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 夜風が、禿に涼しいぜ。 
 半分強がった気持ちのまま、雅之はボールを片手にグランドに立った。
 東京某所。
 エフテレビが撮影のために借り切った、取り壊し前の小学校内である。
 撮影予定のないオフ日。はなから、誰も来るはずはないし、実際、誰もこなかった。
 一応、部室にでかでかと、「月曜、六時半、グラウンドで自主練習」と、張り紙をしておいたのだが。
「………さて、」
 やるか。
 とにかく、動かなきゃはじまんねーんだから。
 ただっ広い、夜間用の照明だけがともった夜のグランド。
 背後には、すでに廃校になって久しい小学校。
「…………な、なんか」
 一人きりだと意味もなく広い。
 で、正直ちょっと怖い。暗がりにおばけでも潜んでいそうな気がする。
 どこを見回しても間違いなく一人だ。
 多分、―――これからもずっと。
「………………」
 本当に、本当にこれで、よかったんだろうか。
 明日は、唐沢社長に呼ばれている。
 叱られるのはもちろんだが、勝手に髪を切ったことで、それ以上のペナルティもあるかもしれない。
―――今度は一人か。
 どんなに激しく怒られても、5人で揃えば楽しかった。楽しいってのとは少し違うけど、学校で、先生に叱られてでもいるような、どっか、暖かな感覚があった。
 それが、今回は、本当に一人。
 いや、一人じゃなくちゃいけないんだけど。
「……………………」
 ボールをぽんぽん、と足の甲で蹴り、そのままゴールポストに向けて走り出そうとした時だった。
「稲妻シュート!!」
「うごっっ」
 背中に、土嚢でもぶつけられたような衝撃。雅之は前につんのめる。
 背中にぶつかったボールが、てんてんと音をたててグラウンドに転がった。
「あー、くそ、外れた、打撃妨害じゃん、雅」
 もう、その声だけで判ったが、それでも雅之は、呼吸困難に陥りつつも呟いていた。
「………憂也……」
 照明を背にして立つシルエット。
「ばーか、おもろい頭になりやがって」
 やばい。
 雅之は、思わず目を逸らしていた。
 腰に手を当てて立っている憂也が、今、幻のようにかっこよく見える。
 トレーニングシャツに半パン姿の憂也は、すたすたと歩みよってきて、雅之の頭をぱしっと叩いた。
「そういう頭、まず俺に見せろよ、こそこそ実家に帰ることねーじゃん」
「………だって」
 絶対夜通し、笑われると思ったから。
 というより、こんな決断しかできない自分の短絡さが、後になって情けなく思えてきたから。
 憂也は雅之の傍に歩み寄ると、肩を抱くようにしてぽん、と叩いた。
「テレビで観たときはぶったまげたけど、なんだよ、意外に、」
 雅之の顔を見上げ、そこで言葉を止めた憂也。
「………………」
 それが、妙な間の後、ぶっといきなり吹き出した。
「ご、ごめん、今、俺マジで素になってた」
「…………………………」
 雅之は唖然としつつ、苦しげに笑い続ける悪友を見下ろした。
 素ってなんだよ。
 そりゃ、自分で観ても面白かったよ。実写版「一休さん」があれば、その役はいただきってくらいに。
「悪い、遅れた遅れた」
 遠くで聞こえる声、ばたばたと近づいてくる足音。
―――東條君?
 駐車場のある校門のあたりから、でっかいスポーツバックを抱えて走ってくるのは、間違いなく東條聡のつんつん頭だった。
「おっせぇよ、東條君」
「ごめんごめん」
 メンバー2人を交互に見て、雅之はただ唖然とする。
 つか、一体――何しにきてんだ、こいつらって。
「何、これだけ?」
 聡は、はっ、はっ、と息を切らしながら、憂也に言った。
 撮影直後なのか、着ているシャツには「チーム、KABURAYA」とロゴが入っている。
「りょうは遅れてくるだろ、ミカリさんと合流して」
「あ、そっか」
 雅之一人だけ、意味が判らない会話。
「お、雅!」
 ようやく聡が、雅之に気づいたようにこちらを向いた。
「びっくりしたよー、とんでもないことやっちゃうんだから。でも、心配したけど、意外に、」
 奇妙なほど明るい顔でそういいかけた聡は、しかしその直後、言葉を詰まらせて吹き出した。
「ご、ご、っめん、いや、笑っちゃだめだと思ったら、その、なおさら」
「…………………………」
 いいよ、もう。
 そんな気遣い、いらねーよ、むしろ。
「ヤッホー」
 と、今度は別の方角から、別の声がした。
 多分、聞き覚えはあるが、にわかに信じられない女の人の声。
「チーム、冗談社、到着!」
 えらい気合の入ったスポーツジャージ姿で、大股で歩み寄ってきたのは、信じられないがやはり九石ケイだった。
 背後には、自己完結記者大森妃呂と、何故かゴールキーパー姿の高見ゆうり。
「サッカーなんて私にできるかどうか、でも呼ばれた以上は頑張りますし、そうなったらなったで全力を尽くさなきゃいけないんですよね、うん、ガンバ、妃呂」
「ペナルティーエリア内でのシュートは俺に通用しない!」
―――ゆうりさん、きょ、今日は若林源三かよ。
 また、別の方角から、今度は大人数がやってくる気配がする。
「おっくれましたー、今日はヨロシク」
「成瀬さん、テレビ見てますよ〜、俺、マジで応援してますから!」
「かっこいいっす、気合ですよ、男のスキンは!」
 どやどやとやってきたのは、先日鏑谷プロの焼肉パーティで一緒だった、セイバーに出演している若手俳優やスタッフたちだ。
 ようやく雅之は気がついた。
 全員が全員、運動できる衣服を着ている。
「ボールとかここ?」
「試合やるならビブス借りなきゃですね」
 と、大森と九石ケイは、早くも部室下の倉庫の中を物色している。
「………つか、これ」
 ぼんやりしている雅之の背中を、憂也が思い切りばしっと叩いた。
「サッカーやろうぜ、雅君!」
「……………」
「ここ最近、なんか色々あったけどさ、今日は雅君のつるっぱげ記念……じゃねー、雅君を応援する会ってことで」
 腰に手を当てる憂也の背後を、今も、
「ちわー」
「こないだはどうもです」
 と、セイバーの出演者達が通り過ぎていく。
「いつまでもそんな辛気臭い顔すんなよ」
 まだぼんやりしている雅之の尾てい骨を、憂也は膝で、がつんと小突いた。
「……っっ」
 これは痛い。
 憂也は笑って、固まった雅之の背中を再度叩く。
「こないだの焼肉パーティのお返しだから、今回はストーム企画、みんなで楽しく盛り上がっていこうぜ」
 そのまま、倉庫の方にかけていく憂也。
 倉庫前では、すでにボールやらラインマーカーやらが引き出されて、ちゃくちゃくと試合の準備が進められている。
「…………い、いいのかよ」
 シークレット撮影だから、一応、関係者以外は、絶対に立ち入り禁止の現場である。
 色んな不安が頭をもたげてきたものの、雅之は、すぐに考えることを放棄した。
―――ストーム企画か、それ、絶対発案者は将君だ。
「雅ーっ、早く、こっち来いよ」
 憂也の声。
 あ……やべ、また泣きそうになってるよ、俺。
 柄にもなくあんな啖呵きって、髪もなくなって、本当はかなり心細かったけど。
 そうだよな、一人じゃなかった。最初から一人じゃなかったんだ、俺。
「あー、いたいた、ここですよ、みなさん」
 また別の一団が、駐車場の方から近づいてくる。おなじみの、ストームのマネージャー、小泉旬の声だった。
「まいったなぁ、僕はですね、運動の方はまるで自信がないというか、なんというか」
 そう言いつつまんざらでもない声は、片野坂イタジ。
「今日の試合結果、ボーナスの査定にもろ響くからそのつもりでね」
 ま、まさかと思ったが、将君とは犬猿の仲(のはず)の真咲しずくさんまで……。
「みんなー、運動の後は、片瀬君の特製カレーができてるから」
 ミカリさんの声もした。
「肉じゃがもありまーす」
 何故か、ピンクのエプロン姿のりょう。
 そっか、あの時のじゃがいもが活用されてるよ。山のようにあったもんな。
「雅、」
 最後の最後で、ようやく将の声がした。
 振り返った雅之は、片手を上げる将の背後に立っている人を見て、そのまま言葉をなくしていた。



                30



「………な、なんか久し振り?」
 沈黙に耐えかねて、最初にそう言ったのは雅之だった。
 隣に立つ人の横顔に、グランドの照明が映えている。
 いちおう、彼女?の流川凪。
 鎧のような制服と硬質の美貌は、黙られているとなんだか怖い。
「……あー、最後に会ったのいつだっけ」
 と、言ってから、自分の失言に雅之は気づいた。
 つか、言ってる場合かよ、俺!
 最後に会ったのは、あの激マズい誤解された日じゃん!
「あ、いやー、あっ、忘れてたわけとかじゃなくて、あの」
「…………………」
「あの………」
「………………」
 ますます黙り込む凪に、すでにお手上げ状態の雅之だった。
 金網の向こうに透けてみえるグランドでは、すでにチームJ&Mとチーム鏑谷の対決がはじまっている。
 とっぷりと日が暮れて、廃屋の校舎の前で二人きり。
 こんな絶妙なシチュエーションもないのだが、もちろん、今はそれどころではない。
「謝って」
 ふいに、凪の横顔が呟いた。
「………え?」
 謝って?
………何を?
「あ、あのさ、つか、そもそもあの人は憂也の」
「謝って、もうそんなのどうでもいいから」
「……???」
 わ、わけわかんないけど?
 それでも雅之は、寂しくなった頭に手を当てつつ、低頭して謝った。
「………すいません」
「しばらくそのままでいて」
「…………?」
 腰をかがめたまま、雅之は固まってしまっていた。
 え?
 つか、この中途半端な姿勢のまま?
 これって、どういうペナルティー?
 肩に柔らかな手が置かれる。
 そのまま、かすかな息遣いが額――というか、額とほぼ同一化した頭に触れた。
「えっ……っっ」
 がばっと顔をあげると同時に、凪もさっと手を離して後ずさる。
「……………」
 そのまま、闇の中で対峙したままの沈黙。
 今の。
「……………」
 キスされた?もしかして今。
「………私も、ごめん」
 うつむいて、凪は呟いた。
「あれからいっぺん会いにいったんだけど……なんか、また腹が立ってきちゃって」
「…………え?」
 それ、いつのことだろう。
 判らない雅之は混乱する。
 凪はうつむいたまま、しばらく言葉を捜すように口を開いては、閉じていた。
「…………よくわかんない、何に腹がたって、何で逃げてたのか」
「……逃げる?」
 俺から?
 腹が立つのは判るけど――と、ますます判らない雅之は、首をかしげる。
「でも、今日は、成瀬に目茶苦茶会いたかった……会いたくなった」
 ようやく顔を上げた眼差しが、夜目にも綺麗に煌いて見えた。
「………自分でも、よくわかんないけど」
「………俺も、よく、わかってねぇけど」
 雅之が近づいても、凪はもう逃げなかった。
「……いろいろ、ごめんな」
 肩を抱くと、わずかに顔をあげてくれる。
 が、
「ぶっ……っ」
 凪はふいに表情を崩して口に手をあてた。
「ご、ご、ごめん、やっぱ、まだ見慣れないし」
「…………………………」
「悪くはないんだけど、ほら、あまりにクリクリだから」
 いや………いいんだ、流川。
 内心の涙を隠し、雅之はそっと拳を握り締める。
「おーい、雅、凪ちゃん、早く戻ってきてくれよぉ」
 と、グランドの方から、駆け寄ってきた東條聡の声がしたのはその時だった。
 試合から抜けてきたのか、聡は金網に手をかけて、はぁはぁと苦しげに肩で息をしている。
「つか、九石さんと真咲さんが、ガチンコ状態でさ、も、もう誰にも止められないんだよ」
 九石ケイと真咲しずく。
 雅之は即座に、そのビジュアルを頭の中に思い描く。真咲しずくの背後には竜が逆巻き、九石ケイの背後では虎が咆哮をあげていた。
 身長百七十超えの女の世界。
 つ、つか、それ、誰だって係わり合いたくねーんだけど。
「いこっ」
 身長150センチの凪が、にっこり笑ってそう言った。
「東條さん、その勝負、私が受けた!」
「おおーっっ、頼もしいぜ、凪ちゃん」
 駆け出した凪の後をついて走りながら、雅之は自然に笑っていた。
 ちっちゃいけど、誰よりもパワフルな女の子。
 俺の、最高の彼女だ、こいつは。
















この物語は全てフィクションです。実在の団体、個人に一切関係なく、
実団体、個人に対する作者の感情が、小説内にそのまま反映されているわけではありません。


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