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「うーっす」
「お、将君来たんだ」
 ソファに座っていた雅之は、顔をあげ、少し不機嫌な顔をした友人を迎える。
 ショルダーバックを片手に入ってきた柏葉将は、のっけから切れのない顔をしていた。
「わりぃな、愛の巣に邪魔してよ」
「あ、俺、3Pもいけるクチ」
 余計なことを言う憂也の頭をとりあえず叩き、雅之は立ち上がった。
「なんか飲む?」
「いんねー、メシ食ったばっかだし」
 将は重いため息を吐きつつ、雅之と憂也の対面に腰を下ろした。
 そしてまた、さらに重いため息を吐く。
―――将君、なんか、あったかな。
 雅之はそう思いつつ、憂也に視線を向けてみるが、
「わっかんねぇなぁ、放射線量を測定する時に使われる単位?ペシビル、ぺシベル……んー?あわねーじゃん」
 憂也は、最近はまっているナンクロ雑誌の懸賞クイズに夢中のようだった。
―――ま、どうせ、聞いても答えてくんねーだろうし。
 雅之は座りなおしながら、頭の後ろに手を当てた。
 ツアーも終り、漠然と暇になった今日この頃。
 雅之の崖っぷちサッカー部もめでたく解散し、最終回の撮りも無事終わった。スタジオ撮りが何回分か残ってはいるものの、過酷な現場撮影はもう二度とない。
 将の昼ドラは今月いっぱいで最終回だ。もう殆ど収録も終わっているはずで、多分、今仕事といえば、雅之と同じでラジオと雑誌のグラビアくらいだろう。
 ただ、ここ最近の将の憂鬱は、多分、仕事以外のことに起因している。
「ほっとけばいいって、将君、基本は自己完結型だから」
 憂也もそう言っているし、まぁ――実際、聞いても何もできないだろうし、雅之も、聡も、それで暗黙の無視を決め込んでいる状態だった。
 りょうだけは格別だから、何か聞いてはいるだろうが、りょうもりょうで、結構頑ななところがあって、あまり余計なことを話したがらないし――。
「りょうは?」
「今夜は真白さん来てんだ、こねぇよ」
「そ、そっか」
 ぶっきらぼうな将の言い方に、雅之は微妙にびびっている。まさか、それが、憂鬱の原因じゃねぇよな、まさかと思うけど。
「にしても、ラブラブすぎんね、あの2人」
 ナンクロに夢中になっていた憂也が、そう言って頭を掻いた。
「将君、放射線量の測定単位なんだけど」
「カウント」
「あ、サンキュ」
 嬉しげに鉛筆で書き込んだ憂也は、雑誌に視線を落としたままで続けた。
「りょう、ほとんど日置かずにあっち行ってんだろ」
「まぁな」
「ちょっとは気をつけた方がいいって、言ってやった方がいいんじゃねぇ?」
「……つか、今は何言っても無駄だよ」
 将は、疲れたようにソファに背を預けた。
「真白さんが止めたって無駄なものを、俺が言ったら、即爆発だよ。しょうがねぇ、いずれ落ち着くのを待つしかないだろ」
「………………」
 憂也はそれには何も言わず、かすかに眉を寄せて、鉛筆を唇に当てた。
「………将君、BSEの正式名称なんだけど」
「牛海綿状脳症」
「あっ、わかったー、カモノハシだよ、雅!」
 と、一人で歓声をあげる憂也。
 いや――超不機嫌な将君に、そんなくだらない話題を振る憂也も憂也だし、応える将君も将君なんだけど。
 正直言えば、この憂也と将の関係だけは、雅之にもよく判らない。
 ものすごく意気投合しているかと思えば、突然ブリザードが舞い上がる時もある。
 一度怒り出すと、どちらも絶対に引かない性格だけに、正直言えば恐ろしい。
 ただ――二人は、ライブツアーの楽曲も共同でアレンジしていたし、今でも時々、浅葱悠介を交えた三人で、曲作りなんかもしてるみたいだから、底では互いを認め合っているんだろう。多分。
 だって、雅之が知る限り、憂也が他人と協力して――何かをするなんて、まず有り得ないような気がするからだ。
「りょうのことは、ま、ほっとくしかねぇよ」
 頬杖をついた将が、どこか物憂げに呟いた。
「コンピューターが一秒間に何回の不動小数点演算をできるかどうかという処理速度を表す単位……って、普通わかるかよ、こんなの!」
 雅之は、がくっと肩を落とす。
―――ゆ、憂也……。
 頼むから聞けよ!人の話!
 が、将はやはり物憂げに前を向いたまま、
「フロップス」
 いや……答えが即出てくるところはすげぇんだけど。
 それっきり、なんとはなしに途絶えた会話。
 まぁ、りょうは仕方ないよな。
 とは、雅之も思っていた。
 普段から情緒不安定気味なりょうを、今、支えているのが末永さんだ。
 そりゃ、俺たちはアイドルで、ゴシップは厳禁だけど、それ以前に一人の男だし人間だ。
 誰かの腕にすがらないと、やってられない時期だってある。
 特にりょうは、今まで散々――といったら悪いけど、表に出ないところで、女性関係で問題を起こしている。多分、そういったことと縁が切れない性格なのだ。
 少し前に出た舞台女優とのゴシップにしても、事務所からして諦めて黙認していた節があるし、そういうキャラとして公認されつつあるのかもしれない。
 まぁ、アイドルとしては、喜ばしい公認ではないけれど。
「そろそろ、はじまるんじゃねぇ?」
 将が顔をあげてそう言ったので、雅之も、あ、と思って身体を起こした。
 そうだ、今夜はアイラブギャラクシーの春の特別番組。二時間の生放送だ。
「………マジで、RENが出るのかな」
「すげぇよな、やっぱ、ギャラクシーは別格ってことか」
 雅之も、興奮気味に呟いていた。
 ジャガーズとギャラクシー。
 こう言ってはなんだが、まず有り得ないコラボレーション。
 アイドルとは対極の位置にある本格アーティスト、現在の日本歌謡界で、その総本山にいるのが、ジャガーズといってもいい。そして、アイドルの総本山にいるのがギャラクシーだ。
 しかもRENは、デビュー以来頑なにテレビ出演を拒んでいた超本格派である。
 テレビでは生の魂を届けられない。
 そんなコメントを、雅之も、何かの雑誌で読んだことがある。
 テレビをメイン媒体にしているアイドルにしてみれば、けんか売ってんのか、みたいなコメントではあるが……。
 なんにしても、ギャラクシーもジャガーズも、雅之にとってはデビュー前から憧れまくっていた存在だった。
 その二組のユニットが、「TAミュージックアワード」という大きな祭りで相対する。そして、RENが、イベントに先駆けてギャラクシーがメイン司会をつとめるバラエティ番組に出演する。
 雅之にしてみれば、これで、わくわくしないはずはない。
「ぶっちゃけ、かなり嬉しいよな、実際」
 雅之は、弾んだ気分のまま、まだクロスワードに熱中している憂也に声をかけた。
「あのRENさんがさー、なんか、こう、俺らのいるとこまで降りてきたっつーか、認めてくれたっつーか」
「そういう言い方は好きじゃねぇな」
 と、将。
「別に、俺らがやってることが下ってわけじゃねぇんだ」
 その将にしても、誰よりもジャガーズに、そしてRENに心酔しているはずだった。そもそも将がラップにはまったのも、RENの影響なのだろうし。
 テレビはちょうど、収録済みのコントコーナーが終わった所だった。ここからゲストを交えてのトークコーナーがはじまる。
 さすがの憂也も、今は顔を上げ、テレビに見入っているようだった。
 画面が切り替わり、横並びのソファに、おなじみのギャラクシーが勢ぞろいで座っている場面が映し出される。右斜め上にLiveの文字。
 文字がなくとも、雰囲気で判る。掛け値なしの生放送だ。
 真ん中の席だけが空いていて、それを囲むように天野雅弘、賀沢東吾、その脇を草原篤志、上瀬士郎が固めていた。
 緋川拓海は、一番右端に、いつものように、不機嫌なのか機嫌がいいのか、わかりづらい表情で座っている。
 特番のためか、全員が黒のタキシード。
 この後、ゲストのRENをまじえ、生でスケールのコラボ版を歌う予定になっている。
「じゃ、みなさんもお待ちかねの、ちょっと素になって話してみましたコーナー、今日のゲストはすごいです」
 司会の天野雅弘が、生放送のせいか、ゲストのせいか、少し緊張気味の声でそう言った。
 というより、ギャラクシー全員が、妙に強張った笑みを浮かべているような気がする。
―――あれ、
 最初から緋川拓海しか見ていなかった雅之は、けげんに思って眉を寄せた。
 緋川は横を向いたまま、親指を軽く唇に当てている。
 それは――彼が、本気で苛立っている時によく見せる癖だった。



                 3


(生放送だぜ、拓海)
 直前で天野に釘を刺されなければ、拓海は椅子を蹴って立ち上がる所だった。
(今日のオンエア、どんだけたくさんの人が見てると思ってんだ、俺らのファンだけじゃない、アイドルなんて頭っからバカにしてる連中だって見てんだぞ)
 いつにない怖い声は、長年の親友ならではの直感で、切れかかっている拓海の苛立ちを察してくれたからだろう。
 つか、ふざけんな。
「スペシャルゲストです、ジャガーズのRENさん!」
 その天野の声で、スタジオに音楽が流れる。スタッフの拍手、当然ギャラクシー全員が立ち上がり、盛大な拍手で出迎える。
 拓海は一番最後に立ち上がり、形だけ何度か適当に手を叩いた。
 のっそりと現れたのは、身長が軽く百八十を超える長身の男。
 黒人の血が何割かまじっているという男は、日本人にしては褐色すぎ、黒人というにはあっさりした肌色を持っていた。
 サングラスは、スタジオに来て以来、一度も外されてはいない。
 分厚い唇の端にはピアス。
「じゃ、RENさん、お座りください」
 天野の声。
 RENは、ものも言わず、用意された席に陣取り、肘をついて顎のあたりに手を当てた。
 拓海は、自分も座りながら、目の前のモニターに視線を向ける。
 オンエア画面は、丁度RENのアップを捉えていた。
 素顔は確認しようがないが、鼻筋は整って、一見して端整な顔だち。
 短く刈られた髪は、やはり――日本人にしては、黒すぎた。夜の闇のような黒色だ。
 黒皮のつなぎにミリタリーブーツ姿で現れた男は、実際、夜の世界からにじみ出たような陰鬱な表情をしている。
―――つか、何をどう話せってんだよ。
 拓海は横を向きつつそう思ったし、実際今、メイン司会の天野が一番緊張しているはずだった。
 RENは、約束されたリハーサルを無断で欠席した。それどころか、今日も、本番ぎりぎりまでスタジオ入りしなかった。
 事前の打ち合わせのための資料提供にも一切応じず、実質、仕込み無しの生トークで、これから二十分、もたせなくてはならないのだ。
 そんなゲストいらねぇよ。
 拓海の憤りは、当然、現場スタッフの憤りでもあったが、今更変更は不可能だった。すでに目玉企画として、派手な番宣を売っている以上、ここにきての変更は、局もスポンサーも許さない。
(俺がなんとかしますんで)
 一番怒っていいはずのメイン司会の天野が、まず気持ちを切り替えたから、拓海には何も言えない。実際、今日の収録は、何もかも天野1人の才気と機転にかかっていた。
「じゃ、まず最初に、RENさん率いる、ジャガーズの歴史をご覧ください、どうぞ」
 段取り通り、最初にVTRを持ってくる。これで五分、時間を稼ぐ。天野の発案で、急きょ用意されたVに切り替わる。
 カメラが下り、ようやくスタジオの空気が緩んだ。
「今日はよろしくお願いします」
 天野が立ち上がり、まずRENに一礼した。
 RENは、顔さえあげずに前を見ている。
―――つか、日本語通じねぇのかよ。
 拓海は、意識的に目をそらし続けていた。
 どうにも胸糞の悪さが収まらない。このスタジオに入った瞬間から、今日のスペシャルゲストにやる気がないのはあきらかすぎる。
「すいません、時間あんまりないんですけど、RENさんさえよかったら、簡単に打ち合わせ、いいですか」
「………………」
 応えないまま前を見ている男に、わずかに困った顔をした天野が、用意したペーパーを差し出した。
「どうぞ」
「……………」
 沈黙。
 隣の東吾が、横顔で怒りをかみ殺しているのが拓海にも判る。
 上瀬と草原は大人だが、ここにいる東吾は、結構感情のレベルが拓海と近い。ただ、それを、滅多に顔に出さないのがすごいところだと思うのだが。
「あの、」
 ペーパーを手にしたままの天野が困惑し、たまりかねたスタッフが歩み寄ってきた時だった。
「いらね」
 短い声。
 はき棄てるというより、まさにどうでもいい、といった口調だった。
「いや、でも」
 さすがにむっとした天野が何か言いかける。
 はじめてRENは、分厚い唇に、あるかなきかの笑みを浮かべた。
 そのまま、ぴっと指先で、天野の手から、ペーパーを奪い取る。
 目の前にもっていったそれを、RENは一瞥した風ではあったが、すぐに指で弾くように床に投げ出した。
 スタッフが、慌ててそれを拾いに走る。
「本番、一分前です」
 タイムキーパーの声。
「あ、すいま、」
 ペーパーを拾いかけたADが顔をあげる。その目の前で、落ちた紙切れを拾い上げたのは拓海だった。
 凍りついた空気の中、拓海はつかつかと、RENの傍に歩み寄った。
「おい、拓海」
 天野が身体を割り込ませてくる。
 拓海はそれを押しやるようにして、その紙を、RENの前に据え置かれているテーブルの上に、たたきつけるようにして置いた。
 スタジオ全体が、水を打ったように静まり返る。
「さ、三十秒前です、席にもどってください」
 スタッフの慌てた声。
 一度も拓海を見ようともしないRENは、平然と肘をついたまま、指を顎にあてている。
「本番、いきます、十、九、」
「これどうなるんだよ、マジで」
 再び席についた拓海の隣で、東吾が小さく呟いた。



                  4


「なんか、雰囲気……へんじゃない?」
 最初に呟いたのは雅之だった。
 それは、黙って観ている将もまた、感じていた。
 というより、ギャラクシーに対し、明らかな侮蔑を含んだRENの態度に、正直将は、少なからず衝撃を受けていた。
 アイドルが、他分野の連中から極端に下に見られるのには慣れている。慣れている――が、昔から信奉していた存在にそれをされるのは、別格の衝撃。
「じゃ、東吾はジャガーズのファンだったんだ」
「そうなんですよ、もう昔から、大ファンです」
 画面では、ギャラクシーの5人が、必死で場をもたせようとしているのが痛いほど判る。
 肝心のゲストはだんまりを決め込んだまま、さきほどからどんな話題を振られても、「ああ」とか「ふん」とか、そんな受け答えしかしないからだ。
 トークは主に4人だけで進められている。
 誰も――緋川拓海に話題を振ろうとしていないし、カメラもまた、意識的に緋川を外しているようだった。
「なんか、……こう、微妙につらいんだけど、俺」
 そう呟く雅之も、今、将と同じ感情にかられているはずだった。
 憂也だけが、冷めた目で、平然と画面を見つめている。
 そして、耳のあたりを掻きながら言った。
「……これ、ちょっとした話題になるかもね」
 誰がどう見ても、異常としか思えないトーク。
 なのに、ここにいるRENと、そしてギャラクシーは、翌週にも予定されている「TAミュージックアワード」にスペシャルゲストとしてコラボで参加する予定になっているのだ。
 話題づくりといえば、確かにこれほど効果のあるものはないが――。
「あ、」
 雅之が顔を上げた。
 将も、つられるように画面を見ていた。
 画面の右端から、緋川拓海が現れる。足早に――
 その劇的な場面は、全国に同時に中継されている。
 RENの前で、拓海はゲストの飲み物が置かれているテーブルを蹴り飛ばした。
 激しい勢いでテーブルが飛び、グラスがはじける音が聞こえた。
 ギャラクシー全員が立ち上がる。
「ふざけんなよ」
 緋川の肉声がかすかに聞こえた。
 画面が切り替わる。場違いに陽気なコマーシャル映像。
 ほとんど呆然とそれを見ていた将には、最後の最後まで、表情ひとつ変えないRENの表情だけが、強烈に印象に残っていた。














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