今夜もサッカーの特訓がある雅之。
「やべ、俺、社長に呼ばれてたんだった」
 苦い顔で憂也。
 六人は立ち上がり、拳だけを付き合わせた。
 今度、いつ全員で集まれるか判らないほど、忙しい日々。
 それでも、不思議なほど不安はなかった。ここにいるのは仲間で、ひとつのチームだという充足感。
「じゃあな」
「おう」
「がんばれよ」
 そして、それぞれの試練に向けて、駆けていく――



                5



ストーム、捨て身の売り出し作戦
ライブツアーで地方巡業、落日のアイドル奮戦記。


「いいかげん、見飽きたな」
 唐沢直人は、呟いて新聞を投げ出した。
「見出しが少し、大きくなっている気がしますがね」
 その新聞を取り上げながら、傍らに立っている美波涼二が呟く。
「それがどうした、恥が上塗りされているだけじゃないか」
「それはそうですが」
 そう答えつつ、怜悧な男の横顔は、いつになく楽しげな気もする。
「…………」
 唐沢は、手で顎を支えつつ、そんな美波から目をそらした。
「宮原監督には、謝罪に行ったか」
「ええ、ただ綺堂の話は見送るそうです」
「……………」
 あの、大バカ野郎が。
 唐沢は嘆きを通り越し、怒りさえも通り越し、ただ、呆けたように嘆息した。
 綺堂は収録現場で、こともあろうにあの天下の宮原監督相手に、真っ向から啖呵を切ったという。あまりといえばあまりの愚行。宮原の背後には、世界というシェアが広がっていたのである。
―――自らのチャンスを自分で潰したんだ、まぁ、あのバカにはいい薬だ。
 が、多分効いてはいないだろうが。
「なんにしろ、あのお嬢様のやることなすこと、何もかも失敗ずくめだな」
 故創業者の娘にしてJ&Mの筆頭株主、真咲しずく。
 東條聡の、ミラクルマンセイバー抜擢からはじまった売り出し戦略?は、現在、ことごとく外れている。
 セイバーの視聴率は上々だが、しょせん、Jが狙っている中高生のファンは見向きもしない。ファンクラブ増員にも反映しないし、売り上げにも貢献しない。というより、セイバーの主題歌騒動からCDを出せなくなったのだから、何をかいわんや、だ。
 なにより大きな損失は、まだ真っ白だった東條聡の芸風を「特撮俳優」というイメージで固めてしまったことだろう。
 次が柏葉将だ。
 人を寄せ付けない、知的なクールキャラで通していた男が、今はお茶の間のヒーローである。三流タレントにまじっての昼ドラマ主演。これで爆発的に人気が出ればいいものの、視聴率は並より少しある程度、DVDの発売も見送られたというくらいだから、話にならない。
 そして片瀬りょう。
 18禁演劇と揶揄された舞台で、下手な演技を酷評された。
 追加公演も決まったそうだが、しょせん、アンダーグラウンドな世界。どう頑張っても、メジャー舞台に立つ貴沢ヒデのような評価は得られない。
 中学生ファンの親から苦情が寄せられ、ファンクラブ会員が減った原因のひとつでもある。もともとストームは、片瀬と綺堂の人気で持っていたから、ここにきてのイメージダウンは大きすぎる損失だ。
 その綺堂も――だ。
 今のところ、マスコミには伏せられているが、深夜アニメの声優なんぞをしている。
 いずれ、公表するのか、最後までしないつもりか知らないが、綺堂にとっては何ひとつプラスにならない仕事だろう。むしろ、公表されればマイナスに働く可能性もある。
 なにしろ、今、そのアニメは人気が過熱する一方で、フィギュア雑誌では常に表紙。秋葉原でコスプレ喫茶などが出来ている始末なのである。
 それもまた、ある意味世界を狙えたはずの才能を持つ綺堂にとっては、イメージダウンに繋がりかねない。
 それから成瀬雅之。
 アイドルにとって、命とも言えるビジュアルを失った。まぁ、髪だからいずれは生えてくるだろうが、あまりにいさぎよい坊主頭は、可愛いなんて笑えるようなレベルではない。
 すっかり日に焼けて、手足は青地と生傷だらけ。間違いなく、今の成瀬にアイドルの自覚はゼロだ。
 しかも、貴沢と河合の引き立て役のような番組出演で、自分だけでなくストームにも、「崖っぷち」というイメージを世間に植えつけてしまっている。
「とどめをさすのが、バカらしくなってきた」
 そう呟いてみたものの、もう動き出しているプロジェクトを今更止めるつもりは毛頭ない。
 それに――真の狙いは、ストームなどと言うどうでもいいようなユニットではない。唐沢にとって、最初から目の上の瘤だった真咲しずく。
 あの女を徹底的に潰し、もう二度とJに口を出させないようにすることにある。
「そういえば、NINSEN堂のCMですが」
 退室しかけていた美波が、ふと気づいたように脚を止めて振り返った。
「ああ、あれか」
 いったんは解雇しかけたストームを、クビの皮一枚で繋いだ幸運。
「放送時期を、いったん白紙に戻して欲しいということでした。発売が延期になりそうだということで」
「勝手にしろ、こっちは契約金が入れば文句は言わん」
 あまり延期が長くなるようなら、ストームそのものが、すでに存在していないかもしれないが。
 それは口に出さず、「美波、」と、唐沢は、扉に手をかけている自らの腹心に声をかけた。
 何気なく話すつもりが、やはりタイミングを外してしまっている。
「……うちの会社も、軌道に乗ったとみていいだろうと思う、そろそろな」
 立ち止まった美波は何も言わない。静かな目で、じっと唐沢を見下ろしている。
 唐沢は、軽く咳払いをして立ち上がった。
「本社ビルも、今年には建て替える。念願だったハリウッドにも進出し、うちの目玉スター貴沢ももう直デビューする。そして、年末には、東京ドームでJをあげてのカウントダウンコンサートだ。紅白の視聴率など軽く抜かし、J&Mの底力を、世界中に見せつけてやる」
 何年も前、屈辱の中で誓ったことは、ことごとく果たしてきた。
 莫大な違約金と引き換えに東邦の傘下から抜け、そして今年、いよいよJは世界に向けて羽ばたこうとしている。
 夢は――全て実現しようとしている。
「マネジメントの仕事はそろそろ後任に任せて、お前は、好きな仕事をしてもいいんだ。俳優でも、歌でも、オファーはいくつか来ているはずだ」
「知っています」
 美波は、ほとんど感情の感じられない声でそう答え、かすかに笑った。
「僕には、今の仕事の方が性にあっているので」
 本心か。
 目をすがめた唐沢に、美波は軽く一礼した。
「お気遣いだけありがたく。これからも、社長の傍で仕事をさせてください」
「……………」
「失礼します」
 綺麗な背中が扉の向こうに消えていく。
 今思えば、人生の一番輝く時期を全て犠牲にしてきた男。いや、唐沢自身が犠牲になることを強いてきた男。
―――いまさら……か。
 唐沢は無言のまま、煙草を取り出して唇に挟んだ。
 基本的に他人に興味がない唐沢は、男にも女にも、本当の意味で恋を感じたことはない。恋人も持たないし結婚もしないから、同業者の間では、ゲイだのなんだの噂されていることも知っている。
 女は苦手だが、決して同性愛者というわけではない。むしろ、あの手の関係につきものの不潔さには反吐がでる。が、
 たった一度、どうしてもほしいと思った相手がいた。
 何者にも服従しない傲慢で美しい瞳に、たまらない征服欲をかきたてられた相手がいた。
 今、手元にいる猫は、元は唐沢が牙を殺いだ野獣だ。
 なのに唐沢には、もう何年も、その獣が考えていることが、まるで判らないままでいる――。














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