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 5月20日 月曜日、午後8時。
 各事務所あてに、オリコンから、明日公開予定のウィークリーチャートがファックスで届いた。
「正直、まるで読めませんね」
 今朝方、さじを投げたようにそう言ったのは、藤堂だった。
「オリコンからも、珍しく事前発表がない、これは、相当僅差で接戦しているんでしょう」
 その藤堂は、唐沢のオフィスで、同じように届いたファックスを見ているはずだ。
 美波は、無言で、機械から出力されたペーパーを掴みあげる。


 3位 Love season  ヒデ&誓也(J&M) 推定売上 183400 


―――サクラを、使ったか……。
 美波は、苦い思いで、舌打ちした。
 事前の数字と違いすぎる。購買員でも使わなければ、二週でここまで数字が伸びるなど有り得ない。
 おそらく唐沢の一存だろう。
 収益的には、相当の負担だったはずだ。しかもそれで、この結果。
―――どうしても、ストームに負けたくなかったか。
 ストームというより、真咲しずくに。
 購買員システムは、業界では暗黙の悪習で、いまさら、マスコミも騒ぎはしないが、一部ネットに、元バイトの発言や証拠写真が載せられたりして、Jの中でも、かなり疑念をもたれているシステムである。
 特に、ネットで、名指しで疑惑をつきつけられたことのあるスニーカーズは、かなりのショックだったろう。
「美波さん、俺ら、そういう真似されとるんやったら、二度とここでCDなんか出せへんよ!」
 普段温厚な澤井剛司に、そう言って詰め寄られたことさえある。
 誰だってしたくない。
 RITSにしても、おそらく内心、いい迷惑だと思っているはずだ。
 全ては会社の利益とブライドのため。
 美波はわずかに眉をひそめる。
 それにしても、この展開は予想外だ。
 6月の株主総会、もしかすると、とんでもない下克上が起こるかもしれない。



                 9


「……い、」
 片野坂イタジの雄叫びが、静まり返ったオフィスに響く。
「ま、ままま、まま、ま」
「私はあなたのママじゃないわよ」
 デスクに座っている女は、楽しげに笑う。
 出力されたばかりのファックスを片手に立つ、片野坂の顔は無精ひげで覆われていた。
 その、充血した目に、透明の粒が浮かんで流れる。
「おやじの涙は、みっともないっすよ、イタジさん」
 そう揶揄する、小泉旬の目も、すでに涙で潤んでいた。


 1位 奇蹟    ストーム(J&M) 推定売上 223678

 2位 ドロップス 宇佐田ヒカル(アーベックス) 推定売上 223559


「ぎ、ぎりぎりの僅差ですよ、ま、まだ手震えてます、俺」
 イタジの声も、まだ震えている。
「これで、存続ですよね、もう大丈夫ですよね」
 小泉が、その手を握って振り回している。
 そりゃそうだ。
 イタジは、溢れる涙をぬぐって顔をあげた。
 そして、デスクで、ファックス用紙を照明にすかしている女の傍に歩み寄る。
「真咲さん、る、累計で、ヒデ&誓也を……」
「抜いちゃったわね、ちょっと気の毒なことしちゃったな」
 こんな時でも女はクールに、眉の端を掻いている。
「きっ気の毒とか言ってる場合じゃないですよ、僕らは、もう、解散するかどうかの瀬戸際だったっつーのに」
「だったじゃなくて、まだ瀬戸際」
 女はあっさり言うと、初夏のワンピースをひるがえして立ち上がった。
「え、だって……」
 イタジは、唖然として呟いた。
「だって、勝ってるじゃないですか!1位もとったし、累計でも抜いたし、これの、どこが」
「約束は、三週連続だもん」
「……………………」
 あの、ですね。
 イタジは嘆息して、窓辺に立つしずくの背後に駆け寄った。
「それは、あんた……じゃない、真咲さんが、勝手に付け加えた条件でしょ!んなもん、唐沢社長だって、今さらこだわったりしませんよ」
 それどころか、この実績をたてに、真咲しずくは、さらなる待遇改善を事務所に求めることもできるはずだ。
 イタジの知る限り、デビューユニットが発売二週目で三位以下に落ちるのは、事務所としては、あまり喜ばしいことではない。
 しかも、ポスト緋川拓海と呼ばれる貴沢秀俊。
 大げさでなく、これは、社運をかけたデビューだったはずだ。
 この程度の結果で、誰も満足しているはずはない。
―――ヒデは……気の毒だったな。
 イタジは、ふと胸の痛みを感じて視線を下げる。
 あれだけ逸材と騒がれ続け、中学生の頃から、私生活までがんじがらめに縛られて。
 おそらくストームがデビューした時期が、ヒデにとってもピークだったはずだ。
 あの頃デビューしていればどうだったろう。今更言っても始まらないが、会社の方針で逸材のデビューを二十歳すぎまでひっぱったことは、間違いなく唐沢・美波の責任問題に繋がってくる。
「とにかく、ですね」
 気を取り直して、イタジは続ける。
 とにかく、今はストームだ。
「至急、唐沢社長と今後の方針を話しあってください、あなただって知ってるでしょう、うちは今、ストームへのオファーが殺到して」
 イタジは、散らかり放題のオフィスの卓上を指差した。
「もうパンク寸前なんです、現場が2人体制じゃもう無理です、すぐに増員を要求してください!」
 ドラマのレギュラー、特番の司会、バラエティのゲスト、音楽番組への出演、ここ数日で、半年先の出演交渉まで出てきた始末だ。
「しょうがないじゃん、だって言っちゃったんだし」
 しずくは、肩をすくめて、初めてイタジを振り返った。
「オファーは、七月まで受けて、あとは保留」
「ほ、保留って、しかし、ですね」
 言っちゃったも何も、いつも「そんなこと言ったっけ」と見え透いたごまかしで言い逃れる人が、なんだって今回に限って。
 しかも、オファーを蹴るなど愚の骨頂だ。
 今は、受けるだけ受けて、できることなら半年はおろか一年先まで受けて、で、存続を既成事実として確立させたい。
「じゃ、いいです、僕が唐沢社長に直談判してきます!」
 勢い込んで走り出そうとしたら、背後から腕を掴まれる。
 柔らかい手、こんな時なのに、イタジはわずかに狼狽した。
「もう、相変わらずせっかちだなぁ、イタちゃんは」
 しずくはくすくす笑っている。
「だって、まだまだなんだもん」
「な、何がなんです、何が!」
 イタジから手を解き、再びしずくが、窓の方に視線を向ける。
 漆黒の夜を写した窓に、美貌の女の横顔が映えている。
 それが、わずかだが暗い笑みを浮かべた気がした。
「まだまだ、こんなもんじゃないってことよ」



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「結果は、二位ですが」
 アーベックス、専務取締役室。
 今日もいつもの通り、荻野は携帯をいじっている。
 小金井はごほん、と咳払いした。
「宇佐田には、自身のデビュー曲以来の、初動二十万超えとなりました。収益としては、上々だったと思います」
 部下の報告に荻野は答えない、無表情の横顔、眼鏡に携帯の明りが反射している。
「しかし、J&Mは、今回も購買員を駆使してきたそうです」
 こちらの警告にもかかわらず――まぁ、騒ぎ立てられないのは、どの会社も同じことだ。どこだって一度は、やましいことに手を染めている。
「今回はかなりの規模で、全国的に展開したそうです。もしかするとストームのセールスにしても」
「いや」
 はじめて荻野が顔をあげた。
「ストームはないでしょう」
「……まぁ、でも、そんなことは判りませんし」
 あの数字は有り得ない。
 最初の第一報を聞いたとき、一桁間違っているかとさえ思ったほどだ。
 しかも、発売第二週で。
「ストームはないです、だからこそ、うちも正々堂々とプロモーションで勝負した」
 荻野は、ゆっくりとそう言って立ち上がった。
「今回はうちも、いい勉強をさせてもらいました、そうは思いませんか、小金井君」
「……いや、」
 少し迷ってから、小金井は、はっきりと頷いた。
「はい」
 そりゃ、誰だってサクラなんて使いたくない。
 うちは、夢と希望、人生に光を与える職場だ。
 宇佐田の曲は最高だ。アイドルなんか問題にもならない。
 そんなやましい思いまでして、CDの売り上げ順位にこだわる必要など、何もない。
「今回のストームの奇蹟は、一見、二週以降の派手なプロモーションが勝因と思われますが、実はそうではありません」
 荻野は、携帯を手の中でひらめかせる。
「アイドルに限らず、アーティストとは、天から与えられた奇跡の才能を持っている、歌、容姿、存在感、全てが、神から与えられた宝物だ」
「……………」
 荻野が、こんなロマンチストだとは知らなかった。小金井は、やや唖然として滅多に口を開かないボスを見つめる。
「それは、沢山の人に惜しみなく与えるためにある。今回の勝因は、ストームが第一週に行なった全国四十箇所以上の、草の根ライブが全てです」












※この物語は全てフィクションです。


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