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 「おかえりっ」
 玄関を置けると、いきなり水玉エプロン姿の雅之が飛び出してきた。
 将は、一瞬言葉をなくして黙り込む。
「え、何、微妙な顔して」
「……いや」
 つか、そんな新妻みたいに出てこられても。
 が、立ったままの雅之が、明らかに将が来たことに安堵しているようなので、何かあったな、とすぐに気づいた。
「……憂也は、」
 靴を脱ぎながらそう聞くと、案の定雅之は、難しい顔になって首を振る。
「昼に事務所に呼ばれたみたいで、……帰ってから、ずっとアレ」
 指を立てた先には、散らかり放題のリビング。
 机の上にも、床にも、コミック本がうず高く積まれている。その中で、憂也はソファに背をあずけ、ひたすらコミック本を読んでいるように見えた。
「駅前のレンタルショップで、もう死ぬほど借りてきてんの、どう思う、将君」
「………いやー……」
「こんなことしてる場合じゃねぇんだけどさ、何考えてんのかな、憂也の奴」
「……………」
 貴沢に言われたことを思い出す。が、さすがにそれを、雅之に伝えることははばかられた。
 憂也を追い込んだのは何だろう。
 仕事のことか、それとも、恋のことなのか――。
 が、
「おっ、将君」
 顔をあげた憂也は、拍子抜けするほどいつもどおりだった。
「やっぱ、あだち充はサイコー、俺、野球少年だったからさ、タッチなんてもう、すれきれるまで読んだね、実際」
「………お、おう」
「野球やってる双子の兄弟が、隣の女の子好きになるわけよ、いやー、漫画じゃ都合よく、できすぎた兄貴が死んでくれるんだけど、現実はこうもいかなくてさ」
「…………いや、死んだの弟だろ」
 と、呟いたのは雅之だが、憂也の耳には届いていないようだった。
「あと、みゆき、これ知ってる?義理の妹好きになる兄貴の話なんだどさ、出来すぎた恋人と妹の結婚式で、兄貴が愛の告白だよ、結婚式で略奪なんてサイコーの見せ場じゃん」
 一人ハイテンションな憂也は、そう言って仰向けに寝転んだ。
「でも、その出来すぎた恋人ってのが、超いい奴でさー、そこだけなんか胸が痛むんだけど、うちの兄貴は超極悪人だから、そもそも胸痛める必要もないんだよね」
「憂也、」
 将は、憂也の饒舌を遮って、その傍らに膝をついた。
「………お前、何するつもりなんだよ」
「だから、ばーんと、結婚式ジャック」
「ばーか、できるかよ」
「将君、なんかアイデアだしてよ」
「でるわけないだろ」
 憂也の頭を小突くと、
「結婚式とか悠長なこと言ってないで、今、いけよ」
 将の隣で、そう言ったのは雅之だった。
 しゃがみこみ、倒れたままの憂也の肩をつかんで揺する。
「行けよ、好きなんだろ、つか、あの子なんだろ、憂也の初恋の」
「……………」
 憂也は表情を変えないまま、天井を見上げた。
 それだけで将にも、全てが判った気がした。
「ま、略奪までするつもりはないし、そこまでのもんでもないんだけど」
 起き上がった憂也は、少し面倒そうに呟いた。
「兄貴が描いてる結婚式、ちょっとばかり想定外にしてやりたいだけなんだよねー、ほら、なんつーか昔から」
 何かを思い出したのか、楽しそうに笑う憂也の目は、やはりいつも通りの小悪魔だった。
「千秋を泣かそうとする兄貴の悪だくみ、水際で食い止めてたのが俺なんだ、つか、白馬の王子様みたいだろ、俺」
「……………」
「これが最後だしさー、ちょっくら、派手にやってみっかなって」


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 指先で弦を弾きつつ、ギターの音程を合わせていると、いきなり視界をやわらかなものでふさがれた。
「だーれだ」
「………やってる場合かよ」
 親族控え室。
 すでに式まであとわずかとなった時間、集まった数少ない親族は全員外に出て行って、綺堂家で残っているのは憂也一人だった。
 嘆息しつつ、目を覆う腕を払って振り返る。
「どうだ!」
 腰に腕をあて、自慢気に立っていたのは、本日のド派手な式典の実質、主役。
 しばらくそのドレス姿を見ていた憂也は、無言で瞬きを繰り返した。
「…………ミニかよ」
「アイドルみたいじゃない?」
 白いフリルのウェディングドレス。膝上で、しかもパラソルつき。
 髪を綺麗に結い上げた千秋は、パラソルを肩にあずけ、そのままくるっと一回転した。
「一生にいっぺんは、こんなかっこも悪くないよね」
「つか、……アイドルでもそんな格好、十代までが限界だろ」
「いいんだ、当分こんなの着れないし」
 千秋は屈託のない笑顔になって、憂也の傍にしゃがみこんだ。
「ギター?」
「ま、久し振りなんだけどさ」
 中学までは結構はまっていた。
 なかなか戻らなかった指の感覚も、ここ数日、結構暇だったから、元通りになった気がする。
「……楽しみにしてるよ、憂ちゃんの泣かせる歌」
「知ってたのかよ」
「千秋の涙は高くつくぞ」
「みっともねぇから、マスカラだけはとっとけよ」
「ちょっ、花嫁さん、こんなとこでうろうろしてないでくださいよっ」
 ホテルの付き添い、みたいな人が、ぎょっとした顔で駆け込んできたのはその時だった。
「だって、暇だし」
「そういう問題じゃないんです」
 不平そうに立ち上がった花嫁は、じゃあね〜、と、今から寄席にでも行く気軽さで手を振った。
 憂也は、肩だけをすくめてそれを見送る。
 本音を絶対に見せない意地。お互い似たもの同士で、それが今までの距離を保ってきた。そう、多分これからも。
 が、指は全く違うキーを弾き、憂也は嘆息して、抱えたギターを手放した。
―――つか………
 マジで、自信、なくなってきたし。



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「なんっか、こう、……すっきりしねぇっつーか」
 中途半端に終わった「いきなり夢伝説」の収録のせいかもしれない。
 筋書きのないバラェティは初めてだ、そのせいか、やればやるほど、どんどん周囲から自分一人浮いていく気がする。
 午前に東條聡から電話があって、
「今日、午後から、りょうつれて雅んとこいくから」
 と、知らさせていたのが救いだった。
 舞台が終わって、ずっと引きこもっていたりょうは、仕事も殆どキャンセルしている。よほど精神的に疲弊しているのか、または、酷評に落ち込んでいるのか。
 一番仲のいい将が放っているから、自然、雅之も様子をみていたのだが……。
 マンションの階段を上がりながら、時計を見た。
―――もう、結婚式、はじまってるな。
 今日が実兄の結婚式だというのに、昨夜も憂也はここに泊まった。
 朝、早朝ロケのため、先に部屋を出たのは雅之だったが、
(今日は気合入れて行ってくるぜ!)
 と、妙にハイテンションに見送ってくれた憂也のことが、その、異様なテンションゆえに、少しばかり気がかりだった。
 憂也は、ここ数日、ずっと仕事をしていない。
 片野坂イタジも小泉旬も、口を濁してばかりだが、どうやら――謹慎させられているらしい。
 また、真咲しずくが、なんか最悪のことをやらかしたのかもしれない。憂也が何も言わないから、雅之も、あえて聞かないようにしているのだが。
「おう、おかえりー」
「久し振り」
 扉を開けると、懐かしい声がした。
 やはり聡に呼ばれたのか、将の靴もきちっと揃えておいてある。
 こんな時間に全員集合かよ、と、おかしくなったものの、やはり久々にりょうの顔を見れたのは嬉しかった。
「お前……元気そうじゃん」
「まぁね」
 ソファに背をあずけ、少し照れたように片手を上げているりょうは、舞台の時より、少し肉がついたようだった。というか、酷く痩せていて心配になるほどだったから、今、大分調子が戻ってきたんだろう。
「おい、ヤカンまでピカピカだよ」
 キッチンから、驚嘆したような将の声がしたのはその時だった。
「雅、大掃除でもやったのかよ、あんま部屋が綺麗だから、間違えたのかと思ったよ」
「……………」
 え、
 雅之は慌てて、部屋を見回す。
 そういえば、ここ数日は夜も遅くて、将も仕事で来れなくて、今朝の時点で、部屋はかなりひどい有様だった。
 それが今は、どこもかしこも、文句のつけようのないほど完璧に片付けられている。
「トイレも、白く輝いてるよ」
 と、聡の声。
 隙なく整理された戸棚。
 隣室。散らかっていたコミック本が、今は綺麗に部屋の隅に重ねてある。
「………憂也は?」
 りょうが呟いて立ち上がった。
 ぼんやりしていた雅之は、ようやくその声で我に返っていた。
―――憂也?
「俺、憂也にお礼言っとかねーとって思ってさ」
「憂也に?」
 と、りょうに聞き返しているのは将。
「うん……だから、来た」
 りょうは、わずかに黙り、伸びた髪に手を当てた。
「俺が休んでる間、時々本送ってくれてたんだ、あいつ」
「本ってエロ本とかじゃねぇだろうな」
「結構マニアな演劇関係の雑誌……俺の舞台の記事とかね、ま、へこんだのもあったけど」
―――憂也、
 雅之は黙ったまま、埃の拭き払われた棚を見あげた。
「なんつーか、嬉しかったな、つか、憂也がそんなことしてくれるキャラだとは思わなくてさ」
 キッズの時は、どうだったっけ。
 合宿で、滞在先のホテルで、憂也の部屋は、いつだって綺麗に片付いていた。
 頭がいい奴だから、物の整理もかなり上手くて、
「………………」
 うつむいた雅之は、拳を握った。
―――俺、莫迦だった、サイテーだ、なんだって気づかなかったんだろう。
「憂也がねぇ……」
 将の、不思議そうに呟く声。
「で、その憂也は何してんのさ」
 トイレから出てきた聡が、雅之の背後で言った。
 憂也、ごめん。
 雅之は、心の中で呟き、傍にあった上着を掴んだ。
―――俺が、一番わかってたのに。
「俺……行ってくるわ」
―――俺が一番、憂也のこと、わかってないといけなかったのに。
「ちょっと出てくる、悪い、みんな揃ってんのに」
「え?、何?」
 聡が驚き、
「ちょっと待てよ、どこ行くんだよ」
 将の声が、戸惑っている。
「憂也んとこ、あいつ、今横浜なんだ!」
 それだけ言って、リビングを抜けた。背後から、全員が席を立って追ってくる足音がする。
「おい、待てって」
 玄関で追いついた将は、そこでようやく察してくれたようだった。
「何時からだよ」
「二時、もうはじまってる」
 雅之はもどかしく靴を履いた。
 タクシーで駅まで行って、そこから新幹線に乗ってしまえば、
「おい、とにかく、落ち着けよ」
 背後から腕をつかまれる。雅之はそれを振り払おうとした。
「将君、時間ないんだよ」
「つか、間に合うわけないだろ!」
 腹に響くような声。
 怖い目で見下ろしている将。雅之は、ようやく我に返っていた。
 2時半。
「……………」
 現実は確かに、そうだ。
 そうなんだけど………。
「……………憂也、今、相当きてるよ」
 雅之は、額に手をあてて呟いた。
 もっと早く、気づいてやればよかったんだ。
「結婚式ぶっこわすとか、できるわけねーじゃん、あいつ、本当は、小心で優しいのに、……できるわけねーよ」
 いっつも、支えてもらってんのに。
 いっつも、守ってもらってんのに。
 肝心な時に、憂也を一人にさせてしまった。
 多分あいつが、一番一人になりたくないと思ってる時に。
「……俺が……気づかなきゃいけなかったのに」
 あいつが、莫迦みたいに楽しそうだったから。
 もう、恋なんてどうでもいい、みたいな顔してたから。
 雅之は、額を押さえたまま、壁にすがった。
「つか………自分が情けねぇ、俺」
 横を向いた将が、わずかにうつむいて嘆息する。
 あとは、全員が黙っていた。









                     
                              
                    


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