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「ねぇ、見た見た?校門のとこ」
「横付けしてる車、超かっこいい人が乗ってた」
「誰待ってるんだろ、サングラスなんかして、大人〜って感じだったけど」
 級友たちの賑やかな声を聞き流しながら、流川凪は、卒業文集の草稿をぱらぱらとめくった。
 文集委員。
 早々に志望校の合格を決めたから、急きょ引き受けた仕事だが、やれ打ち合わせだ、写真撮影だの、なかなか結構面倒くさい。
―――つか、そもそも、高校生になって、文集ってなんなのよ。
 凪の感想は、そのままクラスメイトの思いなのか、集められた原稿は、ほとんど落書きか寄せ書きに近い内容だった。仲間内では楽しいだろうが、第三者が読むに耐えるものは一つもない。家族へ、とシリアスな作文を書いた自分が莫迦みたいだ。
 まぁ、これも……何年か立てば、いい思い出とかになるんだろうけど。
 とっくにやる気をなくした編集メンバーたちは、すでに雑誌を開いたり、雑談などして盛り上がっている。
「流川、すごいよねぇ、東欧医大でしょ」
「私らの学校からは、奇蹟の合格だって、担任が言ってたし」
「えらくなっても、私たちのこと忘れないでね」
 内定が伝わった途端、「合コンやろうね」と携帯番号を無理に押し付けてきたクラスメイトたち。
「当たり前じゃない、じゃ、私、これで」
 と、適当なことを言って、凪が立ち上がりかけた時だった。
「最近、ストームがお気に入りなんだ、私」
「へー、マニアック」
 別の一角で話している声に、ふと足が止まっていた。
「成瀬君って可愛くない?」
「ダレ?」
「ほら、ヒデの番組に出てるじゃん、だめサッカー部とかなんとか」
「ああ、なんかいっつも一人でかわいそうだよね、えっ、あの人J&Mなの?」
「そうだよー、ストームの成瀬じゃん」
「柏葉将は好きだけど」
「いいよね、嵐」
「あの目で見つめられて殺されたい〜」
 ふぅん。
 凪は、横目で彼女たちを見つめながら、その傍を通り抜けた。
 嵐の十字架。
 成瀬は――視聴率とかがイマイチって怒ってたけど。
 テレビを動かしている数字のことはわからない、でも、凪が見る限り、ストームの知名度というか、名前は、確実に世間に浸透しているような気がする。
 少なくとも、アイドルに夢中になる年齢をすでに卒業したクラスメイトの口から「ストーム」だの「柏葉将」だの……いわんや、成瀬雅之の名前を聞いたのは、今日が初めてのことだった。
 おっと、禁句。
 下駄箱で靴に履き替えながら、凪は口をへの字に引き締めた。
 あの莫迦のことは、見ない聞かない、考えない。
 鞄を片手に、まだ青葉さえみせない桜並木、緩やかな坂を下りていくと、校門付近に人だかりができていた。数人の女子たちが、妙に浮ついた顔で立ち止まっている。
 門扉の向こうを指さして、ひそひそと囁きあっているようだ。
「………?」
 けげんに思いつつも、その傍を通り抜けた時だった。
「よ、元気だった?」
 校門に横付けされたシルバーのセダン。そのボディに腰を預けるようにして立っている人。
 男は凪を見て、親しげに笑んで片手を挙げる、そのサングラスに西日が反射して煌いている。
―――はっ???
 つか、有り得ない。
 驚きを通り越して、その瞬間の感情は、むしろ愕然。
「雅なんか放っといてさ、たまには俺とデートしようぜ」
 柏葉将は、楽しげにそう言うと、助手席の扉を開けてくれた。



                8


「柏葉さんって……」
「将でいいよ」
 あっさりと返される。
 ステレオから流れてくるのは、ソウルフルなメロディ。初めて聞くのに、どこか懐かしい洋曲。
「結構、思い切りがいいっていうか」
 凪は言い差して言葉を切った。
 ぶっちゃけ、いい加減っていうか。
「あんなとこで待ち伏せなんて、ばれたらまずいんじゃないですか」
「大丈夫だろ、凪ちゃんは元キッズだし」
 指先でステアリングを叩く柏葉将は、ただ単純に、この音楽と運転を楽しんでいるようだった。
「最終的に事務所に言い訳できれば、なんとでもなるって」
 いや、あなたにはそうでも……。
 凪は、「あの目で殺されたい〜」と騒いでいた級友の声を思い出していた。
 まぁ、ただ、ストームの柏葉将と気づいた上で、女の子たちが熱い視線を送っていたかどうかはさだかではない。単に、かっこいい人が、いかにも人待ち顔で校門に立っていたからかもしれないし。
 それくらい、ぱっと見、柏葉将の外見はかっこよかった。
 外見というか、持っている雰囲気そのものが。
「どっか、行きたいとこある?」
 と、ふいに前を向いたままの将が言った。
 そもそも、この車がどこへ向かっているか判らなかった凪は、大慌てで首を横に振る。
「今日の予定は?」
「帰って……後は、別に」
「じゃ、俺の行きたいところでいいかな」
「……………」
 いや………。
 いいっていうか、なんていうか。
 てゆっか、この人、真面目に私とデートするつもりなんだろうか。
 本当にそのためだけに、わざわざ千葉まで来てくれたのだろうか。
「……絶対、行きたくないとこが一つあって」
 凪は、疑心をこめた目で運転する男を見上げた。
 冷静に考えて、それはまず有り得ない。
 多分、別の目的アリだ。
「そこ以外なら、どこでもいいですけど」
「了解」
 すぐに意味を察したのか、わずかに苦笑して、将はアクセルを踏み込んだ。


                9


「よっしゃ、これで完成!」
 扉を全開にしたままの車、運転席で汗を拭ったアイドルは満足そうだった。
「いやー、前から欲しかったんだよね、最近、カーオタ入ってっからなー、俺」
 子供みたい。
 いや、てゆっか、この笑顔が曲者かしら。
 そのまま、ふいっと車を降りた将が、すぐに戻ってくる。西日が逆光になっていた。片手には冷えた炭酸の缶ジュース。
「柏葉さんって、もてるでしょ」
 それを受け取りながら、凪は言った。
「そうでもないよ」
 開いた扉、後部座席に腰だけ預け、将は自分の缶コーヒーのプルタブを切る。
 凪は、横目でそれを見て、所在無く視線を空に向けた。
―――いや、絶対にもてるに決まってる。
 郊外にある電気量販店の、ただっ広い駐車場。その片隅に車を停めて、二人きり。
 日は翳っていたが、少し蒸し暑い夕暮れだった。周辺に車影はない。
 結構長く走った高速を降りて、ここは――どういう町なんだろう。山間に滲む群青色が綺麗だった。
「結局、いつまでも柏葉さんだね」
 缶から唇を離した将の横顔が、かすかに笑ってそう言った。
「……一応、年下だし」
「そういうの気にするタイプなんだ」
 ひょい、と立ち上がり、凪の手から、空になった缶を取り上げる。
「雅のことは、成瀬って苗字呼びじゃん、カップルの呼び方って、どういう意味があんのかな」
 さらりとだが、雅之の話題に触れられて、凪はわずかに身構える。
 とにかく絶対に、あの莫迦男が――いつも頼りっぱなしの柏葉将に、仲裁か何かを頼み込んだに違いないのだ。本当に、情けないにもほどがある。
「りょうがさー、あんだけ好きな相手をいまだ”さん”ってのが、よくわかんないんだよな」
 が、将は、あっさりと話題を別に振った。
「おかげで、俺もいまだに“末永さん”だよ。りょうのキレどころって予想もつかねぇから、迂闊に真白ちゃん、なんて呼べないだろ」
 キレどころ。
 凪は、思わず吹き出していた。将が、不思議そうな眼で振り返る。
「成瀬……君も、同じこと言ってたから、柏葉さんのこと」
「俺?」
「前、車の中でポテチ食べただけで、うるぁって、マジ切れされたって」
「ああ、あったあった」
 将は、声を立てて楽しそうに笑った。
「俺、菓子クズとかって、マジ許せないタイプだから、貸した漫画に油染みなんてついてたら、速攻、殺意さえ覚えるね」
「こっわー」
「女の子には、何されてもオッケーなんだけど」
 思い切り笑ったせいか、ようやく凪も、緊張が解けた気がしていた。
 かっこよくて、優しくて気さくで、面白い。
 これで、もてないはずがないと思う。絶対に。
「まぁ、真白さんなんて、他人みたいな呼び方してる限り、りょうんとこも危ないよな」
 最後に、他人事のようにそう言うと、将は再び運転席に乗り込んだ。
「メシ行こうか、この先に結構上手い店があるんだ」
 シートベルトをつけながら、当然のように誘ってくれる。
「え、いいですよ、それは」
「無理に付き合わせたお礼」
 ためらう凪を促すように、将の横顔は優しかった。
「ちゃんと家まで送るよ、心配しなくても大丈夫」
「………………」
 そんなこと、心配なんてしてないけど。
 多分、普通の人だったら、今日一日で柏葉将の虜になっているはすだ。
 なんだかよく判らなくなってきた。一体この人、何が目的で、今日私を連れまわしているんだろう。
















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