3


「よ、元気?」
「なんか懐かしくて泣けてくるね」
 入ってきた聡を見上げ、憂也が楽しそうな声で言った。
「びっくりだよ、同じ仲間に久し振りーとか、そんなセリフをしみじみと言う日がくるなんてさ」
 荷物を置きながら、その聡がテーブルにつく。
 髪が妙な形に跳ねているから、今まで撮影していたことが一目で判る。
「……聡君、目が腫れてる」
 つっぷしていたりょうが顔を上げて、呟いた。
「お前は、顔にシャツ柄がついてるし」
 隣席の雅之が、笑いながら、そのりょうを指さした。
「やれやれ、やっと全員集合か」
 将は、読んでいた台本を置いて顔を上げた。
 エフテレビの控え室。
 今から、HAIHAIHAIのリハーサルで、久々に5人が揃った。
 ずっと誰かが抜けていたから、こうやって全員が揃うのは、本当に久しぶりのことになる。
「ま、元気そうで安心したよ」
 将がそう言うと、全員が、無言で頷いた。ただ、それは、どこかおざなりの笑顔で――憂也をのぞけば、全員が、今の生活に鬱屈を感じていることが、ありありとにじみ出ている。
「………色々、あると思うけどさ」
 将は言い差して、言葉を切らせた。
 俺も、色々なんだけど。
 こいつらも、それ以上に、口には出せない不満が、相当蓄積されているだろう。
 将が、いきなり事務所のマンションに住むことを強要された以上のことを、おそらく、りょう、雅之、聡はされている。判っていても、今回ばかりは、将にもどうしてやることもできない。
 無論、腹は立つし憤りは感じる。しかし、今回は、将にも理解できるからだ。
 今、事務所が何のために、こうも必死に、そして急速に、ストームを売り出そうとしているか。
「俺も、不満ばっかなんだけど、今は……我慢するしかないと思ってる」
 仕事の充実が、その不満を忘れさせる日が、それでもいつか来るだろう。
 将にはそれでいい、おそらく憂也も判っている。
 ただ、雅之と聡とりょう――それは、こいつらから、大切にしているものを切り離せ、と言うに等しい。
 将は、迷いを振り切るように顔を上げた。
「しばらくは、仕事一筋で頑張ってみようぜ。来週は、コンサートの記者発表がある、知ってるだろ、オーラスは」
 東京ドーム。
 最大収容数、五万四千。
 コンサート会場としては、日本で一番大きな舞台。
 屈指の集客力を誇るJ&Mでも、その舞台に立てたものは数えるほどしかいない。
 デビュー四年。
 それが早すぎたのか遅すぎたのか判らない。
 しかし、近年のストームの状況からすれば、トーム単独公演は、奇跡のような大躍進には違いなかった。
「わかってるよ」
 静かな目で、りょうがまず頷いた。
「忙しいけど、毎日充実してるしね」
 雅之。
「俺は、なぁんにも憂いがないからさ、そもそもの話」
 笑いながら憂也。
「なさすぎて寂しいけどさ、まぁ、それはそれで」
 と言い差した憂也の視線が、いぶかしげに止まる。
「あれ?電話入ってる、ちょい、待ってて」
 バイブに気づいたのか、ポケットから携帯を取り出すと、憂也はそのまま席を立った。
 1人抜けて、ふと、雰囲気が気まずくなる。1人というか、単独ムードメーカーの憂也が抜けると。まるで――とりつくろっていた何かが、あっさりと崩れるように。
 りょうがまずため息をつき、雅之が遠い目になった。
―――まぁ、今は、みんな頭が現実についてってねぇんだろうな。
 将もまた、嘆息していた。
 こういう時、将には、みんなを乗せるだけの器量がない。
 激は飛ばせても、励ませても、和ませるようなジョークは飛ばせない。
「雅もりょうも……彼女のことはどうなってるの」
 沈黙の中、ぽつりと呟いたのは聡だった。
 不意打ちのような、その言葉に、名指しされた2人の顔色が、目にみえて翳る。
「あ、ご、ごめん、気合入った話してるのに、こんな話題で」
 聡は、戸惑ったように言いよどむ。
「……俺は、相手がマスコミの人だから、上手くかわせてるけど、……色々、嫌な思いしてるんじゃないかと思って」
 その話題に触れまいと思っていた将は、軽く息を吐いて雅之とりょうを見た。
 正直、聞くまでもなく、2人の表情が、面白からぬ現実を意味している。
「まぁ、なんとかなってるよ」
 わずかにうつむいて、雅之。
「自宅の電話知ってるし、向こうも忙しいし、こっちの立場もわかってくれてるし」
 妙に、言い訳めいた声だった。
「とりあえず、携帯はやばいから、文通でもしようかって、……向こう、もともとクールな女だし、そんな感じで、なんとかかんとか」
―――やっぱ、凪ちゃんとこにも、藤堂さんが行ったのかな。
 雅の声を聞きながら、将は眉を翳らせる。
 藤堂戒。
 J&Mの取締役であり、通称「別れさせ屋」
 将は知っているが、おそらくりょうや雅は知らないだろう。
 いわば、Jの影の部分そのものの藤堂戒が、今はりょうの現場マネージャーとして張り付いている。その有り得ない事態が、今、事務所が、どれだけ必死にストームをゴシップから守ろうとしているか、その表れのようなものだった。
 しかし問題は、この激震の余波を、全くの一般人である流川凪や末永真白に、絶対に向けてはならないということである。
「雅、」
 将が、何か言いかけた時、
「聡君は、本当に上手く、かわせてるの」
 どこか抑揚のないりょうの声が、それを遮った。
 聡が「えっ」という顔をするのと、外に出ていた憂也が戻ってくるのが同時だった。
 憂也はものも言わず、元の席についてテーブルで肘をつく。
「あー、俺は……うん、まぁね、なんとか誤魔化しつつ、がんばってる」
 わずかに言葉に詰まったものの、聡の顔は明るかった。
「なにしろミカリさんだからね、心配いらないよ」
「ま、ミカリさんには九石さんもついてるしな」
 それには将も安心していた。
 阿蘇ミカリは本当の意味で大人だし、多少不安定な聡にしても、仕事に対する責任感は、多分、ここにいる誰よりも強い。間違ってもゴシップになるような真似はしないだろう。
―――そういや、最近、ミカリさんの顔見てないな。
 ふと、そう思った将は、りょうがひどく憂鬱な横顔をしていることに、ようやく気がついた。
「……そっか、じゃ、聡君は大丈夫なんだ」
 まるで心がこもっていない声。
 将は思わず憂也を見たし、雅之も聡も、互いに顔を見合わせているようだった。
「りょう……お前、マジで大丈夫か」
 末永真白のことは、将も一番気がかりに思っている。
 あれだけおおっぴらにつきあっていたから、おそらく事務所は、その所在も連絡先も、何もかもつかんでいるだろう。
 そして無論、今のりょうの立場で、交際を続けることが許されるはずはない。
 ただ、末永真白は、Jの「別れさせ屋」の存在を予め知っていたようで――彼女さえ覚悟して、そして今を乗り越えてくれれば、最悪の別れというのはないはずだと、将はそう期待している。
「……りょう、お前は一番、そういう点であぶなっかしいからさ」
 重い沈黙を破り、口を開いたのは、意外にも憂也だった。
 しかしその声には、憂也らしからぬ陰鬱さがある。陰鬱さというか、リリース勝負時に時折みせて、今は影をひそめていた苛立ちと冷たさが、はっきりとにじみ出ていた。
「真白ちゃん傷つけたくなかったら、しばらくは大人でいろよ。今は、間違っても勝手に会ったりすんな」
「わかってるよ」
 微妙な棘を含んだ声で、りょう。
「騒ぎになればお前だけじゃない、俺ら全員に迷惑かかるんだ、そのことだけは忘れんなよな」
 その刹那、うつむいたりょうの目に、獰猛な怒りが浮かんだのが判った。
「りょう」
 将は咄嗟に口を挟む。
「何も本当に別れる必要なんてないんだし、時間がたてば、なんとでもなることだろ」
 冷然と憂也。
 りょうは答えない。
 どこか表情を固くして、床の一点を見つめている。
「りょう」
 将は嘆息して、その肩を叩いた。
「確かに今だけだよ……末永さんには、俺からも連絡とってみるから」
「いいよ」
 りょうは、すでに心を閉ざしてしまったのか、それには、即座の拒絶が返ってきた。
 冷たい横顔は、将の方を見ようともしない。
「ほっといてくれ、そもそも将君には関係ない」
「……………」
 その場に、冷たい空気が流れる。
「ほっとけばいいじゃん」
 何か言いかけた将を遮ったのは、冷ややかな目をしたままの憂也だった。
「……憂也」
 ため息をつきながら、今度は雅之。
「俺らが、どんだけ沢山の人犠牲にしてここに立ってるか、わかんねぇ奴に何言っても無駄だしね」
「憂也!」
 雅之が声を荒げる。しかし憂也は肩をすくめながら、その視線を窓に向けた。
「ストームの人気も奇蹟のヒットも、俺らだけの力で出来たとでも思ってんのかよ、一体どんだけの人に助けられて、どんだけの人犠牲にして、ここに俺らがいると思ってんだよ」
 突き放したような声だった。
「いつまでも最年少のガキじゃねぇんだ。自分の取る態度くらい、自分で判断してみろよ」
 別の方向を見ているりょうは、おそらくその言葉を意識的に無視している。
 将には何も言えなかった。
 りょうの憤りも理解できる。
 しかし、憂也の言いたいことも、また、理解できる。
 ここに来る車中、ヒデの移籍がほぼ確実だということと、―――そして来月のスニーカーズの新曲リリースに合わせ、東邦が、ミリオンヒットを叩き出すトップユニット「ミスチルド」の新曲をぶつけてくるという話を、将は聞いたばかりだった。
 


                4



「おい、ちょっと待てよ、意味わかんねぇし」
 河合誓也は、先を行く親友の腕を掴んだ。
 エフテレビ。
 いきなり夢伝説、最終回の収録を終えたばかりだった。
 行きかうスタッフが、時折いぶかしげに振り返っている。
「移籍ってどういうことだよ、つか、そんなもん、なんだって」
 誓也は言葉を詰まらせる、怒りと苛立ちで、声が出ない。
「前から話はあったんだ」
 振り返った貴沢秀俊の声は、平然としていた。
「もちろん、お前も一緒だ、誓也」
「ふざけんなよ!」
「芸能界で一番大手の事務所に行くんだ、失敗はない」
「ヒデ!」
 振りほどかれた腕を、誓也は再度強く掴んだ。
「お前、自分が何言ってんのか、マジで理解してんのか」
「だから、東邦に移るんだ、俺とお前で」
「……………………」
「俺らの契約は今年の7月いっぱいで終りだし、いままでの仕事は、東邦が新しく契約しなおしてくれる、違約金も東邦が持ってくれる」
「……………」
「別に法律に違反してるわけでもないし、悪いことをするわけでもない」
「………ヒデ」
 ふたたび歩き出した背中を、一瞬呆然とした後、誓也は追った。
「俺は行かないぜ」
 誓也は、親友を睨むようにして呟いた。
 控え室。
 ドリンクを持ち上げた貴沢は、無言でそれを口に含む。
「俺は……J&Mが好きなんだ、移籍なんて、考えたこともないし、ありえねぇよ、マジで」
「お前も一緒だ、もうそう決めている」
 抑揚のない声で、貴沢が呟く。
「ヒデ!」
 誓也は、絶望を感じて、その貴沢の手からペットボトルをもぎとった。
「リリースの件は、俺も目茶苦茶むかついたし、事務所のやり方に腹もたったよ、でも、んなもん、移籍なんかしなくても、ここで見返してやりゃいいじゃないか!」
「………誓也」
 はじめて貴沢の仮面のような美貌に、淡く笑みが浮かんだ。
「俺はもう、何も期待していないんだ、うちの事務所には」
「……………」
「俺らのことは完全にプロデュースの失敗だ、そうでしか有り得ない。なんでこの俺のデビューが今年になってからだよ、もう二十歳を越えてから、なんだって今更アイドルデビューだよ」
「……………」
「同じ事務所のクズどもに、少しでも仕事を増やすために、俺はエサに使われてたんだ。デビューを引っ張るだけ引っ張って、期待させて、出し惜しみして、挙句がこの様だ」
 誓也の肩を押しのけるようにして、貴沢はロッカーに向けて歩き出した。
「ストームなんて、ゴミみたいな連中に、なんだってこの俺が負けなきゃいけないんだよ」
「………………」
「なんの未練もないね」
「……ヒデ」
 ストームはゴミじゃねぇよ。
 誓也は、その言葉を飲み込んだ。
 将も憂也も生意気だし、あんま好きじゃねぇけどさ、崖っぷちサッカーの試合じゃ、お前だってマジで熱くなってたし、TAミュージックアワードでも、お前、みんなと一緒にガッツポーズしてたじゃないか。
 リリース勝負に累計で抜かれた時は、あまりに悔しくて泣いたけど。
 その涙は、一週前に、ストームの連中だって流したはずなんだぜ、ヒデ。
「……俺は、行かないよ」
「行くんだ」
「行かねぇよ、お前には悪いけど」
「行くんだよ、誓也!」
 ふいに獰猛な力で、誓也は、壁に押し付けられていた。
「お前1人残ってどうするよ、俺がいたから、売れたんだろ?」
「……………」
「俺のおかげでお前は売れたんだ、俺がいなきゃな、お前なんてクズと一緒で、箸にも棒にもひっかかりゃしねぇんだよ!」
「………ヒデ、」
「俺がいないと、何もできねぇんだよ、お前はよ!」
「………………」
 誓也は、呆然と相棒の顔を見上げた。
 どんな時でも、感情を荒げない親友の、初めて崩れた顔を見つめた。
「お前も東邦に行くんだ、いいな、誓也」
「………………」
「いいな!」
「………………」 



                 5



「憂也」
 リハーサル終了直後、真っ先に楽屋に向けて歩きだした憂也の背を、雅之はスタッフをかきわけるようにして追っていた。
「ちょっと……待てよ」
「わりー、次が押してんだ、俺」
 タオルで乱暴に汗を拭いながら憂也。
「憂也、少しでいいから」
 憂也が足を止める。
 振り返った顔は、少し疲れているように見えた。
「何」
「………いや」
 何って。
 その口調に反発し、雅之は思わず眉をしかめていた。
「友達呼び止めんのに、いちいち理由がいるのかよ」
「少しでいいからって、無理言ってんの雅だろ」
 そう言い捨て、憂也は傍らの長椅子に腰を下ろす。
 苛立ったような陰鬱な眼差しは、今日のリハの最中も、時々見せていたものだ。
「で、何?」
 なんだよ、その態度。
 つか、まだ、楽屋での言い争い、引きずってんのかよ。
 そんなの憂也らしくねぇし。
 そもそも、なんだって、憂也、こんなに変わっちまったんだよ。
「………りょうのことだけど」
「うん」
「……………」
 本当に聞きたいのは、そんなことじゃなくて。
 それもあるんだけど、もっと根本的なことで。
「何だよ、さっきの喧嘩のこと?」
「綺堂君」
 2人の間を遮るように、憂也のマネージャーが駆け寄ってきたのはその時だった。
 元々は、ヒデ&誓也のマネージャーだった、J&Mチーフクラスのマネージャーとしては最年少。
 水嶋大地。
 アルマーニの背広が似合う長身痩躯で、京大出身だとかいうどこか嫌味な男である。
 針金のように繊細な髪に、色白で整った顔。薄い眼鏡をかけている。 
「ちょっと」
 ちらっと雅之を見た水嶋が、憂也の腕を引くようにして、立ち上がらせた。
―――俺に聞かれたら、まずいってことかよ。
 明らかに雅之を避けるよう、ひそひそと小声で会話している2人を見て、雅之は気持ちが冷えていくのを感じていた。
 憂也は、無表情なまま、ただ、敏腕マネージャーの言葉に頷いている。
 そして、ようやく立っている雅之に気がついたように、視線だけを向けてくれた。
「あー、雅、悪いけど」
「え?」
「ちょい、用事できたんで、話ならまた後にしてくんねーかな」
「……………」
 そのまま、水嶋と2人で歩き出す憂也。
 雅之は、唖然として、そして、猛烈に腹がたってくるのを感じていた。
 つか、わけわかんねぇし。
 同じグループなのに、なんだよ、それ。
 こないだまで、しょっちゅう一緒にいて、昼何食ったかまで話してたのに、なんだよ、それ。
 俺、もう、憂也がわかんねぇよ。









※この物語は全てフィクションです。



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