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「こんにちわー」
 明るい声がした。
 ミカリは、振り返って微笑する。
「いらっしゃい」
 午後の日差しが、カーテンを開いた窓から差し込んでいる。
「おじゃましまーす」
「わぁ、素敵な部屋」
 その日差しよりも眩しく見える、2人の綺麗な少女は、そう言いながら、ミカリの勧めるスリッパに履き替えた。
「いいなぁ、私もこんな部屋に住みたいな」
 末永真白。
 少し短くなった髪のせいか、いっそう明るく、華やいで見える。
 細面のうりざね顔。美人だが寂しげな印象が強かった少女が、今日は別人のように明るい表情を見せていた。
―――きれいになったな、真白ちゃん。
 ミカリは暖かな気持ちのまま、来客に出すためのコーヒーを用意しはじめた。
「真白ちゃん、ピアス開けたんだ」
「あ、はい、まだファーストピアスなんですけど」
 少し恥らったように耳に手をあてる仕草にさえ、匂い立つような美しさがあった。
「運勢変わるわよ」
「ほんとですか、怖いなぁ」
「え、てか、穴から白い糸が出てきて、それひっぱると失明するってマジですか」
「……………凪ちゃん、それ、何年前の噂?」
 コーヒーと凪が買ってきたケーキを並べ、三人はテーブルにつく。
 ミカリのマンション。
 ミカリさんにお礼が言いたくて、――
 つい先日、大阪の真白からそんな電話があったから、真白が上京したついでに、会う約束をした。
 今日の場に流川凪を誘ったのはミカリだったが、凪と真白は、すでに意気投合しているらしく、2人で並んでいると、まるで姉妹のようにも見える。
「どう、最近、片瀬君と」
「あ、ええ」
 さっそく切り出したのはミカリだったが、真白は、こともなげに頷いた。
「いい感じです」
「いい感じってどんな感じなんですか」
 凪が、興味津々、といった感じで突っ込む。
 そして、そんな質問をした自分に戸惑うように、指先を唇に当てた。
「あ、すいません、どうも私、普通の恋人同士って感覚がわかんないみたいで」
「普通は普通よねぇ」
「そうですね」
 ミカリと真白が、おかしそうに顔を見合わせた。


                  ※


―――普通は普通って、わかんないから聞いてんじゃん。
 凪は、微妙にむっとしつつ、年上の女2人を交互に見た。
 なーんかこう、軽いコンプレックスを感じてしまいそうになる。2人とも綺麗で大人で、落ち着いてて、というより「愛されてる」オーラをびしびし発散してる気がする。
「キスとか、してます?」
 凪にしては、軽い勇気を振り絞って言った言葉だったが、「え?」と、大人2人は再び顔を見合わせた。
「どこに?」
「…………………………」
 無表情でコーヒーを飲んだ凪は、激しい動揺を誤魔化しつつ、目を泳がせた。
―――どこにって、口以外でするとこあんの???
「普通のキスじゃないって意味かしら?」
「え、そ、そうなんでしょうか、やっぱり」
「……強要されてる、とか」
「えーっ、成瀬君が?」
 と、ミカリと真白は、二人だけで納得しあっている。
「そうなの?凪ちゃん」
 真白が、むしろ心配そうに聞いてくるので、
「……………決まってるじゃないですか」
 とりあえず言ってみた。
 普通じゃないキス?
 強要される?
 一体、何を想定した話なんだろうか。
 大人2人は顔を見合わせ、同じような微妙な笑みを浮かべた。
「うちは、たまに」
「なんか、嬉しいみたいですね」
「ちょっと恥ずかしいけどね」
――――どこ???
「凪ちゃんとこは?」
「あ、かなり嬉しいみたいで」
 だからどこ????
「正直、少し苦しいんですけど、慣れなくて」
「あはは、真白ちゃん、そこまではっきり言わなくても、想像して恥ずかしくなっちゃうわ」
―――く、苦しい?
 確かに息はしづらいような気もしたけど。
 いや、これ以上の追求はやめとこう、あまり踏み込んではいけない世界だ、多分。
「ほんっと、苦しいですよねー」
 凪は適当に相槌を打ち、ごほん、と軽く咳払いをした。


                   ※


「でも、本当に上手くいってるのね」
 ミカリは、安堵して、真白のカップにコーヒーのおかわりを注いでやった。
 憂いなど感じさせない表情が、何より雄弁に、今の2人の近況を物語っている。
「片瀬さんって、なんかこう、……優しいけど気難しいイメージがあって、ぶっちゃけ少し怖いじゃないですか」
 口を挟んだのは、さきほどから妙に顔色を変えまくっている凪だった。
「真白さんと2人の時ってどうなんですか」
「うーん……基本、あんま、変わんないけど」
 真白は少し思案するように、耳元に手を当てた。
「最近、ちょっと性格みたいなものが変わったような気がするんですよね、なんていうか、こう……妙にスキンシップを求めてくるというか」
「スキンシップ?」
「ちょっとしたことでも、すぐ触ってくるし、やたら甘えてくるっていうか」
「はぁ………」
 と、凪は、想像できないのか、いぶかしげな目になっている。
「キスもしつこくて……あ、しつこいって言い方もへんですけど」
 へぇ……、
 と、内心意外なのは、何食わぬ顔で聞いているミカリも同じだった。
 あのクールビューティーな片瀬君が、ちょっと想像できないけどな。
「し、しつこいって、具体的にどんな感じなんですか」
 凪は、さきほどから、よほどキスの話に興味があるのか、ずっと身を乗り出している。
「うーん、……こないだもですね、2人でDVD借りて、映画観てたんですけど」
 真白は、唇に指をあてつつ、視線を上の方に向けた。
「その間ずっと……でしたね、首とかほっぺとか色んなとこ、もう、しつっこいって、怒ってもやめてくれなくて」
「………………」
「………………」
 ミカリは、凪と同時に目を見合わせていた。
「………それ、なんの映画だったんですか」
「…………えーと……」
 と、眉を寄せる真白。
「で、その後どうなったの」
「…………次の日、学校は休んじゃったかな」
 照れたように笑う真白。
 ミカリは、凪と再び顔を見合わせていた。


                ※


 つか、思いっきりドのろけじゃん、それ。
 凪は、再び動揺を抑えてコーヒーを飲み干した。
 い、いいけどさ。
 私は絶対、そんな――例え、今は想像できないけど、あのバカとそんな関係になったとしても、こんなのろけ話は絶対にしないぞ。恥ずかしい。
「東條君ってどうなんですか」
 ミカリにそう聞いたのは、今度は真白だった。
「彼って、すごく優しいイメージしかなくて……こう、ちょっと想像できないんですよね、男の部分みたいなものが」
 男の部分??
 凪は咳き込みそうになっていたが、それも無表情でやりすごした。
「そうねぇ………」
 思案顔で、ミカリが頬に手を当てる。
「けっこうガツガツしてるわよ」
 ガツガツ???
 凪はケーキに刺したフォークをそのまま皿にぶつけていた。
「どこでもって言ったらへんだけど、食事中とかね、仕事してる時でも、こう、すぐ来ちゃうというか」
「は、……はぁ」
 どこに?
 とは、さすがの凪も聞けないし想像がついた。
「そういうとこ、実は優しくないのかな、って思う時もあるのよね。こっちが寝不足で辛い時とかあるじゃない?」
「はぁ」
 と、真白も、今は微妙な表情で頷いている。
「先に寝ててもおかまいなし、みたいなね。気がついたらそんな感じになってて、で、こっちの目が覚めちゃった頃には、逆に熟睡?みたいな」
「…………そ、そうなんですか」
「年の違いも、少しだけ感じちゃうのよね、私はもうダメ、一晩だと二回が限界かな」
「…………………」
「…………………」
 今度は真白と凪が、強張った顔を見合わせていた。


               ※


 つか、それ、思いっきりドのろけじゃん。
 真白は、東條聡の――穏やかで、まるでペットのポチ、みたいな可愛らしいイメージが、がらがらと崩れていくのを感じつつ、そう思っていた。
 一晩で二回が限界??
 ってことは、ポチの要求はそれ以上???
 いけない、いけない。
 動揺を抑えつつ、「わぁ、美味しい、このケーキ」と言ってみる。
 のろけるなんて、ちょっと恥ずかしい。私は、そんな風にならないように気をつけないと。
「で、凪ちゃんはどうなの、雅之君と」
 と、今度はミカリが凪に話を振る。
「いやぁ、……うちのは、その」
 凪は、眉をあげたり下げたり、返答に窮しているようだった。
「ま、可愛いです、ぶっちゃけ」
 その可愛らしい応えに、真白も思わず微笑していた。
「犬飼ってたら、あんな感じかなって」
「あら、微妙な例えね」
 と、同じく微笑みつつミカリ。
 そのミカリの彼を犬に例えていた真白は、思わずごほごほと咳き込んでいる。
「どこにでもついてくるし、お座りって言ったら、死ぬまで座ってそうだし」
 凪は髪に手を当てつつ、少し思案気な顔になった。
「こないだ、2人で映画観にいく約束してたんですけど、私、急にバイトはいって行けなくなっちゃったんです」
 それはまた大胆な。
 と、真白は思ったが、それは口には出さなかった。
 なにしろ、今、成瀬雅之は、ストームで一番、顔が売れていると言っても過言でない存在なのだ。
「一応メールしたんですけど、あのバカ、充電切らしてたみたいなんですよね。で、私も私で携帯忘れて飛び出しちゃって、でも、こっちは連絡ついてると思って安心してるじゃないですか」
 凪はずいっと身を乗り出してきた。
「約束6時だったんですけど、9時にバイト終わって、家に帰ってびっくりですよ。携帯に公衆電話から、留守電が20件」
「怒ってたの?」
「泣いてました」
「……………」
「……………」
 真白は、ミカリと顔を見合わせていた。
「慌ててバイクで―−、あ、ローンでこないだ買ったんですけど、迎えに行きましたよ。そしたら、待ち合わせの場所で、縮こまって待ってんです。もうそれが可愛くて可愛くて」
「…………へ、へー」
「思わず、おでこにちゅってしちゃいました」


                  ※


 てゆうか、それ、思いっきりドのろけよね。
 ミカリは、コーヒーカップをキッチンに下げつつ、楽しげに話している少女2人を振り返った。
 まぁ、いいんだけど、二人ともひとまず幸せってことで。
 ま、私は2人と違っていい大人だし。
 そういうのろけ話は、しないようにしないとね。















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