6


 どこにいても、探してるんだ、俺。
「……あ……、東條、さん」
 こんなとこにいるはずないって判ってるのに。
 扉を開けるたびに、階段を昇るたびに、エレベーターを降りるたびに、そこに、笑顔があるような気がして。
「……ん、……好き、大好き」
 好きよ、聡君。
 本当、本当に大好き。
 ミカリさん。
―――時が、
 ミカリさん。
 時が、このまま止まればいいのにね。
「なんで……泣いてるの?」
 暖かな手が頬に添えられる。
「なんでもない」
 聡は首を振って、空っぽの、意味のない行為に没頭する。
 本番直前の控え室。
 声が漏れたら最後だった。なのに女は、いつもひそんでやってくるし、聡も感情のないまま、それに応える。
「や……、は、げし、」
 どうでもいいや。
 ばれなきゃいいんだ。
 ばれたらどうなるだろ、ストーム首かな、今日の憂也の勢いだと。
 それとも、話せば理解してもらえんのかな。
 俺、今、寂しくて虚しくて、死んじゃいそうなんだって。
―――好きよ、聡君。
 もう、戻らない、多分。
 どんなに悔いても、あの時の時間は戻らない。
 俺が、彼女の手を離してしまった。
 誰のせいでもない、俺が……俺が、そうしてしまったんだから。



                7


「恭子さん?」
 マンションに辿り着くと同時にかかってきた電話。
 雅之は、飛びつくように携帯に出ていた。
 電話の相手はかつての恋人。
 そして、最近、頻繁に近況を語り合っている相手である。
「元気?」
「うん」
「今日は何があったの?」
「………うん」
 窮屈な衣服を脱ぎながら、シャツのボタンを外す。
「ごめん、へんなメールして」
「会うのはごめんよ」
「あ、それ、俺のセリフです」
 言ってから、雅之は笑っていた。
 上半身裸になって、最初から部屋に備え付けてあった大きなソファに背をあずける。
 本当かどうかは知らないけれど、マネージャーの言葉を信じるなら、この部屋は、マリアの今井智樹がデビュー当時使っていたものだという。
「本当は会いたいって思ってるくせに」
 恭子の声が笑っている。
 最初は、疲れて、どこか棘棘しかった声が、何度も電話を繰り返すたびに華やいで明るくなっている。それが、雅之には、なんとなく嬉しかった。
「思わないって、だって、会ったらマジやべーじゃん」
「そうね、ただじゃ済まないわね」
「うわっ、怖っ」
「……何があったの?」
 優しい声。
 まずいとは思っている。
 連絡さえしていない流川凪に悪いとも思っている。自身の将来を賭けて、この女と縁を切らせてくれたのは、凪なのだから。
 でも、雅之にも判っている。
 今、最悪なのは、嵐のようなストーム狂騒曲に凪を巻き込んでしまうことだ。
 今思えば、唯一のよりどころは、凪のバックに美波涼二がついてくれていたことだった。強烈なライバル心と、時に嫉妬を感じながらも、だからこそ凪と、そこそこおおっぴらに付き合うことができたのかもしれない。
 が、その美波は事務所を去った。
 恋愛に関しては(も?)、おおっぴらで、おそらく流川のことを黙認してくれていた真咲しずくも、もういない。
 となると、万が一、凪を巻き込んでしまったら、彼女をマスコミから庇護してくれる人間は事務所にいないことになる。
 つか、
 別れろってことなのかな、やっぱ。
 まだ若い身空で、これじゃ流川があまりにも可哀想だし。
 彼氏らしいこと何もしてやれないし、連絡さえまともにとれないし。
 待ってろって、じゃ、いつまで待たせていいかさえ判らないし。
 で、やっぱ、仕事が好きだから、アイドル辞める気もさらさらないし。
「……色々、あんだけどさ」
 あ、やば。
 なんか、泣きそうになってるし、俺。
「やっぱ恋愛って、できねぇのかな、アイドルは」
「してるじゃない」
「してるんだけどさ、……してるんだけど」
「ばれなきゃいいのよ」
 この、将君みたいな割り切りの良さと、腹の括り方が、この女の魅力でもある。
「そこが……なかなか難しくてさ」
「はっきり言ってあげるけど、アイドルが恋愛に走ったらおしまいよ」
「……………」
「もう、その時点で、アイドルじゃないって話よ。人気はあっても、それはアイドルしての人気じゃないの。意味わかる?」
「いや……あんま、よくは」
「沢山の人が焦がれる光よ、それがアイドル。ねぇ、誰が恋愛に狂ってる男に焦がれると思う?誰が、子持ちの既婚者に焦がれると思う?」
「んじゃ、アイドルやってる以上、恋愛も結婚もできねぇってことじゃん」
 やや反発を感じ、雅之は言い返す。
「切り離すのね、徹底的に」
「……切り離す?」
「プライバシーを微塵も見せないことよ。ファンがその存在を忘れるほど徹底的に隠すこと」
「……………」
 そんなの、無理だよ。
 この情報化社会に、どうやって。
「恋愛報道、結婚報道は、アイドルにとって最大の試練だし、正念場よ。ファンなら間違いなくそこで引くし、わずかでも人気が翳れば、マスコミも一斉に牙を剥く。最悪、そこで全てが終わることもある」
 雅之は、事務所の先輩たちのことを考えてみた。
 すでに三十を超えながら、今だ誰一人結婚も、交際宣言もしていない現実を。
「そこを乗り越えて、人気をキープしたままスタイルを確立できたら、大したものね。ただ、忠告してあげるけど、雅君にはまだ無理よ」
「………………」
「雅君だけじゃない、ストームの誰だって、まだまだ無理。ファンが引いて、マスコミが叩いて、それでジ・エンド」
「……………」
「まだまだね、人気と若さが売りなのよ、君たちはね。蝶を吸い寄せる花みたいなもの。その花に最初から虫がついてたら、誰だって嫌なものでしょ」
 なんか……。
「何、黙っちゃって」
「いや……マジ、へこみそうになってきた」
「多少の虫が飛び回ってても、関係ないほど、強烈な光を放つ花になりなさい」
「……………」
「今はね、そのために力をつけるときなのよ」
「……………」
 虫か。
 なんか、ひでーな。
 流川が聞いたら、激怒すっだろうな。
 つか、今ごろ何やってんだろ、あいつ。
 会いてーな。
 別の女と長話しながら、思うことじゃねぇんだけど。
「麻友ちゃん、どう」
「まずまずよ、この調子だと、今年の夏には渡米できると思うから」
「募金、順調なの」
「日本中から同情されてる……今、正直言うと」
 少し、声が頼りなくなる。
「雅君が注目されて、どんどん大きくなっていくのが、怖くて怖くて仕方ないのよ、自業自得ね、雅君に対してしようとしたことが、今頃になって自分の首絞めるなんて」
「………………」
 暴露本のことだ。
 結局出版は取りやめになったが、企画に携わった人たちなら、情報や内容は把握している。
「アイドルより、立場がまずいのかもね、今の私。こうして昔関係してた君と、こそこそ電話してることがすっぱ抜かれたら、支援者から総スカンだもの」
「………ごめん」
「悪いのは、私だから」
「……………」
「何があっても、被るのは私だから、雅君は気にしなくていいのよ」
「…………………」
 一瞬、天井を見上げた雅之は、自然に、涙が頬に零れるのを感じていた。
「雅君……?」
 俺って一体、何者なんだろう。
「どうしたの?」
「……ううん、なんでもねぇし」
 この広い世界で、何億の人が生きている世界で。
 誰にも頼れずに、今、1人で天井見てる俺って、一体何者なんだろう。
 こんな俺が、みんなが憧れる光だなんて、冗談じゃねぇって感じだよ、マジで。
「……会いたい……」
「……………」
「恭子さん……会いたい……」



                8



「目玉が、欲しいところだな」
 金属が軋むような声で呟いた男を、筑紫亮輔は冷めた目で見上げた。
「目玉ですか」
「ひとつひとつは悪くない、が、致命打をひとつ、このあたりで打っておきたい」
「へぇ……」
 いつ見ても不気味な男だ。
 口に含んだガムを吐き出し、筑紫は壁のような巨体から目を逸らした。
 深夜ゼロ時。
 他に社員がいないのが幸いだ。一度みたらうなされそうな面相。
 東京、一ツ橋、貸しビル六階に居を構えた「冬源社」。
 ここは、六年前、宋英社を追放された筑紫亮輔が、目の前に座る男のボスの援助を得て、立ち上げた会社である。
 元、女性週刊誌「ザ・ワイド」の編集長。
 それが、筑紫の前身であり、今でも使える過去の肩書きだ。
 連日の二日酔いで、まだこめかみが痛かった。筑紫は長い足を組みなおす。
「で?」
 白い蛍光灯が、目の前に座る蝋面のような男の肌を、さらに白く照らし出した。
 耳塚恭一郎。
 まさに、死者の国からの使いってやつだ。
 筑紫はそれを、内心うそぶく。
 この業界に入って三十年以上たつ、五十を超えた筑紫にとって、耳塚とは、初めて出会う未知の領域にいる男だった。
 モンスター、いや、こいつは死神だ。
 絶対に敵にはしたくないが、同時に味方にもしたくない。
「ネット、雑誌でいくら騒いでも、テレビがそれを取り上げないのでは意味がない、小さな火種で終わられても困る」
 その死神が、金属が無理にこすれあうような耳障りの悪い声で言う。
「報道規制は、唐沢のヤローの十八番ですからね。しかも、テレビ局は、一般人の報道には慎重だ」
 筑紫は切り返し、ポケットから煙草を取り出した。
「まぁ、Jの威力は、昔の半分も残っちゃいない、ストームが伸びきる前に、どうやったらテレビを動かせるか、確かに俺らも、そこを一番に検討していますよ」
 なまじっかのゴシップでは無理だろう。
 それは、今まで、散々テレビ局にスクープを黙殺され続けている、筑紫が一番よく知っている。
 PBO。
 放送倫理番組向上機構。
 日本放送協会と民放と、そして有識者とでなる半公の組織である。
 罰則も強制力もないが、そこでなされた勧告、警告は、放送業界ではある種の絶対性をもって受け入れられる。
 そういった機構の監視もある、様々な報道被害事件を経た近年、どの局も人権侵害には慎重にならざるを得ないのが現状だ。
「メディア・パニッシュデント」
 どこに定まっているか判らない眼差しで、耳塚はゆっくりとそう言った。
「…………」
「最終的にはそれで、我々は標的を抹殺する」
「メディア、リンチですか」
 鳥肌がたったのは、この男の目のせいだ、そう思いながら、筑紫はにやり、と唇で笑う。
「面白いですが、我々だけでは無理ですよ、それは」
 メディア・パニッシュデント。
 マスコミが、犯罪をおかした人間に対して、実名報道を行ったり、個人攻撃をしたりして、社会的に制裁を加えること。一番近い例で、先月有罪判決がでたライブライフ社長がそれにあたる。
 それには答えず、耳塚は視線を手元の書類に落とす。
「仕掛けるのは我々ではない」
「…………」
「“マスメディア”だよ、筑紫君」
 にやりと笑う、口腔内の赤みが刹那に見えるのが、不気味だった。
「我々は、そのきっかけさえ作ればいい、一度堰が切れたメディアは、必ず暴走を始めるものだ、それを大衆が望む限り」
 ストームを、イラクに行った人質ボランティアにでも仕立てあげるつもりか。
 肩をすくめたまま、筑紫は煙草の煙を吐き出した。
「で?」
 無論、それに異論はない。
 それが真実であれば、伝えるのは報道の義務だ。
 真実を知る権利の前では、人権などどうでもいい、しょせん、夢の世界の絵空事だからだ。
 芸能界とは、所詮虚構でなりたっている、その虚構を暴くのもまた――報道の義務。
 この混沌とした世界から、たったひとつの真実をあぶりだし、そこに光をあてる報道とは、いわば、神だ。
 かつて、筑紫を真っ向から否定した男に、それを、骨の髄まで思い知らせてやる。
「君の相棒の案を、採用してみようと思う」
「なるほどね」
 筑紫は、ちらりと、ただ一人事務所に残っているライターを振り返る。
 卓上でパソコンをたたいている小柄な女性。
 筑紫が、元の会社から引き抜いて育てた女記者だ。
「女ならではの、陰湿なやり方に、真田会長も苦笑しておられたがね、お膳立ては私がしよう、君らはそれを、ライブでスクープして欲しい」
「ライブね」
 なるほど、それならテレビ局も動く。
 タイミングにもよるだろうが――
 筑紫は、にやりと笑って、吸いかけのタバコを灰皿に押し付けた。
「ま、せいぜい派手にやってみますよ」









※この物語は全てフィクションです。



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