「将くーん、呼んでるよ――ッッ」
 いきなり、そう叫んだのは憂也だった。
 雅之は驚いて、一瞬足をとめそうになっている。
 移動ステージはアリーナ中央、曲は「太陽より早く」。長い間奏で、場内で時折聞こえていた将コールがひときわ大きくなった時だった。
「そんなんじゃ将君に聞こねーぞーーっ」
 りょう。
「ばっ、な、何、煽ってんだ」
 雅之の隣に立つ聡が、少し慌てて周囲を見回している。
 一気に観客のコールがヒートする。
 それは爆発しそうに勢いで、東京ドーム全体を揺るがせている。
 こえーな。
 正直、雅之は、びびりそうになっていた。でも。
「よーし、届いてる届いてる」
 満足したように、憂也が言った。両手を広げ、なだめるように観客に手を振っている。
「心配しなくても、将君なら劇的に出てくっからさ。……ごめんな、寂しい思いさせて」
 憂也の乙女心をくすぐるセリフと甘い声に、黄色い歓声が巻き起こる。
 雅之も聡も、同時に吹きだしていた。
 全く、憂也は演技派だよ、本当に。
 そうだ、今、俺たちは一人じゃない。
「俺じゃダメ?」
 りょう。
「将君なんかより、俺が満足させてやるからさ」
 やられた。
 多分今、失神者が続出している。
 この間を見きったように、間奏が一気にサビに入る。こういうのがRENさんの上手さですごいところだ。
 一人じゃない。
 聡が歌い始める。

 
もう迷うことなく行ける この先に求めてるものがあるから
 なにを求めてるのか わかんなかった過去は
 もう振り返ることもない この先にあるものだけ見つめてけばいい
 あの 紺碧の水平線の その先に見えた光
 太陽より早く 空を掴み取れ


 雅之も笑顔になって、再び踊り始めている。
 正直言えば、もう足も手もつりそうだった。
 極限状態。最初は何も感じなかったが、ふと気づけば、疲労が限界を超えていた。
 それでも、手も足も動いているし、あがっている。走れと言われたら、多分、どこまでも走っていける。
 すげーな、俺。
 すげーよ、みんな。
 一人じゃない。
 メインステージには、北川ナオさんやアリちゃん、元キッズのみんながいる。スタンド下の通路には、新人5人組が、必死の踊りを披露している。
 一人じゃなんいだ。
 だから、頑張れるし、どんなピンチも乗り越えることができる。





 うわっ、今、声が裏返ったよ。
 やばいな。こんなに早く限界がくるなんて思わなかった。
 聡は、インカムから顔を離し、軽く咳ばらいをする。
 振り返った雅之が、大丈夫か、という目をしている。
 聡は指を突き出した。
 まだいける。
 まだ、全然大丈夫だ。
 だって、あれだけ毎日ボイトレしたんだ。あれだけ毎日走ったんだ。たったこれだけのことで、今日までの貯金を使い果たしてたまるか。
 将君が、来るまでは。
 絶対にこのまま、歌い続けてやる。
 曲が変わり、今度は憂也のソロパートがスタートした。
「Your answer?」
 アルバムでは憂也一人が歌っているが、今回のコンサートでは、五人のユニゾンとしてアレンジされている。

 どっちかにしろよ 決めらんないなんていうなよ?
 もうだって 決まってんだろ どう考えても


 憂也一人を残し、他の3人は移動を開始する。
 アリーナの中央から分散して、会場の端まで移動。そこから二手に別れて、高さ3メートル強もあるパレードカーに乗り込み、そのてっぺんで歌いながら、場内を一周する。
 車に乗ってしまえば楽だが、移動のタイミングを間奏と上手く合わせなければならない。それが少し難しい。
 観客が必死に手を振っている。聡は足をとめてそれに応える。コンサートは、決して一方的に歌を聞いてもらう場所ではない。大切なのは、お客さんとのコミュニケーション、一緒にこの場を作っていくという一体感だ。
 今度はりょうのソロパートが始まる。
 
 
胡散臭い 打算 もうたくさん
 終わりの見えない 駆け引き それ意味ある?
 もっとカンタンな話だろ
 やるの やんないの どっちだよ


 次は聡のはずだった。
 しかし、りょうはそのまま歌い続けた。

 
誰かに決められたゴールを目指して
 走り出すなんて できないでしょ
 出来損ないのRPG 
 たらいまわし デッドエンド なんてバッドエンド


 すかさず憂也がその後に入る。

 
いっとくけど 俺のコントローラーには
 戻るのボタンはないぜ


―――みんな……
 聡は胸が熱くなっている。
 喉の限界を見抜かれているのが、少し悔しくて、そして嬉しい。
 みんな、成長したんだ。
 スタンドに向かって手を振りながら、聡は目を潤ませている。
 もう、昔の俺たちはどこにもいない。観客に怯え、仲間を信じられなかった俺たちは、どこにもいない。
 みんなが全員を信じ、見守り、そしてピンチの時はいつでも助けに入っていける。
 もう怖くない。
 これから何があっても、この5人で乗り超えていける。





 やべー。
 こんなに疲れるもんだったっけ、コンサートって。
 憂也は、息が続かなくなるのを感じながら、ソロパートを一気に歌いきった。
 将君の言うとおりだな。
 あんだけ走り込んでもこの様だ。全部生で歌いきって踊ることが、ここまで体力を使うものだとは思わなかった。ま、容赦ない振り付け組んだ聡と矢吹さんの責任でもあるけれど。
 ようやくパレードカーにたどり着く。
 降りてきたりょうと入れ違い。一人、メインステージに走って行くりょうを追うように、次の曲のイントロが被さる。
 汗にまみれたりょうの横顔を見ながら、大丈夫かな、と憂也はふと思っている。
 ここから、りょうには一人だけ、危険な演出が用意されている。
 ま、疲れるのもしゃーないな。
 笑顔で踊りながら、憂也は軽く嘆息した。
 しょっぱなから、段取りのぶっとんだ行き当たりばったりのステージ。
 初めて対峙する5万5千の観衆。
 来ない将。
 この極限状況が、間違いなく全員をいつも以上に疲労させている。
 曲は「
stand up!
 これも、アルバムではりょう一人が歌っていたものを、憂也自身が、ユニゾン用にアレンジした。

 
ど真ん中いって 玉砕
 回り道して 返り討ち
 どっちみちダメなら 真っ向勝負
 逃げるのは 俺らのやり方じゃない


 天井のレールに取り付けられたロープがメインステージに降りてくる。
 この段取りを何度も練習したりょうは、安全ベルトを素早く腰に巻きつける。
 ループ状になった部分に片手と片足を預け、そのままロープは一気にりょうを乗せて上昇する。
 悲鳴と歓声が巻き起こる。
 この間、移動車で客席に手を振る聡と雅之、そして憂也は、しばし休める時間帯になっている。

 
俯瞰で見てる余裕なんか ないじゃない
 何年か先の俺ら 待ってる? その待ちは何待ち?
 ただ待ってるなんて あり得ないでしょ
 ここはガツガツしてくとこでしょ

 
 上空から、りょうの歌声が響く。
 フライングは、J&M主催のミュージカルではよくやる手法だが、コンサートに導入したのは初めてだろう。
 そのまま、りょうがゆっくりと移動する。スタンドに、アリーナに、その脚先が観客の頭上すれすれに近づくほどに。
 すっげー歓声。
 憂也は思わず苦笑している。
 もろ肌脱ぎになったりょうの半身は、同性の目からみても、眩しいほどに輝いている。
 リアル版星の王子様だ。
 りょうは、本当に天性のアイドルだ。
 そういう意味では、俺らは到底相手にならない。存在自体がつき抜けていてる。
 りょうの傍にゴンドラが近づく。そこが着地点で、最後のフレーズを歌い終わって、曲も終わる。
 しかし、ロープは、何故か降りてこなかった。
 アクシデント。真下のスタッフの表情で判る。憂也は思わず青ざめている。

 
行くぜ 行くぜ モタモタしてると乗り遅れるぜ
 望むものが手に入るまで 
 何度 何度でも 起き上がっていけ


 メインステージから声がした。
 いつの間にそこにたどり着いたのか、聡と雅之。
 りょうが歌うはずだったパートを、肩を組んで歌っている。

 憂也が再び振り返ると、りょうは無事に着地していた。
 アクシデントなどまるで感じさせない笑顔で、スタンドに向かって大きく手を振っている。
 ぜんっぜん、大丈夫じゃん。俺たちは。
 目茶苦茶心配性だからさ、いまごろやきもきしてると思うけど。
 大丈夫だよ。将君。
 だから安心して、こっちに来い。





 喉、いてぇ。
 給水、そういやいつしたっけ。
 喉も足も限界なのに、どうしてこんなに楽しいんだろ、俺。
 クレーンに吊られたゴンドラから手を振りながら、りょうは思った。
 メインステージでは、残る三人が踊っている。
 次の曲のイントロが始まる。今コンサート中、一番複雑な振り付けなのに、誰一人としてステップを誤らない。ステップもターンもすがすがしいほど見事に決まり、汗を迸らせながら、光の中で踊っている。
 こうやって、もうどれだけの時間、ぶっつづけでステージに立ち続けているのだろう。
 今、何時かな。
 あとどんだけで、年が明けるのかな。
 ゴンドラを降りて、仲間たちの傍に駆けよりながら、りょうは自然に笑っていた。
 時間の感覚、もうねーや。
 つか、時間がここだけ止まってるみたいだ。
 輪になった4人で外側にバク転を決め、客席から一斉に声援が飛ぶ。こんな離れ業をやるのも、キッズの時以来だ。
 お客さんも、薄々わかってんだろうな。
 一瞬崩れた体勢をたてなおしながら、りょうは思った。
 将君が、もしかして出ないかもしんないって、どっかで判ってて、それでも俺たちを盛り上げようと、必死に声をあげてくれている。
 もう一度、パク転。しかし、走り込んだ雅之のタイミングが合わない。憂也と聡が足を止め、振り付けがそこで途切れる。
 左右で踊っていた北川ナオと有栖川晃が飛び込んできたのはその時だった。
 4人の前で、それがまるで最初から決まっていた演出のように、見事な連続バク転を決める。
 今夜限り。
 りょうは、こみあげる思いを笑顔で誤魔化して、踊り続けた。
 二度と集まることのない全員が、全員のいいところを出し合って作るステージ。
 将君。
 将君の言ってた奇蹟って、これだったのかな。そういう雰囲気が、俺ら4人でも作れてるのかな。
 将君。
 将君、みんなが将君のこと待ってるよ。だから早く……早く、来てくれ。
 





―――柏葉君……無理なのかな。
 末永真白は時計を見ていた。
 10時45分。
 息もつかせぬステージは、もう時間でいけば後半にさしかかっている。
(事情はわからないけど、柏葉さんにアクシデントがあったみたい)
 隣に座る凪にそう聞いてはいたが、ステージでは、まだそのことには一切触れられていない。
 時折巻き起こる将コールも、今はもう聞こえなくなった。
 あきらめなのか、頑張る4人への思いやりなのか、それでもファンは、一生懸命柏葉将のうちわを振っている。みんなまだ、あきらめていないし、信じているのだ。
 多分、りょうも。
 ストームの他のメンバーも。
「限界かもしれないですね」
 凪が、耳元で呟いた。
「認めたくないけど……そろそろ説明しないと、お客さんに失礼になるだろうし」
「うん……」
 真白はそっと、4つだけ開いている背後の席を振り返る。
 関係者だけが集められたファミリー席、最初から空席だったそこは、おそらく柏葉将の家族のために設けられていたに違いない。
 ふいに、場内が静かになった。
 聞き覚えのあるイントロが流れだす。
「あ」
 真白は顔をあげていた。
 奇蹟。

 
だから輝いて、この時を駆け抜ける
 一瞬の煌きが、永遠になるように


 静かな歌い出し。それは東條聡のソロではじまる。
 そして続くイントロ。
 バックスタンド側のサブステージにいた雅之とりょうが、ふいに、振り返って、サブステージを飛び降りた。
 客席から悲鳴と歓声が巻き起こる。
 メインステージの東條聡と綺堂憂也も、同時にステージを飛び降りている。
 真白と凪は顔を見あわせていた。
 いきなり手の届く場所に降りてきたアイドルに、アリーナ席は興奮の坩堝と化している。
「うそでしょ、ドームはアリーナに降りちゃだめなのに」
 唖然としたまま、凪が呟く。
 イントロさえかき消す大歓声の中、客席横の通路を一気に駆け抜けた4人は、そのまま中央に残っていた移動ステージに駆けあがる。
 真白は気付く。スタッフが、いつの間にかステージに階段を設置している。とすると、これは最初から決まっていた演出だろうか。
 いつもより少し長めのイントロが終わる。
 ストーム最大の、そして今年最大のヒット曲、奇蹟。客席は沸きに沸いている。

 
ただ、過ぎていく日々の中、夢はいつも儚く消えて
 一億の人の群れ中、孤独だけがつのる毎日


 片瀬りょう。
 
 何もできない、何も変えられない
 愚痴ばっか増えて、諦めることに慣れていく

 
 綺堂憂也

 
なのに、心のどこかで、待ってるんだ
 ねぇ、神様、僕の人生に、奇蹟を起こしてくださいと


 成瀬雅之
 
 
僕ら、しょせん夜にまぎれて見えない、小さな星屑
 地上に届かない光を放ち、やがて消えていくDestiny
 夢見ても、百年先の未来さえないんだ
 キラキラと、束の間輝いて、散っていく


 全員のユニゾン。
 そして。

「それでも何かが、僕らの背中押しているんだ
 届け、想い、歌が、光、届く、君へ
 強く、強く、強く
 この壁を越えていけと」


 柏葉将。
 真白と凪は、思わず両手で顔を覆っていた。
 声も、曲も、ドームが揺れるほどの大歓声と声援で聞こえない。
 4人の中央からせりあがってきた柏葉将は、そのまま笑顔で客席に向かって手を振った。
 歌に入れないほどの大歓声が、この瞬間をずっと場内が待ち望んでいたことを何より雄弁に現している。
「おっせーよ、将君!」
「後半は頼んだからな!」
 場内四か所に設けられたオーロラビジョンに、柏葉将の顔が映し出される。
 いつもの、男らしい目元、臆することのない眼差し、涼しげな笑顔。けれど真白には、その笑顔は、いつもの芸能人している柏葉将のものではなく、友人として接している時の、素に戻った笑顔に見えた。
 将は場内を見回し、片腕を突きあげる。
 歓声で、ドーム全体が震えている。
「将くーーーんっ」
「おかえりーーっっ」
「待ってたよーーーっ」
 掛け声がひとつの渦になって、5人の頭上に降りかかる。
 はじけるような笑顔で、ハイタッチを交わしあった5人が、いつものポジションについた。
 5人。
 一糸乱れぬ、見事なステップ。
 やっぱり、ストームは5人なんだ。
 子供のように笑うりょうの笑顔が、ビジョンに映る。
 ふいに、真白の涙腺は緩んでいる。ばか、私、今日は最後まで冷静にみようって決めたのに。
 ここに立っているのは、私の澪じゃない。
 みんなに愛されている、アイドルの片瀬りょうだから。
 歓声と掛け声で、ほとんど聞き取れないままに曲が終わる。
 5人が、笑顔でステージ中央に歩み寄ってきた。
 コンサート開始から約2時間、初めて場内から音が消える。
 観客席が一斉に静まり返る。誰もが固唾を飲んで、半年ぶりに復帰した柏葉将の発する言葉を待っている。おそらく、インターネットで中継を見ている全ての人が。
 5人で何かを囁き合い、マイクを持った柏葉将が、一歩前に出た。
「今日は来て下さって、本当にありがとうございました」
 そう言った時だった。
 ふいに、観客席から、歓声とは別の悲鳴があがった。
 真白も凪も、驚いてその方向を見ている。
 バックスタンドの2階席、一塁側と三塁側、その二か所から煙が立ち上っている。
 その白い煙を中心に、一斉に人が席を立って逃げだそうとする。
 悲鳴があがり、場内はパニック状態に陥っている。
「柏葉!お前の歌なんか聞きたくないんだよ!」
「帰れ、帰れ!」
 複数の男の怒声と共に、暗いドームに照明が一斉についた。
 アリーナのスタッフが全員、一斉に、ステージに取り残された5人に向かって走って行く。
 最悪の事態が起きたのだけは判った。
 凪と真白は、凍りついたまま、騒然としたドーム内を見つめていた。


















 

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