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「最初に流れたのは、4月の第一週ですね、以来、じわじわとリクエストが増えて」
「………………」
 真田孔明は、眉をひそめたまま、唇に指を当てていた。
 東京、赤坂。
 東邦EMプロダクション本社。
「有線、ラジオ局に問い合わせが殺到しているそうです。が、自主制作されたインディーズ版で、そもそも誰が歌っているのかさえ、ラジオ局は把握してもいないそうなんですよ」
「………………」
「プロデューサーを名乗る男から局に持ち込まれたのが、最初だったようです。その男とも連絡が取れないようで、今、業界では、幻の名曲、と、ちょっとした話題になっています」
「ふん」
「作詞、作曲は」
 真田は無言で片手をあげ、部下の報告を遮った。

 ST fucharing takeshi

 手元のメモには、そう記されている。
「…………探し出せ、何をしても、だ」
 真田は冷たく言って、総務部長を冷ややかな目で一瞥した。
「リミットは今週だ、CDを持ち込んだという男、歌っているアーティスト、ST fucharing takeshi、全て探しだして、私のところに連れて来い」
「うちで、拾ってやるということですか」
 その言葉には答えず、真田は顎だけで退室を指示した。
 扉が閉まる。
―――有り得ない。
 真田は眉をしかめたまま、立ち上がる。
 しかし、似ている。
 かつて誰よりも愛した男。
 この曲は、リズムも、変調の癖も、詩の切り口も、その男の作る作品に酷似している。
 現代風にアレンジされ、ヒップホップな曲調になっているが、原曲だけを聞くと、おそらく、よりその印象は鮮明になるだろう。
 特にBメロの変調あたりは、あの男の天才にしか生み出せない、最高級のテクニックが織り込まれている。
 聞いたのは、外出先で、偶然だが、その瞬間、真田の全身に鳥肌がたった。
 胸の傷が深くうずいた、あの男の残滓に触れた時の、自然に起こる身体の反応。
「えー、では、ここでリクエスト、最近、これ多いんですよね、
ST fucharing takeshiで、君がいる世界」
 立っている真田の背後で、ラジオがメロディを奏ではじめる。
 Sは……名前か。
 Tは、しかし頭文字ではない。何を意味する文字だろう。
 そしてタケシ。
 S、SТ。
「……………………」
 ストームか。
 まぁ、偶然にしては、多少面白くはあるが。


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「眠い……」
「あー、でも俺、興奮して眠れねぇかも」
「手がはれてる気がするよ」
「俺もー」
「あのさ」
 テレビをぶち切った将が、呆れた目で全員を見回した。
「だったら、とっとと、自分の部屋に戻れよ、お前ら」
 名古屋県愛知市。
 全国行脚三日目。今日は、二都市、三箇所でのイベントを終え、その足で翌日のイベント先に移動、予定された宿に入ったのは、11時過ぎだった。
「でも、毎日、すっげ楽しくてさ」
「人の話聞いてねーだろ、雅」
 空き部屋がなくて、将だけが三人部屋に1人きり。そこに結局、全員が集まってしまっている。
「つか、もったいねーだろ、せっかくイタちゃんが、1人部屋借りてくれたのに」
 ベッドに仰向けになりながら、将は嘆息して天井をみあげる。
 あー、お袋のメシが食いたい。
 つか、勝手だよな、お袋のことなんて、思いっきり苦手で、普段は会話さえ交わしてねぇのに。
「将君」
「うわっ」
 雅之に上からのしかかられる。
「つか、おい!相手違ってるだろ」
「いやー、なんか疲れて、頭マジでてんぱってっから」
「日本語の使い方も違ってるし」
 隣のベッドで、腹ばいになっているりょうが笑っている。
 その傍らには憂也が腰掛け、壁に背を預けていた。
「んじゃ、俺が、りょうもらっちゃうかな」
「もらわれてやるから優しくしろよ」
 2人のジョークに、一番隅のベッドで肘をついていた聡が吹き出した。
「り、りょう、お前、最近キャラ変わったよな」
「そっか?」
「おいっ、雅、頼むから、このまま寝んなっ」
 次第に重みを増す雅之の頭を脇に押しやって、将は肘をついて横臥する。
 全員が揃いの浴衣姿。
 身体が溶けるほど疲れているのは同じなのに、妙なほどリラックスした時間がそこにあった。
「憂也、明日はオフレコだっけ」
 ベッドの脇に置いた予定表を確認しつつ、将が聞くと、
「そ、録りだめも尽きちゃってさ、いったん東京戻ってくるわ、さすがにこれ以上迷惑かけらんないし」
 ずっと、アニメ番組の声優の件をひた隠しにしていたはずの男は、あっさりと認めて頷いた。
 ジャパンテレビで深夜に放送されているアニメ「全ての美しい男」。憂也はこの春から、天降潤夜という名前で声優をつとめている。
 一時、アニメファンを騒がせたの正体は、ジャパンテレビが正式に新人と発表し、ネット上の噂を一蹴したため、収束した感があった。
 が、番組の人気は上昇する一方で、今では、DVDや関連CDの売り上げが、必ずオリコン上位に顔を出すほどの人気番組になっている。
「あれさ、結局、暴露しねぇの?」
 りょうが憂也を振り返る。
 憂也は半ば眠いのか、物憂げに両手を首の後ろに当てた。
「さぁ……どうなんだろね、隠してたって何の意味もないと思うけど、ま、事務所の方針だから」
「いやー、結構な騒ぎになると思うけどな」
 セイバー騒動で、それを散々経験している聡が、神妙な目で腕を組む。
「すげー人気じゃん、お前の、」
「マクシミリアン公爵?」
「そ、そうそう、そのハンバーガーみたいな、」
「マックかよ、そりゃいいな」
 笑いが室内を包み込む。
―――事務所の方針、ね。
 将は無言で、今日、初めて現場に顔を出した女のことを思い出していた。
―――じゃ、これも、あいつが決めたことなんだろうな。
 憂也のブランドを守るための戦略だろうが、憂也の気性に、そんな気遣いは無用な気がする。ただ、憂也のポテンシャルで、確かに声優は、いつまでも専属でやるような仕事ではない気もした。
「そういやさ、今日現場来てた人、あれ、誰?」
 りょうが、不審そうに口を開いた。
「ずっと真咲さんと一緒だった男の人、俺らの写真撮りまくってたみたいだけど」
「織原瑞穂さん、お前、紹介ん時いなかったな、そういえば」
 将は苦い気分を押し殺して半身を起こした。
「ネットで動画配信してる会社のお偉いさんなんだってさ、ほら、今話題のライブライフ、あの……」
 女、じゃねぇ
「真咲さんの大学の後輩で、いずれ、Jのコンテンツを自分とこで配信したいとかなんとか」
「いけんの?それ」
 と、憂也。
「ひとまず、唐沢社長には門前払いくらったらしい。で、あの……」
 女、じゃねぇ。
「真咲さん、頼ってきたんじゃねぇの」
 そこんとこはあんま、考えたくないけれど。
 今日もずっと、2人は寄り添うようにイベントステージを見ていたようだった。つか、ニンセンドーの社長の次は、今流行りのヒルズ族かよ、いい加減にしろって感じだ。
「……どうなんのかな、俺ら」
 ふと、夢でも見るような目で、りょうが呟いた。
「………勝負、……ぶっちゃけ、難しいのかもしんないけど」
 日比谷公園でのイベント当日。
 ヒデ&誓也がぶつけてきたのは、都内各所の電光掲示板を使ってのサプライズプロモ、そして、原宿でのゲリラ路上ライブだった。
 東京都内は、あの日、ヒデ&誓也一色だったらしい。
 原宿では、交通マヒが起こるほどの騒ぎになり、ライブは一時中断、翌日の新聞各社は、それを大きく書きたてた。
 無論、ライブ中止に至るまでの全てが、唐沢社長の戦略だろう。
 ヒデの新曲は、その事件をワイドショーが扱う間、ずっとバックで流されており、まるで事件そのものがタイアップも同然も効果だった。
「俺、それでもいいかなって……なんか、こう、あんま毎日楽しいからかな。俺らのこと応援してくれる人が、こんなにいるんだって思ったら」
 りょうは、囁くように続けながら仰向けになる。
「アイドルやっててよかったなって、まぁ、いまさらなんだけどさ」
「……うん、判るよ」
 と、聡。
「会場でさ」
 寝ていたと思っていた雅之が、ひょっこりと頭を上げた。
「俺らもお客さんに幸せもらってんだよな、俺らもあげてるけど」
「判る、パワーの交換会っていうか」
 即座に相槌を打つ聡。
 パワーの交換会、か。
 将は、無言で、再び仰向けになって天井を見上げる。
―――聡にしては、気が利いた言葉だよな。
 前から不思議に思っていた。
 ステージに立つたびに、突き抜けるほどの歓声を浴びるたびに、収まりきらない何かがみなぎり、嫌なことも、迷いも、アイドルでいることの葛藤も、何もかもぶっとんでしまうこの感覚。
 いつもそうだった。最初から、キッズの時、初めてMARIAのバックで踊った時から。
(ここは、俺のいる所じゃない。)
(俺が目指しているのは、こんなものじゃないし、こんな歌じゃない。)
 いつもいつも、将はその葛藤を隣り合わせで持っていた。
 成り行きとはいえ事務所に入った以上、レッスンもアイドルも徹底してやる。が、今やっていることは、所詮は自分の本意ではないのだと。
―――こんなとこじゃ、百年待っても奇蹟なんて起きないと思ってたけど。
 将は苦笑して、思い思いの姿でくつろいでいる仲間たちを見る。
 音楽が、人の魂を精神の高みに押し上げる瞬間。
(音楽はね、バニーちゃん)
 あの女が口にした奇跡の世界。
(この世界に生きることの真実を、人が知ることができる、たった一つの鍵なのよ)
 意味、わかんねぇけど、昔も、今も。
 今では、ここだから、もしかして出来るのではないかと思っている。
 ここで、この5人なら。
「前から思ってたし、この何日かで特に思ったんだけど、幸せな仕事してるよな、俺ら」
 将の隣で、雅之が呟く。
 誰も、何も言わなかった。
 将は無言で微笑して、目を閉じた。多分、思ったことはみんな一緒なんだろう。
 そうだ、だから。
 この幸せな時間を、絶対ここで、終わらせちゃいけないんだ……。


                   12


「へー、イベントに出るんですか」
 憂也は、読んでいた台本を置いて顔をあげる。
「そ、来週東京ビックサイトでね、君は知らないと思うけど」
 保坂圭一は、そう言って、ちょっと鼻の頭を掻く。
「世に言うオタクの祭典っていうの?世間じゃコミケって言われてるんだけど」
「あ、知ってます。知り合いにものすごい詳しい人いるんで」
 冗談社の高見ゆうり。
 そういや、今回は、どのブースに出るんだっけ。去年の暮れのコミックマーケットには、確かダースベイダーの扮装で参加したって聞いたけど。
 コミックマーケット。
 簡単に言えば、同人誌即売会。
 東京ビックサイトで年に2回開催される巨大イベントで、別名、おたくの祭典。
 参加するのは概ね素人だが、その規模は、すでに半端ではなく、趣味でもない。何億もの金が動く、日本を代表する一代事業と化している。
 単なる同人誌即売会だけでなく、ゲームやアニメ関連の企業が出展したり、イベントやミニコンサートも行なわれたりするらしい。
 その人気はすさまじく、毎回、交通規制が出るほどの集客があるという。
「へー、じゃ、皆さん、そのコミケに、一緒に出ちゃうわけですか」
「まぁね、企業ブース『すべ男』の特設会場でさ、声優で出演決まってるのは俺と、美香ちゃんと、藤村さんだけなんだけど」
「うわっ、藤村さんもっすか」
「俺はやめとけっつったんだけどね」
 収録スタジオの控え室。あと少しで、本番の収録が始まる。
 イベントねぇ…。
 憂也は腕を頭で組んで、天井を見上げた。
 まぁ、これも、番組の人気の表れなんだろう。このアニメ番組は、深夜枠では異例の13パーセント台をたたき出し、先日もプロデューサーから大入りが出たばかりだ。
 ゲームも第2弾、3弾と企画されているし、テレビの続編、映画化、オリジナルビデオ化も計画中だという。まさか憂也にしても、ここまで、この仕事が、長々と尾を引くとは思ってもみなかった。
 ただし、憂也が、その続編に参加できるかどうかは、事務所の方針しだいだろうが――。
 憂也自身は、そろそろ次のステップかな、と、思いかけている。
「でも、急な話っすね」
 すっかり馴染んだ先輩声優の手元から、クッキーを一枚拝借しつつ、憂也は言った。先週、そんな話はなかったから、本当に急に決まったんだろう。
「ま、テレビ局が勝手に決めちゃったイベントだからね、現場の忙しさなんて無視だよ、無視」
「へぇ……」
 道理で、スタッフ全員が、妙に殺気だっていたわけだ。
 が、そうぼやく保坂は、それでもヒット作の主演が嬉しくないはずはない。いつになく上機嫌そうだ。
―――そういや最近、忙しすぎて、テレビも新聞も見てねぇや。
 朝起きて、メシ食ってイベント出て、で、ホテル戻ってメシ食って束の間の睡眠を取って、また移動。
 憂也もそうだが、今は、全員がそんな生活だ。
―――楽しいけど、世間の情報、全く入ってこねぇよな、
 ライバルのヒデが、今、どういったプロモをしているかさえ、正確には判らない。逆に言えば、だからマイペースで頑張れているとも言えるのだが。
「ビックサイト、憂也君も暇だったらおいでよ」
「あ、はい、行けたら、思いっきり変装して」
 っていつだろ、それ。
 東京ビックサイトといえば、ストームの新曲プロモ最終日もそこである。
 5月12日。日曜日だ、まさか、同じ日じゃないだろうけど。
「あ、保坂さん、当日の衣装の打ち合わせなんだけど、今夜時間あいてるかな」
 背後からスタッフの声がした。
「空いてるけどさ、でもさ、マジで俺らがコスプレすんの?」
「保坂さんはまだいいよ、藤村のとっつぁんを、どうすんだっつーの」
 スタッフと保坂圭一が、楽しそうに談笑している。
 憂也はそれを横目で見て、立ち上がった。
 よくわかんねぇけど、なんだか面白そうな話じゃん。
 ま、俺はそんなこと、やってる場合じゃないんだけどさ。
「あれ、テレビ、おたくの事務所のことやってるよ」
 自販機に行こうとしたら、そんな保坂の声がした。
 憂也は足を止めて振り返る。
 控え室の隅にあるテレビ。リモコンでスイッチを入れたのは保坂らしかった。
 甲高い現場レポーターの声がする。
「ここ、東京ドームはすごい盛り上がりです!なんとあの貴沢秀俊君のデビューお披露目が、三時から行なわれるとあって、すでにドーム前はお祭り騒ぎ、今朝から長蛇の列ができています!」
「………………」
 映像が切り替わり、ドームを俯瞰から捕らえた映像になる。
 ヘリコプターからの中継だ。そこには、興奮気味にまくしたてるアナウンサーの言うとおり、ドームをぐるっと回ってもおつりがくるほどの、長蛇の列が出来ている。
「はぁ……すごいねぇ、さすが天下のJ&Mっていうか」
 保坂が、半ばあきれたように呟いた。
「さすが、次世代ナンバーワンのアイドル、貴沢ヒデのデビューだけあって、すごいですね」
 と、スタジオのアナウンサーのコメントが入る。
 つか、デビューするのは貴沢君だけじゃないんだけど。
 すっかり存在の忘れられた感のある河合誓也の立場ってどうなんだろう。俺だったらそんな惨めな関係、とっくに清算してサヨナラだけどな。
 再び画面が切り替わり、次に、貴沢秀俊ヒストリーというタイトル画像が出る。
 母親の腕らしき中で、満面の笑顔を浮かべている、どこかヒデの面影を残す赤ん坊。
 へー、生まれた時から、アイドルしてるよ、さすがヒデ。
 憂也は冷めた目で、その映像を見る。
 CD発売まであとわずか、実際は、オリコンの発表を待つまでもなく、予約枚数と初回出荷量で、ほぼ勝負はつくだろう。
 さすがに、思い知らされないわけにはいかなかった。
―――つか、プロモの規模が、そもそも違うわ。
 すでにフルコーラスが、テレビで散々オンエアされているヒデ&誓也のデビュー曲。片やストームの新曲は、今まで一度もテレビ放映されていない。
「そういや、ストームも新曲だすんだって?」
 保坂の呑気な声がした。
 憂也は、黙って退室した。
 河合君のことを言ってる場合じゃ、そもそもないか、今の俺。
 今のままじゃ、第一週で確実に負ける。
 がんばってる将君や雅やりょう、そして聡には言えないが、どう考えたって……どこにも勝機が見当たらない。


 








※この物語は、全てフィクションです。
感想、お待ちしています。♪内容によってはサイト内で掲載することもあります。
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