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「ストームの綺堂君?」
「えー、本物……?」
 という従業員の囁きを時々聞きつつ、場内の隅にスタンバイした憂也は、所在無くあくびをした。
 結構、つまんねーもんだな、結婚式って。
 照明の落ちた壇上では、まさに、今、兄の言うクライマックスが始まろうとしている。
 ただっ広い式場には、これでもか、とばかりの人が詰め込まれていた。まさに、芸能人ばりの豪華披露宴。
 全員が全員、なんだか妙にえらそうな面がまえだから、多分、相当名の知れた企業の社長か役員なんだろう。
 政治家も随分来ているとか――日本の三権分立ってどうなってるんだろう、とふと思う。
 愴二側の来賓に比べたら、千秋のそれはささやかなもので、なんだか気の毒にさえ思えてくる。
 どこか情緒的なメロディが流れる。
 どっかで聞いた……ようやく思い出した憂也は、吹き出しかけていた。
 ナナモスキーのオンリーラブ。
 か、かなりベタなんだけど。
「では、新郎、綺堂愴二君から、妻、千秋さんへのメッセージを読み上げてもらいます」
 どっかのテレビで見た司会が言って、タキシード姿の愴二と、そしてミニのドレスをまとった千秋が壇上の席から立ち上がった。
 ごほん、と咳払いして、まるで西洋貴族のような美貌の兄は、ハンドマイクを口元にあてた。
「やっと会えたね」
………それ、作家の辻なんとかが、女優の中山なんとかを落とした時のセリフじゃん。
「僕が、一生かけてお守りします」
 おい、それ、皇太子のプロポーズ。
 が、場内では、
「ほんっと素敵……綺堂さんって」
「何をやってもさまになる人よねぇ」
 と、のぼせたため息が漏れている。
 千秋は、多分笑いをかみ殺している。うつむいて肩を震わせているから、傍目には感動しているように見えなくもないが。
「……えー、僕と千秋は、幼い頃、共に片親をなくすという、悲しい思い出を持っています」
 が、愴二は、表情ひとつ変えることなく、ひどく静かな口調で続けた。
「この僕が、平穏無事な人生を送るとは考えにくいのですが、それでもひとつだけ、約束できることがあります」
「綺堂さん、本当に音は出さなくていいですね」
 背後から、スタッフが囁いた。
「あ、大丈夫です」
 憂也は振り返って、手元のギターを引き寄せた。
 ばたばたとスタッフが駆け去っていく。リップマイクで何か気ぜわしく囁いている、多分、演出を急に変えたから戸惑っているのだろう。
 壇上では、兄の挨拶がまだ続いていた。
「それは、一生、わき目もふらず、彼女一人を愛し続けるということです。絶対に悲しませないと誓います。浮気など、想像さえしないと誓います」
「………………」
 憂也は無言で、ギターの弦をわずかに弾く。
「小さいけれど、そこにしかないささやかな幸せを、」
「………………」
「これから一生、僕は千秋にプレゼントすると約束します」
 マイクをおいて、花嫁に向き直った愴二は、そのまま腰をかがめて、キスをした。
 満場の拍手。
 顔をあげた千秋がどんな表情を浮かべているか、憂也には確認することができなかった。
―――やべー
「ではここで、新郎の弟である、ストームの綺堂憂也さんに歌ってもらいましょう!」
 スポットライトが憂也を照らし出す。
 わずかなどよめきが場内に広がった。
―――………マジで、やべーよ。
「………綺堂さん、」
 固まったままの憂也に、背後のスタッフが困惑気味に囁いた。
 しだいに、別の意味のざわめきが広がっていく。
 それでも憂也は、動けなかった。
―――やべーくらい底なしだ、……最悪だよ……俺、
 いきなり、照明が落ちたのはその時だった。
 え?
 と、思う間もない、いきなりど派手な音楽に切り替わる。
 ポップでアップビートなメロディ。
 当時のアイドルソングで、初めてラップを取り入れたイントロ。
「きゃーっ」
 会場の数箇所から、控え気味ではあるが悲鳴があがった。
 まばゆい照明が、くるくると場内を回り始める。
「待たせたな、みんな!」
 憂也は唖然とした。
 これ、なんの冗談だよ。
 全員が黒のタキシード。
 最初に飛び出してきた柏葉将が、マイクを片手に、すっかり堂にいったラップメロディを歌う。
 東條聡のソロが入り、りょうと雅之のコーラスが被さった。
「いくぜーっ、結婚式―っ」
「踊れーっ」
 と、場内のおじさんたちが引いているのを完全にスルーして、すでに全員、コンサートのノリになっている。
 ああ、これが職業病か。
 憂也もまた、音楽を聴いた瞬間に、すでに立ち上がってステップを踏んでいた。
「もりあがっていこうぜーっ」
「式場、サイコーっ」
 こないだまで欝だったはずのりょうは、今、完全に降りてきてる。
 J&М一の運動神経を誇る雅之が、いきなり見事なバク転を決める。それには満場の拍手が返ってくる。
 つか、どこまで莫迦なんだよ、こいつら。
 で、一人、うちわ振ってるヤツもいるし。
「ゆうちゃーん、かっこいいーーっ」
 持って来てたのかよ、マジで。
 その隣で、顎を落としている愴二の顔が愉快である。
「燃えてるか、式場――っ」
 気がつけば、憂也も叫び、満開の笑顔で四人に混じって踊っていた。



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「つか、何やってんだよ、お前ら」
「来てやったんだよ、お前助けに」
「うっせーよ、余計なお世話だよ」
 ロビーに出て、口々に悪態をつく。
 短いショーだったのに、5人の額は、すでに汗で濡れていた。
「あっちー、」
「つか、きついし、これ」
「そもそも似合ってねーんだよ」
 似合わないタキシード、全員がそれをあたふたと脱ぎ、それから自然に吹きだしていた。
「まさか憂也が泣くとはな」
 柏葉将。
「泣いてねーよ」
「いーや、マジでベソかいてた」
「可愛いとこあるじゃん、憂也も」
 りょうと、聡が口々に言う。
「ばーか、違うって」
 そう言って、憂也が笑顔をあげた時だった。
 全員が、その視線の先を追って、ふと黙る。
「…………憂也、」
 人気のないロビー。静かに歩み寄ってきたのは、地獄の死者ばりの青白い肌を持つ、今日の主役。
 悲愴と憂鬱を滲ませた目で、兄は弟の前に立った。
「……あー、」
 さすがに気まずさを感じ、憂也は頭を掻いて視線を下げた。
 怒ってる……だろうな、さすがに。
 大切な来賓を前に、とんでもないことやっちまったんだから。
 が、
「お前は、日本を動かす百人というのを知っているか」
 愴二の口から出た言葉は、いつものことながら、憂也の想定の範疇外だった。
「………は?」
 つか、何の話?
「今日の披露宴には、日本を動かす百人の中から、少なくとも半数以上が集まっていた」
「…………」
 知らなかった。
 というより日本って、随分狭いテリトリーにいる人間で動いてるもんなんだ。
―――で……?
 憂也が黙っていると、愴二は腰に手を当て、険しい眼差しを天井に向けた。
「そして、その三割の内半分が、さっきのアイドルショーにどん引きだった。お前はこの責任をどう取るつもりだ」
 な、なんつー前置きだよ。
「………まぁ、悪かったよ」
 憂也は所在無く視線を下げる。
 場内の半分は相当盛り上がっていたが、残る半分が、相当苦々しい顔をしていたのも確かだった。そんな雰囲気の中、勝手に盛り上がれたあいつらもあいつらで、
―――俺も、俺なんだけど。
「せっかく来てくださった方々に不愉快な思いをさせたんだ、ただ、謝って許されることじゃないだろう」
「お兄さん、」
 ふいに静かな声が、愴二の声に割って入った。
「お言葉を返すようで恐縮ですが、その百人がどう思おうと、関係ないんじゃないですか」
 愴二は、視線を声の主――将に向ける。
「………君は?」
「ストームの柏葉将です」
 この瞬間、兄のデスノートに、将の名前が刻まれたのを憂也は察した。
「たった一人が感動してれば」
 が、将はわずかに微笑してそう言うと、愴二の肩越しに視線を向けた。
「それでいいんじゃないですか、今日は」
 憂也は視線を上げる。
 ゆっくりとこちらに向かって歩み寄ってくる人を見る。
「………憂ちゃん………」
「……ばーか」
 マスカラとっとけって、言ったじゃん。
 真っ赤な目から、まだぽろぽろと涙を流している千秋は、両手で口を覆って、しばらくの間咳き上げていた。
「………超面白かった、超感動した、………ありがとう」
「…………」
「ありがとう、…………本当に、ありがとう」
 外した手袋で涙を拭い、千秋は泣きはらした目に笑顔を浮かべた。
「私、これで安心していけるね、もう大丈夫だね、憂ちゃん」
「…………」
「こんな素敵な、」
 目尻に零れた涙を拭い、千秋は憂也の背後に立つ4人を見上げた。
「こんな素敵な友達と、こんな素敵なお仕事してるんだもんね」
「…………元気でな」
 うん。と頷き、もう一度零れた涙を両手で押さえる。
「身体、気をつけるんだよ」
「…………」
「ちゃんと部屋も片付けて、掃除も自分でしなきゃだめだぞ、……もう、何もしてあげられないから、私」
「……戻ろう、千秋」
 愴二が促す。
「わかってる」
 何度か鼻をすすり、千秋は泣き笑いのような笑顔で片手を挙げると、背を向けた。
「憂也、」
 背後で雅之が囁いた。
 その前に、憂也は足を踏み出していた。
「―――千秋、」
 背中が止まる。
「幸せにな!」
 振り返らなくていい、もう。
「おう!」
 背中から、元気な声だけ返ってくる。
 憂也は苦笑して、ポケットに手をつっこんだ。
 振り返らなくていい。
 俺も――絶対に、振り返らないから。


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「おっそーい、定刻オーバーじゃん!」
 その有り得ない人の不満な声よりも、憂也は、まず有り得ない光景に驚いていた。
「つか………」
 OFFICE J&M
 巨大な機体、青地にピンクのロゴが踊っている。
 ホテルプリンスの屋上。
 ホテルの屋上にヘリポートがあったなんて知らなかった。で、そこに、まさか事務所のヘリコプターが止まっているなんて。
「マジ、これ?」
「しらねーの?これが巷で噂の、ヒデ専用ヘリ」
 唖然として見あげる憂也の背後で、将が楽しげな声で言った。
 ものすごい派手だ。むしろ、恥ずかしいくらい。
 よくよく見れば、Kizawa Hide、とそんなロゴまで付け加えてある。
「すげーだろ、目茶苦茶仕事詰まってるヒデのために、唐沢社長が用意した移動用ヘリなんだってさ」
「つか……借りれたの?」
 憂也は呆然としつつ、呟いた。
 こんなものが。
 百パーセント仕事には関係ない、私用の移動のためだけに。
「いやー、ヒデがさ、どうしても力になりたいって言うから」
 将はしれっと言って、回り始めたプロペラの風から髪を守った。
「憂也のことも昔から好きだし、俺にも超!感謝してんだってさ、それはもう、心よぉく貸してくれたよ」
 憂也が、その隣に立つ聡を見ると、聡は、とんでもない!とでも言うように、ぶるぶると首を横に振る。
 これ、後で、相当まずいことになるんじゃないだろうか。
「費用って、いくらくらいかかんだろうな」
「……ひゃ、百万は軽く超えるんじゃない?」
 りょうと雅之が、不安げに囁いている。
「いや、それもヒデが、きもちよぉぉく出してくれるって言うからさ、お前らは心配しなくて大丈夫だって」
 一人、将だけが平然としている。
 その、意外にいい加減な性格を知っているだけに、なんとはなしに不安が残る。
 が、
―――ま、いっか。
「すっげー、俺、ヘリ乗るのはじめてだし」
 憂也ははしゃいだ声をあげた。
 楽しめる時に、楽しめばいいんだ。今は。
「……憂也、」
 背後で、雅之が囁いた。
「……本当にこのまま、」
 柄にない深刻な目つきだけで、言いたいことは、なんとなくわかる。
「ありがとな、雅」
 憂也は、その背中を軽く叩き、両手をポケットに突っ込んだ。
「………ささやかだけど、フツーの幸せ」
 呟くと、雅之がけげんそうに眉をひそめる。
 その顔を見上げ、憂也は笑った。
「俺、どっかでそういうの、諦めてるから」
「…………」
「だって俺、アイドルだから」









                     
                              
                    


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