4
「じゃ、ひとまず、新曲プロモツアー、折り返しを祝して」
乾杯!
と、掛け声がかかる。
音頭を取ったのは、真白にはほぼ初対面になる、圧倒されるほど美貌の女性だった。
真咲しずく。
ミカリさんの言葉を信じれば、……柏葉将の想い人。
名前は澪から聞いていて知っていたし、先日のミニライプでも確か顔を見ている、が、こんな明るい照明の下、間近で見たのは初めてだ。
「じゃ、イタちゃん、飲んで飲んで」
と、上機嫌で、隣の男にビールを注いでいる。
洗いざらしの長い髪を無造作に流して、顔はほぼ素顔。
なのに、そこだけ光が集中しているのかと思うくらい輝いている。
これでマネージャーさんなんて信じられない、元女優さんとかじゃないのかな……と真白は少し気後れを感じつつ、思う。
本当に、あらためて思うけど、どうしてこの世界には、こんなに人間離れした綺麗な人がいるんだろう。
亜佐美さんを見た時も、わー綺麗、と思ったけど、この女性――真咲しずくと名乗った女性のそれは、完全に群を抜いていた。顔といい、スタイルといい、まるで、別世界の人のようだ。
旅館の2階、畳敷きの広々とした宴会場。
輪になって並べられた長机。真白に用意されていたのは、殆ど末席で、冗談社一行様と、名札立てが置かれていた。
着物姿の仲居が、次々とピールを注いで回ってくれる。
ミカリと凪に両隣を挟まれ、真白はいまだ、かなり遠くに座る澪の方を見られないままでいた。
「今日は、お呼びいただいてありがとうございます」
全員が歓談を始めた頃、ミカリが、ふいに立ち上がってそう言った。
「冗談社の阿蘇です、ストームさんには、本当にお世話になっています」
浴衣姿が、真白が見ても、ちょっとくらくらするほど色っぽい。
胸元が、締まった帯で強調されて……思わず真白は、ぺったんこの自身の胸を見る。
「うちの見習いを、今日は沢山連れてきました。まだ記者としては新人ですけど、どうぞ可愛がってやってください」
ぱちぱちと、おざなりの拍手があがった。
―――新人?
それが、自分たちのことだとようやく気づき、真白は、慌てて頭を下げた。
い、いいんだろうか、そんな見え透いた嘘、とか思いながら。
スタッフは、過酷な移動を伴うせいか、殆どが男ばかり。むさくるしい顔が、全員同じ浴衣を着て座っている。
「いやー、本当に可愛い子ばっかで」
「なんだか、地獄に仏、みたいな気分だね」
と、そんな声が聞こえてくる。
「じゃ、みんな、挨拶ついでに一通り注いで回って来て」
と、振り返ってミカリ。
「え、全員にですか?」
凪は戸惑っているようだったが、客商売に慣れている真白には、むしろ当たり前の感覚だった。
もともと所在無い立場にどうしていいか判らなかったから、逆にほっとしながら立ち上がる。
「俺もっすか」
と、不満げに言っているのは碧人。
それを、「当たり前じゃない、私たちは慰労する立場、さっさと行く!」と、ミカリが背中を叩いている。
―――澪のとこにも……行って、いいのかな。
みんな同じような浴衣姿、ほぼ、人の見分けがつかないが、固まって座るストーム5人の姿は、遠目にも際立って見えた。
仲のよさは相変わらずのようで、5人でコップを回しあって、何か楽しげに言い合っている。
いつも思うけど、仲よすぎだよね。
仕事でも、私生活でも半同棲状態で、よく会話が尽きないな、と思う。あれで女同士ならともかく、男同士なんだからますます謎だ。
「りょう、飲めたっけ」
「だめ、まだ一応未成年」
喧騒の中、綺堂憂也と澪の会話が、遠くから聞こえてきた。
―――なんか、……すごく不思議な感じ。
1人1人、スタッフに挨拶しては、ビールを注いで回りながら、真白は自分の意識が、全部澪にいってしまっていることに気がついていた。
時々聞こえる、澪の言葉、笑い声。
こんなに近くにいるのに、すごく遠い。
でも遠いのに、心地いい。
なんだろう、この感覚。この気持ち。
「気なんか使わなくていいのに」
「いいえ、呼んでいただいた立場ですから」
真白の隣では、ミカリが、ゴージャス美人真咲しずくにビールを注いでいる。
「あまり、飲まれないんですね」
「うん、そんなに強くないんだ、私」
結構気さくな人なんだな。そう思いつつ、真白は、その真咲しずくに一礼する。
しずくは隣席の男性に話しかけられていたが、真白と少しだけ目があった刹那、ひどく優しい笑顔を返された。
自分の立場を思うと、少しだけどきまぎして、そして軽い罪悪感を覚えてしまう。
りょうの席は、すぐそこだった。
「ミカリさん、ちょっとやばいっすよ、それ」
「目の保養どころか、むしろ拷問じゃん」
綺堂憂也と成瀬雅之の笑い声。
あ、どうしよ。
なんかこう、すごく緊張してるんだけど、私。
うつむきながら膝を進めると、テーブルの下、浴衣の膝が、目に入る。
緊張しすぎて、それが誰のものかも判らなかった。
「来たんだ、末永さん」
うわっ、いきなり柏葉将だ。
真白は固まって、ただ頷く。
「あ、俺いいよ、今日は飲まない、俺ら全員ジュースだから」
「あ、うん」
じゃない、
「お、お疲れさまです」
「ありがとう」
おずおずと顔をあげると、いつもの柏葉将の笑顔があった。
そこだけ女性的な、切れ長の二重瞼。少しだけ襟元をはだけた浴衣から、綺麗にしまった胸元が見えている。
てゆっか、やっぱ、普通にかっこいい、この人って。
澪に聞いたけど(結局聞き出した)、ずっと真咲さんに片思いしてるって本当なんだろうか。で、今のとこ、相手にもされてないって。
「なに、別の人みたいに緊張してっじゃん」
隣には綺堂憂也。
「いいって、いつもどおりでさ、どうせここ、スタッフしかいねぇんだから」
「おいおい、イタちゃんも真咲さんもいるだろ、いつも通りはやばいっつったじゃん」
その隣の成瀬雅之が慌てている。
「真白ちゃん、後で携帯に連絡いれっから」
いたずらめいた目で憂也に囁かれ、どう答えていいかわからず、真白はとにかく膝を進めた。
見覚えのある指が、視界に入った。
グラスに添えられている綺麗な指。
「……ジュース?」
「あ、うん」
目が合わせられない。
手元と、それから浴衣に包まれた胸元しか視界に入ってこない。
「なんで旅館っつったら、ファンタオレンジなんだろうね」
憂也の声。
「つか、飲んでんの俺らだけだし」
それに応える澪の声。
それでも真白は、まだ顔があげられなかった。
な、なんだかへん。いつも知っている澪なのに、まるで別の人、みたい……。
差し出された澪のグラスに注ぎ、少し震える手でジュースの壜を机の上に置くと、その上から澪の手が被さった。
「飲む?」
慌てて手を引いたから、少しだけ触れた指先。
「ううん、私は」
「お酒、飲めるんだっけ」
「少し……、あ、でも今夜は」
「俺、飲めないから、これ」
空のグラスが差し出される。
ようやく真白は顔を上げた。
澪の目が見下ろしている。
少し濡れた前髪、水晶のように黒く澄んで、吸い込まれそうで、そして、深い熱を帯びた眼差し。
「………………」
動悸が。
痛い。
なんだろ、たいしたことしてるわけじゃないのに。
カチカチとグラスが鳴る。
唇と首筋。
心臓、………爆発しそう。
「行ったわよ、日比谷」
「マジかよ、こなくていいっつったじゃん」
亜佐美と、柏葉将の会話。
「そんなこと言ってる場合?」
「だから、CDだけは買えよ、マジで」
なんだか楽しそう、そんな、他人の声だけがやたら耳に入ってくる。
「じゃ、私……」
グラスビールを一口だけ飲んで、真白は裾を押さえて席を立った。
背中に、強い視線を感じる。
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
席に戻っても気がそぞろなまま、真白は箸を持ったままでうつむいた。
胸の中に――
まだ澪の眼差しが強く残っているような気がした。
5
「花火すんの」
『うん、憂也が買い込んできてるから』
「大丈夫なの?」
凪は疑心をこめて携帯を持ち直した。
そんな、無防備っていうか、なんていうか。仮にもプロモ中のアイドルが、そんな子供みたいな真似をしていいのだろうか。
『イタちゃんも、小泉君も一緒だから平気だよ、いや、俺らだけだったら、マジやばいけどさ』
どこにいるんだろう。
凪は不思議な気持ちで、携帯の背後から聞こえる喧騒に耳をこらした。
「どこの部屋にいるの?」
『え?……あー、おい、憂也、ここって何号室』
声がふいに遠ざかる。
つか、自分の部屋くらい覚えとけよ、頼むから。
そう思った時、雅之の声が戻ってきた。
『2007号室だってさ』
「へ??」
この、どう見てもせいぜい三階建て程度の高さしかない建物が?
『え?ありえない?つか、憂也、何適当なこと言ってんだよ!』
またまた声が遠ざかる。
笑い声がそこに被さる。
5人は同じ部屋なのかな、本当に仲がいいんだな、凪はふと、そんな風に微笑ましく思ってしまっていた。
『あー、ごめんごめん、207号、流川は?』
「あたし……107?」
『え、じゃあ』
雅之に驚かれるまでもなく、凪も自然に天井を見上げていた。
もしかして、この上なんだ。
「5人一緒?」
『いや、俺とりょうと聡君と……小泉君、で、隣に、憂也と将君とイタちゃんって部屋割りなんだけどさ』
なるほど、さすがアイドルのマネージャー。寝るときも、しっかり監視するつもりなのだろう。今日みたいな夜、それが正解だと凪も思う。
ただ、そこは、策士柏葉将の考えそうなことだけど、むしろ、強面の片野坂イタジを、柏葉、綺堂というキャラで逆監視して、雅之、聡、りょうの三人をフリーにさせている……のかもしれない。
考えすぎかもしれないけど。
『今は、憂也と将君の三人で集まってる、イタちゃんと小泉君は、真咲さんに呼ばれて打ち合わせ』
「ふぅん」
そっか。
じゃ、片瀬さんと、東條さんはいないんだ。納得。
こっちも、真白さんとミカリさんがいないから。
『じゃ、イタちゃん戻ってきたら、メールすっから、そっちは?』
「あー、みんな、どっかいっちゃってさ、今は、私だけなんだ」
『えっ、マジで?』
そう、いかにも消えそうな二人だけでなく、亜佐美さんも、「ちょっと出てくる」といったきり、戻らない。
全員、その直前に携帯をのぞきこんでいたから、多分、彼氏に呼ばれちゃったのかな、と凪なりに理解はしている。
まぁ――とんでもなく無用心だな、とは思ったけれど。
『えっ、そ、そ、そうなんだ』
何故か、思いっきり、どもりながら雅之。
『そ、そいじゃあ、流川、寂しいだろ』
「……?別に」
………何、こいつが動揺してんだろ。
すっごい疑惑なんだけど。
『と、とにかく、花火、ミカリさんに頼んで連れてきてもらって、なんにしても、一時間くらい後になるし、うん』
慌しく言われて携帯が切れる。
「………………」
微妙に不自然。ま、いいんだけど。
―――近くの浜辺で花火ねぇ。
凪は、綺麗に並べて敷いてある布団に仰向けに寝そべった。
なんか、不思議な気持ち。
上手く言えないけど、まるで修学旅行にでもきたみたい。
―――宴会の席、まるで別の人みたいだったな……。
あえて、目を合わせないようにしていたんだろうけど、思いっきり他人行儀で、他のスタッフとふざけていた雅之。
どこでもそうだけど、あいつは真性のいじられキャラで、どこでもあんな風に、人気モノなんだろうな、多分。
あ、やば、またまたマイナス思考になってるし、私。
トントンと、ノックをされる音がした。
「……………」
鍵は閉めていない。
まさかね、と思いつつ、少し身構えて、古風な引き戸を開ける。
「……おう」
立っていたのは、予想もしない人だった。
凪は驚いたまま、ただ瞬きを繰り返した。
※この物語は、全てフィクションです。
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