AM 7:45 静岡県掛川市 レコードショップ「makimoto」



「行ってきまぁす」
 慌しい娘の声を聞きながら、牧本大悟は、まだ半分寝ぼけたまま、あくびをした。
 開店は十時なのに、どうしてそんなにせっかちなの。
 と、妻にいつも小言を言われる店先の掃掃除。
 しかしこれは、先代の父から続く、大切な慣習なのである。
「あ、お父さん、そのポスター残しておいてよ」
 二階の自宅から駆け下りた娘が、自転車を漕ぎ出す間際に振り返り、唇を尖らせてそう言った。
「なんだ、お前アイドルなんかに興味はないって言ってたじゃないか」
「私はないの、だってバカっぽいじゃん、高校にもなってアイドルなんて」
 生意気ざかりの女子高生は、そう言って肩をそびやかす。
 そのアイドルよりさらにバカっぽい、漫画やアニメなんぞにハマっているお前はどうなんだ、とは、思ったものの、無論、そんな余計なことは、口に出さない。
 日曜日、娘はこれから東京へ向かう。
 東京有明で行われるコミックマーケット。いわゆる同人誌即売会に行くのである。今では意味を知っているものの、最初、娘の部屋で、男同士の妙な漫画を見つけた時は、まさに仰天、のけぞりかえってもお釣りがくるような心持だった。
「友達がストーム好きで、どうしても欲しいっていうんだもん、どうせ捨てるんだったら、取っといてね」
「わかったわかった」
 大悟は適当に答えつつ、ちらり、と店のガラス窓に貼り付けてあるポスターに視線を向けた。
 
 ストーム
 奇蹟 5月8日発売

 モノトーンの写真、5人の少年の、どこか暗い、そして寂しげな眼差しが突き刺さる。
 タイトル文字のレトロさもそうだが、アイドルらしからぬ異色のタッチのデザインだ。   
 実の所「このポスター、譲ってもらえませんか」という申し出なら、何度も大悟は受けている。そしてその度に、娘の言葉を思い出して、首を横に振っているのである。
 ストーム。
 5人組のアイドルだという。
 大悟が知っているのは、崖っぷちサッカー部の成瀬雅之くらいだ。
 無論、小さいながらもレコード店の店長をしている大悟は、アイドルグループストームのことくらいは知っている、しかし、悲しいかな、前時代に生きる五十前の親父には、5人の顔の区別がまるでつかないのである。
「そろそろ、剥がすか」
 大悟はつぶやき、もう一組のアイドル「ヒデ&誓也」のポスターの影に、半ば隠れた形で貼ってある、「ストーム」のポスターを軽く弾いた。
 今週、15日の水曜には、アーベックスから、宇佐田ヒカルの待望の新曲が発売される。
 これからさほど売り上げが見込めないアイドルには、早々にご退散願った方が無難だろう。
 なにしろ、J&MのCDは、初動売り上げこそ群を抜いているが、そこから先は、かなり早いペースで売り上げが落ちるのである。
 初動に気をよくして大量入荷した途端、それが即在庫になったことも珍しくはない。
「……………」
 なんにしても、先週はヒデ&誓也が売れて、今週は宇佐田ヒカルだ。
 来週はRitsで、再来週は……、予定は一ヶ月先まで見えている。そしてその中で、どの曲が一位を取るようになっているか、大悟には全て予測がついている。
―――こうしてみりゃ、意味のない仕事やってるよな、俺も。
 嘆息して箒を持つ手をとめ、大悟は晴れ渡った空を見上げた。
 こうやって朝起きて、メシを食って、掃除して、それから店をあけて、配給されたCDを売って、店を閉じる。
 毎日その単調な繰り返し。
 社会の何かに貢献しているわけでもないし、曲の売り上げを左右しているわけでもない。
 昔と比べて、CDは本当に売れなくなった。
 華々しく一位をとって、あとは、がくっと堕ちていくチャート。その昔、大悟がまだ若かった頃、何週間も連続して一位を取ったものはいくらでもあった。が、今の歌謡界に、そんな興奮するような現象はまず有り得ない。
 なぜなら、今の音楽業界は、チャートそのものが、大手会社によって操作されているからである。
 無論、おおっぴらに口にはできないが、金がある大手レコード会社が売ると決めたものだけが、着実にヒットする歯車が、すでにこの業界には出来ているのだ。
―――ま、所詮生活だ。
 大悟は割り切って、再び箒を動かし始めた。
 俺は俺の家族ために、せっせと親会社が配給する曲を売ればいいんだ。
 ドラマなんて、現実にはそうそう有り得ない。
 今日も黙々と、歯車のような日々を刻んでいけばいい。



AM 8:45 東京 江藤区 深川警察署


「なんだ、お前も来てたのか」
 深川警察署、四階にある畳敷きの道場横。
 朝の訓練を終えた相原真人は、そう言って、ベンチで顔を拭っている男を見下ろした。
「そ、昨日の夜に電話で呼び出しくらってさ」
 座ったままで男は答える。
 二つ年下の後輩、宮沢環。
「お前、今日は、非番でかみさんとデートだって言ってたじゃないか」
「しょうがない、上司命令に逆らって、署長推薦棒に振るほどバカじゃない」
 冷めた後輩は、そう言って顔をあげると肩をすくめた。
 宮沢環、相原より三年遅れて入庁した後輩警察官である。
 基本、交番勤務で始まる警察生活。
 本庁霞ヶ関捜査一課を希望している宮沢は、今年、何が何でも署長推薦を取り付け、刑事への登竜門、選抜試験を受けたいと熱望している。
「しかし、年に二回とはいえ、ちょっと気のりしない仕事だよな」
 相原は呟き、自身も汗に濡れた顔をタオルで拭った。
 相原と宮沢の所属している深川警察署地域課は、管内の交通警邏、雑踏警邏を行うのを主な仕事としている。
 今日、2人が向かう先は、江藤区有明にある東京ビックサイト。
 今週の金曜から三日間にわたって開催されているオタクの祭典――こと、コミックマーケット最終日開催にあたっての交通警備である。
「日本の未来が不安になってくる。あんな脆弱な野郎どもが大人になって、もし北と戦争でも起きたらどうなるんだ」
「彼らはもう大人なんだよ」
 宮沢環は冷めた横顔で笑った。
「モラトリアム期間、親にぬくぬくと擁護されて、永遠にその中で楽しんでいいと錯覚しているだけだ。ま、日本はいずれ滅びるんだ、俺たちはバイアウト、人生上手く売り抜ければそれでいいじゃないか」
「お前………そこまで言うと、実も蓋もねぇぞ」
「こんな腐った世の中に、そもそも実も蓋もありゃしないよ」
 官僚と大企業が癒着し、企業利益最優先、国民の意思など何ひとつ尊重されないシステムがすでに出来上がっている国、日本。
 官僚社会の一端に身を置く相原にも、宮沢にも、そういった虚しい現実は見えている。
「早く戦争でもはじまらないかな、徴兵制が始動されたら、真っ先に今日の連中を行かせてやるのに」
「その前に、そもそも俺らが前線に送り込まれるよ」
 相原は嘆息して煙草を口にくわえると、過激な後輩に背を向けてから火をつけた。
 窓から見える空は、晴天。
 昨日まで、曇り予報だったが、雲ひとつない青空が広がっている。
「しかし、面倒だな、今日は、ひょっとすると、ものすごいことになるかもしれないぞ」
 煙を吐きながら言うと、背後の後輩も頷いた。
「下手すりゃ明石の二の舞だね。なんだって、同日に、こんなビックイベントが重なるんだろ」
 よく管理者が了解したものだ。
 今日の午後五時、コミックマーケット終了後、ビックサイト屋外展示場でアイドルグループ「ストーム」の握手イベントが行なわれる予定になっている。
 時間帯は重ならないが、通常、人気アイドルのイベントには、その前日夜から気の早いファンが詰め掛けるだけに、油断は厳禁だ。
 しかも、今、ちょっとした話題の的になっているストーム。
「同期に聞いたんだけど、水上警察にも動員がかかってるらしいよ」
「マジかよ、そりゃすげぇな」
「りんかい線、ゆりかもめ、都営バスに水上バス、当然、車での送迎も考えられるから、都心からレインボーブリッジにかけて、大混雑するだろうね」
「レインボーブリッジを封鎖しろ!」
 くだらないジョークに、2人、苦笑して笑って立ち上がった。
「ま、仕事だな」
「そ、お仕事お仕事」
 所詮は公僕、今日も、いつもどおりの1日が始まる。



Am9:23 東京北青山 片瀬りょう


「うん、心配しなくていいよ、ただの噂っていうか、デマみたいなものだから」
 片瀬りょうは、そう言って、携帯電話を持ち直した。
 昨夜、ようやくもぐりこむことができた自分のベッド。
 何日かぶりになる東京の自室。
 ずっと不在にしていた部屋は、今、声を聞いている恋人の手で、綺麗に片付けられていた。
『大丈夫?澪』
 回線を通して聞こえる、優しい声。
「俺はね」
 机の上においてあるA4サイズの茶封筒。
 りょうはそれを持ち上げて、綺麗な筆跡でしたためてある自身の名前を見つめた。

 片瀬 澪 様

―――ミカリさん、俺の本名知ってたのかな。
 郵便局を介しての手紙ではなく、直接ポストに投函されたもの。
 何か意味があって、わざわざこの字にしたんだろうか。
『……今、東京、戻ってるの?』
「あ、うん、今日が最終日だから、プロモの」
『東京ビックサイトだったっけ』
 5月12日
 新曲プロモーションイベントの最終日――そして、オリコン集計の最終締切日。
 最後の舞台は、東京、有明。
 すでに、先週末の時点で、「ヒデ&誓也、ウイークリーオリコン一位確定」との発表が、オリコン株式会社の公式サイトでなされている。
 正式発表日である5月14日に、それがひっくり返る可能性はゼロ以下――というより、そもそも有り得ないということは、りょうだけでなくストーム全員が知っていた。
 それなのに挑む、最後のイベント。
 今日の6時、オリコンウィークリーランキングの集計が締め切られる、多分最後のその瞬間まで。
 ただ、午後4時から始まるイベントは、6時の集計締め切りまで、たった二時間の猶予しかない。それで、どこまでセールスを延ばせるかは、りょうだけでなく、多分、全員が疑問に思っている。
「来なくていいよ、すごい騒ぎになると思うから」
 りょうは、目をすがめたまま、封筒を机の上に置きなおした。
『そうだよねー、ストームの解散のこと、ネットですごい話題になってるし、結構人も集まるんじゃないかな』
「……………」
『そこで、はっきり否定してあげたらいいのに、ファンの人、すごく心配してるみたいだよ』
「………そうだね」
 どこの誰が流したものか、知らない。
 もしかすると、唐沢社長かもしれない、真咲しずくさんかもしれない。
 しかし、はっきりしたのは、これで逃げ道がひとつ、ふさがれたということだ。
 この件に関し、事務所は、一切ノーコメントを貫いている。それは、実質肯定に等しい沈黙だ。
 今、事務所にはファンからの問い合わせやメディアの取材が相次いでいるという。ネットでも「存続署名」なるものがいくつか乱立し、ちょっとした騒動になりつつある。
 イベントの最中にも「やめないでー」「嘘でしょ」という悲鳴のような声がかけられたが、りょうにしても、残る4人にしても、ただ笑顔で手を振るしかなかった。
『なんか、最近、本当にすごいね、ストーム』
「え?」
『一昨日は、柏葉君の嵐の十字架が最終回だったじゃない、あのラストはないよねって、すごい話題になってたよ、学校で』
「………ああ」
『どうせ、五人で観たんでしょ?あんなすごいシーン、どんな顔で観たのかと思ったら、笑っちゃった』
「……………」
 忙しすぎて観ていない。というより、話題にさえならなかった。
 将も何も言わなかったし、多分、それどころじゃなかったんだろう。
 ホテルを飛び出して――結局、一時間で戻ってきた将は、何も語らないまま、再びプロモに合流した。
 沈うつな目で、時々何か考え込んでいる。とてもじゃないけど、声をかけられる雰囲気ではなかったし、将も、抱えているものを誰かに打ち明ける気はないようだった。
 憂也も、あの夜以来、他のメンバーとは明らかに一線を引いている。
 将のそれは恋愛絡みと察しがつくものの、憂也の態度の変化に関しては、りょうには理解も想像もできない。
 雅之は落ち込んでいて、聡はこうなった責任を感じてか、なんだか、気の毒なくらいテンションをあげて張り切っていた。
 が、その聡が――実は、一番ひどい状況であることを、ストームでは、今、りょうだけが知っている。
『それで今夜はさ、成瀬君の番組で、特番があるでしょ』
 事情を一切知らせていない、真白の声は明るかった。
「……雅のじゃなくて、ヒデの番組」
『あ、そっか、ごめんごめん』
 いきなり夢伝説。
 午後7時オンエアで、雅之の出番は8時過ぎ、こういってはなんだが、オリコン集計には、何ひとつ貢献しない時間帯。
『生放送みたいだけど、成瀬君、出るの?』
「そう、あいつだけヘリでエフテレに移動なの、大変だよ」
 そこで新曲が、初めてテレビでオンエアされるし、ストームもブイで出ることが決まっている。
『楽しみだね』
「そうだね」
 会いたいな――今は、そんなこと言ってる場合じゃないけれど。
 間近に迫る解散を目の前に、結局、何も活路が見出せないまま、気持ちばかりが焦燥している。
 聡のこともそうだった。
 そして、今電話で話している恋人のことも。
 どうなるんだろう、これから。
 俺は、どうしたらいいんだろう。
 そう思うと、不安で夜も眠れない。
 多分、りょう自身も、今、他のメンバーを気遣う余裕がまるでない。
『……りょう?』
 会いたいな。
 正直、会わなきゃ、気持ちが持ちそうもない。
「悪いけど、そろそろ出る時間だから」
 りょうはそう言って、未練を断ち切るように携帯を切った。
「………………………」
 しばらく、迷うように目を閉じてから、封筒をおもむろに持ち上げる。
 そして、クローゼットの奥の不用品箱の中に、りょうはそれを差し入れた。
 扉を閉める。
「…………………」
 阿蘇ミカリのメッセージの意味はひとつで、それはりょうにも理解できた。
 おそらく、彼女の消えた理由も。
 ため息をついて、リビングの椅子に腰掛ける。
 額の前で指を組み、りょうはそのままうなだれていた。
―――俺の、せいなのかな。
 俺が、あの人に、あんな相談さえしなければ。
 聡は元気だった。
 おおかたの事情を九石ケイから聞いているだろうに、そして内心は、プロモなんて投げ出して東京に帰りたかったろうに、メンバーの前では全くいつもどおりだった。ミカリが消えたことなど、おくびにも出さなかった。
 昨夜遅く、何日かぶりに東京に戻って――空港で別れた聡は、あれからどうしたんだろう。
 俺に、同じ真似はできない。
 真白に、同じ真似はさせられない。
 この手紙のことは、………誰にも、言えない。







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