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「TAミュージックアワード?」
唐沢直人は顔をあげた。
六本木。
J&M事務所本社。
来月から立替工事に入るため、事務所の主要部分以外は、現在殆ど閉鎖されている。
唐沢のオフィスをはじめとする執務スペースは、同じく六本木にある巨大ビルに移転する予定になっていた。
新ビル完成まで約半年の仮住まいだが、下見に行った地上十七階から見下ろすオフィス街は壮観だった。
うちも、ここまで来た。
そして、まだまだ伸びていく。
日本の次は世界だ、緋川のハリウッド進出を手がかりに、貴沢、綺堂、コマはいくらでも揃っている。近々に控えた貴沢のデビュー、夏には関西所属なにわJAMのデビュー、秋には、もうひとつ、首都圏で人気のあがりはじめた赤城、木梨、錦居らを新ユニットとしてデビューさせる。
そして――年末には、至上初となる、紅白の裏にぶつけての、東京ドームを借り切ってのJ&M総出演によるカウントダウンコンサート。
最高の年だ。
その前にひとつ、片付けておきたい荷物はあるにしろ。
「東邦プロとアーベックスのコラボイベントで、毎年、東京ドームで行なわれるライブ形式のショーのことですが」
「そんなことは、説明されなくても知っている」
藤堂戒の説明を、唐沢は煩げに遮った。
東邦プロダクションとアーベックス、J&Mをのぞけば、日本音楽界のトップを併走している二大企業のコラボレーション企画である。
三年前から続いているその巨大イベントは、すでに日本音楽業界においては、レコ大、紅白につぐ一大イベントだ。
二大企業がメインだが、参加するアーティストは所属を問わず、様々な事務所から召集される。今の日本で、最も旬で、最も新しい音楽を生み出す者たち――
選ばれる者は、いわゆる本格シンガー、ロックミュージシャンなど、海外からスターが参加することもある、無論、間違ってもJ&Mのアイドルが、そこに顔を出すことなどない。
「何かの聞き間違いじゃないだろうな、そこに、ギャラクシーを出してくれだと?」
唐沢は念を押した。
「ええ、特別ゲストとして」
言葉を繋いだのは、ソファに座ったままの美波涼二だった。
美波、藤堂、そして唐沢。
その他の名ばかりの役員には悪いが、最近の事務所の主要な意思決定は、殆どこの三人で済ませている。
「…………危険だな」
しばらく考えた後、唐沢は眉をひそめた。
業務提携しているアーベックスはともかく、東邦プロか。
社長こそ代替わりしたとはいえ、実質、あの企業は、社長職を退いた現会長の支配下にある。
真田孔明。
唐沢にしてみれば、例え死んでも忘れらない男。
「お言葉ですが、今回に関して言えば、断るには惜しいと思います」
唐沢が黙っていると、美波が静かにそう言って立ち上がった。
廊下の外からは、すでに荷物を搬出している業者の足音が響いている。
「今回のイベントは、東邦はむしろゲスト扱い、アーベックスの仕切りだと聞いています。しかも、業界中の注目を集めているアーティストが、スペシャルゲストとして初参加を決めている」
「…………RENか」
ジャガーズのREN。
この春、電撃的に東邦プロへの移籍を決めた、幻のJラップアーティスト。
何年も前から若者層を中心にじわじわと人気を高め、昨年急激にブレイクしたグルーブ、ジャガーズ。出す曲は全てミリオン、イベントは常に即売という加熱ぶりだ。
決してマスコミの取材に応じないことから、幻のアーティストと呼ばれている謎の人物――それがボーカル、作詞作曲の全てをこなすRENという男である。
「企画側に他意はないんだな」
唐沢は念を押した。
そして、口にした後で、こうも懐疑的な自分に失笑する。
―――おそれることはない、東邦との因縁は、全て切ったはずだ。
昨年、過去の遺産は全て清算した。
東邦から累積赤字が経常されている会社を買い上げ、―――それは、大きな損失ではあったが、それをもって、かつての「約束」は終結したのだ。
借りた金の何倍もの借りを返した。釣りがきて、それで芸能事務所がひとつできるほどの。
しかも、今の芸能界で、すでにふたつの事務所の立場は対等ではない、それ以上だと唐沢は自負している。
事務所の建替え、赤字企業の買収、緋川のハリウッド進出にさきがけた新会社の設立――確かに、前期の経営は赤字ぎりぎりだが、後半で確実に挽回できるはずだった。
「アーベックスの荻野取締役は、近年のギャラクシーの活躍、特にスケールの大ヒットは、アイドルソングの常識を打ち破る快挙だと」
「……ふん」
音楽業界の革命児、荻野灰二。
元テレビマン。そこでも有名なヒットメーカーだった男は、小さなレコード会社にすきなかったアーベックスを、わずか数年で業界トップに押し上げた。
唐沢も何度か会ったが、男の人物と眼力の鋭さは認めている。
「それがオファーの理由で、僕にしても、ギャラクシーの出演は、彼らのためにベターだと考えます」
「……………」
「その件では、もうひとつ、提示された条件があります」
説明を継いだのは藤堂だった。
「こちらの方が、むしろ重要だといえるでしょう。ギャラクシーの番組に、RENをゲストとして出演させたいと」
「なに?」
それには、唐沢は立ち上がっていた。
「春の特番“愛ラブギャラクシー“のスペシャル番組です。その生放送に、イベントのPRも兼ねて、RENを出演させたいと」
「確かだな、それは」
「REN本人に、うちの広報が確認をとっています」
「受けろ」
唐沢は即座に言った。
というより、どうしてそれを先に言わない。
実質テレビ初出演になるREN、それがどれだけの視聴率が見込めるか、想像するだけで鳥肌が立つ。
「それから、唐沢監査役のことですが」
退室間際、美波が気づいたように足を止めてそう言った。
「辞任するというんだろう、かまわん」
唐沢監査役。
唐沢直人の父、省吾のことである。
かつて事務所の創業メンバーの一人で、実質最後の生残り。が、すでに所内で、居場所も発言権もない存在。
「辞めたいというなら、勝手にすればいい。後任人事はお前に任せる」
唐沢は冷ややかな感情で、自らの父を切り捨てた。
何かにつけて、業務拡大に懸念を表し、所内の士気を乱し続けてきた父。
―――負け犬根性のしみついた人間は、今の事務所に必要ない。
うちの年だ。
藤堂と美波が退室した後、唐沢は燃える思いを抑えつつ、かつて――モノクロのスチール写真が飾ってあった壁を見上げた。
ずっと倉庫にしまってあるそれは、今回の建替えを機に始末するつもりだった。あの、重苦しいだけの五つの椅子と共に。
過去の遺物は必要ない。モノクロの時代はもう終わった。
これからは――俺の時代だ。
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