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「押さないで!」
「順番に並んでください、写真撮影は、絶対に禁止です」
「携帯は鞄から出さないでください、写真撮影は厳禁です!」
 すごい人……。
 凪は圧倒されて、入場門前に詰め掛けた長蛇の列を見る。その列が、警備員の誘導にそって、まさに民族大移動って奴だ。
「入れるのかな」
 と、傍らに立つ、海堂ミサが不安そうに呟いた。
「大丈夫でしょ、一応動いてるし、私たちも」
 この遊牧民族の一員として。
「いいなー、凪ちゃんは、ストームの友達でさ」
「まぁ、こんな時、なんの意味もない友情だけどね」
 海堂ミサ、凪がこの春から家庭教師をしている教え子である。今月のはじめ、兄の碧人と共にストームのライブを最前列で観て、以来、すっかりストームのファンになってしまったらしい。
「早く、憂也君に会いたいなぁ」
「そうだね」
 あー、よかった、趣味合わなくて。
「握手できるってマジなのかな」
「あそこで整理券配ってるから、どうかな、いけそうな気もするけど」
 別に私は、握手なんてどうでもいいんだけど。
 まぁ、今日のことは、ミサの頼みだから仕方がない。
 父親の前原に頼めば、握手以上のコミュニケーションが取れそうなものだが、そこは意外と古風というか、頑なというか「そんなんでパパの仕事利用すんの、かっこ悪いから」と、ミサはまるで乗り気ではなかった。多分、そんなんでパパの仕事を利用しまくっていた兄への反発もあるのだろう。
 それにしても、すごい。
 ある程度人の入りは予想はしていたが、それ以上だ。
 東京。
 日比谷公園大音楽堂。
 公園内にある約五千人収容の野外ステージで、新曲のお披露目、そして引き続き握手会が行なわれる。
 四時間も早く正門前に到着したものの、すでに出入り口付近は黒山のひとだかりだった。そして、その列は、開始時間が近づくにつれて、広い日比谷公園を数周してもおつりがくるほど伸びている。
「ファンクラブなのに、今回は特典なしなんてひどいよ」
「しょーがないよぉ、急に決まったんだもん」
「最近、すごい増えたよね、ストームのファン」
 歓喜と期待の声にまじり、そんな不満めいた声も聞こえてくる。
「………本当すごいなぁ、凪ちゃんの友達だからって油断してたけど、やっぱ、遠い世界の人なんだ、アイドルって」
 ミサの声に、心なしか力がなくなりかけている。
「ストームの新曲は、このイベントで初めて公開されるから、それで注目されてるんだと思うよ」
 ストームの新曲「奇蹟」
 凪にしても、聴くのは、これが初めてになる。
 アイドルソングにしては堅苦しいタイトルだけど、一体どんな曲なんだろう。
 そういえば、ここ数日、雅之とは全然連絡を取り合っていない。
 凪も忙しかったが、雅之のそれは想像以上だったのだろう。なにしろ、ばたばたの新曲発表、そして怒涛の全国行脚が今日から始まるのだから。
「でもさ、なんだって写真ってまずいわけ?」
 ようやく通されたステージ前の観客席、幸運にも座れる位置だったが、どうせ、立ちっぱなしだろう。
 携帯を鞄にしまいながら、不服そうにミサは続けた。
「写真は厳禁厳禁って、うざいっつーの、写真なんて撮られたところで減るもんじゃないのに」
「そうだね」
 面倒なので、あえて反論せずに相槌を打つ。
 写真は、それ自体が売り物になるから厳禁なのだ。映画の海賊版と同じで、商品の盗用に当たるから。
「………………」
 その意味で。
 凪は、ふと、気持ちが暗くなっていくのを感じていた。
 ストームは、雅之は、確かに「商品」。
 それも、莫大の金を集める極上の品。それが、アイドルの置かれた側面の一つ。
 商品の持ち主である会社が、その商品を守り、傷がつかないようにするのは当然だ。商品が稼ぎ出す金は、すでに資本主義社会の歯車のひとつになっているのだから。
―――あ、やば、またマイナス思考になってるよ、私。
 そんなことで悩んだりへこんだりした所で、何の意味もないって判ってるのに。
 あいつはあいつ、私は私。
 今は、お互いがそれぞれ頑張ることが、ひとつの大きなゴールに向かっていると、そう信じてやっていくしかない。
「野外ステージって、音的にはあまりよくないってパパが言ってたけど、どうなのかな」
 ミサが、どこか所在なさげに呟いた。
「そう……だね、どんな感じなんだろ」
 確かに青空の下、この広々とした――悪く言えば、どこか間の抜けた空間で、口パクと音響、そして照明演出に守られて歌うアイドルが、どんなパフォーマンスを魅せてくれるのか。そう思うと、凪も少し不安になる。
「下がってください!」
「ここから絶対に出ないでください!」
 4月の終り、気温は結構暖かかった。汗みずくの警備員の声と共に、鉄製のフェンスが、手際よく通路にしかれ、それがロープで固定される。
 凪は上着を脱いで半そでになった。
「ねぇ、なんでフェンスなの?」
「もしかして」
 そんな声が、背後の女性連れから聞こえた時だった。
 つんざくような悲鳴が、後方から巻き起こった。それはまるで地崩れか波動のように、一気に立ち見を含めた客席全体に広がった。
 激しいビートに乗って流れ出す音楽。
 それは凪も知っている昨年の夏に出したアルバムの収録曲で、昨年のコンサート冒頭にも使った、スピード感溢れるポップなラブソングだった。
 振り返った凪は、ただ、圧倒されて息を呑む。
 音楽も何も聞こえない、悲鳴、悲鳴、悲鳴の嵐。
 客席中央の通路。フェンスに守られた、しかし人がようやく1人通れる程度の狭い通路に、観客の手が殺到している。
 最初に見えたのは、白いコートみたいな衣装を羽織った柏葉将だった。
「将―――っっっ」
「将くーーんっっ」
「大好き、こっち向いてーっっ」
 衣装もまた、昨年のコンサートの冒頭で着ていた、裾の長い白のタキシード。ゴージャスなつくりで、背中には金色のビーズが星型に縫いこまれてきらめいている。
 柏葉将は、白い手袋をはめ、インカムをつけていた。
 両手を伸ばし、両サイドの観客席から延びてくる手に、タッチ、タッチ、タッチ、ほとんど歩く程度の緩やかさで、ゆっくりと通路を歩いてくる。当然、触られ放題である。
 ライトはない。
 なのにまるで、光の塊が近づいてくるようだった。
 柏葉将の背後には、綺堂憂也。
 やはり将と同じように、両手を掲げて、少し軽い雰囲気で、客席のファンとタッチを交わしている。
「憂也―っっっ」
「憂くーーんっっ」
「きゃーっっっ、すごいっ、超かっこいいっ、信じられないっ」
 ヒートアップした歓声と悲鳴が、音楽などかき消している。
「な、凪ちゃん、どうしよ、すごい、すごいよ」
 隣のミサも、なんだかすでに失神状態。
 成瀬雅之。
 その刹那、ごうっと轟音のような、歓声が巻き起こった。
「雅――っっ」
「かっこよかったよーっ」
「観たよーっ」
「雅くーんっっ」
 なんだかものすごく楽しそうな顔をした雅之は、両手を広げ、少し早足で、客席の間を駆けてくる。
 すっげ、アイドルしてるじゃん。
 きらきらの王子様の衣装、まだ髪も伸びきってないのに、全然違和感ないじゃん、マジで。
 東條聡、そして最後は片瀬りょう。
 最後に通路を通り過ぎて行った片瀬りょうは、実際、間近で見ると、怖いくらい美しかった。長く伸びた黒髪、野生的、なのに女性的な眼差し。
 それが、まるで子供のように楽しそうに笑って、両手を広げ、ファンの手に自らの手を合わせている。
 これで――心を奪われない人がいるだろうか。
 5人がステージにたどり着いた途端、ずっとイントロのリフレインだった曲調が変わった。
 客席はヒートアップ。完全にできあがっている。凪にしても、ここが野外であることを一時忘れてしまっていた。
 横一列、一糸乱れぬ見事さでポーズを決めた5人が、曲にあわせてステップを刻み、そして同時に口を開いた。
「あ、」
 本当に歌ってる。
 すご……結構上手いっていうか、あんまり、揃ってはないけど、すごい迫力。
 いつもの曲が、まるで別の歌みたい。
 微妙にアレンジが変わっていると、凪はようやく気がついた。
 柏葉将のラップが入る。
―――あ、うまい。
 てか、マジでかっこいいかも。
 力強くて、男っぽくて、少しだけセクシーで。
 ドキドキする。
 ちょっとやだ、私がこの人にドキドキしてどうすんだろ。
 息もつかさない内に、次の曲のイントロが入る。
 全員がタキシードを脱ぎ捨てた。舞い上がる服に悲鳴が被さる。
 下は、少しドレスアップしたシャツに、ラメのはいったパンツ。
「………ものすごい、アイドルしてるし」
 凪は思わず呟いていた。隣では、すでにミサが金切り声を上げている。
 そういえば、ストームのコンサート、凪は参加したことが一度もない。
 唯一行ったのがライプ打ち上げを兼ねたミニライブ。あの時は全員シックな黒のタキシード姿で、むしろ、アイドルらしさはあまりなかった。
―――あの、普段から目茶苦茶かっこいい柏葉さんが。
 もろ、アイドルど真ん中、みたいなラメ入りの服で踊っている。
 それがすごく意外な気がした。でも、まるで違和感がない。むしろ、輝きをより増して、本当に――遠い世界にいる人を見ているような気持ちだった。
「もりあがってるかーーーっっ」
 曲のラストの方で、綺堂憂也が叫び声を上げた。
「今日は、集まってくれてありがとうーーっ」
 成瀬雅之。
「みんなのおかげで、やっと新曲が出せます、ありがとうっ」
 東條聡。
「世界で一番最初に、お前らのために歌ってやるぜーーっ」
 片瀬りょう。
 か、片瀬さん、そのワイルドさ、まるで別人なんだけど。
「凪ちゃん、私、りょうに転びそうなんだけど!」
 凪の腕をぶんぶん振り回しながら、ミサ。
「うん、転んでいいよ」
 よかったー、また趣味が合わなくて。
 曲が、ふいに静かになる。
 静かというか、むしろ寂しい。
 きらきらと、小さな星が瞬くような。
「ついこないだ、僕たちは、チームストームっていうライブツアーをやりました」
 柏葉将。
「行ったよーっっ」
「観たよーっ」
 掛け声が飛ぶ。
「その時にあらためて思いました。沢山の人に励まされて、支えられて、こうして、僕らはここに立っている。それ、すっげー幸せなことなんだって」
 客席が静まり返る。
「こんな僕たちだけど、いつまでもこうやって、みんなと同じ時間を共有したい」
 どこか、切々とした声だった。
「これからも、僕らストームを、みんなで支えてやってください」
 そして全員が、手を繋いで頭を下げた。
 音楽も何も消し飛ぶような歓声と悲鳴が巻き起こる。
「もう、応援する、私、一生応援する!」
 ミサは、すっかり心を持っていかれている。
 それはそうだろう、柏葉将みたいな男にあんな目で訴えられて、胸キュンにならない女が、果たしてこの世にいるだろうか。
「聞いてください、僕らの一年ぶりのリリース曲です」
 奇蹟。

 ふいに曲調が明るくなった。


 
だから輝いて、この時を駆け抜ける
 一瞬の煌きが、永遠になるように


 全員のユニゾン。
 そして、ダンス。
 一糸乱れぬ見事さで、でもそれは、どこか可愛らしい振り付けだった。
 踊りながら、1人1人、順番に前に出てくる。

 
ただ、過ぎていく日々の中、夢はいつも儚く消えて
 一億の人の群れ中、孤独だけがつのる毎日
 何もできない、何も変えられない
 愚痴ばっか増えて、諦めることに慣れていく
 なのに、心のどこかで、待ってるんだ。
 ねぇ、神様、僕の人生に、奇蹟を起こしてくださいと。


「楽しい曲だね」
 ミサが言った。
 凪は頷かないまま、前を見る。
 確かに曲調は明るくて楽しい、でも、どこか、歌詞は切ないような気がする。


 
僕ら、しょせん夜にまぎれて見えない、小さな星屑
 地上に届かない光を放ち、やがて消えていくDestiny
 夢見ても、百年先の未来さえないんだ
 キラキラと、束の間輝いて、散っていく

「それでも何かが、僕らの背中押しているんだ
 届け、想い、歌が、光、届く、君へ
 強く、強く、強く
 この壁を越えていけと」



 柏葉将のラップ部分。
 ここだけでない、無論全てが生歌である。


 
君を好きになって
 人生捨てたもんじゃないって思う



 雅之のソロ。


 
まるで、夜をてらす一筋の光みたいだ
 僕は、子供みたいにはしゃいで



 憂也のソロ。


 
ユラユラと、陽炎みたいにもつれあって
 この時間に、限りがあると知っているから
 滑稽なほど一生懸命、愛を体で感じあうんだ

 

 全員のユニゾンの後、後半が片瀬りょうのソロ。


 
愛しさで胸が満たされていく
 なのにあきらめきれない何かが、
 今日も、僕の背中を押し続ける。
 君の愛だけじゃ、僕は……



 ユニゾンから、東條聡のソロ。
 

「終わらない感情、僕らをどこへ導くのか
 止まらない現実、僕らの鼓動加速させる。
 例え君を置き去りにしても、この世界に生きる意味
 探そうと、捨てきれない情熱に突き動かされている。
 僕らはまだ夢の途中、旅の途中
 想像を超えた未来信じて、前へ、前へ、走れ、強く」



 柏葉将。
 このラップパートのバックに被さるように、サビ部分の楽曲がコーラスになって流れている。


 「現実をみて」
 ごめん、僕は君を置いて、多分この先に行く



 片瀬りょう。


 
僕ら、しょせん夜にまぎれて見えない、小さな星屑
 地上に届かない光を放ち、やがて消えていくDestiny
 夢見ても、百年先の未来さえないんだ
 キラキラと、束の間の命を燃やし、散っていく


 
だから輝いて、この時を駆け抜ける
 一瞬の煌きが、永遠になるように

 キラキラと、
 僕らの光、百年先の未来まで照らすように
 
 思い出の中、今も君が輝いている
 僕は、今は、君を照らす光になって



 今までで一番高音のサビ部分。
 朗々と歌い上げる東條聡の歌声は、まぎれもない生のボイス。きれいに伸びた高音には、わずかのぶれも、乱れもない。


 
キラキラと、
 この時間に、限りがあると知っているから


 
キラキラと、
 僕らの光、百年先の未来まで届け

  その奇蹟を、今日も信じて


 
 サビのメロディリフレイン、そしてフィードアウト。

「……すごく、いい」
 凪は思わず呟いている。
 いい曲だ。本当にいい。なんだろう、こう、意味もなく、ちょっと泣けそうになっている。
 時間にすると、わずか十分たらずのステージ。
 これで無料だなんて、嘘みたいだ。
 あとは、整理券を手にした幸運な者だけが、予定時間いっぱい握手してもらえる。
 主役の去ったステージに、いつまでもストームコールが響いている。


 
僕ら、しょせん夜にまぎれて見えない、小さな星屑
 地上に届かない光を放ち、やがて消えていくDestiny



 凪の耳には、まだ5人の歌声が残っている。
 興奮と、そしてわずかな胸の痛みと共に。


 
夢見ても、百年先の未来さえないんだ
 キラキラと、束の間の命を燃やし、散っていく

 キラキラと、
 僕らの光、百年先の未来まで照らすように




 








※この物語は、全てフィクションです。
感想、お待ちしています。♪内容によってはサイト内で掲載することもあります。
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