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「………末永さんと、片瀬さんって、上手くいってないんですか」
再び高速に乗った車の中で、凪はそう切り出していた。
静かになって話題がなくなると、ふと、そんなことが気になってくる。
「あー、俺、そんなこと言った?」
ぼりぼりと頭を掻き、将はわずかに舌を見せる。
「ま、自業自得だし、ほっときゃいいかな、とは思ってんだけどね」
「……………」
それだけ言うと、ふと、思いついたようにラジオのボリュームを上げる。
「この曲、結構好きなんだ、俺」
ハードなラップなのに、どこか胸に迫る切ない旋律。
「ラップって、そればっかだと飽きちゃうけど、メロディとシンクロすると、すごくいい感じがしない?」
「ジャガーズ?」
「知ってるんだ」
「流行ってるし、」
あの能天気男も、ジャガーズだけは好きみたいだし。
「作詞も、作曲もアレンジも、全部一人がやってんだ、RENさんっていってさ、去年の武道館ライブにも行ったけど、演出はシンプルなのに、二時間弱があっという間だった」
熱心に語る将の声が、初めて聞くような熱を帯びたので、凪は少し驚いていた。
「ボーカルは歌いっぱなしだったけど、声も動きも最後まできれまくってた。どれだけ鍛えたら、あのレベルまでいけるんだろうな」
ある意味、アイドルソングと対極のような存在である、ジャガーズ。
成瀬がはまっているのも意外だったけど、柏葉将の熱心さも驚きだった。
「あ、そうそう、こないださ、昔キッズだった連中の飲みに誘われたんだけど」
が、それでも、将はすぐに話題を変える。ひとつの話題に、絶対にこだわらないのは彼なりのテクニックなのだろうか――凪は、少し意地悪い気持ちで考えてしまっていた。相手を飽きさせない代わりに、絶対、自身の内面に踏み込ませないための。
どれだけ話し上手なのか、ほどなくついたレストランでも、将の話は、途切れることがなかった。昔のキッズたちの今、流行している服のこと、音楽と映画のこと、大学の友人のこと――
逆に、凪が話す時は、じっと目を見つめてくれる。どんな話題でも、すべった――と、思うような話でも、丁寧に聞いて、彼自身の感想を口にしてくれる。
食事の皿も取り分けてくれて、オーダーも気を使わせないタイミング。ちょっと、こっちが恥ずかしくなるくらいの、完璧な彼氏ぶりだった。
デザートのアイスを食べている時、綺堂憂也の話になった。
将はコーヒーだけを飲みながら、彼の仲間のアイドルが、恋をあきらめた顛末と、そして「アイドルしてる間は、恋愛なんてしない」と言った焼肉パーティの出来事を話してくれた。
「みんな、あの発言には、内心色んな葛藤感じたんじゃねぇかな、りょうなんて特にさ、性格的に恋愛に依存してるっつーか、それ抜きじゃ考えられないとこがあるから」
「………………」
アイドルと、恋愛か。
いつもふざけている綺堂さんが、そんなまじめな人だとは思わなかったけど。
そんなに深刻に考えられたら、成瀬なんて立場ないじゃない。
というより。
―――真白さんと、片瀬さんって、本当にまずいのかな。
そんなことを思いつつ、凪は、将の後について店を出た。
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賑やかな喧騒と、馬鹿げた笑い声、そんなものを意味もなく聞きながら、凪は、やはり、呟いてしまっていた。
「………なんで、危なくなっちゃったの」
「え?」
運転に集中しているのか、将は、声だけを返してくれる。
「真白さんと、……片瀬さん」
「ああ」
すぐに得心したように頷き、将は、少し困ったような横顔になった。
「………ま、りょうが、もうちっとしっかりしねぇとな、あそこは」
「その分、真白さんがしっかりしてるのに」
思わず漏らした本音だが、将は、それには微かに笑うだけだった。
車が、交差点で渋滞に巻き込まれる。ふいに、それまで黙っていた将が呟いた。
「つか、あの二人は似てるんだな」
「……………」
似てる、のかな?
真白さんと、片瀬さん――それはよく判らないけど。
「強情なくらい我慢強いとこが、はっきり言って、同レベル」
我慢の限界って人それぞれなんだけど、
そう言いさし、ステアリングから手を離すと、将は両手指を目の高さで広げて見せた。
「普通のヤツが、たいがいこの辺りで、あー、限界っつってリタイアするところを、あいつらは出来ねーの、こんな風に、ぎりぎりまで我慢して」
ぱんっ
と、将は口で言って両手を広げる。
「キレちまうの、そういうとこがそっくりだから、あの二人」
「………………」
「去年の夏は」
再びステアリングに手を戻し、将はかすかに嘆息した。
「りょうがおりて、上手くいったんだけどな。今回はどうだろ」
「おりる……」
「我慢比べ、先に本心を見せた方が負け」
「…………」
意味が判るようで、判らないし、なんとなくだけど、判った気もした。
「俺が思うに、我慢の糸に余力があるのは末永さんの方」
前の車のテールランプが、将の顔を、時折赤く翳らせていた。
「だから、どっちかっつーと、りょうが先に降りなきゃまじーんだけどな」
「…………」
凪は首をかしげていた。それは、判るようで判らない。
ふいに将が振り返り、凪の方に視線を向ける。
「実際、辛くない?雅とつきあってて」
「……………」
え、と凪は逆に戸惑って視線をそらす。
辛い?
成瀬との関係に関して言えば、今までのところ、そんなに深刻に思いつめたことはない。
「普通の男の方がよっぽど楽で楽しいだろ、俺らって、なんだかんだっても、特殊な仕事してるから」
「……そんなもんかな」
と、答えつつ、まぁ、確かにそれはあるかも、と思っていた。
仕事は特殊だ。仕事というか、置かれた立場そのものが。
私だけの恋人、なんて感覚にはとてもなれない。というより、自分以外の何千?もの女の子に「私だけの恋人」って思い込まれている男。
女の子たちは……ある意味、思い込まされているんだろうけど。
それが、アイドルという仕事の本質だろうから、多分。
「雅、がんばってるよ」
将に言われるまでもなく、今日、電気量販店で買ったばかりのカーテレビは、雅之の姿を映し出していた。
「………………」
まさか、このためだけに五万以上もする買い物をしたわけではないだろうが、一人では、多分見る気にもなれなかっただろう。
画面が切り替わり、雅之に代わって、当代きっての人気アイドルの笑顔が映し出される。
「じゃ、次のコーナーはこちら」
「崖っぷち芸能人サッカー部、果たして成瀬君のがんばりは、みんなに伝わったでしょうか。ドン」
司会の貴沢秀俊ことヒデと、河合誓也が、マイクを持って楽しそうに喋っている。
売れっ子タレントとお笑いスターが並んでいる華やかなスタジオ。そこから一転して、どこかわびしいグランドの風景に変わる。
「……あれ、今日はキャプテン、いないようですねー」
「成瀬君、どこ行っちゃったかな」
ヒデと誓也の声が映像に被さる。
「あ、いたいた」
「うわっ、孤独〜」
「つか、成瀬君、この企画の意図わかってんのかな」
「一人の世界はいってますねー、最近」
グランドの片隅で、もくもくとストレッチをしている雅之。カメラに気づいているのか気づいていないのか、時折、憂鬱そうなため息をついている。
「あんま、……好きじゃない、今回の」
凪は思わず呟いていた。
まだ、前のクイズ番組の方がましだったくらいだ。存在感も、立場も、前とは比べ物にならない程目立ってはいる。が、まるで動物園のパンダかピエロみたいな物悲しさがある。
「俺も好きじゃない、でも観てるよ、あいつらの番組はみんな観てる」
隣で、将が囁いた。
テレビでは、ストレッチをやめた雅之が、ランニングを始めている。
「つまんねーな、この絵」
「いやー、だから崖っぷち芸能人なんですよ」
「笑いとれよ、元アイドル!」
「いや、ストームはまだ現役ですから」
スタジオの声と笑い声。
「………必死なんだよな、雅だけじゃなくって、俺らはみんな、そうなんだけど」
画面を見て、わずかに目をすがめながら、将は言った。
「何かさ、見えないものを捕まえたくて、必死なんだ。もがいてあがいて、それでも見えてこなくてさ、……りょうの話に戻って悪いんだけど」
それでも将は、きっと雅之の話をするような気がした。
「……多分、女なんて、その瞬間どうでもよくなってんだよ」
「……………」
「ひどいこと言ってるかもだけど、俺ら、まだ、自分が何なのかってことさえ、全然見えてないからさ」
もう、カメラはランニングをしている雅之から離れ、部室で麻雀に興じている部員たちのトーク場面に切り替わっている。
「自分一人支えられなくて、そもそも女なんて支えられねーだろ」
将はそう言って、ようやく渋滞を抜けようとしている車のフロントに視線を戻した。
「それでもさ、好きなんだ、莫迦だから」
「………………」
「支えられなくて、傷つけるってわかってても、そいつがいないと、ダメなんだ」
「……………」
「俺や憂也は、そういう感情きっちり切り離してやってけるけど、りょうや雅、東條なんかは切り離せねぇんだろうな」
「……………」
「そういう、身勝手な弱い男どもにさ、愛想を尽かすのも、呆れながらくっついてくのも、女の子次第なんだけどね」
12
結局、説得されちゃった。
多分、この人にはわかっているんだろう。
成瀬と距離を置いているのは、何も、妙な女が現れたからではない、そんなの、ただの馬鹿げた誤解だってことは、ちょっと冷静になってしまえば、言い訳してもらうまでもない。
むかついたのは、その後のフォロー。
そりゃ、何度かスルーしちゃったけど、それでもしつこく電話していいくらいの――誠意があったっていいじゃない。本当に悪いと思ってるのなら。
でも、
でも、多分、それだけでもなくて。
「………………」
迷ってる。私。
好きだけど、友達以上の関係になることに。
正直に言えば、どこかで本気になりきれないし、向こうも本気になりきっていないような気がしてたし。
「すっごい、正直に話してもいい?」
少しだけあけた窓。夜風を感じながら、凪は呟いた。
「どうぞ」
「………美波さんが、気になってる」
「………………」
「恋愛とかじゃない、あの人に対しては、感謝とか、尊敬とか、そういう感情しかないんだけど」
それでも、妙に言い訳がましいと凪は自分で言いながら思っていた。
「………美波さんの部屋に、女の人の写真があったの。それは多分、あの人にとって、」
その刹那、自分を見下ろした目。
感情が欠落したような虚ろな眼差し。
今でも。
「ものすごく辛いか、………ものすごく残酷な思い出のような気がしたの」
今でも胸が締め付けられる。
「……………」
将は何も言わないまま、唇に指だけ当てる。
テレビ番組は終盤近くで、ヒデと誓也のコントコーナーになっていた。
凪の家までは、あと少しの距離。
「一時だけど、美波さん……いつもの彼じゃなくなって、何も見えてないっていうか、何も感じてないっていうか、上手くいえないけど、後になって、何もなかったように振舞う美波さん見てると、その時のことが、すごく異常に思えてきて」
凪はもどかしく言葉を切る。
こんな抽象的な言い方で判ってもらえるものだろうか。
「あの人が抱えているものが何なのか、それが……ずっと気になってる。でもそれは、多分恋愛とかじゃないんだけど」
そう、絶対に違う。
「………成瀬が、美波さんのこと、必要以上に意識してるから」
「……………」
「そういうのもあって、………ちょっと、私も、どうしていいかわかんなくなってたのかな」
しばらく黙っていた将が、おもむろにテレビのリモコンを取り上げた。
「……重いね、なかなか」
「そうなのかな」
何を指して重いと言われたのか判らない、自分の性格のことなのか、それとも、気にかかっている男の人のことなのか――。
「ここで、崖っぷち芸能人サッカー部に超緊急発表!」
ほとんどエンディングに近かった。
河合誓也の声に、将が消そうとしたテレビに再び意識を戻すのが判った。
「えー、最近企画の意図から外れっぱなし、早くも打ち切りの噂が出ているサッカー部に、急きょプロデューサーからの企画変更の指令が、今、現場に中継がいってまーす」
ヒデが笑顔で、「現場のツボイさーん」と言っている。
真っ暗なグランドに画面が切り替わる。
薄暗い部室。そこにぎゅうぎゅうに詰め込まれた十一人。その一番手前で、一番所在ない顔をしている男。
「これ……生?」
「……放送は録画だと思うけど」
車が、凪の家の前に止まる。
「最近、雅、マンションに戻らねぇんだ」
そう呟いた将は、そのままテレビ画面に見入っているようだった。
「成瀬くーん、元気ですか」
「崖っぷちの気分はどう?」
ヒデと誓也。
スタジオは笑いに包まれているが、凪はさすがにむっとしていた。
こいつら、可愛い顔して、かなり性格悪いんじゃないだろうか。
売れ度合いが、すでに天と地ほど違うんだから、ここまでいじめなくてもいいような気がする。
「ヒデの野郎、あれ以来、俺のこと恨んでるからな」
将が、舌打ちまじりに呟いた。
「あれって?」
「………ま、俺なら、笑って許す程度の」
「……?」
バーン、と激しい音楽が鳴ったので、凪の意識も、テレビに戻った。
「発表します、崖っぷち芸能人サッカー部、来月東京イーグルス一軍との試合が決定しました!!」
現場の坪井アナとかいう若い男が、画面の前面で興奮気味に喋っている。
背後からは、歓声というか、どよめき。
「勝てるわけねぇだろー」
「つか、じゃあ、これで俺らのコーナー終わり?」
雅之は、複雑な表情で眉だけを寄せている。
カメラが捕らえる不安に満ちた眼差し、実際、何も聞かされてはいなかったのだろう。
「しかしそこに、条件が、」
アナウンサーは続けた。
「その試合に負けたら、ここにいる全員、スタジオで公開丸坊主にしてもらいます!!」
えーっっ
なんだよ、それーーっ??
と言う、奇声が聞こえる。
が、今一番悲鳴をあげたいのは、この中で唯一、ビジュアルが商売道具の男のはずだった。
「…………マジで?」
容赦なく切り替わったエンディングテーマを聞きながら、凪は呆然と呟いた。
「……なんつー……」
将も、それには言葉をなくしているようだった。
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