13
「え、マジで温泉っすか?」
思わず聞き返した雅之に、うん、と真咲しずくは頷いた。
5月6日、世間はゴールデンウイークの最終日。
この日、岡山でのイベントを終えたストームは、やはり深夜になって宿泊先のホテルについた。
東京から真咲しずくが合流したと、メンバーが聞かされたのは、ホテルについてからだ。
イベントツアーも6日目、さすがに全員の顔に見えない疲労が蓄積されつつある。
「みんな、温泉にいけるわよ」
夕食のために借り切った宴会場で、最近いつも同伴している株式会社ライブライフの取締役を連れて入ってきたしずくが、開口一番切り出したセリフがそれだった。
「次の宿泊先の島根の温泉旅館、織原君の実家だから、うちの貸切で使わせてもらえることになったの」
と、傍らの織原を見上げ、にっこりと笑うしずく。
「あ……多少、他のお客さんもおられますが、うちの馴染み客なので、ご安心ください」
その織原の声。
雅之は、怖くて、隣に座る将の表情を伺うことができなかった。
「ま、強行スケジュールで、みんな疲れてると思うし」
と、しずくは、傍らでうとうとしているイタジの頭をばかっと叩いた。
「だからスタッフとか友達でも呼んで、少し早いけどツアーの打ち上げでもしちゃったらどうかしら」
「………………」
それには、全員が箸を置いて唖然と黙った。
打ち上げも何も、CD発売は、その実質翌日である。
このプロモーションは、集計ぎりぎりの十二日まで続くから、あと5日残っているわけで、とても打ち上げするような気分にはなれない。
「……ま、いいんじゃねぇの」
意外にも、最初にそう言ったのは憂也だった。
「つか、発売日の前日でしょ、最悪、勝負、ついてる可能性もあるしさ」
その怖い意味は、雅之にも理解できた。
初回出荷量、その差があまりに大きければ、集計を待つまでもない。発売日と同時に、勝負がつくからだ。
「……ま、楽しく騒げるのも明日限りかもしんないしさ、俺ら以上に、レインボウさんとか、もうぶっちゃけ、潰れかけてるじゃん」
前原はじめ音響スタッフは、すでにトラックで移動している。
ほとんど満足に睡眠を取っていない前原の髪に、最近白髪が目立ってきているように思う雅之も、思わず拳を握って頷いていた。
「そうだよ、8日は午前まるまる休みだしさ、ツアーの折り返し地点ってことで、いいんじゃない、そういうのも」
「だよな、せっかくの好意だし、ぱーっとやっちゃおうよ」
聡も、頷いて、そして将の顔を伺い見る。
「いや、俺に異存はないけどさ」
将は、妙なほど落ち着いた目で、少し前に座るしずくを見上げた。
「友達って、誰呼んでもいいの」
「交通費までは出せないけどね」
「………へぇ」
さほど興味なさげに頷くと、将は置いていた箸を持ち上げた。
「じゃ、色々世話になってる冗談社さん呼びたいんだけど、いい」
「いいわよ、取材でもしてもらえば、一石二鳥だし」
しずくもまた、あっさり言って立ち上がった。
「じゃ、そういうことでいいかしら、織原君」
「はい、僕の方は」
「私たちは、下のレストランで食べましょうか」
大学の先輩と後輩だと聞いてはいるが、年の差からみて、大学時代認識があったとは思えない。
仲良く連れだって退室する2人を見送りつつ、ますます将の顔が見られなくなる雅之であった。
「よかったじゃん、聡」
が、将は、思いの他平然とそう言った。
「ミカリさん呼んじゃえよ、ついでに言えば、凪ちゃんと真白さんも」
聡、雅之、りょうが順番に咳き込んだ。
「しょっ、将君、マジかよ」
雅之は目を白黒させる。
それは、いかに言っても大胆すぎる。
「ぜんっぜんオッケーじゃん、あの2人、実際よく冗談社さんの手伝いに借り出されてるしさ、全然普通にいけるって」
出たよ、出たよ。
半分切れかけている時の、大雑把で大胆な将君発言。
いや、……でも。
それはまぁ、確かに、ここ最近の砂漠のロードワークみたいな過酷な日々、オアシスみたいな好きな人に会いたいのは、当然な欲求のわけで。
で、でも――温泉?
いいのかよ、マジで。
雅之は、迷うような目で、同じ土俵に立たされた聡とりょうを見る。が、聡にさほど迷いはなかったのか、すぐに、「そうだね」と頷いた。
「俺からミカリさんに声かけてみるよ、で、ミカリさんから、凪ちゃんと末永さんに声かけてもらえばいい」
「そ、雅とりょうが直接誘ったんじゃなきゃ、それでいいんだよ」
将はあっさり言うと、食事もそこそこに立ち上がった。
「俺も悠介と亜佐美呼ぶつもりだしさ、ま、明日は楽しくやろうぜ」
「どこいくの、将君」
「疲れたから、寝る」
りょうの声に背中で答え、将はそのまま部屋を出て行った。
14
「かーっ、一体、なんなんだよ、あの女は」
将は、苛立ちながら、濡れた髪をタオルで拭った。
「………………」
俺の気持ちは知ってるくせに。
なんだって、いちいちいちいち、挑発するような真似ばかりするんだよ。
ホテルの地下にある大浴場の帰り。深夜、淡い照明だけが灯るロビーに、人の気配ははまるでなかった。
疲れている他のメンバーは、室内のシャワーでも浴びて寝てしまったのだろう。
―――つか、一体何度振られたら、目が覚めんのかな、俺。
忘れたつもりになっていても、顔を見るともうダメだ。動悸がして、イライラして、で、結局いつも目で追っている。
振られ方としては、先日の夜はまさにトドメだった。好きな人がいるといわれた。しかもそれが、将の死んだ父親ときている。
将は、嘆息して自販機の前で足を止める。
「あれ?」
ミネラルウォーターでも買おうと思ったら、財布に十円足りなかった。
千円札不可、なかなかレトロな自販機だ。
「あれ、おかしいな」
小銭切れには常に気をつけている将である。
なのに、どこをひっくり返しても、たった十円が出てこない。
つか、なにやってんだ、俺。
情けなくなって、財布を再びポケットにねじ込もうとした時だった。
「………お金が足りなければ、お貸ししましょうか」
背後から声。
ぎょっとして振り返ると、先ほどしずくと一緒に消えた男が立っていた。
織原瑞穂、ライブライフの取締役である。
わりと男前だが、パーツが全部顔の中心に寄り気味で、「惜しい」と意味もなく思えてしまう不思議な面立ち。
―――ど、どういう嫌味なタイミングだよ。
将は慌てて、が、表情だけはクールを装って会釈した。
「いや、いいです、部屋に戻ったら何かあると思うんで」
「そうですか」
どことなく気まずい沈黙。
「……じゃ」
と、背を向けかけた将は、男が、こんな時間にも関わらず、スーツ姿であることに気がついた。
「今から、東京です、社用のジェットで」
将の眼差しに気づいたのか、織原は、どこか気後れたように微笑した。年はいくつも上だろうが、こういう表情は将よりむしろ年下に思える。
社用ジェット??
すげー、さすがヒルズ族。
と、将がやや鼻白んだ時だった。
「明日が判決ですから、僕らの会社にとっても」
「……え」
「親父の判決が降りるんです。随分世間を騒がせましたから、柏葉さんもご存知でしょう」
「………ああ」
「有罪判決が下るとしたら、うちの会社にも激震が来る。何を遊んでいるんだ、と、電話で散々叱られました。今夜から記者対応のため、社に缶詰です」
「そうですか」
将は曖昧に頷いた。
ライブライフ……そうか、時事に疎い聡でも知ってたくらいだ。
一時、エフテレビをネット企業が買収するとかしないとかで、世間を騒がせた会社である。
織原の父親はその創業者で、結局は買収騒ぎの最中、株の違法取引を理由に逮捕されたはずだった。
世間ではすっかり過去の人、過去のニュースである。が、当人の人生を左右する判決は明日。それが将には不思議な気がした。
「一時期は時代の寵児ともてはやされ、テレビ局の買収にまで乗り出した男の末路が、逮捕、拘留、……言ってみれば、社会的な抹殺ですね」
淡々とした声だった。
将は、なんと言っていいか判らず、自分よりわずかに背の高い織原を見上げる。
「親父は出る杭は打たれるものだと嘯いていますがね、罪は罪として、償ってもらいたいものです」
柔らかく微笑する男の目が、まだ何か言いたげだった。
「織原さんは……ずっと、僕らの写真を撮っておられたようでしたけど」
思わず聞いてしまったが、将的には、ずっと、このヒルズ族の存在が謎だった。
真咲しずくの後輩だというが、なんだってストームのツアーに同行して、で、時々、意味もなく写真をとったり、カメラを回したりしてるんだろう。
「本業……あ、いや、趣味です、趣味、趣味が写真なもので、僕は」
「じゃ、趣味で同伴ですか」
さすがにそれには呆れ、将は眉を上げている。
織原は、ますます慌てたように、手入れの行き届いた髪に手をあてた。
「いや、……まぁ、そうかもしれません。実は仕事にするつもりでしたが、おたくの社長にばっさり断られてしまったので」
照れたように、白い歯を見せて笑う。
「だめもとで、大学のつてを頼って、真咲副社長にアポを取ってみたんです、そうしたら、取り合えず、取材のオッケーだけはもらえて」
そうだったのか。
別に、昔からの知り合いとかじゃなかったんだ。
と、微妙に安心する将だったが、もちろん、安心している場合でもない。
「……ただ、やはり無駄になりました。うちの会社がつぶれるのは時間の問題でしょうし……ネットに対するJさんの方針は、変わりませんでしたからね」
織原は寂しげに笑うと、自販機に小銭をいれ、取り出したミネラルウォーターを将に差し出した。
「あ、どうも」
断るのも悪いので、取り合えず受け取る。
「だから、君らに同行したのは、やはり僕の趣味なんです」
「……はぁ」
「君らを見ていると、ふと、青春時代を思い出してしまった。笑われても仕方ない理由なんですが」
このおっさん、いくつかな。
見た目はせいぜい、二十代後半かそこら。でも、やたら雰囲気が老成していて、なんだか若いのか年寄りなのか、微妙な感じだ。
「真咲しずくさん」
織原が、ふいに遠い目で呟いた。
「彼女は、素敵な人ですね」
ぶっっ
「柏葉さん?」
「あ、す、すいません」
含んでいた水を吹き出しかけていた。将は慌てて口元を拭う。
つか、なんだっていきなりあいつの話題?
「なんていうのかな……彼女とは色々お話しましたが、随分先を見られているな、という感じでした。僕らが見ているものより、随分先を」
「そう、ですか」
理解不能、意味不明をいい言葉で言い換えたら、そんな表現になるんだろう。
「僕は、仏教美術をずっと勉強していたのですが」
男はそう言って、傍らのベンチに腰掛けた。
「仏教……ですか」
ヒルズ族とは、どうも縁のなさそうな分野、将も少し、目の前の男に興味を引かれつつある。
「柏葉さんは、曼荼羅というのをご存知ですか」
「……まぁ、一応、言葉だけは」
仏教の本質を表す言葉で、確か、サンスクリット語のmandalaの音写。
将が観たことがあるのは平面的な絵としての曼荼羅だが、本来、曼荼羅とは、中央に仏を配し、四方を仏塔や仏尊でとり囲んだ、空間的な円形で構成されているものだということは知っている。
「仏の悟りそのものを意味する言葉です。……飛躍した言い方でまとめれば、あらゆるものを包摂し、輪の秩序を保ちつつ、個性が発揮されるという、調和と共生を意味した世界」
男はそう言うと、どこか寂しげな横顔になった。
「僕の父は、仕事に魂をもっていかれた男だったんでしょうね、僕が幼い頃から、父は沢山の人を傷つけ、奪い……時には命さえ奪い、そして自らの会社を大きくしてきた。僕は、そんな父の生き方に反発するように、仏教の世界に引き込まれていったのかもしれません」
「……………」
父の生き方に反発するように。
将はその言葉に、わずかに思考を止めていた。
ふと、自分の何かが、さほど親しくもないこの男とリンクしたような気がした。
「どうすれば、父が現世でしたことが許されるのか、僕は、それをずっと考えていたような気がします。……そして気がついたのかもしれません。大きな、包摂された世界の中では、悪も善もないのだということに」
「善も、悪も、ですか」
「ええ、それすら、大きな秩序の中では許されるのだということに、です」
「…………」
判るようで判らない。
「この世界は、全てがばらばらで、矛盾と衝突の塊のように見えて」
織原は立ち上がり、窓の外の闇に視線を向けた。
「どこかで、何かが繋がっているんです。それに気づいた時、人は本当に楽になれるのだと思います」
「………………」
将が黙っていると、男は振り返って微笑した。
「彼女は、それを、奇蹟の世界だといっていました」
彼女。
「……うちの、真咲ですか」
将がそう言うと、織原は少し照れたように頷いた。
「無論、真咲さんは仏教にはまるで素人なんですが、僕と目指している世界が本質的に似ていると……そんな気がしました、話していて、非常に惹かれます……聡明で、理知的で、素晴らしい」
「………………」
いや、そんなに誉めなくても。
それこそ、幻見てんじゃねぇ?
「太陽の光が闇を取り除き、万物を照らし輝かせます。その光が万物を育て、無量の恩恵を与えている。光は一切に平等で、しかも滅びることなく、永遠です」
織原は、静かな声で続けた。
「太陽、すなわち大日如来の特性です。時空を越えた無量無限なる宇宙仏、……僕は、この数日、君たちと同行して、この地上で一番、アイドルがそれに近い存在であるかもしれないと思いました」
「…………は?」
え?
アイドル=仏様?
す、すげー、発想の飛躍なんですけど。
そんな遠大なテーマ、考えたこともないし、つか、絶対有り得ないし。
「はは……真咲さんの影響かな、僕も少し、ストームびいきになってしまったのかもしれません」
織原はそう言い、ますます照れたように髪に手をあてる。
「少し、絶望的な気分になりかけていました、……よかったです、君らのツアーに同行できて」
よく、意味は判らないけど。
「俺ら……別に、何もしてないと思いますけど」
将が言うと、織原は優しい笑みを浮かべた。
「何かをするとかしないとかじゃなくて」
「………」
「君らは、存在が……なんていうのかな、当人には判っていないのが、不思議ですね」
しかし、鞄を持ち上げ、立ち上がった男は、少し真剣な目で将を見下ろした。
「存在自体が、特別な光を放つ者がいる、それはおそらく、誰かを救うために神から授かった才能です、決して無駄にしてはならない」
「………………」
「君たちは、光なんです」
光。
「今はまだ程遠い、でも、いつか、闇をも包摂する、大きな光になってください」
大きな――光。
解散へのカウントダウン(後) 終
※この物語は、全てフィクションです。
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