26


「お前ら全員、揃いも揃って一体全体」
 そこで一息ついたJ&M社長、唐沢直人は、いきなり拳でデスクを叩いた。
「何をやってるんだ、この大莫迦者!!!!!」
 うわっ、
 と、将は肩をすくめる。
 覚悟はしていたが、今日の機嫌は最高に悪いようだ。
 六本木。
 J&M本社ビル。
 四階にある社長室に、今、立たされているのは柏葉将だけではなかった。
 片瀬りょう、綺堂憂也、東條聡、成瀬雅之が呼ばれているのは言うまでもないが、もう一人。
「貴沢、お前はまだデビュー前だろう、いくら人気があるといっても自惚れるな!」
 社長の叱責に、将の隣に立つ貴沢秀俊は、さすがに納得のいかない顔をしている。
「唐沢さん、あれは」
「これで仕事に穴でもあいていたら、取り返しのつかない所だった。少しは、自分の立場を自覚しろ!」
 なにより男の言い訳を嫌う、唐沢の雷が再度落ちる。
 軽く溜飲を下げたものの、唐沢の氷より冷ややかな視線が、今度はその将に向けられた。
「………営業活動の一環ね」
「……………」
「文句のつけようのない始末書を提出したらしいが、俺の目は誤魔化せん、かかった経費は全て、お前らの給料引きだからそう思え」
「いえ、」
 将は即座に口を挟んだ。
「俺一人で計画したことですから」
「柏葉、お前の処分は取締役会議で決める、首を洗って待っておけ!」
 クビ――ってことか。
 一瞬、全員が息を呑む。
「いや、俺が」
「ちょっと待ってください、僕なんです」
「実はですね、社長、」
「じゃあ僕も辞めます」
 将の背後にいた――貴沢をのぞく4人が、いっせいに口走って前に出た時だった。
「チャラッチャッチャチャチャ、ウー!」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
 ドン引きの沈黙の中、スキップでもするような身軽さで入室してきたのは、ストライプのシャツにパンツ姿の真咲しずく。
「あれ?おそろい?」
「……………………ノックは人間の常識中の常識でしょう、真咲さん」
 ブリザードが舞い上がる。
 おそろしく冷えた声でそう言ったのは唐沢直人だった。
「唐沢君の喜ぶ顔が見たくってー」
 片や、スーパー能天気な太陽だ。
 北風と太陽の対決を、将は、さすがに凍りつく気分で見守った。
「ヘリに同乗して、ホテルプリンスに同行されたそうですね」
「マネージャーって、そういうもんじゃなかったっけ」
「確信犯というやつですか、今度こそ、言い逃れは通用しませんよ」
 冷ややかに切り捨て、唐沢直人は、居丈高に腕を組んだ。
「柏葉同様、あなたもクビです。綺堂の件もある、あなたは、うちのブランドに取り返しのつかないドロを塗ったんだ。6月を待つまでもない、本日付をもってストームのマネージャーから正式に解雇、」
「あっ、そうそう」
 真咲しずくは、ぱちん、と手を叩いた。
―――つ、つか聞けよ、社長の話。
「CM、一本決まったから」
 明らかに何か怒鳴りかけた唐沢の表情が、ふとそこで止まる。
「こないだの結婚式で、来賓のおじさんが、目茶苦茶ストームのファンになっちゃったんだって、で、正式に、今年の春のCMで起用したいということで」
「………どこの会社です」
 唐沢の目が、冷静さを取り戻している。
「だから、チャラッチャッチャチャチャ、ウー」
「………………冗談でしょう」
「だって、挨拶ついでにゲームくれたもん、NINSEN堂の社長さん」
「げっ」
「マジ」
「嘘だろ」
 そんな驚嘆の囁きが、将の背後から聞こえてくる。
 それはそうだ、ゲームソフトの分野では世界有数のシェアを誇るNISEN堂は、国内企業では最高級のブランドを持つ会社である。
 そのCMには、芸能人でもトップランクのタレントしか起用されない。
 しばらく無言で目をすがめていた唐沢直人は、やがて組んでいた腕を解いた。
「………首の皮一枚というやつですね」
「おつりがくるわよ」
「今回の件は、それで帳消しにしましょう、が、もう二度と勝手な行動は許さない」
 顔をあげたその目には、再び本気の怒りが滲んでいた。
「綺堂には、今の仕事を降りてもらいます。当分謹慎、許可なくして、二度と勝手に仕事をさせることは許しません!」


                 27


「……………」
 来客用の応接室に通された憂也は、窓辺に立っている背中を見て、足を止めていた。
 まさかと思ったが、本当だった。
「憂也か」
 まさか――兄貴が、うちの事務所に来るなんて。
「儲けている割には、汚い会社だな」
「………質実剛健がモットーなんで」
 それだけ返して、座るに座れないまま、立っている兄を見上げる。
 背を向けたままの綺堂愴二は、外の景色を見ているようだった。
「仕事で、半日だけ滞在だ、午後の便でロスに戻る」
「そりゃ、タイヘンなことで」
 一応、新婚の夫である。
 新婚旅行は、新妻の体調をおもんばかって安定期に入ってからということだったから、今頃千秋は、ロスでせっせと掃除でもしてるんだろう。
「結婚したよ」
 しばらく黙っていた愴二は、やがてそう言って切り出した。
 い、いや、それ普通に判ってるし。
 つか、今更、式にまで出た親族に報告すんなよ。
「俺の勝ちだ」
「………………」
 ようやく振り返った愴二は、そう言って憂也を見下ろした。
 表情から感情がまるで見えてこないから、今も憂也は、兄が何を考えているのか想像もできなかった。
「実は、最後の最後で負けたかと思ったがな。……お前は莫迦だな、前から莫迦だとは思っていたが」
「悪かったな、できの悪い弟でよ」
 憂也は肩をすくめ、ソファに腰を下ろす。しかし愴二は立ったままだった。
「俺がなんのために、一年も千秋を置いてロスに行っていたと思う」
「………………」
「お前は莫迦だな、前から莫迦だとは思っていたが」
「……しつけーよ、兄貴」
「挙句、ありあまる才能を捨てて、莫迦な仕事についた。本当にお前は莫迦だ」
「だから、しつこいって」
「昔から、一度も勝てたと思ったことはない、お前は天才だ、何をやらしても、多分俺よりは上手くやる」
「………だから、」
 え?
「……………」
 なに?今なんか、誉められなかった、俺?
「俺は臆病で弱い人間だ。………千秋が俺を選んだのは、多分、それが判っていたからだろう」
 はじめて、かすかなため息が聞こえた。
「……失敗や恥をおそれて、一番好きだったことを貫けなかった。お前の人生は、これから恥に満ちたものになりそうだが、」
 一言多いし。
「それでも、素直に、うらやましいと思ったよ、あの日はな」
「……………」
 全然、兄貴らしくないし。
「まぁ、結論から言えば」
 愴二は、腕時計を見て、顔をあげた。
「俺の勝ちだ」
「……………………」
 け、結局それが言いたいのかよ。
「じゃあな」
「おう」
 それだけ交わして、兄弟は再び別れる。
 一人きりの室内で、憂也は初めて噛み締める感情を抱いたまま、黙って天を見上げていた。


                28


 広い敷地には、もくもくと白い煙があがっていた。
「おーっ、憂也っ」
「来た来た、憂也だよ」
 雅之と聡が、即座に気づいて手を振ってくれる。
 沢山の見知らぬ顔が、憂也を振り返って「ちはー」「こんにちは」と、きさくに挨拶を返してくれる。
 肉の焼ける匂いに、単純に胃が痛んだ。そういえば、今日は朝から何も食ってない。
 ここは、都内のはずれにある、特撮専門会社、鏑谷プロの敷地内。
 スタジオの裏で、スタッフ恒例の焼肉パーティが開かれている。
 いくつもの焼網が設置され、その周辺にテーブルとベンチ。ビールケースとうずたかく詰まれたクーラーボックス。すでに人でごった返していたが、隅の方の一角に「ストームさま」、と、下手な字で書かれた看板付のテーブルがあった。
「おう、こっちだこっちだ」
「食えよ、腹へってるだろ」
 聡に呼ばれるままに、出てきてみた憂也だったが、仕事で来られないかもしれないと言っていた将も雅之も、すでに揃っているようだった。
 席につくと、早速皿とカップが回されてくる。
「すげー、アイドルさんたちが勢ぞろいだよ」
「こんにちはー、俺、嵐の十字架のファンです」
「セイバー、見てます?」
 にぎやかな喧騒が心地いい。
 主演の聡のところには、ひっきりなしに誰かがよってくるし、将も、雅之も、人見知りのりょうでさえ、春の夕暮れ、このひと時の雰囲気を楽しんでいるようだった。
「ぶっちゃけ、マクシミリアンって君なわけ?」
 と、長髪のオヤジに言われた時は、びびってしまったが、
「いやー、最近よく言われるんですよね」
 と、憂也は笑顔で切り替えした。
 夜も更ける。
 場内の一角では、ギターを持ったスタッフの一人が歌を歌い始めた。
 結構下手だな、そう思いつつ、それでもこの時間の心地よさが、まるでデジャヴのように愛しくなる。
「………憂也さ、」
 なんだかんだと人気者で、あちこちのテーブルでひっぱりだこだった雅之が、どこかおぼつかない足取りで戻ってきた。
「アイドルはさー」
 なんだか、ふらふらと、憂也の隣に腰掛けて、背もたれに背を預ける。
「おめ、酔ってっだろ」
 憂也は苦笑して、その頭を軽く小突いた。
「アイドルはさー、」
 そういえば、いつの間にアルコールが飲める年になったんだろう。
 今度、5人で飲んでみたいな。
「アイドルはー、……恋愛しちゃまずいって、思ってんのか」
「まずいだろ」
「だって、普通に生きてりゃ、誰だって人好きになるじゃんか」
「普通に生きてりゃな」
「だったら、しょうがないじゃんか」
「しょうがねぇよ」
「だったら、」
 本当に酔ってんのかよ、そう思って雅之を見上げた憂也は、意外に真剣な、親友の眼差しに行き当たった。
「……だったら、いいじゃんか、」
「……………」
「俺、わかんねーよ、なんだって、………なんであそこで諦めるんだよ」
 何か話しながら席に戻ってきたりょうと将が、ふと口をつぐんで憂也を見ているのが判る。
 全員の深刻な視線がなんだかくすぐったくて、憂也は軽く肩をすくめた。
「あのさ、俺がマジで千秋のこと好きだったら、諦めてないよ」
 多分。
「結局は、その程度なんだよ」
「その程度かよ」
「女幸せにするより仕事選んでるんだ、もう随分前から」
 真面目くさってそう言うと、やはりこちら見ている聡が、わずかに笑うのが見えた。
「アイドルの、恋愛ね」
 席についた将が、足を組んで低く呟く。
「そんなもん、バレなきゃ全然いいと思うけどな」
 将らしい適当さに、一時全員が吹き出していた。
「……アイドルって、人に夢与えてるけど、同時にもらってもいるわけだから」
 笑顔の余韻を残したまま、憂也はそう言って、煙で淡く濁る夜空を見上げた。
「何万人もの女の子の夢をもらって好きなことやってるのと引き換えに、嘘でもさ、幻でもいいから、その子たちに、本気で愛情返していかなきゃいけない存在だと思ってる、俺」
 全員が黙っている。
 ギターがセイバーの「ミラクル」を弾いて、場内はひどく盛り上がっているようだった。
「人間だし、男だし、恋愛もするしセックスもするけど、そういうの、絶対に表に出しちゃいけない存在だと思ってる」
「絶対にか」
 雅之。
「絶対にだね」
「……ファンが、認めたらいいんじゃないの」
 聡。
「芸で返せばいいと思うけどな、俺は」
 将。
「だったら、まず事務所を辞めるね、俺は」
 憂也は苦笑して、髪をかきあげた。
「仮にもアイドル専門事務所で、アイドルとして仕事してんだ、そのステイタスにのっかって仕事もらってる以上、俺なら、公表した時点でやめるよ、J&M」
「………理解できねーよ」
「俺も、」
 雅之と聡が、呟くように反論する。
 憂也は笑って立ち上がった。
「いいじゃん、それで、人それぞれだし、これは俺の勝手なポリシーだし」
 そんなことを、柄にもなくマジで考えるようになったのは。
 莫迦なアイドルとのスキャンダルで、一人の女の子の、夢も将来もぶっつぶしちまった時だったけど。
「歌い手交代〜!」
 憂也は、陽気に言って、セイバースタッフの輪の中に入っていった。
 わっと歓声が巻き起こる」
「ストーム、綺堂憂也、歌います!」
「待ってました〜!」
「えっ、ギター、弾けるんですか?」
 戸惑う一番手からギターを受け取り、何度か感触を確かめる。
 久し振りに作ったものの、結局、歌えなかった歌。
 多分――歌わなかっただろう。あいつらが来ても、来なくても。



おかえりって
君の声が僕を迎えてくれる。
いつもの風景。
家族でも恋人でもない
君と僕の心地よい関係

君の声をいつまでも
聞いていたいから 僕は
知りたくもない
恋の話につきあうのさ

幸せそうに喋る
君の横顔がきれいだから
僕はもう
何も言えなくなってしまうよ

君が好きだよ
君を抱きたいよ
君を一人じめしたいよ
でもそれは
言葉にもできないまま流れていくね

泣きたいって
君が弱音をぶつけてくる
離れすぎた距離も時間も
君と彼をいつも不安にさせているんだね
家族でも恋人でもない
僕になら 話せるってこと?

君の笑顔を
見ていたいから 僕は
くだらないジョークを
君がふきだすまで言いつづけるよ

君が好きだよ
かなりまいってる
君がいれば平凡な日々も最高に薔薇色

でもそれは
言葉にもできずに流れていくね

もう会わないよ
大人になっていく
君を見るのが辛すぎるから

その瞳は誰を想っているの
その唇は誰のものなの

その先を考えると
僕はおかしくなってしまうよ
ごめんね

だからもう
君とは会わないって決めたんだ

君が好きだよ
君を抱きたいよ
君を一人じめしたいよ
でもそれは
言葉にもできないまま流れていくね

もう会わないよ
思い出よりステキな恋を
いつか僕も見つけるから

 

「………やっぱ、天才、あいつ」
「すげーよ、どうやったら、こんないい曲作れるんだよ」
 鳴り止まない拍手の中、立ち上がった憂也が拳を突き上げている。
「……ま、やっぱ、基本は莫迦だけどな」
 将が呟く。
「………大バカだよ」
 聡。
「……かっこつけやがって」
 雅之。
 でも。
 多分、憂也の笑顔が、あんまり楽しそうだったから。
「じゃ、次はストームだな」
「おう」
「デビュー曲いきますか」
「いや、この場合ミラクルだろ」
 将も、聡も、雅之もりょうも。
 刹那に感じた気持ちを隠して、憂也の傍に駆け寄っていた。





                  29



「憂也、」
「………うー……」
 寝不足の頭が痛い。
 つか、これ、もしかして二日酔いってやつだろうか。
 たんたん、と階段を上がる足音。
 でも、扉を開けて顔を出したのは、こうして寝坊した朝、いつも起こしてくれる相手ではない。
「たまに帰ったと思ったら、いつまで寝てんの、本当に愴二に似て不精なんだから」
 親父の保険金を元手に株式投資で大成功。儲ける代わりに家事を一切しない、有閑マダム。
 母親は室内を見回し、大げさに片手を振った。
「なんって汚い部屋なのよ、もう千秋ちゃん来ないんだからね、少しは自分で掃除しなさいよ」
 つか、それ、自分に向かって言ってくれ、おふくろ。
「あー、いいお嫁さんなのに、なんだって愴二ったら、ロスになんか行っちゃったのかしらねぇ」
 ぼやきながら、カーテンだけ開けた母親が、再び階下に降りていく。
「………………」
 汗でべたつく首筋を掻きながら起き上がる。
 昨日脱いだ服が絨毯の上に散らばったままの部屋。趣味で集めた音楽機器が、室内の大半のスペースを埋めている。
「…………さてと」
 脱いだ服を拾い上げる。
 別に、
 別に、片付けが苦手なわけじゃない。
 階段を降りると、車のエンジンの音がした。母の運転する真っ赤なポルシェがガレージを出て行くのが、窓越しに見える。
 がらんどうの部屋。
 慌しく出て行った母親の衣服と、それから朝食のトレーがそのままになっていた。
 おはよ、憂ちゃん。
「………………」
 今日の目玉焼きは半熟だよ。
「………………」
 君のいない部屋は寂しいけど。
 でも、もう二度と振り返らないと約束するよ。
 憂也は冷蔵庫の前にしゃがんで、扉を開ける。
「お、卵あるじゃん」
 窓の外はピーカンだった。立ち上がった憂也は、しばし、その青に見惚れる。
 思い出よりも素敵な恋を、
 いつか、―――俺も見つけるから。










                     
                              
                          act4 想い出よりも素敵な恋(終)



この物語は全てフィクションです。実在の団体、個人に一切関係なく、
実団体、個人に対する作者の感情が、小説内にそのまま反映されているわけではありません。


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