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「…………」
 変態だと思われたらどうしよう。
 一応、ヘルメットは脱いでみた。
 都内にある私立の附属小学校。しずくも無論知っている、全国でも有名な私立大学附属の、幼稚舎からストレートでしか上がれない難関受験校である。
―――つか、マジでおぼっちゃまですか。
 バイクを手で押しながら、銀杏が舞い散る並木道、通学路を帰宅していく生徒たちの顔を見送る。
 全員が揃いのランドセルに高校生風の制服。こんなもん、背が伸びるたびに買い換えてたら、相当な出費だろう。
 どの顔も、なんだか「金持ち」って感じがする。
 実際、裕福な家庭の子供が大半なんだろう。時折、しずくの傍を緩やかに高級車が通り過ぎていくのは、お迎えの車ってやつだ。
「写真、見てくればよかったな」
 思わず呟いてしまっていた。
 ここに辿り着くのは、なかなか容易ではなかった。
 産院を聞き出し、病院で、出産は無事に終わったということだけは確認できた。
 七ヶ月の早産だった。
 母親は出血がひどく、元々手術に耐えられる体力がなかった。出産自体、生死の保障のない危険なものだったらしい。その翌晩に死亡――七ヶ月で生まれた子供は、すぐに保育器に入れられた。
 父親は入院中だった。
 葬儀の手配と、病院の支払いは、妻側の親族が行ったという。
 その後は、しずくが独自に調べなければならなかった。
 病院で教えてもらえたのはそこまでだ。その近辺の葬儀会社に片端から電話をかけ、そこで、ようやく聞き出した。未入籍だった静馬の妻、真中多香子という女性の葬儀を依頼した人物の名前を。
 柏葉怜治
 柏葉―― 
 どこかで聞いた名前だと思った。どこかで――確かに耳にした名前。
 カシワバ――
 柏葉君。
 柏葉君とアメリカにいくの。
 それが、過去の一場面、静馬が連れ去った女性の口からだと気づいた時、記憶の鎖がふいに解けた。
 あの施設だ。どうしてそこにすぐ思い至らなかったんだろう。多香子が、静馬と同様、あの施設の出身者なら、彼女の親族を名乗る者も、当然施設の関係者であるはずだ。
 あの冬の雨の日。
 一度だけ父に連れて行かれた児童施設。
 再度、一人でそこを訪ねたしずくは、すぐに柏葉怜治なる男の素性を知ることができた。
 施設の元所有者、今はすでに手放しているが、相当な資産家の傍系らしいと。非常な道楽者で、子供の頃は、よく静馬と遊んでいたという話まで聞かされた。
 後は、興信所を通じて調べてもらった。
 残念なことに、怜治はすでに死亡していた。妻も同じ事故で死亡、子供はいない。
 が、補足としてついていた資料に、全ての答えがあった。
 彼の弟に八歳になる男児がいた。民法の特別養子縁組。そして、生年月日が一致している。
 柏葉将。
 その名前を確認したとき、しずくはかすかな眩暈を感じた。
―――彼だ。
 間違いない、静馬の子供は生きている。
 そしてしずくは、今、柏葉将なる子供が通う、小学校の前に立っている。
 が、それはしずくの、はやる気持ちからきた、ちょっとしたフライングだった。
―――さて、どうやって接触するべきだろう。
 相手はなにしろ、子供である。そもそも、自身の出生について、いささかも疑ってはいないだろう。
 しかも、顔さえ確認していないし。
 ある程度、コンタクトの方法は考えてあった。榊が、この学校の出身だし、彼の親族が確か学校関係者でもある。彼のつてで、上手く柏葉家と懇意になれれば、しめたものなのだが。
「………出直すかな」
 子供たちの群れの中、バイクを抱えたのっぽの女というのは、実に目だつ。
 バイクに跨り、ヘルメットを被ろうとした時だった。
「将、本当に一人で行くのかよ」
 そんな声がした。
 しずくは振り返っていた。
 風が――
 まるで、何かの偶然のように、しずくの視界を一瞬、不思議なくらい明瞭にした。
 見つけた。
 この子だ。
 色白で、凛とした形よい目をしている。
 柔らかそうな髪は、静馬が飼っている兎を連想させた。
 綺麗な子だ。
 想像以上に。
 その、少年の目が、怒っている。
「将、一人じゃ無理だよ」
「うるせぇな、ほっとけよ」
「危ないって」
「いいか」
 少年は、背後の友人らしき子供を振り返る。
「絶対に誰にも言うなよ」
 しずくは、少し驚いて、その、妙に大人びた横顔を見つめていた。
 父親にそっくりだ。
 てゆっか、ミニ静馬?なんだか超かわいいじゃん。
 で、妙にいきがってるし。
 軽く吹き出しながら、しずくは、目をいからせて先を行く少年の後を追っていた。
 見つけた――。
 彼が、きっとその鍵だ。
 扉を開くための鍵。





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「なんだって、こんなとこに連れてくるんだ」
「いいから来て」
 腕を強く引っ張られながら、静馬は閉口して嘆息した。
 しかし、どれだけ迷惑をかけたか判らない大家の娘相手に、今日ばかりは頭があがらない。
「出て行くつもりでしょ」
 暗い階段を降りながら、先を行く女が言った。
 高校中退をして、ぶらぶら遊んではいるが、まるで母親のように小うるさくて、面倒見がいい少女だった。
「行くよ」
「どうするの、入院で、貯金だって殆どなくなったのに」
「もともとあぶく銭だ、なんとでもなるさ」
 階段の途中で足を止め、女は射るような目で見あげてきた。
「あの女って、何?」
「……………」
「静馬をおかしくしたの、あの人なんでしょ」
「なんでもねぇよ」
 強いて言えば、この世で一番手を出してはいけない相手。
 あの夜、あの刹那、どうして自分の箍が外れてしまったのか、今でも静馬には判らない。
 それが純粋に愛情か、もしくはなんらかの感情が伴う行為だったら、まだ、こんな最悪な気分にはならなかったろう。
 あれから二月たっている。
 海外で暮らすとかなんとか言っていたから、もう日本にはいないだろう。
 先を行く女に引きずられるままに店内に入ると、中はにぎやかな喧騒に満ちていた。
 小さなクラブだ。
 ボックス席が、いくつかあって、音楽はジャズ。
「……………」
 つか、なんで。
 ここにガキがまじってんだ。
 ひとつのテーブルに、数人の男女が固まって、楽しそうに盛り上がっていた。
 その中に一人、場違いに小さな人がいた。
 人というより、明らかに未成年。
 少年の傍らに座るのが、ちょっと奇抜なメイクをしているものの――二ヶ月前に別れたきりの親友の娘だと気づき、静馬はようやく、傍らの女を振り返った。
「なんの真似だよ、これ」
「静馬のガキじゃん」
「……………」
「そっくりじゃん、原型は多香子さんだけど、目なんか、あんたにそっくりだよ」
「………………」
 足が、固まったように動かない。
 一刻も早くこの場を立ち去りたいのに、足が他人のそれのように言うことをきいてくれない。
「………喜ぶとでも、思ってんのかよ」
「……………」
「俺が自分の意思で捨てたガキだぜ?女房見殺しにして、あいつが必死に生んだガキを、金持ちに売ったんだ」
「仕方なかったんだよ!」
 叫ぶような声と共に、強く腕を掴まれる。
「あんたは病気で、弱かったんだ、ほかにどうしようもなかったじゃん!ほかに何ができたのさ!」
「………………」
「………もう、自分をそんなに責めないでよ」
 わっと歓声と共に、拍手が巻き起こる。
 陽気な笑顔で手を上げたしずくが、壇上のピアノの前に歩み寄る。その目が一瞬、エントランス付近に立つ静馬を見て、そしてすぐに逸らされた。
「将、歌って」
 しずくは綺麗に通る声で言った。
「俺?」
 子供がそれに答えている。
 静馬は、正視できずに目を逸らしていた。
「いつも歌ってるやつ、ここで披露しちゃってよ」
「下手だぜ」
「言ってるじゃない、歌は、上手い下手じゃないのよ、声だけでもなく、曲だけでもない」
 なんで、あんな女に。
 俺は色々―――柄にもなく、本当に色々話しちまったんだろう。
 真冶の娘のくせして、何もわかってなかったから。
 少しむかついて、説教してやったんだ。あいつが、昔の真冶と同じ目で俺を見たから。
 ビアノが旋律を奏で始める。
 静馬は、そのメロディよりも、演奏者の横顔に、はっきりと親友の面影を見ていた。




 君に届けたいものがあるんだ
 それが判らないから歌い続ける

 ひとつひとつ
 雨が降る石段を
 踏みしめながら上がっていくよ
 その先は真っ暗で
 何も見えやしないんだ
 誰もが必死に
 他人を蹴落としてでも頂上を目指してく
 それが 僕のいる世界の全てだった


 けれどいつか僕にも
 生まれた姿で愛を確かめる人ができて
 2人手を繋いで
 この道を歩んでいく
 君がいる世界を生きることで
 雨もいつか虹に変わると気づく


 僕らがいる小さな世界は
 争いと憎しみと欲望に満ちて
 時に、夢も希望も踏み潰されていく
 抱きしめて切ないくらいに祈るよ
 この小さな翼で
 僕は、君を守れるのかな




「……行くんでしょ」
 店を出た後、ここまで連れてきてくれた女が、低く呟いた。
 背後では、まだ音楽と喧騒が聞こえてくる。
 静馬はただ、黙っていた。
「それでも、静馬は行っちゃうんでしょ」
「………………」
「戻ってきて……待ってるから、あの部屋をあけて」
「………………」
「絶対に戻ってきて――」


 

 この素晴らしい世界で
 奇蹟のように
 めぐり合う生命
 僕らは、ひどく儚くて
 いつか、この手は離れてゆくけど


 きっと、託した火の行方なんて見えなくていい
 僕らはまるでリレーのように
 命を継いで生きているから


 ほら
 階段の天辺で
 誰かが手を伸ばしている
 次は俺の番だよと



                21



 絶え間なく響いていた潮騒が、わずかに途切れる。
「……日本に、残ることにしたの」
 しずくは、半年ぶりに会う男を見上げてそう言った。
「そうか」
「やりたいことができから――たいしたことはできないけど」
 男は何も言わない。
 今、どこにいて、何をしているかさえも。
 少し痩せた気がした。が、静観さを増した横顔には、かつて垣間見えた危険な匂いが消えていた。
「大きくなったでしょ」
「……………」
 背後に停めた車の中では、長いドライブに疲れた将が眠っている。
 この不思議な三人の道中を、ずっと不審そうにしていたけど、高速の途中から転寝をはじめた。
 それまでずっと無言だった静馬が、そっと、その髪を撫でてやっていたことを、バックミラー越しに、しずくは見ている。
「将は、いい歌手になるわよ」
「どうだかな」
「先生が必要よ。私みたいな受け売り教師じゃなくて、本物の教師が」
「……………」
 男は何も答えない。
「なんでもできるわよ、私、何しろ、芸能界を代表する会社の筆頭株主なんだから」
 僅差で、だけど。
 父と城之内から引き継いだ株を、しずくは条件付で、唐沢直人と、そして美波涼二、矢吹一哉に譲渡した。植村尚樹は辞退したが、しずくの出した条件とは、美波と、そして矢吹を取締役に昇格させること。
 そして、唐沢直人を代表取締役社長にし、自らを副社長職につけること。
 また、名誉職として、城之内慶を会長職に留めおくこと。
 自宅も不動産も、しずくが住むためのマンションを残し、全て処分した。
「何もできない代わりに、せめて、見守っていかなくちゃね」
「……………」
「父や城之内のおじ様が私に望んでいたことって、多分、その程度だと思うから。直人が持っていないものを、私がきっと、持っているから」
 美波涼二も、矢吹一哉も、植村尚樹も。
 多分全員が、今は心の荷を抱え、その重みをもてあましている。
 その精算は――しずくではない、彼ら自身がしなければいけないことだ、多分。
 残酷なようだけど、しずく自身も、自分の人生を一人で切り開いていかなければならないように。
「今の業界は腐ってる、いい歌が純粋に売れるような時代は、直になくなる。諸悪の根源は力で市場を操作している大手にあって、お前の事務所も同じ穴の狢だ」
「………変える力が必要よ」
「俺にそんな力があれば、とっくの昔に戻ってるさ」
「あなたは、覚えていないかもしれないけど」
 波が足を洗うのに任せ、しずくは乱れた髪をかきあげた。
「昔、あなたと会ってるの、随分昔……私がまだこんなだった頃」
「覚えてるよ」
 即座に答えてもらったのが嬉しくて、しずくはわずかに言葉に詰まった。
「パパがね、口癖みたいに言ってた言葉があるの。音楽は奇跡を起こす、……あの時ね、不思議なんだけど、私、……その言葉の意味が、すごく判った気がして」
「……………」
「この世界は、目に見えない、何かが、どこかで――繋がっていて、」
 その扉を開くのが。
 目に見えない絆。それを解き明かすのが――きっと。
「上手く言えない、判ったつもりになってたんだけど」
 しずくは、嘆息して空を見上げた。
 それは、あなたと一緒に過ごして、やっと手にいれた気持ちなんだけど。
「将に、あなたが言っていた言葉を全部、聞かせてあげたい」
「………………」
「いつか、東京ドームに立てるような、そんなアーティストになるわよ、絶対」
 将なら――あなたの子供なら。
「それは、もう俺の役目じゃねえよ」
「え?」
 横顔を見せる静馬は、低い声で呟いた。
 波音で、それが上手く聞き取れない。
「……?」
 男の横顔は、かすかではあるが、笑っているようにも見えた。
「曲ができそうなんだ」
「えっ、本当に?」
「ただし、俺が歌うには、ちょいと若すぎて笑っちまうような曲だけどさ」
「すごい、じゃあ、城之内静馬の再デビュー?私、全面的に応援するわ」
 笑ったまま目をそむけた静馬の眼差しに、わずかな陰りが浮かんだ。
「……頼みがある」
「……何?」
 波が足元にまで押し寄せている。夏の終り、海風は秋の香りを含んでいた。
「…………会わせてくれ」
「……………」
「………兄貴に………会わせてくれ、平蔵に、……省吾に」
「……………」
 解けた鎖。
 開いた扉。
 しずくは黙って、静馬の手を握り締めた。
「………感謝してる」
「私もよ」
「悪かったな、責任も取れないのに、あんな真似をした」
 しずくは黙って首を振った。
 苦しかったが、もう、自分の中では、けりをつけたセンチメンタルな感情だった。
「嬉しかった、初恋だったの、本当よ」
「……………」
「……ずっと恋してた。最高に楽しかった、一緒にいられて」
「……………」
「キスして……最後に」
 あの夢の中のキスみたいに。
 私の思い出を、今日、ここで永遠に終りにさせて―――




                   22



 空になった檻を、しずくは、信じられないような気持ちで見つめていた。
「逃げたの、それとも、逃がしてあげるつもりだったのかしら」
 女の目は、ここ数日泣き腫らしたように赤く腫れていた。
「……この近くの車道で死んでたの、ばかね、犬でもないのに、戻ってこようとしてたのかしらね」
「………………」
 小さな位牌。写真はなかった。
「兎と一緒に死んじゃった、いつも連れ歩いてたから、お似合いの死に方だったけど」
「………………」
 嘘でしょ。
 これ、何かの夢の続き?
 現実の焼香の匂いだけが、しずくの前にある。
 力なく膝をつく。何も考えられなかった、何も。
 海で別れてから、ほんの一週間しかたっていない。
 今日、彼は、かつての盟友と邂逅することになってた。
 過去は永久に過去になり、新しい未来がはじまるはずだった。
「あんたにって」
 女が差し出したものを、しずくは、ぼんやりと受け取った。封筒より少し大きめの小さな紙包み。
 私に?
「サナダさんって知ってる?」
 しずくは定まりきらない焦点のまま、顔をあげた。
「ここに来たの、……彼が死んだ二日前かな、すっごい高級車で乗りつけてきて……随分長いこと話してたみたい」
 真田。
「救急車で運ばれたのが、次の夜、最後の仕事だったのにね、どうしてあんなになるまで飲んだんだろ」
「………………」
「……バカよねぇ……、信じられない見かけ倒し、どうして、あんなに弱いのかな、男って」
「………………」
「鍵はあけてっていいから」
 しずくの背後にいた女が、そう言い置いて退室する。
「………冗談でしょ」
 しずくは呟いた。
 部屋の中は、半年前別れた時と、何も変わってはいなかった。相変わらず何もなくて、殺風景。カーテンは、しずくが替えた淡いブルー。
「馬鹿じゃない?」
 普通、ありえないでしょ。
 だって、
―――だって……。
 笑おうとした、が、それは、涙となって、眦をつたった。
「……なんで、」
 どうしてこんなに、こんなに簡単にいなくなれるの?
 人に、たくさんの気持ちはっかり押し付けて、ずるい、そんなの卑怯だよ。
「………卑怯だよ………」
 父の死の時には堪えられた涙が、後から後から溢れてきた。
 しずくは両手で顔を覆い、泣けるだけ泣いた。声をあげて泣いた。
 やがて涙もつき、嗚咽も途切れる。
 しずくは涙で泣きはらした目を拭いながら顔を上げた。
 それでも、私は生きている。
 生きているから、――乗り越えていかなきゃいけない。笑わなきゃ、こういう時こそ、笑えるような人にならなきゃ。
 それは、もう俺の役目じゃねえよ。
 どこかで、彼の声が聞こえたような気がした。
 どこかで静馬が、かすかではあるが、笑っているような気がした。しずくの父と同じ場所で。
 波音にまぎれて聞き流してしまった言葉。

……俺は、伝えた、次はお前の番だ。







~エピローグ



「…………」
 ユニット名か。
 美波涼二は、嘆息して、手元の書類を投げ出した。
 どうも、しっくりくるものがない。
 この秋にデビューが決まった5人組。
 2年後のデビューを控える貴沢秀俊の繋ぎであり、引き立て役のようなものだが、美波の当面の課題は、彼らのデビュー曲をウイークリーオリコンで一位にすること。
 Jでデビューさせる以上、これは、絶対ともいえる最低条件である。
 人選は全て美波に任された。
 最後の最後のコンサートで、ひらめきのように決めた5人。
 綺堂憂也
 成瀬雅之
 片瀬りょう
 東條聡
 柏葉将
 復帰組の片瀬りょうは、唐沢の指示で決めた。彼の人気は根深いものがあり、復帰となれば、それだけで話題になるからだろう。
「………5人か」
 5は、Jにとって縁起のいい数字だ。
 ギャラクシーの成功を模倣して、今回も5人でいくというのが、トップダウンの指示でもある。
 5人。
 ふと、忘れ去っていた遠い昔、すでに唐沢専用のオフィスに改造された部屋に、五つあった椅子のことを、美波は思い出していた。
 あれも――5人、だ。
―――涼二、
 最後に。
 最後のいまわ、それが最後になるとは思わなかったから、なんの気なしに聞いていた真咲真治の言葉。
―――いつか、俺たちの代わりになるような奴らが出てきたら、グループの名前、これにしてくんねぇか
―――静馬がつけたんだ、最初はこれだった、俺が代えた、なんともすかすかの名前のような気がしてよ。
「………………」
 その時のメモ紙は、その後、急変した事態の騒ぎにまぎれ、紛失してしまっている。
 なんだったろう。
 そういえば、――なんだって、そんなことを、ふいに思い出したんだろう。
 美波は投げ出した書類を再度取り上げ、めくり始めた。
 依頼したコピー会社からの企画案。
 いくつかのユニット名の候補が並んでいる。
 その中のひとつに――最初、眉をしかめて素通りした単語に、美波は目を留めていた。

 STORM

「……………」
 偶然だ。
 それに、奴らは、真咲の後継と呼べるようなスターにはなれないだろう。
 けれど、美波は、その単語を大きく円で囲っていた。
 





 
 この世界は。
 目に見えない、何かが、どこかで――繋がっている。
 ああ、そうか。
 やっと判った、父がよく言っていた言葉。
 音楽は奇跡を起こす
 目に見えない絆。それを解き明かすのが――きっと。













act4 君がいる世界(終)


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感想、お待ちしています。♪内容によってはサイト内で掲載することもあります。
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