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 携帯が鳴っている。
 何度か切ろうとして、でもできなくて、しばらく深呼吸してから、雅之はそれを、耳に当てた。
「………やっと繋がったのね」
 懐かしい声。
 そして、雅之には、ある種の恐怖を持って響く声。
 決して怖い人ではない、セックスはいつも強引だけど、2人きりの時は、母親か姉のように優しかった。
「なんのつもり」
 雅之が口を開くより早く、女の声が急き立てた。
「余計なことしないで、お金は全額返すわ、冗談じゃないわよ」
「恭子さん、」
「子供に同情されるほど、落ちてないから、私」
「俺、子供じゃない」
「子供よ、私から見たら」
「子供じゃないよ」
 つきあっている時も。
 何度も何度も、やめようと思った。
 こんなこと続けてたら、マジでやばい。マジで大変なことになる。
 なのに、声を聞くと、もうダメだった。
 会いたくなって、欲しくなって。
 そして、終わった後に後悔する。そのむなしい連鎖の繰り返し。
「給料、かなりあがったんだ、ご、傲慢な言い方かもしんねぇけど、そんな、大した額じゃねぇし」
 本当は、あまりあがっていない。それに、給料の半分は家に入れている。
 振り込んだ三百万は、雅之の貯金の全てだった。
 免許を取って車を買おうと貯めていたお金。
「………返すわ、目覚めが悪いもの」
 恭子の声に、最初の勢いがなくなっている。
 彼女が、かなり心労をためていることは、事前にテレビ局の知り合いに聞いて知っていた。
 あの恭子さんがさ、久々に会ったら、ほんとに老けて、おばさんくさくなってんの、なんだか見てて気の毒になったよ、俺。
「お願いだから、受け取って」
 雅之は、胸が痛くなるのを堪えて、そう続けた。
「俺、恭子さんがどうこうじゃなくて、単純に麻友ちゃんのことが好きなんだ、ほっとけないだろ、聞いちゃった以上」
「…………………」
「何も……できないけど、できることあったら、なんでも言って」
「…………………」
 受話器の向こうから、沈黙が聞こえる。
 やがてそれは、かすかな、吐息のような笑いに変わった。
「そう言われると思ったわ」
「………………」
「雅君の性格なら、雅君以上によく知ってるのよ、結局説得されると思って電話したの」
「………なん、で」
「声が聞きたかったから」
「…………………」
 心臓が。
 わしづかみにされて、もっていかれそうになる。
 やばい、まずい。
「なんてね、本気にした?」
 が、恭子の声は、本気で面白がっているだけのようだった。
「か、軽くした……」
 雅之は、はーっと息を吐く。
 ああ……よかった。
「彼女、元気にしてる?」
「あ、うん、元気だよ」
「君は元気?」
「……………」
 元気だよ。
 即座に言おうとして、声が喉にひっかかっている。
「今……すげー、忙しくてさ」
「そうみたいだね」
 声が優しい。
「……なかなか5人揃って仕事とかもできなくなって、今も、1人で、これからバラエティの撮りなんだけど」
 憂也はオフレコ、聡は撮影、将とりょうはDVD発売イベント。
 新曲イベントが終わった頃から、誰も雅之の部屋に戻ってこなくなった。
 聡は、疲れているのか、イベントでは元気だが、プライベートでは殆ど笑顔を見せてくれない。
 将はいつも、むっつりして黙り込み、りょうは、気鬱なため息を、時々ふっと吐いている。
 憂也だけは、元のキャラに戻り、以前と何一つ変わらない。が、その変わらない憂也が、今の雅之にはひどく遠い。
「どこに行っても、ストームの噂ばかりよ」
「はは、俺も、どこ行っても、すげー人に囲まれる、なんか、悪い夢でも見てるみたい」
「いい夢、でしょ」
「そ、そうでした」
「大切にしなきゃね、色んなことがゆらいでも、根本がしっかりしてれば大丈夫だから」
「………………」
「じゃ、切るわよ」
「あ、」
「……何?」
 ホントはさ。
 ホントは、俺。
「……ごめん、なんでもない」
「?じゃあね」
 病院の中なのか、速攻で切られる電話。
「雅君、そろそろリハーサル入って」
 声だけをそれに返し、雅之は切れた携帯を見つめる。
 ホントは、俺、今、目茶苦茶寂しくて不安なんだ。
 オリコンも1位が決まって、奇蹟はストーム史上最大のセールスで、そういうの、もっと喜んでいいはずなんだけど。
 なんか、何のために、何のプロモしてんのか、よくわかんなくなりかけてんだ、俺。
「……………………」
 最近、みんなの顔が全然見えなくなってんだ、……俺。


  
                  12


「柏葉君」
 扉が開いた途端に顔をあげていた。
 出てきた人の姿を認め、将は、軽く嘆息して肩を落とす。
 六本木。
 J&M仮設事務所。
 役員室に続く控え室。こんな時間だから人はいないが、ここから先の扉をくぐるには、これからは、秘書と本人の許可がいるという。
 もとの、無用心だけどあけっぴろげの役員室が懐かしいな、と将は思う。
「……悪いが、真咲さんは、外出中だ」
 秘書室から出てきたのは、片野坂イタジだった。
 言葉を濁すその口調と、下の駐車場に女の車があったのとで、将は、それが嘘だと察した。
 というより、もう何度も何度も、将の面会希望はこの位置で拒否され続けている。
「どうにも無視、もう、会ってもらえないってことかよ」
「………本当に忙しくしてらっしゃるんだ、あの人は」
「みたいだね」
 将は、冷めた目で立ち上がる。
「俺はただ、今回のイベントが終わったら、全部話すっつったあいつの言葉、信じてきてるだけなんだけど」
 それには、片野坂イタジが軽く嘆息するのが判った。
「柏葉君は、何にひっかかってるんだ」
「何がって、何もかもだよ。St ft Takeshiの正体は確かに教えてもらったさ、あの時、電話で」
 九州、イベントの真っ最中だった。
 同行していた前原に、「奇蹟作った人の曲じゃないかな」と、一枚のディスクを渡されて、それを、なんの気もなく聞いた将は、これが――かつて、自分が子供だった頃、真咲しずくの声とピアノで教えてもらった歌だと気がついた。
 どこをどう探しても、何のタイトルかさえ判らなかった曲。
 そして、それと気づいた瞬間、将は不思議なほどの確かさで確信していた。
―――これ、親父の作った曲なんだ。
 じゃあ、奇蹟も?
 親父は死んだって言ってたけど、本当はどっかで生きてんのか?
 なんで、この曲のこと、あいつは俺に、何も言ってくれないんだ。
 土壇場で、将はしずくが判らなくなっていた。何が本当で真実で、何が嘘で仕事なのか。
 軽率だったと今では反省しているが、ホテルを飛び出し、ほとんど東京に戻る寸前だった。
 しずくから電話がかかってきたのは、空港に異動するタクシーの中。おそらくメンバーの誰かが、しずくか、ここにいるイタジに連絡を入れたのだろう。
 憤る将に、しずくはあっさりと謎のアーティストの正体を明かしてくれた。
「それがRENさんだって聞いて、……吃驚もしたし、逆にあの人には迷惑かけらんねーって思ったから、」
 将は言葉を切って、唇を噛んだ。
「だから、あいつの言うとおり、今日までずっと待ってたんじゃないか!」
 このチャート勝負が終わる頃には、バニーちゃんにも何もかも判ってるわよ。
 君が知りたくないと思っているお父さんが、どんな人で、どう生きて、どんな死に方をしたか、全部。
 イタジは、視線を伏せたままで嘆息する。
「柏葉君、真咲さんの勝負は、まだ終わっていないんだ」
「それまで、会うのもダメってことかよ!」
「落ち着きなさい、君は一体、どういう立場で会社のトップに面会を求めているんだ!」
 イタジの言葉が、はじめて厳しいものになった。
「タレントとしてか、それとも男としてか、言っては悪いが、君の目は、今完全に男になっている」
 将は詰まる。
 そのまま、ぐっと拳だけを握る。
「下衆な言い方だが、恋人の真意がわからなくなって、それを確かめようとやっきになっている子供のようだ、君と真咲さんが置かれている立場を、少しは理解しなさい、柏葉君」
 俺と。
 あの女が置かれている立場。
「………今、君を彼女に会わせるわけには、いかない」
「…………………」
 将は、こみあげた憤りをやりすごし、一礼してから、きびすを返す。
「待ちなさい」
 しかし、イタジの声がそれを止めた。
 振り返った将に、イタジが難しい顔をしながら歩み寄ってきた。
「これは、RENさんが泊まっているホテルだ」
 小さな紙切れが手渡される。
「………RENの?」
「奇蹟のオリジナル曲提供者を、無論、RENは知っているし、何もかも承知で、今回の真咲さんのプロモに協力してくれた」
「…………………」
「話を聞きたいと思うなら、そこに行ってみるといい。ただ、今は、マスコミがこぞって姿を消したRENの居場所を探している。くれぐれも、行動には気をつけなさい」



                   13



 大きなスクリーンに流れ出した映像と音楽に、道行人が足を止めている。
「なにあれ」
「ちょーかっこいい、彼ら、どういう俳優?」
「アイドルだって」
「ほら、ストーム」
「解散するんじゃなかったの?」
―――真白……
 りょうは、帽子を深く被りなおし、雑踏の中に紛れていく。
 当分、会えないよ、俺たち、きっと。
 それが、ミカリさんのメッセージだ。
 彼女は、俺に、自分の身を持って警告してくれたんだ。
「………………」
 それを、りょうは、これから会う女に確かめに行く。
 もう三年も前、たった一月だけ、同じ部屋で暮らしていた女に。
「この歌、すごくいいね」
「なんて曲?」
「ストームの新曲だって」
 女子高生たちが、歓声をあげながらりょうの傍を駆け抜けていく。
 その肩がりょうに当たり、「もう、邪魔、」と、じゃけんな声が浴びせられた。
 りょうは、わずかに背後を振り返り、そして黙って歩き出す。
 どうして、それに気づかなかったんだろう。
 スクリーンの中で踊っているのは、片瀬りょうだ。澪じゃない。
 本当の俺は、ここにいるのに。
 誰も、本当の俺を、見てくれない。
 たまらない孤独に突き上げられ、りょうは、その場に座り込みたい衝動に必死に耐えた。
 どこへ行けばいいんだろう。
 誰か、教えてくれ。答えてくれ。
 俺たち、一体、どこへ向かっているんだろう……。














※この物語は全てフィクションです。
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