17


 場内は騒然としていた。
 事前に、ヒカルの解散が情報として伝わっていたからかもしれない。
 都内にある、ホテルプリンスの一間。
「お静かに」
 壇上に立った美波は、落ち着いた声でそう言った。
「本日、J&M事務所から、重大な発表がございます。お集まりのマスコミ各社の皆様には、ご静粛にお願いします」
 最前列に陣取った、成金チックな衣装を着た男。
 2人分の席を余裕で陣取っている亀梨は、なんで?みたいないぶかしげな目を、マイクを持つ美波に向けている。
 ブラックスーツを身につけた美波は、今は、一タレントではなかった。J&Mのフロントとして、この席上に立っている。
「本日を持ちまして」
 感情を殺した目で、美波は息を飲む記者の群れを見回した。
「本日を持ちまして、アイドルユニット、ヒカルは解散いたします。また、同日づけを持ちまして、メンバーの藻星研治、大澤成吾の同名は、当社を退社いたします」
 おおっ、
 どよめきが、波のように場内に満ちる。
「それは、実質解雇、ということですか」
「ヒカルの移籍話と、どう関係してるんでしょうか」
「残り四名は、このまま、J&Mで、ソロのタレントとして活動を続ける予定です」
 美波は静かな口調でそう続けた。
「噂では、」
 ほぼ、中央に座っていた男が、ふいに立ち上がり、発言した。
 女性週刊誌の草分けである、ザ・ワイド。
 その編集長、筑紫亮輔。サングラスに皮ジャン、ダーティな外見を持つ男は、異色の政治記者上がりで、今では、芸能マスコミのドンとまで呼ばれている。
「あんたが、残りのメンバーを説得して、事務所に残したって話だけど、美波さん」
 美波は、無言のまま、自分を見上げている男を見おろした。
「ヒカルの移籍を止めるため、あんた、彼らをわざと分断させたんじゃないの?事務所クビになった藻星と大澤は、どうなるのさ」
「彼らのこの世界での活躍を、心から応援しています」
「はっ?あんた、どの面さげてそう言ってんのさ、今までおたくの事務所が、ヒカルでどれだけ稼いできたと思ってんだよ」
「質問は、挙手してからお願いします」
 ふいに、野太い声が、その饒舌を遮った。
 美波は無言で、自分の斜め後ろに立つ、見あげるほど上背のある男に視線を向ける。
 会見場の隅に、最初からずっと立っている男。
 取締役に就任した唐沢直人が、秘書として新たに雇用した――藤堂戒。
 薄いあばたの浮いた顔、あるかなきかの眉、強烈な三白眼。
 異相である。凶相といってもいい。
「質問は、最後にお願いします」
 数人の挙手を遮り、美波は再び、マイクに唇を寄せた。
「ここで、みなさまに、退社した古尾谷取締役に代わりまして、新たに取締役に就任しました唐沢直人から、ご挨拶とご報告がございます」
 真打が、ゆっくりと壇上に歩み出てくる。
「……唐沢直人です」
 俳優とみまがう美貌の男の登場に、無数のフラッシュが叩かれる。
 壇上で、唐沢は悠然と微笑した。
「新時代のJ&Mを新たに背負う者として、私は皆様に宣言いたします。これからもJ&Mは、男性アイドルを世に排出し、日本中の女性たちに、夢と希望を与え続けるシンボルとなることを」
 その手始めに、
 唐沢は、ゆっくりと片手を挙げた。
「新ユニットのお披露目をさせていただきます。ギャラクシー!」
 照明が落ち、すでに完成済みのデビュー曲が流れた。
「メンバーは、5名。ユニット名のとおり、綺羅星のような少年たちです」
 唐沢の声に導かれるように、上手から、5人の少年が歩み出てくる。
 最初の一人は、まだ小学生のような幼い顔をしていた。事務所で最年少の賀沢東吾。
 玲瓏とした線の細い美少年、草原篤志。
 独特な雰囲気と、大人びた端整な表情を持つ、上瀬士郎。
 ばっと明るく派手な顔立ち、いかにも陽気そうな目をしている、天野雅弘。
 そして、
 最後に出てきた少年は、氷より冷ややかな目で、美波を一瞥し、通り過ぎざまに囁いた。
「……あんたには失望しました」
 美波は、眉ひとつ動かさないまま、過ぎていく後輩の横顔を見送った。
 瞬くフラッシュ、カメラが一斉に新しいユニットの表情を追う。
 ヒカルの解散など、もう誰も気にしてはいない。
 覚えたてのデビュー曲を歌う5人の若者にも、無論その余裕はない。デビューが決まった途端、分刻みで決まっていくスケジュール。日々の仕事を追うのに必死で、辞めていく先輩タレントのことなど、同情する暇さえないはずだ。
 それでも、拓海は忘れないだろう。
 美波は、感情の何かが欠落したまま、綺麗なステップを踏む後輩を見つめた。
 拓海は決して忘れない。
 美波の裏切りも、事務所のやり方も――全部。
―――でも、俺は、
 ショーが終り、会見場から人の波が引いていく。
「緋川、」
 美波は冷たい声で、会見の場を去ろうとしている後輩を呼び止めた。
―――俺は、こいつが愛しいから。
「アイドルを舐めるなよ」
「は……?」
「今を踏み台だと思うなら、今すぐここで辞めちまえ、うちでデビューすると決めた以上、死ぬ気でアイドルやってみろ!」
 数ヶ月前は、言えなかった言葉。
 今なら言える。いや、今となっては、それしか言えない。
―――こいつには、俺と同じ後悔を抱いてほしくないから。
 拓海の顔に、燃えるような怒りと不満が瞬時に浮かんだ。
「あんたに、そんなえらそうなことを言える資格があるのかよ」
「おいっ、拓海っ」
 爆発しかけた凶暴な空気を、拓海の身体を羽交い絞めするような形で、彼の盟友、天野が抑える。
「あんたが、今更何言ってんだよ!」
「拓海っ、落ち着けっ」
「あんたにだけは言われたくねぇ、あんたのツラなんか金輪際見たくもねぇ!二度と俺に話しかけんな!!」
 美波は肩をそびやかし、唐沢と藤堂の後について、会見場を後にした。
 今は、徹頭徹尾、今しかない。未来のための今というのは存在しない。
 それは、不本意な形でデビューして、いつか――と夢を見続けてきた美波が、実感として感じ続けてきた思いだった。
 若さは、永遠には続かない。いい時代は、後で振り返れば本当にわずかだ。
 そして。
「ギャラクシーは、君が初プロデュースしたユニットだ、美波」
 前を行く唐沢の背中が言った。
「お手並み拝見というところだな、わかっていると思うが、今の事務所の現状で、失敗は決して許されない」
「…………」
 俺の時間は、もう終わった……。
 綺麗に晴れ渡った空。
 美波は不思議なほど静かな気持ちで、澄んだ蒼天に見入っていた。


                18


「オーディション、どうだった」
「今回は残念賞、でも、また明日があるから」
 そうか。
 美波は呟き、隣立つ恋人の手を握った。
「星、きれい」
「何も見えねぇよ」
「想像力のない人だなぁ」
 底抜けに明るい愛季の笑顔。美波は、吸い込まれるように微笑した。
「なるほどな、星は想像して見るものか」
「そ、想像すれば、ここだってロマンティックな宮殿に早代わり」
 愛季の部屋。
 ベランダに立つ二人を、月光が照らし出していた。
「涼ちゃんが王子様で、私がシンデレラ……今は」
 呟いた愛季が、そっと寄り添ってくる。
 美波は無言で、その肩を抱いた。
「今は、不可能な夢だけど、かなったらいいな」
「…………」
「いつか、涼ちゃんと同じ舞台に立ちたい……私」
 結局、一言も、自分の身に起きた奇禍を口にしなかった女は、事務所の解雇が撤回されたことや、ビデオの販売が中止になった本当の事情を、想像することさえできないだろう。
 無論、想像させるつもりは毛頭ない。
「お前じゃ、百年待っても追いつけないよ」
「何、それ」
 抗議の拳を、美波は笑顔で遮った。
「俺が年とって、芸能界から用済みになったら」
 それは、そんなに、遠い未来ではない気がする。J&Mにいる限り。
「2人で劇団でも作るか。車に乗って全国を回るんだ、その程度ならお前でもなれる」
「それ、喜んでいいか悪いか」
 言いかけた愛季が、笑顔を消し、戸惑ったように、視線をふせた。
「……微妙、じゃん」
「一緒にいよう」
「…………」
 美波は、うつむく愛季の額に、唇を寄せた。
「年をとっても、何があっても、ずっと一緒にいよう、俺たち」
「…………」
 愛季が何か呟いた気がした。
 その表情を伺い見た美波は、ほんの少し眉を寄せる。
 うつむいたままの女の眼差しが、嬉しいというより、むしろ不安そうに見えたから。
「空には、……見えないけど」
 が、愛季は、ふいに、何かを吹っ切ったような笑顔になった。
「たくさんの小さな星が瞬いていて、その光は、届かないほど儚いものなんだけど」
「うん、」
 美波も、素直な気持ちで暗い夜空を見上げていた。
 俺もきっと、その星のひとつだ。輝きそこねた小さな星の。
「……時々ね、私なんて、この世界に、いてもいなくても、どうでもいい存在なんだって思えることがあってね」
 綺麗な横顔に、青白い月光が映えていた。
「でもね」
「うん」
 美波はただ、愛季の肩を抱き続ける。
「映画でもドラマでも、舞台でもね。現場で……名前も出ない沢山の人たちが、必死になって頑張ってるの見ると、すごく元気になれる気がするの。小さなものでも、力を合わせれば、ひとつの大きな星になる」
「……………」
「信じられない奇跡も、おきそうな気がするの」
「…………」
「涼ちゃんは、奇跡だよ」
 美波の手に、そっと冷えた唇が寄せられた。
―――愛季……
「神様が、たったひとつ、私にくれた宝物……」
















 エピローグ〜2005年2月




                   ※



 軽やかな鈴の音色。
 振り返った九石ケイは、待ち合わせをしていた相手に、片手だけを上げてみせた。
「何の用だ」
「何の用はないじゃない、この私相手に」 
 よほど機嫌が悪いのか、傍らのスツールに座った男は、仏頂面のまま、いつものカクテルを注文している。
 唐沢直人。
 日本を代表する芸能事務所、株式会社J&Mの代表取締役社長。
 深夜十時、今の今まで仕事をしていたのか、男の横顔には、いつになく疲労が滲んでいた。
「お前はいまだに、理解していないかもしれないがな、今やJ&Mといえば、経済界でも大きな位置を占める、」
「ハイハイ、で、あんたはそこの、社長サンなんでしょ、そんなのいちいち説明してもらわなくても、わかってるって」
 カウンターの向かいでは、馴染みのマスターが苦笑している。
 顔を合わせれば口喧嘩、大学時代から続く、奇妙で不思議な腐れ縁。
「見たわよ、柏葉君と片瀬君の記者会見」
 めきっ、と、その刹那、唐沢の手の中のグラスに、ひびが入った気がした。
「二度と、その話を俺の前でするな」
「おお、こわ……」
 ケイは、わざとらしい身震いをしてみせる。
「これでようやく判った、あのバカ女が帰国した本当の意図が、だ」
「しずくさん?」
 おそらくこの業界で。
 唐沢直人という存在を、ここまで苛立たせることが出来るのは、きっとあの人だけだろう。
 J&Mの創業者、真咲真治の遺児にして、筆頭株主、真咲しずく。
 直人は、苛立ったようにグラスを煽った。
「あいつは、うちの事務所を目茶苦茶にしようとしているんだ、俺が、苦労して築きあげた、ブランドも権威も何もかも、台無しにしようとしているんだ」
「面白いと思ったけどな、私」
「勝手に面白がればいい、ただし、柏葉の将来は、これで終わりだ」
「そんなもんでもないと思うけど」
「俺も腹を括った」
 が、直人は、すでにケイの話など、耳に入っていないようだった。
「STORMは、何が何でも解散させる。Jのいい面汚しだ、これ以上恥をさらす前に、解散だ」
「……冷静になりなさいよ」
 ケイは、はぁっとため息をついた。
 クールなようで、実はかなり感情に左右されやすい性格。
 実は、俳優が一番向いていたんじゃないか、と、ケイはひそかに思っている。
 結構間抜けで、根は可愛い男だなんて、おそらく、事務所にいるタレントたちは、想像もできないに違いない。
 それでも、若い頃は違った。
「……直人、変わったね」
「は?」
 まだ激情が収まらないのか、唐沢は苛立った目でケイを見下ろす。
「昔は、タレントや仕事のことで、いちいち熱くなる男じゃなかったのにね。仕事は仕事、タレントは商品、……そんな冷めた目をしてたのに」
「今も同じだ。タレントは大切な商品だ、それ以下でも以上でもない」
「…………」
 それには、ケイはただ、微笑を返した。
「今日さ、」
 そして、静かに本題を切り出した。
「懐かしい写真見ちゃった、シンデレラアドベンチャー、覚えてる?」
 一瞬いぶかしげな目になった唐沢は、すぐにそれを、無関心の殻で覆った気がした。
「………あの頃の直人、事務所で上にいけるか、いけないかの微妙なとこでさ、かなり焦ってたよね、実際」
「忘れたよ」
「美波君は、まだ」
「美波の話なら、俺に聞かないでくれ」
 ケイの言葉を、直人は、そっけなく遮った。
 本心を決して見せない、氷のような冷ややかな目で。
「美波は、俺の大切なパートナーだ」
「……………」
「俺にはそれだけで十分だ」
 いつもそうだ。
 美波の話になると、直人はいつも、不自然なほど自分のガードを固めてしまう。
 不自然なほど、無口になる。
 ケイに判るのは。
 あの美しい獣を懐柔するために、直人が、――何らかの罠を仕組んだのだろう、ということだけだった。
 それが、美波涼二が表舞台から完全に姿を消した、舞台から二年後の悲劇にどう関連しているのかは判らない。
 が、その事件で、変わってしまったのは美波だけではない気がした。唐沢直人が変わり始めたのも、その頃だから。
 もしかして、それがひとつのきっかけだったのではないか――
 ケイは、胸の痛む思い出に、眉をひそめた。
 美波の恋人が、無残なスクープ合戦の餌食の果てに、自ら死を選んだことが。
 
 


                  ※




「憂也」
 ようやく捕まえた悪友は、局の廊下で、呑気にスナック菓子を食べていた。
「お、雅君、おっはー」
「つか、何古いギャグとばしてんだよ、それよか、お前」
「食う?これ、明菓の新製品、まつたけ山。なんか、デザインが微妙なんだよね」
「え、マジ?」
 思わず手を出しかけた雅之は、その手で、思いっきり綺堂憂也の頭をはたいていた。
「てっ、俺、М気はないのに、むしろ逆」
「言ってる場合かよ、昨日、テレビ観ただろ、お前も」
 呑気すぎる友人に、すでに腹を立てる気力もなくなりそうだ。
「んー」
 憂也は気のない相槌を打ち、スナックの箱を傍らに置いた。
 東京ベイスタジオ。
 もうすぐ、STORMBEATのオンエアが始まる。
 基本的に生放送が好きな憂也は、ぎりぎりまでぼけていても、即座にノリのいいテンションを作る。反応が鈍いと酷評される雅之には信じられないテクだが――今の憂也も、夕刻近い時刻だというのに、どこか眠そうな目をしていた。
 雅之は、苛立って、その憂也の隣に腰掛けた。
 何人かのスタッフが、慌しげに2人の前を通り過ぎていく。
「ああいうのってアリなのかよ。現役アイドルの仕事としては相当異例だって、スポーツ新聞なんか、もう、さんざんだったよ」
「アリなんじゃない?東條君のセイバーだってアリだったんだから」
「でも」
 雅之は言葉を途切れさせた。
「………将君なんだぜ」
 あの将君が。
 あの――存在自体が最先端の流行的な、かっこいい将君が。
「東條君がよくて、将君がダメってのもないだろ」
 が、憂也の声は、さばさばしていた。
「実際、俺、楽しみだよ、将君の青年将校姿」
「………将君から、連絡は」
「ないけどさ」
 首の後ろで腕を組み、憂也はそのまま天井を見上げた。
「多分、将君なら大丈夫だよ。つか、俺ら、人のこと心配してる場合じゃないんじゃない」
「……え?」
 雅之は戸惑って、そのまま目下の憂也を見下ろす。
 そして、わずかに息を引いていた。
 上目遣いに見あげてくるその目は、笑っている。が、明らかに、冷えた怒りをたたえていた。
 こ、こえっ……
 なまじ笑っているだけに、底冷えするほど恐ろしい眼差し。
「将君がああきて、で、りょうは、小劇団の客演でしょ」
 片瀬りょう。
 ストーム一の色男に入った新しい仕事は、地方を中心に公演している、小劇団の客演だった。
 当たり前だが、実質、主役。
 が、芸能記者が首をひねるほどマイナーな小劇団。共に舞台に立つのは、サラリーマンをしながら兼業で舞台に立つような、そんな連中ばかりだった。
「今、東條君が、真咲サンに呼ばれてるらしいけど、今度は何を言われることやら」
「…………」
「あの人、マジで、ストーム潰す気かもね」
 憂也はそれだけ言って、口をつぐむ。
 ストームを、潰す。
 雅之も、さすがに黙り込んでいた。
 それは、考えもみなかった。
 将君ときて、りょうときて、東條君、その次は、俺……?
「あーあ、俺、ストームやめちまおうかな、このままじゃ、とんでもない恥かかされそうな気がしてきたよ」
 やけくそめいた声で言い、ようやく憂也が立ち上がった時だった。
「あ、」
 その目が、一点で留まっている。
 黒皮のジャンバーにジーンズ、片手にヘルメットを抱えた人が、廊下の向こうから、ゆっくりこちらに向かって歩いてくる。
 柔らかな髪型に、優しい印象を刻んだ眼差し。
 今は、テレビドラマの常連俳優になった、キャノンボーイズの、植村尚樹。
「うわっ、すげ、マジ?」
「会っちゃったもんは、しょうがないだろ」
 と、ささやきあいながら、雅之と憂也は、ばっと、同時に頭を下げた。
 ここまでの大御所は、すでに事務所に顔など出さない。もしかして、植村は、ストーム(それくらいは知っているだろうが)のメンバーを認識していないかもしれない。それでも事務所の大先輩である。
「ああ、君ら」
 が、不思議そうに足を止めた植村は、すぐに柔和な笑みを浮かべた。笑うと、目じりにいくつかの皺がよる。
―――こ、これが、まっとうな年のとり方だよなー、
 と、雅之は内心思っていた。
 美波さんは、とすればあの人は化け物だ。つか妖怪。ここに立つ植村さんより、二つくらい年上なのに、信じられないほど綺麗な若さを保っている。
「君ら、けっこう面白いよね」
 植村は、にこにこと笑いながらそう続けた。
「し、知ってんすか、俺らのこと」
「当たり前じゃない、同じ事務所の仲間なのに」
 優しい物言いに、緊張していた雅之の表情もほぐれていた。
「君らのデビュー前の、MARIAの北海道公演、あれ、僕も観てたからね」
 えっ。
 ま、まさかと思うが、あの――バカをやったキッズ時代のバックステージ。
「たまたま社長の付き添いでね。面白かったなぁ、社長は激怒してたけど、……り、」
 そこで植村は、少し不自然に言葉を濁した。
「美波のね、あんな楽しそうな顔を見たのは、本当に久し振りだったから」
 美波。
 美波さんが。
 雅之と憂也は、互いの顔を見合わせていた。
「……あ、あの後俺ら、美波さんに、目茶苦茶怒られたんすけど」
 それはもう、ぐうの音も出ないほど。
「かもね、あいつは、後輩に緩い顔を見せない男だから」
 植村は、かすかに苦笑して、腕時計をちらり、と見た。
「昔の俺らを見てる気がしたよ、結構無茶やったんだ、三人ともどっかで、アイドルなんてやってられっか、みたいな反抗心持ってたからね」
 若い頃の話だけどね。
 植村はそう呟き、仕事の時間があるのか、「じゃあ、」とでも言うように片手をあげた。
 あの――美波さんが。
 雅之は呆然としていた、多分、憂也も。
―――アイドルはホストと同じだ。
―――笑って踊れて、サービスできてナンボの仕事だ。それができないなら、やめちまえ。
 キッズに入って、何度そのセリフを聞かされたことだろう。
 背後から、慌しい足音が聞こえたのはその時だった。
「植村さん、来られてたんですか」
「あっちで、矢吹さんが待たれてますよ」
 局のスタッフ。これから打ち合わせでもあるのだろうか。この局で、キャノンボーイズが番組を持っているという話は聞いていないが――。
 静かな足音がそれに被さる。
 振り返った植村の表情から、柔和なものがふいに消えた。
 すらりとした痩身、身体にフィットした黒のシャツにパンツ。
 遠目でも、その、玲瓏とした美貌からは、目に見えないオーラがにじみ出ているような気がした。
 美波涼二。
 J&Mの所属タレントにして、取締役。現在、一番トップに近い場所に立っている男。
 互いの立場が、今は天と地ほども離れてしまったせいだろうか。
 美波と植村。
 今でも同じユニットに所属しているはずの彼らは、言葉さえ交わさなかった。視線さえ交えなかった。
 薄寒いような空気の中、去っていく美波の背中だけが、遠ざかる。
「じゃ、僕も行くから」
 植村は、呆けている雅之と憂也に、気を使うように片手をあげた。
「あ、え、はい」
「どーも……」
 雅之も憂也も、上手く言葉が出てこなかった。
 去っていく植村の背中が、気の毒なほど寂しげに見えたからかもしれない――。




                    ※



「何やってんだよ」
 背後から声をかけると、ソファに座っていた女は、少し意外そうに視線を上げた。
「なにそれ」
 扉を閉めた柏葉将は、女が観ているものに気づき、眉をひそめた。
 六本木、J&M事務所。
 六階にある打ち合わせルームは、一定の立場の人間なら、自由に使用することができる。
 ホームシアターや、ドリンクバーなども備え付けで、なかなか居心地のいい空間なのである。
「昔のブイ」
 皮張りのソファに腰掛けている女は、そう言って、綺麗な長い足を組みなおした。
「パパの遺品整理してたら、出てきたの。うちのマンション、ビデオデッキなんてないから」
 横顔に、映像の光が映えている。
 へぇ、と、気のない返事をしつつ、将は、女の傍に歩み寄った。
 真咲しずく。
 将が所属するJ&Mの副社長にして、筆頭株主。なのに、何故かSTORMのマネージャー。死んだ父親譲りの、凄みを帯びた美貌の持ち主である。
 実際、ここまで完璧な造詣を持つ女は、芸能界でもそうそうお目にかかれはしない。
 その美貌を、全く有効に使おうとしていないのが、ある意味すごい気もするのだが。
「怒ってないの?」
 隣に腰を下ろした将を、真咲しずくは不思議そうな目で見あげてそう言った。
「別に」
 将は素っ気無く答えて脚を組む。
「へぇ、てっきり、殺しにでもきたのかと思っちゃった」
「つか、腹も立たない、バカらしすぎて」
「バカにするのもいいけど、舐めてかかったら痛い目にあうわよ」
 一転して、冷ややかな声。
「…………」
 ここで、キレたら俺の負けだ。
 将は、ぐっと自分を抑えた。
 むかつくけど、この女にだけは負けたくない。今までが負けっぱなしだから、これからはわずかだって、弱いところを見せたくない。
 大画面で繰り広げられる映像は、舞台をただ、流し撮りしただけのものだった。全くの無編集、音もひどく、声もところどころ聞き取れない。
 しばらく無言でそれを観ていた将は、やがて耐えかねて隣を振り返った。
「こんなもんが、親父さんの遺品?」
「これ一本だけね。不思議よね、記録モノには、ほとんど関心のない人だったのに」
「ふぅん」
 所在無く画面を観ている内に、将はようやく、気がついた。
「……美波さん」
 中世の衣装を身にまとい、ステージの中央、ソロ歌を披露しているのは、まだ若いがまぎれもない、キャノンボーイズの美波涼二である。
 よくよく見れば、同じユニットの植村さんもいる。それから、緋川さんも、天野さんも。
 超レアもの。
 雅之だったら、多分涙を流して飛びつくだろう。
「これ、売ったら高値がつきそうだけど」
「かもね」
 しばらく観ていると、舞台は、ほとんど後半だったのか、いきなりカーテンコールが始まった。
「………………」
 え?
 演出か、ハプニングか?
 奇妙なエンディングに、将はさすがに首をかしげる。
 つか、意味わかんねーし。
 なんだろう。この理解できない終わり方は。
「これ……目茶苦茶じゃねー?」
「…………」
 それでも、観客に向かって手をあげるスターを見て、将は素直に思っていた。
 美波さん、かっこいい。
 年は、今の自分たちと同じくらいだろう、多分。
 野性味を帯びた美貌が、有無を言わさない迫力が、画質の粗い映像からも伝わってくる。
「涼ちゃんは、この頃が最高だったわ」
 前を見たまま、しずくが低く呟いた。
「この目、このオーラ、この存在感、この時がピークで、以降、彼にもう輝きはない」
「………………」
 厳しいんだな。
 そう言いかけて、将は、その言葉を飲み込んだ。
 涼ちゃん?
―――涼ちゃんって、なんだよ、それ。
「なに、怖い目して」
「………別に、」
 子供じみた感情に腹が立つ。が、そんなささいなことに、むっとしている自分がいた。
 将は苛立ちを感じつつ、親指を口元に当てた。
 別に――年末に、ちょっと、あれされたからって、変な勘違いしてるわけでもないんだけど。
「私が消えても探してくれる?」
 VTRの巻き戻しがはじまると、女はふいに、からかうような口調で言った。
「は?」
「王子様みたいに、地の果てまで追いかけてきてよ」
「はぁ?」
 探すも何も。
「つか、あんた、いつも、俺置いて勝手にどっか消えてっじゃん」
「ガラスの靴は置いていくから」
「だから、探さねーっつってんだろ!」
―――別に、こいつのこと、許したわけでも認めたわけでもないんだけど……。






                     ※






 愛季
 俺にとっての光は、お前なんだ。
 
 もう一度笑ってくれ。
 俺の名前を呼んでくれ。
 
 何もいらない。
 俺にはもう、それたけでいい。
 他には何も、いらないんだ、愛季―――。













       
                              君は僕、光(終)
                    



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