act9 運命の6月

   
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「将、」
 スタジオの正面入口。
 中に入ろうとした将は足を止める。
 斜め前の休憩スペースで、手をあげているのは河合誓也だった。
「……おう」
 正式に移籍を表明し、今、様々な諸手続きに追われているヒデ&誓也。
 背後のマネージャーは苦い顔をしたが、将は簡単に許可を取ってから、河合の傍に歩み寄った。
「久し振りじゃん」
「まぁな」
「お互い、ワイドショーの常連だけどさ」
 嫌味のような言い方にも、不思議と腹が立たなかった。
 将は傍らの自販機からコーヒーを買って、座る河合に投げてやる。
「綺堂って、案外エスだったんだ」
「会見じゃ、記憶にないってしれっとしてたけど、あれ、マジでやったらしいぜ」
 半ば、ヤケクソのような会話を交し合う。
 平然と、淡々と。
 自分の過去を、世間話みたいに話していた憂也。
(いやぁ……言い訳じゃなくて、細かいことは、ほんっと、覚えてないんですよ)
(色々ありましたけど、全部、過去のことですから)
(僕にとってはいい思い出だったんですけど、まぁ、残念です)
 ごく自然に、憂也は「女を弄んで捨てたサイテー男」から、「昔の女に利用されている気の毒な男」に、自身の印象を変えさせた。
 むしろ、暴露記事を即座に認めた正直さが、ワイドショーでも誉められていたくらいだった。
―――楽屋じゃ、ずっと無言だったけどさ。
 その会見の後、バラエティの仕事が入っていた。
 本番ではテンションをあげまくっていた憂也が、楽屋に入ると、別人のように陰鬱な目になったのを、将はよく覚えている。多分、精神的に、相当応えていたのだろう。
「……元モーガールだっけ、その子、芸能界に復帰すんだって?」
「かもな」
「いてーよな、昔の思い出に裏切られるのは」
「……………」
 将は無言で目をすがめる。
 あれはいつだったろう。ラジオで――雅が辞めるとか辞めねぇとかで大騒ぎになった時だ。
 雅之が言っていた。
―――あん時、お前、マジできつかったの、俺、知ってたのに。
 まだ十代のアイドル同士、多分憂也にしても、軽い気持ちでつきあっていたに違いない。
 それが結果的に大騒ぎになり、相手の女は引退まで追い込まれた。
 憂也にとっては、多分、トラウマのような事件。
「大変だろ、今」
 待ち時間なのか、丸めた台本を弄びながら、河合が呟いた。
「まぁな」
「俺も気が狂いそうになった時期あったけど、それでも我慢してやったよ」
「尊敬するよ、して欲しいんなら」
「……つか、我慢、できた理由があってさ」
 アイドルにしては男臭い、河合の横顔が笑っている。
 あまり仲がよくない――というか、ぶっちゃけもろ反発しあっていた男だった。
 なのに河合は、不思議なほどの静かさで続ける。
「……ヒデはさ、そういうの、中学からずっとだから」
「………………」
「ヒデが何年も我慢してんのにさ、俺ができねーって言えねぇじゃん」
「………………」
 貴沢秀俊。
 入所時から、緋川拓海に継ぐ逸材と騒がれ、中学生にしてJの屋台骨を支えるスターとなった男。
「……ヒデと話したいって、マネージャー通じて頼んでんだけど、俺」
 将はうつむき、呟いた。
「無理だよ、今、俺でも、ヒデにはなかなか会えねぇんだ」
「……そっか」
「それに、もう、何言ってもヒデの気持ちは変わんねぇしな」
「……………」
 変えようと思ってるわけじゃねぇけど。
 なんつーの、このまま別れるのもしゃくに触るっつーか。
「俺、もう、お前らのことがうらやましくねぇぜ」
 将が黙っていると、河合はわずかに笑ってから立ち上がった。
「え?」
「ヒデがさ、俺のこと必要としてるってわかったから」
「……………」
「俺がいないと何もできねぇって、それ、マジで判ったからさ」
「………………」
「ユニットは解散になるけど、」
 空になったコーヒーの缶を投げ返される。
 背を向けた河合は、将に向かって片手をあげた。
「これからも2人で、支えあって頑張ってくよ」



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 これからも2人で、支えあって頑張ってくよ。
「……………」
 いつから、俺ら。
 それが出来なくなったんだろう。
「柏葉君」
 ぼんやり座っていると、打ち合わせを終えたマネージャーがせかせかと歩み寄ってきた。
 せっかちな性質なのか、いつも次の予定ばかり気にしている男。
 年はイタジと同じくらいだが、どこか抜けた所のあるイタジと違って、将でもうんざりするほどの完ぺき主義者だ。
「会見では、東條君のことも質問が出る思うけど」
「……はい」
「一切ノーコメントで、他のメンバーに関しても同じだからね」
「判ってます」
 じゃ、後は本番で。
 そういい残し、いつも慌しい男は駆け去って行く。
 うつむいた将は、思わず口に出して呟いていた。
「……何やってんだか」
―――馬鹿野郎。
 へこんでんの判るけど、それはないだろ、聡。
 映画版ミラクルマンセイバーの前売り発売日。
 聡と、競演者の1人、夏目純の密会現場がスクープされた。
 密会の場所が問題で、よりにもよって鏑谷プロの撮影スタジオ。そこで、――将が聞かされた情報が確かなら、言い逃れできない現場を撮られているらしい。
―――世話になった人たち、裏切ってどうするよ。
―――ヒーローがそんな真似しちゃ、子供が吃驚するじゃねぇか。
 何言っても、今の聡には届かないのかもしんねぇけど。
 河合が、相棒の貴沢に会えないように、将もまた、同じメンバーにプライベートでは会えない状態が続いている。
 片瀬りょう、綺堂憂也、東條聡。
 マスコミの攻勢にさらされている三人には、今まで以上に厳しいガードがついた。楽屋にも、必ずマネージャーが同行して離れない。トイレまでついてってんじゃないかと思えるほどだ。
―――なんつーか、そりゃ、俺らが悪いんだけど。
 将はぼんやりと考える。
 事務所の対応のまずさが、間違いなくバッシングに拍車をかけている。
 そもそも、今までだったら、この手のゴシップがテレビを賑わすことはなかった。今はどうだろう、エフテレビをのぞく全社が、こぞってストームのゴシップをトップで扱っている。
 それが正常な形といえばそれまでだが、J&Mの威光にはっきりと陰りが出たことは間違いないような気がした。
「柏葉君、そろそろだから」
 スタジオから声。
―――美波さんが、いないせいだろうか。
 立ち上がりながら、将はふと、あの美しい立ち姿を思い浮かべる。
 マスコミと事務所のパイプ役をしていた美波涼二。
 毒でもあり、薬でもある。いい意味でも悪い意味でも、美波の存在は大きかった。
 それがいなくなって、事務所の中はばたばただ。美波がまとめあげていたマネージャー陣も、頼り所をなくして、なんだか迷走しているようにみえる。
 窓から見える空は、薄く澱んだ曇り模様。
 関東地方に入梅宣言が出されている。テレビは、内閣総辞職の話題で持ちきりだった。
 なんとかしなきゃ、いけない。
 でも今の俺に、一体何ができるだろう。
 この雨空の向こうに夏が待っている。
 なのに、不思議と沈んだ気持ちのまま、将はうつむいてきびすを返した。


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 鍵を回す音がする。
 カーテンを閉め切った部屋でうずくまっていた真白は、びくっと身体を震わせた。
 あれから4日。
 喧騒は波が引くように消えた。なのに外を人が通るたびに、心臓が止まりそうになり、身体が自然に震えだす。
「なぁに、これ」
 嫌悪感むき出しの母親の声。
 真白ははっとして顔をあげた。
 扉が開く。そして人の気配が、室内に入り込んできた。
「真白、いないの」
 お母さん。
 一気に感情がこみ上げて、嬉しいのに、真白は立ち上がることができなかった。
「……お母さん」
 しかし、視界に最初に写ったのは、母ではなく父親の長身。
 無言のまま、部屋の電気をつけた男は、不思議なほど表情のない目で室内を見回している。
 その背後に立つ母親の手には、沢山の手紙の束があった。
「見ないでいいから、そんなの」
 座り込んだまま、真白は思わずそう言っていた。
「……玄関、少しお掃除しないとね」
「…………外に、出られなくて」
 母親の曇った表情は、玄関にも中傷の手紙が散乱していることを意味しているのだろう。
 電話の線は抜いている。
 どうして知らない人から繰り返し電話がかかるのか、真白にはまるで判らなかった。
 携帯にも同じことで、いくら着信拒否をしても追いつかない。
 最初は怒り、そして怒りはすぐに恐怖にかわった、今は――その、悪意と毒に満ちたメッセージを聞くたびに、全身の血が引くような気分になる。
 彩菜にだけは、こちらから連絡して、しばらく部屋に来ないように、仮に何を聞かれても無関係を押し通すように、念を入れさせた。
 巻き込ませたくはないが、真白の知らないところで、友人たちもまた、巻き込まれているのかもしれない。 
「冷蔵庫空っぽじゃない、真白、あんた飢え死にでもするつもりだったの?」
 台所から聞こえる、変わらない母の声。
 しかし、真白の意識は、母よりも――むしろ、陰鬱な目で、室内を見回している父に向けられていた。
 仕事、どうしたんだろう。
 休みなんてないし、滅多に取れないはずなのに。
 こっちから連絡してないのに、……やっぱり、テレビ観たんだろうか。
「荷物を用意しろ、島根に帰る」
 その背中から、声が聞こえた。
「でも……大学が」
「退学届けを出してきた、もういく必要はない」
 え?
「大家にも挨拶を済ませた、この部屋の契約も今月いっぱいだ」
「ちょ、お父さん、」
 そんなの、有り得ない。
 なんで、そんな勝手に。
「あと少しで卒業なんだよ」
 真白は思わずそう言っていた。
 今年いっぱいで大学生活も終わる。
「就職活動だってこれからだし、今辞めたら、なんのために三年勉強したのかわかんないよ」
「なんのためだと?」
 真白の声を、父は低い声で遮った。
「なんのために年間百万以上払ってお前を大阪にまで出したと思っている」
 お父さん、
 真白は言葉を途切れさせる。
「店が苦しい時に、欲しいものも買わずに切り詰めて、なんのために、お前を大学にやったと思ってる」
「………………」
 言葉の変わりに、涙が一筋、頬を伝った。
「……………ご、」
 ごめんなさい。
「父さんと母さんが、朝から晩まで働いている間に、お前は一体何をしていた」
「……………」
 涙が溢れる真白の視界で、それが限界だったのか、父が、いきなり棚に置いていた化粧品の壜を手で払い落とした。
 立て続けに、けたたましい音がした。
 真白は耳を塞ぎ、思わず身体を縮ませていた。
「男遊びばかり覚えて、それでこの様か」
「お父さん!」
 悲鳴のような母親の声。
「軽薄な男にひっかかって、ちゃらちゃら着飾って、みっともないと思わないのか!」
 違う。
 壁にかけていた服を引き剥がされる。
 澪に買ってもらって、二人で外に出る機会がないから、一度も袖を通していないワンピース。
「耳に、そんな穴まで開けて」
 ふいに歩みよってきた父に、真白は激しく肩を揺さぶられた。
「恥ずかしいと思わないのか、お前は!」
 立ち上がった父は、引き出しを片っ端から開け始める。
「やめて、お父さん」
 真白はさすがに立ち上がっていた。
 開いた引き出しの中身を、父はものも言わずに床にぶちまける。
 化粧品や、大切にしていたアクセサリーの類。
 小さなケースが父の足で踏みにじられた時、真白は口に手をあてて、座り込んだ。
 澪に、最初にプレゼントされたシルバーのピアス。
「やめて……」
 お願い、もうやめて。
「お前を棄てて、さっさと逃げるような男じゃないか!」 
「違うよ!」
「何がどう違うんだ!」
 澪は違う……。
 真白は、震えながら、両手で口を押さえ続ける。
 違う、それは絶対に違う。
「泣いている場合だと思ってるのか」
 父親が、テレビをつける。
 怖くて一度もつけられなかった。パソコンさえ立ち上げることができなかった真白は思わず目をそらしていた。
「現実を見たのか、真白」
 現実。
 顔をそむけた真白は、父の言葉に呼吸を止める。
「お前がしでかしたことの、現実をみたのかと言ってるんだ!」
 テレビから、音声が流れ出す。
「事務所側は、相変わらず完全否定体制ですが、こうなると、何を信じていいのかまるで判らなくなりますね」
「少なくとも、片瀬りょうさんに関しては、今回、はっきり嘘を言っていたことが判ったわけですよ」
 何のことだろう。
「では、もう一度、片瀬さんの会見の模様をご覧ください」
 画面の端に、「新たな写真流出、片瀬りょうの虚偽会見に波紋」という文字が躍っている。
「彼女とは、高校時代に知り合いになって、去年地元で再会して、……それだけです」
 りょうの顔。
 まるで表情をなくした目。
「恋愛感情はなかったということですか」
「それは、絶対にありません」
 画面が切り替わる。
 真白はむしろ、りょうの表情のあまりの乏しさに、逆に不安をかきてたられていた。
「熱愛について、完全否定していた片瀬さんですが、今日発売のスポーツ誌に、噂の恋人とのにゃんにゃん写真が掲載されてしまったわけです、事務所側は合成だと完全黙殺の構えですが、写真は他にも多数撮られていると思われ」
 その写真がテレビに写された時、真白は悲鳴をあげていた。
「……あ」
 顔は全部ぼやけている。鮮明なのはりょうの横顔だけ。
 でもそれは、恋人の部屋で、確かに2人きりで過ごしたはずの時間だった。
 がくがくと、手も足も震えだす。
 これは、何かの間違いで。
 何か、悪い夢の続きで。
「世間では、お前が未成年を誘惑した悪者扱いだ」
 真白は、耳を塞いだまま首を振った。
「テレビ、……切って」
「片瀬君の事務所も、そういったスタンスでコメントを出している。当たり前だ、あの男は、1人で何万人もの人間の生活を支える大切な商品だからだ」
「切って、切って!」
「その責任も」
「切ってーっっ」
 頬に激しい衝撃が走る。体制を崩した真白は、膝にぼたぼたと涙が落ちる様を、呆然と見つめた。
「その責任も立場もな、何も判ってない子供どうしなんだよ、お前たちは!」
「あなた、もういいじゃないですか!」
「うるさい、お前は黙ってろ!」
 テレビのコメンテーターの下劣な言葉を、真白は無感動に聴いていた。
 涙だけが、どうしても止まらなかった。
「どうせすぐに判ることだ、お前の顔も名前も住所もな、全部インターネットで公開されてるんだ、島根も店も、葉月の勤め先も、何もかもだ、真白」
 もう、やめて。
 もう、許して。
「今、お前はな、社会から、完全に殺されようとしてるんだよ!」
 だったらもう。
 真白は唇を震わせて、顔を手で覆った。
 嗚咽がもれ、そのまま、澪がここを出て行って初めて、声をあげて真白は泣いた。
 本当に殺して。
 
 ばーか、死ね
 淫乱ドブス
 今夜仲間が、あんた輪姦にいくから待ってて(^^♪
 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

 この悪意と憎悪に満ちた世界で、
 もう、どうやって生きていっていいか、わからない。
「真白!!」
 肩を激しく掴まれる。
「お前がしでかしたことだ、何もかも!」
「………………」
「逃げるな、しっかり見ろ、見て、自分の力で判断しろ!」
「………………」
 私の、力で。
 止まらない涙が、ただ、意味もなく頬を滑った。
「お前がこれからどうすべきか、自分で判断するんだ、真白」
 私が、これからどうすべきなのか。
















 ※この物語は全てフィクションです。



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