……どなた?

うちの息子を探してるんです。すごく自慢の息子なんです。
ねぇ、あなたはどなた?

僕は、

うちの子のお友達?

僕は、あなたの、

どちらでご一緒だったかしら?

あなたの息子です、お母さ、

澪!どうして私の言うことが聞けないの!!





「…………っっ」
 がばっと跳ね起きる。
 汗が額から滴って、唇を濡らした。
 肩で荒い息を吐き、そのままシーツを握り締める。
「………………」
 指先が震えていた。轟音のような自身の呼吸。
―――また、お袋の夢、
 優しくて怖い。怖くて苦しい。
 絶望よりも深い孤独。
 もう忘れたと思っていた過去に、どうして今更さいなまれるのだろう。
「……助けて……」
 うめくように呟いた途端、目覚まし時計が鳴り始める。
 りょうは、びくっと身体を震わせて顔をあげた。
 午前五時。
 わずかな間をおいて携帯も鳴る。
 狂いそうな気がした。
 終りのない、まるで螺旋のような1日の始まりを告げる音。
―――助けて……
 誰か、
 誰か…………。





「ストーム崩壊」






                1


―――出ない……。
 片瀬りょうは、嘆息してから受話器を置いた。
 スタジオの休憩スペース、隅にある公衆電話。
 何度かけても、大阪の恋人は電話に出てくれない。
「くそっ」
 りょうは苛立って、電話台を拳で叩いた。
 せめて携帯、番号メモしときゃよかったな。
 たかだか番号をなくしただけで、それで途切れる、情報化社会の儚い繋がり。
 いつの間にか勝手に解約され、手渡された新しい携帯電話には、末永真白のアドレスだけが、嫌味のように消されていた。
―――気づいてるって、そう言いたいわけか。
 携帯だけではない、部屋も、いきなりの引越しだった。
 仕事でホテル詰めになって、戻ってみたら、デビュー当時から住み慣れた部屋は、上京してきたキッズの合部屋。荷物も何も全て勝手に動かされ、りょうは、怒りよりもショックで、しばらくものさえ言う気にはなれなかったほどだ。
―――何やってんだ、真白は。
 これだけ連絡が取れないでいるのに、何故、唯一の繋がりであるアパートの電話に出ないのだろう。
 色んな疑念が胸を重くさせ、ますますりょうを苛立たせる。
 ミカリさんが、いきなり消えたように。
 もしかして、真白も。
「……………」
 そう思うと、むしろ恐怖に近い不安にかられ、いてもたってもいられなくなる。
 仕事など放り投げて、すぐにでも大阪に飛んでいきたいほどに。
「片瀬君、そろそろ移動の時間だが」
 背後の扉が開いて、ふいにそんな声がした。
 現実に引き戻されたりょうは、憂鬱な気持ちで振り返る。
 りょうの仕事場に、マネージャーとして同行するのは、大抵いつもこの男。
 藤堂戒と名乗る、大柄で強面の男である。
 薄いあばたの浮いた顔に三白眼。凶相だ、スタジオに同行されるたびに、共演者にさえ恐れられる。
 小泉君と一緒だった時、気軽に声をかけてくれた女性スタッフや共演者も、今は、りょうを遠巻きに見るだけである。
「少し寝てもいいっすか」
 車に乗り込んですぐにそう言うと、
「次は撮影が入っている、目がはれるとまずいので、仮眠はその後に」
 シートベルトをつけながら藤堂が答える。
「充血止めの目薬です」
 振り返って手渡されたそれを、りょうは無言で目に差し入れた。
 仮眠して腫れた目と、極度の寝不足で充血した目。
―――どっちもどっちだろ、肌も吹き出ものだらけで、全然いけてねぇし、今の俺。
「それから、今日のスケジュールを、再度確認しておいてください」
 藤堂から、今度は、ペーパーが差し出される。
 車が緩やかに発進する。りょうは、半ばすがるようにシートに背を預けながら、その紙きれに視線を落とした。
 あー、すげーわ、これ。
 売れてるって、こういうことなんだ、マジで今まで知らなかった。
 ドラマ撮影、CМ撮影、インタビュー、グラビア撮影、ドラマの番宣、打ち合わせ、バラエティの現場撮影、それからまたグラビア撮影とインタビュー。最後の仕事が深夜三時、明日の始まりが五時のロケ。もうどうにでもしてくれ、という感じだ。
「来週からは、夏のコンサートの打ち合わせが入ります」
 運転をしている藤堂の声。
「九月には新曲が、十月にはアルバムがリリースされます」
「……はい」
 となると、夏はコンサートとプロモーションで、多分、寝る間もないほど忙しくなる。
 りょうはため息を吐いて、空を見上げた。
 あれだけ新曲を出したくてたまらなかったのが、ほんの数ヶ月前までのことなのに、今は不思議と、ああ、そういう仕事があるんだな、という感覚しか湧いてこない。
「それから九月公演の舞台のオファーもきています、来月には記者発表があるので、稽古は夏から始まると思っていてください」
「はい」
「十月からの秋ドラマ枠も、おそらく主演で決まると思います。その時期から、年末に向けては大きな賞レースが立て続けにありますから」
「………はい」
「年末まで、休みはないものと思ってがんばってください」
「……………」
 すげーわ、俺。
 すげーよ、ストーム。
 そっか、これが、望んでいた場所なんだ、きっと。
 子供の頃、母親に連れてってもらったギャラクシーのコンサート。
 意味、あんまわかんなかったけど、会場中の観客から熱烈に愛されている存在に、ただ、ひたすら憧憬を覚えた。
 そうなりたいと、思った。
 俺もあの場所で、光を一身に浴びる存在になりたいと。
「きゃーーっっっ」
「りょうーっっ」
「片瀬くーんっ」
 路上の駐車場、車を降りた途端、待ちかねていたファンに取り囲まれる。
 りょうは吃驚したが、藤堂は手馴れた様子で、りょうを庇うようにしてファンの輪の中を歩き出した。
「大好き、愛してるーっ」
「結婚してーっっ」
 カメラのフラッシュ。
 ようやく、りょうは、これが仕込みのあるアクシデントだと気がついた。
 集まったファンは本物だが、この、あらかじめ想定された騒ぎは、何かの映像として使われる予定なのだろう。
「かっこいいーっ」
「りょうーっ、こっち向いてっっ」
 身体中を容赦なく叩かれる。
 実際は、ただかすめるように触れられるだけだったが、りょうには、この黒い渦のような観衆が、何かまがまがしい凶器のようにしか見えなかった。
 彼女たちが見てるのは。
 求めてるのは、愛しているのは。
 俺であって、俺じゃない。
―――どなた?
 うちの子を探してるんです。とても自慢の息子なんです。
「笑って」
 耳元で、藤堂が囁く。
―――あなたは、どなた……?
 りょうは、笑顔で片手をあげた。
 本当は、耳を塞いでしゃがみこんでしまいたかった。



                2


「ヒデが……移籍?」
 将は、眉をひそめながら顔を上げた。
「まぁ、噂やけどな」
 ジャパンテレビ。
 夜枠では初主演となるドラマの番組宣伝で、将は、今、事務所の先輩でもあるマリア――その冠番組のリハーサルに出ていた。
 黙りこんだ将に、立ったままの増嶋 流は、微かに笑ってカップコーヒーを差し出した。
「あ、すいません」
「のみかけやけどな」
「……………」
「ばーか、どっちが売れとると思ってんのや、たまには奢ってもバチあたらんで」
 笑いながら、流は、ベンチに座る将の傍らに腰掛けてくれた。
 ギャラクシーに次ぐJ&Мのトップユニット、マリア。流はその最年長リーダーである。
 元暴走族という噂もあるが、ストームにとっても将にとっても、デビュー前から頼りなる先輩の1人。
「すいません、金払います」
「冗談つうじんやっちゃなぁ、のみかけちゃうで、お前のために買うたんや、どあほう」
「………すいません」
 暖かなカップ。
 将は、ずっと冷えたままだった気持ちが、少し温もりを帯びたような気がした。
「まぁ、美波さんが、いきなり事務所辞めてから」
 同じようにカップを抱えたまま、流は、ぽつりと呟いた。
「マスコミでも、色々不穏な噂が流れとるしな、性質の悪いデマやと思いたいよ、今回だけは」
「……………」
 美波涼二が、事務所を辞めた。
 あまりにも唐突で、そして突然の出来事だった。
 美波にしても、真咲しずくにしても、まだ正式な立場はこの事務所の取締役だ。その解任は6月に正式に追認される。が――2人の姿を、もう事務所内で見ることはなくなった。
「美波さんは、今何してるんでしょうか」
 将の問いに、流は無言で肩をすくめる。
「ぶっちゃけ、俺ら、あの人が大嫌いやったしね。なんや、唐沢社長の犬みたいに尻尾振って、いばりくさって、なにがタレント代表取締役や、ただの金儲けの権化やないか思うとったわ、マジで」
「………………」
 そうだろうか。
 確かに最初はそうだった。将にしても、事務所のシステムを知れば知るほど、深い絶望と憤りを感じた。そして、それを創り上げたのが、美波涼二と、唐沢社長で――
「なのに、なんやな、一番美波さん嫌うとった緋川さんが」
「……………」
「今、一番元気なくしとんねん、おかしなもんやろ」
 そう言う流の横顔も、不思議なほど寂しそうに見えた。
――もう、会えないと思うけど。
――もう二度と、君とは会えないと思うけど。
 別れ。
 出会えば必ず待っているもの。
 美波涼二とも、真咲しずくとも、色々な葛藤や歓喜を共にして過ごしてきた。二人とも、そこにいるのが当たり前で、いることの意味など考えたこともなかった。
 なのに、もういない。
 いることの意味など、最初からなかったかのように、どこにもいない。
 頭では理解していても、胸にぽっかりと空いた理不尽な穴が、今も将には埋められないままでいる。
「ヒデと……話してみます、俺」
「あほか、お前が責任感じることとちゃうで」
「いや、そんなんじゃなくて」
「お前らの曲売ったの、俺らもまた一緒やねん。俺らだけじゃない、ギャラクシーさんもコンサートで奇蹟歌うたし、それがどないに異例でありえへんことか、お前にもわかるやろ」
「………………」
 将は黙る。
 Jの、いや、アジアのトップアイドル「ギャラクシー」が、自身三年ぶりのコンサートツアーで後輩の楽曲を歌った。それ自体がワイドショーでトップ扱いになったくらいだ。
「晃一と剛史も、自分とこの番組で何度も流してくれてたやろ、あいつらにしても、連続リリース1位記録がかかってんのや。あないなもんに、こだわるような奴らやないけどな、なまじっかの覚悟でできるもんやないで」
「…………………」
「ヒデに謝る前にな、お前が頭下げなあかん連中は仰山おるんや、勘違いしたらあかん、俺らは仲間やけど、その前にライバルや」
 仲間、だけどライバル。
「悪い意味ちゃうで」
 何も言えない将の頭を、嘆息まじりに流は小突いた。
「俺が言うライバルゆうのはな、勝つことも負けることも、覚悟する仲ゆうことやねん。馴れ合いやなくてな、もっと厳しい覚悟の上でつきおうていく関係のことやねん」
 眉を寄せたままの将は、ストームのことをふと思う。
 ライバル心がずっと欠落したまま、今日まで来てしまった俺ら。
 勝つことも負けることも――覚悟も実感もないまま、ただ、一緒に何かしたかった奴ら。
 ただ、毎日が楽しくて。
 でもそれで、本当によかったんだろうか。
「ヒデがそっから逃げるんは、ヒデの自由やし、ヒデの勝手や。お前が謝るようなことちゃうよ」
「………………」
 謝るのとは、少し違って。
 将は、最後に貴沢秀俊と2人で話した日のことを思い出していた。
 新曲プロモーション初日。
 冷酷な目で、強烈な嫌味と皮肉を吐かれた時、将には判ったことがある。
―――こいつも、必死なんだ。
 今日だけじゃない、ずっとずっと、ヒデは必死だったんだ。
 それが、将に、解散を口にせずに勝負したいという決心を固めさせた。
「やっぱ、俺、ヒデと話します」
「さよか」
 苦笑したものの、流はそれ以上、何も言おうとしなかった。
 リハーサル合間の休息時間。
 目の前では、マリアのボーカル今井智樹が、さきほどまで撮影していたモニター画面に見入っている。
「前はなぁ」
 その光景を見つめながら、流が楽しそうに口を開いた。
「リハん時が犬ころみたいに楽しそうで、本番になるとつまらへんノリやった。それが今は、まるで逆や」
「…………?」
 いぶかしげな顔をした将を、流は笑顔で振り返った。
「お前らのことや」
 俺らのこと。
 ストームの?
「プロの芸人がそんな感じやね。俺ら大阪で育ったから、おもろい人、仰山知っとるけどな、本物ほど、楽屋じゃ寡黙で、ピリピリしてるものやねん」
 それは、どういう意味だろう。
 将はカップを手にしたまま、先輩アイドルの横顔を見つめる。
「ただ、それはなぁ、彼らがおもろさをプロとして売ってる人だからやねん。そのへんの友達わらかすんやないで?テレビの前のな、何十万ちゅう視聴者わらかさなあかんねん。そら、ピリピリするし、寡黙にもなるわな」
「そう……ですね」
 流の言いたいことを、将は読みあぐねる。
 流とは昔からそうで、相当な饒舌なだけに、時々自分でも何が言いたいのかわからくなるらしい。
 リハん時が犬ころみたいに楽しそうで、本番になるとつまらへんノリやった。それが今は、まるで逆や。
 逆ってことは、俺らが。
 少しだけプロに近づいたということなんだろうか。
 確かに最近、以前ほどメンバー間でふざけあうことはなくなった。
 声は掛け合うし、近況は話すが、とにかく、疲れていて、楽屋でも待ち時間でも、誰かが死んだように眠っているか、必死で台本を読んでいるか――どちらかだ。
 なのに、本番の合図が飛ぶと、即座に憂也がテンションをあげ、雅之がそれに絡み、りょうと聡も、自身のポジションを理解して、きっちりと仕事をこなしている。
 将にしても、ここでどんな話題を振ればいいか、逆に相手が、どんな話題を振りたがっているか、黙るタイミング、口を出すタイミング、場の空気というものが、ごく自然に読めるようになった気がする。
 そういう意味で、幾多の試練を経て、確かに全員が成長したのかもしれない。
「まぁ……なんや、何言いたかったか、忘れてしもたけど」
 流は、こりこりと眉の当たりを掻いた。
「らしくない顔すんなっちゅう話やねん!」
 ばしっと背中を叩かれる。
 コーヒーを口に含みかけていた将は、溢れかけたカップを慌てて衣装から引き離した。
「ら、らしくない顔っすか」
「俺らはある意味、ものごっつ残酷な仕事しとるんやで」
「……………」
 残酷な仕事。
 どういう意味だろう、そして今度は何の話だろう。
「例え、親が死んでも兄弟が殺されてもな、悔しさも悲しさも、恨みも怒りも、それを表に出すことは、絶対にできない存在なんや」
 流の横顔は、いつになく真剣だった。
「俺らはアイドルで、アイドルは人を幸せにするために存在しとるんや、お客さん悲しませたり、不安にさせたらあかん、嘘でも恋人はファンのみんなでないとあかん」
「…………」
「そんな深刻な顔せんでもええって」
 相当深刻な顔をしていた流は、そう言って将の背中を再度叩き、立ち上がった。
「あー、また何言いたいか、忘れてもうた」
 そして先輩スターは、もどかしげに自分の髪をかきあげる。
「色々あるかもしれへんけどな、今までのお前らで、俺はええ思うとる、そういうことや」









※この物語は全てフィクションです。



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