4


「やっぱ、ダメ?」
「うん、全然ダメ」
 流川凪は、嘆息して携帯を閉じた。
「大阪まで行っちゃおうかな、いっそのこと」
 舌打ちして、机の上につっぷする。
「よせよ、お前まで関係者だと思われたら、大変なことになるぜ」
 大学構内。
 午後の講義が今、終わったばかりだった。
 隣に座った海堂碧人の言葉を聞き流し、凪は再度携帯を開く。
―――真白さん……大丈夫かな。
 大丈夫のはずがない。
 あれだけさらされて、叩かれて、何もかも公開されて、気が変になってもおかしなくい。
 世間に注目されたニュースなだけに、公開された個人情報は翌日には削除されていたようだが、それでも、一度流れたものは、ダウンロードでもされれば永遠に残る。
 それが、インターネットの恐ろしさだ。一度でも流出すれば、それをこの世から完全に削除することは不可能なのだ。
「ネットって怖いよな」
 頬つえをつきながら、碧人がぽつりと呟いた。
 周囲の学生たちは、すでに講堂の外に出てしまっている。
「公開処刑みてーなもんじゃん、そんな、悪いことしてるわけでもねぇのにさ」
「………………」
「俺、今まで2チャンとか、興味本位で楽しんでたけど、そんな自分が嫌になったよ」
「………………」
 どうする、凪。
 凪は自分に問ってみる。
 末永真白のことは、凪にも決して人事ではない。
 一歩間違えれば、今の真白が凪だったのかもしれない。
「……お前は大丈夫なのかよ」
 碧人も、それが心配なのか、声をひそめる。
「あれっきり電話もメールもしてないから」
「………む、むしろ、別の意味で大丈夫か?」
「別に、しなくても死ぬわけじゃないし」
 多分、私は大丈夫だろう。
 凪は、不思議なくらい、それを確信している。
 多分、私のことは、あの人が守ってくれている。
 根拠なんてなにもないけど、私のことを守れる立場に、今――美波さんは、いる。
 美波涼二が事務所を辞めて、ヒデ&誓也が移籍を決めた。
 そしてストームバッシングが始まった。
―――美波さん……まるで、こうなることが判ってたみたいだった。
 意識不明の恋人の存在。
 その恋人を追い詰めたという今のJ&M社長。
 過去を頑なに、自身の胸の中に隠し続けている美波涼二。
 彼の閉ざされた心の向こうに、もしかすると何かの救いがあるのかもしれない。
―――私に……何ができるかな。
 この最悪の事態に、柏葉将は何をしてるんだろう。
 まぁ――何もできるわけないか、今回ばかりは。
「やっぱ、私が動くしかないか」
 凪は、呟いて顔をあげた。
「お、おいおい、何か今、超怖いこと言わなかった?お前」
「安心してていいですよ、海堂さん巻き込むつもりはないですから」
 手早く鞄を肩にかけて立ち上がる。
 中途半端に手を出すなら、いっそ忘れようと思っていた。
 彼への気持ちが、恋愛じゃなくて、同情ならなおさらだ。
 でも。
「よせよ、流川」
 講堂を出ると、背後から碧人が追ってきた。
「しょせん、芸能界なんて、一般とは別世界なんだよ」
「わかってますけど」
「何億の金が動いてるんだ、色んなでかい企業の、えらい人の思惑があって、しょせん歯車のひとつなんだよ、タレントは」
「それもよく判ってます」
「何もできねぇよ、俺たちには」
 俺たち?
 それには疑問を感じつつ、凪は碧人を振り返った。
「背中の運命」
「え?」
「確かめたくて」
 迷惑だって思われてもいい。
 私、このままじゃいられない。
 この世界で、私とあなたがであった意味を。
 それを、どうしても確かめたい。



                 5


『ストームバッシングに思う』


 恋人との密会が発覚した片瀬りょう(ストーム)が、マスコミ各社から総バッシングを浴びている。その波紋は予想以上に大きく、予定されていた舞台の主演、CМの契約、次クールのドラマ出演も、全て白紙に戻ったと言われている。
 生放送中にその密会がスクープされるという異例の劇場型報道が、この騒ぎを必要以上に過熱させ、そして、否定から一部肯定、一転して全面否定という、事務所の対応の無策ぶりが、ますます片瀬個人への悪印象を強くさせている。
 確かに、片瀬にも問題がある。
 彼の仕事に対する責任感の欠如は、十分責められてしかるべきだし、こういったことは二度と起こしてはならない。
 しかし、ここで冷静に判断してほしいことがある。
 一体何故、生放送の途中で、こうも劇的に、絶好のスクープが発覚したか、ということである。
 当時、現場には、大阪支局のワイドショーの記者、及びスポーツ誌各社の記者が、数十名押しかけていたという。
 筆者も記者のはしくれだが、このような特ダネが、偶然起りえることは、まず有り得ない。
 長い仕込みと張り込みと、そして確かな情報網があって、ようやく手にはいるスクープである。
 しかも、それは、ほとんどの場合、一社単独という形で行なわれる。
 ニュースの命は、その新鮮さである。
 どんな奇抜なニュースも、一晩たてば色あせる。誰も知らない最初の第一報、それがニュースの命であり生命線だ。一つのスクープを他者と分け合うなど、常識でいうとまず有り得ない。
 今回、現場に集まった記者に独自に取材を行なったところ、おおむね、同じ答えが返ってきた。匿名電話、もしくはメールにより、情報を得たと。
 それは何を意味するのであろうか。
 もしかすると、このスクープを仕組んだ者の真の狙いは、ニュースの新鮮さより、媒体への攻撃だったのかもしれない。

 この騒動には、まだ不可解なことがある。
 片瀬りょうの恋人だと言われている女子大生の個人情報が、当夜、いっせいにインターネット上に流出したことである。
 一説には、片瀬りょうの所有パソコンがウィニーに感染したとの噂も上ったが、発信元は、赤坂を中心としたネットカフェ数軒。ほぼ同時刻に、ほぼ同じ情報がポータルサイト各社掲示板、動画サイトに向けて発信されている。
 それは、何を意味しているのであろうか。

 かつて交際していた元モーニングガールに閨房の様を暴露された綺堂憂也、そしてグラビアアイドル夏目純との熱愛が発覚した東條聡。
 ひとつのユニットに、こうも立て続けにスキャンダルが発覚することなど、この業界では異例の事態だ。しかもそれが、マスコミ規制では業界一の実力を誇るJ&M所属のタレントなのだから、ますます事態は異常であるといっていい。
 夏目純は東邦EMG所属、そして元モーニングガールの代理人は電通のJ氏、東邦EMGプロと親しい間柄だといわれている男である。
 相次ぐスキャンダルにも関わらず、夏目純は写真集、DVDの発売が急きょ決定し、元モーニングガールは、この夏にグラドルとして東邦プロから再デビューを果たす予定だ。
 その中で、筆者が注目しているのは、かつて片瀬りょうとの交際が噂されていた元タレントSK(元東邦プロ所属)の存在である。
 個人情報が流出した女子大生の部屋に、そのSKが頻繁に出入りしていたという目撃情報もある。そのSKが、7月にも東邦から再デビューするという噂は、単なる偶然にすぎないのか。
 期せずしてJ&Mのトップアイドル三人のスキャンダルの相手が、何故そろいもそろって東邦プロに関係しているのか。
 今後の成り行きに注目したい

 報道とは民衆の知る権利の担い手であると同時に、強大な凶器である。
 この情報化社会で、死刑制度意外で合法的に人を殺せる、唯一の手段だといっていい。
 ほとんどの記者はその意味と責任を理解している。
 した上で、正義と知る権利の名のもとに、その強権を発動している。そして、彼らは同時に、このことも知っている。
 報道とは、決して真実ではありえない。
 真実の断片であり、推定であり、想像である。
 あくまで、記者という媒体を通した「事実」なのである。
 しかし、残念なことに、その意味を本当に理解している読者(視聴者)は、少ない。

 今、その意味を理解しえない個人が発信する情報が、大衆の享受するところの「情報」になりつつある。
 報道=真実と信じ、それの持つ意味も責任も知らず、安易に二次的に流しているのが、現在、インターネットで個人が発信しているプログ、掲示板等である。
 個人でしか語れない視点というのもあるだろう。マスメディアの受け手にすぎなかった大衆が発信する側に簡単に回る、それも一種のメディア革命なのだろう。
 アメリカでは、すでに選挙対策としてプロガーを利用しているという。
 個人が発信する情報は、すでにこの情報化社会で、大きな役割を果たしつつあるし、今後、この傾向はますます広がっていくと思われる。
 筆者は、その利点までをも否定するものではない。
 全てのものには、清もあり濁もある。
 時代の流れが変えられないなら、変わるのは私たち1人1人でしかない。
 流された報道を鵜呑みにせず、その奥にあるものを読み取らなければ、報道は、施政者に都合のいい凶器に、簡単になりかわる。
 人は、自分の知る範囲のことしか判らない生き物だ。
 そして報道も、また、人が創り上げるものであるということを忘れてはならない。
                               (PJ  M・A)



                6


「どうして、止められん!どうしてその程度ができないんだ」
 電話を叩ききった唐沢が、肩で荒く息をしている。
「くそっ……」
 拳で机を叩くボスを、藤堂は、無言で見下ろしていた。
「すいません、何もかも私のミスです」
 藤堂が言うと、唐沢は、さすがにもの言いたげな目で藤堂を見上げた。
 片瀬りょうの捜索と、マスコミ対応の失敗。
 続く東條のスクープを事前に掴むことも、綺堂の記事を抑えることもできなかった。
 敏腕だったはずの部下の信じがたい失策続きには、唐沢も腹に据えかねるものがあるだろう。
 美波がいれば、
 その目が、そう言っている。
 しかし、二度と得がたい有能な男を、あっさり手放してしまったのも、また唐沢1人の決断だ。
「……美波さんが離脱、貴沢ヒデが移籍を公表し、契約が遅れている緋川の移籍も噂されています。今までのように、タレントの引き上げで、各社を縛ることができませんでした」
 サンライズテレビ、そして大阪をキー局とするテレビ局が、のきなみトップ扱いで報道した。
 律儀に沈黙を堅守したのはエフテレビだけで、ジャパンテレビは、2日目から事態の反響を見て報道に踏み切っている。
 テレビがその様だから、もともとJ&Mの力で押さえつけるのが難しかったスポーツ誌、写真週刊誌は、さながら無法地帯のようなものだった。
 むしろ、今まで、貴沢と緋川人気で押さえつけられていた鬱憤を晴らすかのように、盛大にJのスキャンダルを書きたてている。
「ファンの反応は、どうなっている」
「……残酷なようですが、非常に顕著に現れています」
 奇蹟ブームで急速に吸い寄せられたファンは、冷めるのもまた早かった。
 人気とは確かに、実体のないシフォンのようなものだ。藤堂はかすかに嘆息する。
「ファンクラブ新規入会者の、入会取りやめが後を絶ちません。一度振り込んだ入会金は返せないので、トラブルの元になっています」
「………従来のファンはどうだ」
「新規ほど顕著ではありませんが、退会届は毎日のように届いています。ミラクルマンセイバーの前売りも当初の予想の半分も売れず、ストームは」
「……………」
「急速に、失速している感がありますね」
 藤堂は言葉を切り、デスクに座るボスを見つめる。
―――あんたは、甘くなりすぎた。
―――もう、そろそろ潮時なんですよ、唐沢さん。
「……すぎたことを言ってみても仕方がない、問題はこれからだな」
 怒りの矛先を自身に向けるように、唐沢は乱れた髪をかきあげた。
 めっきり痩せた肌は、最近アルコールを過剰摂取しているせいか、随分血色が悪くなっている。
「今度は、何が」
「東條と、共演している遠藤諒子とのデート写真が明日のスポーツ誌に出るそうだ、二股交際だとかなんとか」
「東條は」
「写真を確認させたら、スタッフと一緒に飲みに行った時の写真だと言っているが、どうだかな」
 夏目純との写真さえ出なければ、大した記事ではない。放っておいても話題づくりにしかならないニュースだ。
 しかし、今となっては、そうも言っていられない。特撮ヒーローのスキャンダルとしては、最低中の最低だ。
「どうなってるんだ、あいつらは、一体今が、どれだけ大切な時期か、本当に理解しているのか」
「まだ、頭が現実に追いつかないんでしょうね」
 ガードが甘すぎたのも、原因のひとつかもしれない。
 というより、唐沢にしろ、ここまで東邦プロが、ストーム潰しのネタを周到に用意していたとは、想像もしていなかったに違いない。なにしろストームは、「奇蹟」のヒットまで、ユニットとしては殆ど目立たない存在だったのである。
「綺堂の時と同じように、風見瀬名が暴露記事でも出してきたら、片瀬はもうおしまいだ」
 唐沢は、歯噛みでもするように椅子に座った。
「しばらく、謹慎させるしかないでしょうね」
「………………」
 仕事の大半は白紙に戻った。
 実際、謹慎するまでもなく、片瀬のスケジュールはすかすかだ。
「ゴシップは忘れられるが、ストームも忘れられるぞ」
 唐沢はうめくように呟いた。
「今は無理にでも、仕事を続けさせるべきだ」
「………………」
 唐沢さんは、片瀬を見ていないから言えるんだろう。
 藤堂は、すっかり表情も覇気も失くした片瀬りょうのことを思い出す。
 何を言っても素直に頷く。なんでも言われたとおりの受け答えをする。テレビでは笑っている。しかし、私生活では、なんら感情の起伏を見せない。ただ、死んだように生きているだけ。
「ニンセンドーとの業務提携はどうなりました」
「今のところ、支障はない、順調に協議を進めている」
「……ストームはいったん諦めて、別のところから、会社の足場を固めていくほうがいいのかもしれませんね」
 最後の忠告のつもりで、藤堂は言った。
 まだまだ、東邦は手を緩めないだろう。
 人気が絶好調の時なら、些細なニュースですまされるものも、失速している時のスキャンダルは、命取りになりかねない。
 姿を消した阿蘇ミカリ。
 かつて成瀬と恋人関係にあった梁瀬恭子。
 風見瀬名だけではない、不安要素はいくらでもある。
「さっきから何を言っている、お前らしくもない」
 唐沢が、眉を寄せながら舌打ちをした。
「さっさとこれまでの失敗を挽回しろ。どんな手を使ってもかまわん、これから出そうなスキャンダルを徹底的に潰して回るんだ」
 藤堂は、何も答えずに目をすがめる。
「……で、お前の話とはなんだ」
 ようやく、部下の来訪の意図に思い至ったのか、唐沢が顔を上げる。
「辞任したいと思いまして」
「何?」
「長い間、大変お世話になりました」
 藤堂は、丁寧に頭を下げた。
「本日付をもって、J&Mを退職させてください」



               7


 何やってんだろ、俺。
「うちの遠藤まで巻き込むなんて、冗談じゃない、一体どう責任を取るつもりなんですか」
 何やったんだろ、俺。
「うちは清純が売りなんですよ、夏目純と同列に扱われるなんてたまったもんじゃない」
「誘ったのが、東條だとは限らないと思いますがね」
 マネージャーの中原が、怒りも露わに反論している。
 天下のJ&M。他社のマネージャーに一方的に叱責されることなど、初めてなのだろう。
 聡は黙って立っていた。
 誘ったの、どっちだったっけ。
 飯食いながら告ってきたの、向こうだったような気がするけど、どうでもよくて覚えてねーや。
 つか、誰か早く、俺クビにしてくんねぇかな。
 アイドル失格って烙印でも押してさ。
「………まぁ、今後、一切、うちの遠藤に近づいてもらっては困りますから」
 相手方のマネージャーが聡を見上げて言葉を濁した。
「どうした、東條君」
 控え室で2人になり、中原が眉をひそめながら聡を見る。
「………別に」
 聡は、意味もなく流れた涙を手の甲で拭った。
「疲れているんだろう、少し仮眠でもとったらどうだ」
「いえ、大丈夫です」
―――何やったんだろ、俺。
 着替えを済ませ、ぼんやりと定刻より遅れてスタジオに向かう。
「最近、変わったよな、東條さん」
「言いたくねぇけど、売れすぎて天狗になってんじゃないの?」
「今回のことも信じらんねーっつーか、……むかついてものも言いたくねぇよ」
「やるかよ、普通、ここのスタジオでだぜ?」
 聡の姿を認めたのか、充満していた囁きがふいに消え、不自然なほど静まりかえる。
「………あのさ」
 歩み寄ってきた降木庭監督が、もの言いたげな目で聡を見下ろし、そして、諦めたように息を吐いた。
「……時間が押してなきゃ、今のてめぇなんて、使いたくもねぇよ」
「………………」
「最低の最終回だ、それでいいと思ってんのかよ」
「………………」
「いいと思ってるのかって聴いてんだよ、ヒーロー!」
 聡が黙ったままでいると、その隣から、脚本家の神田川が降木庭の肩を叩いた。
「ま、今回はむしろイメージにあってるわけ」
 撮りは、あと2回分だけ。
 第四十九話「セイバー追放」
 最終話「奇跡」
 救いは、全ての収録が終わった夏目が、もうここには来ないことかもしれない。
「でも、最終話の収録までには、元気になってもらわないとね」
 聡を見る、神田川の目は優しい。
 なんで、もっと怒らないんだろう。
 あんなによかった現場の空気、俺1人が台無しにしたのに。
 俺1人が、みんなの気持ちを踏みにじったのに。
「……………ちょっと、休ませてやった方がいいんじゃねぇのか?」
 降木庭が、いぶかしげな目を、スタジオの隅に立つ中原マネに向ける。
「そういったお気遣いをされるなら、撮影を時間どおり終わらせてください」
 中原が事務的に答える。
「大丈夫です」
 聡は、うつむいたままで言った。
「………大丈夫です」
















 ※この物語は全てフィクションです。



>back >next

感想、お待ちしています。♪内容によってはサイト内で掲載することもあります。
Powered by SHINOBI.JP