17


 レッスン室から聞こえてくる音楽に、美波涼二は足を止めていた。
―――こんな時間にか、
 時計を見る。午前十時少しすぎ。
 時間外に本社ビルの六階を使用できるのは、おそらく「デビュー組」だろう。
 薄く開いた扉を開けると、たちまち大音量があふれ出してきた。ハードなユーロナンバーで、キッズのレッスンでよく使う曲。
 照明を落とした室内で、一心不乱といっていい熱心さで踊っていたのは、予想どおりデビュー組。
 しかし、美波にしてみれば、想像の圏外――ストームの綺堂憂也だった。
 タオルで髪を押さえ、半そでのシャツ、膝までの黒のスウェット。
 いつからそうしていたのだろう、えりあしからほとばしる汗が、淡い照明の下で煌いている。背中はすでに汗の沁みで真っ黒だった。
 なのに、呼吸ひとつ乱さない見事なリズムで、ステップ、ターン、キック、全ての型が綺麗に決まっている。
「………………」
 多分、闖入者に気づいているだろうに、足を止めるどころか、振り返りもしない。
 しばらく壁に背を預け、それを見守っていた美波は、ワンフレーズが終わった時点で、おもむろに綺堂の前に入った。
 即興で作ったふりつけ、ワンランクもツーランクも上のテクニックを盛り込んだもの。
 コンサートなどでの急な振り付けの変更は、こうやって対面に立ち、振り付けを移して教える、いわゆる「振り移し」で、急遽対応する。
 綺堂はすぐにそれを飲み込み、続くフレーズでは、美波よりアクションを激しくして、その踊りに対応した。
―――きれまくってるな、綺堂のヤツ。
 鋭い眼差し。
 もともとが、綺麗な目をしているだけに、有無を言わせない迫力がある。
 身体は細くて、どちらかといえば頼りない体型なのに、強烈な目の印象が、なまじの大男より迫力あるイメージを与えている。
 こいつは、昔からそうだったな。
 美波は、自分も同じ振り付けで踊りながら、入所したばかりの頃の綺堂を思い出していた。
 華やかなスター性には欠けるが、潜在的なポテンシャルはナンバー1。
 同期メンバーに貴沢秀俊という別格がいなければ、もっと別の道があっただろう。
 が、あまりにむらが多く、いい時とひどい時の差が激しい。美波の感覚では、最後の――何か、見えない殻を、どうしても破りきれずにいる。
 開花しきれずに止まったままの才能、それは、ストームという枠のせいなのか、それとも綺堂自身の性格のせいなのか。
 それは綺堂だけではない、その前年に入所し、やはり同じストームに所属する柏葉将と片瀬りょうにも、同様にいえる。
 なまじ、直感的に感じた可能性に期待して、5人で組ませたこと自体が謝りだったのだろうか――。
「あっちーーっ」
 音楽が終わると、綺堂は天を仰いで一声叫び、へたりこんだ。
「もう年かなー、全然、身体動かねーし」
 そして、ようやく、初めて気づいたように傍らの美波を見上げた。
「………つか、なんで全然汗かいてないんっすか」
「体質だろう」
 素っ気無く言って、美波は持参したスポーツバックから、タオルを出して投げてやった。
 ようやく綺堂は、不思議そうな目で美波の姿を上から下まで見つめる。
「……もしかして、踊ってんすか」
「年寄りだからな、毎日稽古しないと、体がすぐに感覚を忘れる」
「毎日ですか」
「ダンスが俺の財産だ、磨きをかけないと生残れない」
「………すっげぇなぁ」
 笑うような声で呟き、綺堂はそのまま、床に仰向けに倒れこんだ。
「やっぱ、おっさんパワーにはかなわないかな」
「人生の終わりが見えてるからな、必死なんだよ、おっさんは」
「つか、美波さんがおっさんなんて、世間のおっさんに失礼な気がする」
 一人で笑った綺堂は、けれどそこで何故か深いため息を吐いた。
「……結婚しようとか、思ったことないですか」
「………………」
 どういう流れでこういう質問だ。
 美波は少し黙ってから、そして肩をそびやかした。
 窓辺に立つ。夜風が冷たくて心地いい。
「ないね」
「一度もですか」
「……質問の意味を言え」
 綺堂は黙る。その目は、真っ直ぐ天井に向けられているようで、何も見ていないようでもあった。
「……ちょっと前だけど、まだストームがデビューしたばっかで、結構人気があった頃」
「自虐的だな」
 美波の嫌味に、綺堂はかすかな笑みを見せた。
「………俺、つきあってた子がいて、まぁ、スクープなんかされちゃったから、美波さんも知ってると思うけど」
「……………」
 元モーニングガールのアイドルタレント。
 綺堂とのスキャンダルがきっかけで、芸能界から消えた少女だ。
「つきあってたっていっていいのかな、……なんつーか、可愛かったし、俺のこと好きだって言ってくれたし、ま、ぶっちゃけ」
 と、アイドル禁止用語をさらりと吐いた綺堂は、額に手の甲をあてて、目を隠した。
「それが、あんな大騒ぎになるなんて思わなくて、………つか、なんで周りがこんなに騒ぐのか、全然理解できなかったし」
「お前はアイドルだからな」
 美波がそう言うと、綺堂はわずかに手をずらして苦笑した。
「なんとなくだけど、わかったんすよね、あの時はじめて」
「……………」
「アイドルってそういうもんだって」


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 いったん階下に降りた美波が戻ってみると、もうレッスン室に綺堂憂也の姿はなかった。
「……………」
 廊下に、冷たい夜風がさぁっと流れ込んでいる。
 屋上に抜ける階段は目の前だった。
 そういえば。
 階段を上がりながら、美波は知らず苦笑していた。
 キッズ時代だ、綺堂と、そして一番仲がよかった成瀬雅之。
 二人してしょっちゅう屋上でさぼっていたな。いつからそこに、お堅い柏葉と人見知り片瀬が加わったのだろう。そう、それからマイペース東條も。
「……好きならさ、へんに遠慮なんてしなくてもいいんじゃねーの」
 屋上に出た途端、きれぎれに声が聞こえてきた。
 ああ、
 美波はさすがに驚いていた。
「そういうのって憂也らしくねーし、……言えばいいじゃん、自分の気持ち」
 成瀬雅之だ。
 いつの間に来たのだろう。
「自分の気持ちねぇ」
 と、どこか人事のような綺堂の呟きが聞こえる。
「雅、」
「お、おう」
「愛してる」
「……………………」
 二人は、屋上のベンチに、仲良く並んで腰掛けているようだった。美波の位置からは、成瀬の頭しか見えないが、その頭が動き、なにやら綺堂にアクションを起こしているのが伺える。
「つか、深刻になるなよ、雅君らしくもない」
 綺堂のハイテンションな笑い声。
「だ、だって、心配だからじゃないか」
「俺の前にまず自分、自分のこと心配してなよ」
「お……俺は、まぁ、大丈夫だよ」
 そこまで聞いて、美波は静かにきびすを返した。柄にもなく、気を使ってやる必要もなかったわけだ。
 このユニットが成功だったか失敗だったかはわからない。
 が――綺堂には少なくとも、支えあえる仲間がいる。乗り越えるにしろ、潰れるにしろ、結局は5人仲良く道づれになるだろう。あのお人よしなアイドルたちは。
「………………」
 道連れ、か。
 ふと――もう何年も前に袂を分ち、仕事上だけのつきあいになった同じユニットの2人を思い出していた。
(―――涼ちゃん)
 一瞬感じた暖かな感情は、すぐに冷ややかなもので覆われて、消える。
 仲間意識など馬鹿げている。信じる分だけ絶望も深い。しょせん――大切なのは、誰にとっても自分だ。それは土壇場になった時、あの5人にも判るかもしれない。本当の意味で追い詰められたときに。
 そこですがれるものは、友情などではなく、力だということも。
 いくらタレントさんだからって、時間外に勝手に入られると困るんですよ、という守衛の小言を振り切って、裏口から、外に出た時だった。
「うおっ」
 という、すっとんきょうな声に、今度こそ美波はびっくりして足を止めた。
「…………」
 誰だ?
 暗がりの中、電柱の影からにじみでいる人型。
 妙に小さくて、まるで女の子みたいな――
「……流川?」
 反射的に呟いていた。確信があったわけではない。
 が、柱の影からおずおずと姿を現したのは、間違ってもこんな時間、こんな場所にいないはずの女の子だった。
 ジーンズにパーカーにキャップ。こうして見ると、まるで男の子にしか見えない。
「……………美波さん?」
 ものすごく懐疑的な声。
「いや、俺だよ、心配しなくても」
 それでも突っ立ったままの女の傍に、美波は仕方なく歩み寄った。
 その分だけ後ずさった流川が、慌てたように頭を下げる。
「こ、こんばんは」
「こんばんは」
 と、普通に挨拶してる場合でもないだろう。
「………成瀬なら、上にいたが」
「えっ、いえいえ、そんなのもう、全然!」
 その過剰な反応で判った。
 今まで成瀬と一緒だったか、はたまたどういう事情か後をつけてきたのか――どちらかだ。
 流川が、そこで言葉を止めて美波を見あげる。
「………風汰が……こっちの大学に進学決まって」
「ああ、」
 双子の兄か。
 顔は同じでも性格がまるで違う、どこか頼りなかった少年。
「今日お母さんと三人で、下宿の下見、……こっち、泊まることになって、なんか懐かしくなっちゃって、事務所」
「そうか」
「不思議ですね、離れて随分たつのに、……大してがんばってたわけでもないのに」
 曲がりなりにもキッズの一人としてひと夏を過ごした少女。
 当時のことを思い出し、美波はふと、冷えていた気持ちが暖かくなるのを感じていた。
「お前の受験はどうなった」
 そう言うと、はじめて流川凪は、彼女らしい笑顔を浮かべる。
 そうか。
 よかったな、夢のスタートラインに立てて。
「………どこに泊まってる」
「え?」
「送ってやるよ、車だから」
「…………あ……でも」
「嫌ならいいよ」
 流川は即座に首を振った。
「まだ冷えてる」
 美波は、手にしたままの缶コーラを、固まったままの少女に投げた。
 昔からコーラばかり飲んでいた後輩への、ささやかな気遣いだったが、もう無用になったもの。
「合格祝いだよ」
 冗談で言った言葉だったが、その刹那、暗がりでもはっきり判るほど、少女の白い顔に羞恥の色が浮かぶのがわかった。
 美波は少しの間言葉につまり、この、不思議な沈黙の意味を考えていた。


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「よ、昼ドラ男優」
 嫌味なのかジョークなのか、判断のつかない微妙な響き。
 タオルでメイクを落としていた柏葉将は、鏡越しに写る後輩を見あげた。
 後輩――といっても、Jに入った年が一年下というだけで、実質将と同い年。
 人気爆発といわれながら、いまだデビュー前のキッズに所属する「ヒデ&誓也」の河合誓也である。
「さすがに見てないけど、すごい話題じゃん、オバサマたちに」
 誓也はそう言い、差し入れのペットボトルを持ち上げる。
 今日は、国営放送で毎週オンエアしている、飛び出せJクラブの収録日だった。
 ここにいる河合誓也と、
「誓也、ここ?」
 ひょい、と顔をのぞかせたJの看板スター、貴沢秀俊、この二人がメイン司会を務める歌番組である。
 貴沢秀俊。
 実質、今の日本の男性アイドルの――緋川拓海という別格をのぞけば最高峰に立つ男。
「将君、今日はありがとう」
 貴沢は、綺麗な目をすがめて笑うと、将の背後にあるベンチに腰掛けた。
 笑うと右頬に切れ込んだような笑窪が浮かぶ。さらさらの茶髪、透き通るような肌、同性の目から見ても、ただ綺麗だとしか言いようがない男。
 貴沢は笑顔を浮かべたまま、上目遣いに将を見上げた。
「やっぱ、将君みたいなデビュー組に出てもらうと、番組的に締まるからうれしいんだ」
「なにしろ、今話題の柏葉君だもんなー」
 後半は河合のセリフである。
「どういたしまして」
 将はそっけなく言って、タオルをたたんでメイクボックスの傍に置いた。
 ま、どう考えても嫌味かな、と思う。
 性格的に底の知れない貴沢の場合、本当に天然だとも言えなくもないが。
 なにしろ、デビューしても三年、いまだ一本も看板がもてないストームに対し、ヒデ&誓也、こと貴沢と河合は、すでに看板を二つ、貴沢単独だと、五つのメインレギュラー番組を抱えているのである。
 そのひとつに、今日、柏葉将がゲストとして呼ばれたわけだが、はっきり言えば、最近売れ出した若手――関西の立花コージや久住鷹人、彼らの引き立て役もいいところだった。
―――正直、
「最近、なんかストームとは縁があるよな」
「そうそう、成瀬君も、僕らの番組にレギュラーとして出てくれてるし」
 将は、無言で、2人の会話を聞いていた。
―――正直、雅はよくやっていると思う。
 二人が言っているのは、春の新バラエティ番組「いきなり夢伝説」。
 貴沢秀俊と河合誓也がメイン司会を務めるその番組に、雅之は準レギュラーとして出演が決まっているのである。
 オンエアは来週からだが、スタジオで司会をする貴沢、河合に対し、雅之は常に現場で、お笑い芸人さながらの体を張ったゲームをする――といった内容。
 ここまで、絵に書いたような屈辱もない気がするが、それがさらっと受け流せるのは、すでに打ち切られたバラエティ番組で、さんざん辛酸を舐めてきた雅之ならではだろう。
「………憂也のこと、聞いてる?」
 誓也が立ち去った後、何故か一人で残っていた貴沢が、ふいにそう切り出してきた。
 憂也?
 そのまま退室しようとしていた将は、さすがに足を止めていた。
 椅子に座ったままの貴沢は、思案気に視線を下げる。
「昨日、マネージャーからちらっと聞いたんだ、……なんか、ゲームかアニメの声優やっちゃって、社長が、今回はマジで激怒してるって」
「……………」
「しかも憂也、」
 綺麗な指を膝の上で組み、貴沢は夢見るような横顔で続けた。
 鮮紅色の唇と、星さえ輝いて見えるきれいな瞳。日本中の女性たちをとりこにしている横顔である。
 顔だけでなく、演技も司会も、バラエティでさえそつなくこなすマルチな才能。人当たりもよく、色んな大物俳優、女優に可愛がられている――まさに、完璧な芸能人。
「憂也、そのゲームの共演者と、かなり派手に喧嘩しちゃったんだってね」
 それは初耳だ。
 将は思わず眉をあげていた。
「それ、本当の話か」
「まだ、上の連中しか知らないけど、多分。……僕はたまたま聞いちゃっただけなんだけど」
 貴沢はかすかに嘆息し、将を見上げて声をひそめた。
「とにかく、社長がかなり怒ってるのだけは間違いないよ。憂也の出演をやめさせるって、今、ジャパンテレビさんとかけあってるらしい」
「あそことうちは、喧嘩ばかりだな」
 将も、嘆息しながら呟いていた。
 セイバーの時もそうだった。
 まだ、そのしこりは、J&Mにもジャパンテレビにも残っているはずだ。
「予定されていたアニメ放送も、いったん延期になったとか……」
「延期か」
 うん、と貴沢は、眉をひそめて頷いた。
「下手すると憂也、ジャパンテレビから干されるかもしれないね」
 そう言った貴沢は、顔を上げて時計を見ると、立ち上がった。
「がんばって、って伝えてよ」
「憂也にか」
 思わず憮然と聞き返していた。
 自分で言えよ。
 そんな感情が顔に出ていたのかもしれない。貴沢は、少し照れたように微笑する。
「憂也は僕を嫌ってるみたいだけど、僕は昔から好きだから、彼みたいなタイプ」
「……へー」
 それは、憂也が聞いたら、さぞかし激怒するだろう。
「正直、将君にも感謝してるんだ。キッズの時、試験勉強、よく教えてもらったじゃない」
「適当に山はっただけだよ」
「それが当たるからすごいよね」
 貴沢は、人懐っこい笑顔になって、鏡の将に笑いかけた。
「だから、ストームのことは、人事とは思えないんだ。昼ドラが人気なのはいいことだけど、そこに染まったら、後が辛いよ」
「………………」
「せっかくいい俳優になる素質があったのに、もったいないなって、あ、おせっかいかもしれないけど」
 言いすぎを恥じるように、はにかんだ笑みを美少年は浮かべる。
「僕にできることがあったら、なんでも言っていいからね」
―――わかった。
「少しなら、上に話ができる立場だから、じゃ、がんばって」
 扉が閉まる。
 将は、その扉に向かって親指を下げた。
 なんで今まで気づかなかったんだろう。
 貴沢秀俊。こいつの性格は――相当、悪い。








                     
                              
                    


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