PM 10:00 都立聖奉総合病院

 
「え……つか」
 将は、瞬きを繰り返す。
 この状況、どっかで一度味わったような。デジャブじゃない、当事者でもない。あの日、今の将と同じ顔で、こうやって呆けたように立っていたのは綺堂憂也。
 将の目の前にはヘリコプター、そのボディには、ピンクのロゴが踊っている。
 HIDE KIZAWA
 ヒデ専用ヘリ……。
「つ、つか、まだこんなもん残してたのか」
 唖然としたまま、将は思わずそう呟く。
 タラップを先に駆けあがった小泉が、パイロットに大声で指示を出している。とにかく急げ、そう言っている。
 将が車ごと監禁されていた場所は、都心からさほど離れてはいないが、楽観できるほど近くでもなかった。開発途中で投げ出された山林跡地。実際、よく見つけてもらえたと思う。
 小泉のバイクで連れてこられたのは、全国でも名の売れた総合病院。病院なんか行ってる場合じゃ……と思ったものの、小泉の目的は、病室ではなく屋上だった。
 緊急患者を移送するためのヘリポート。
 将を待っていたのは、かつて旧J&Mで、人気絶頂だったヒデの移送手段として使用されていた特別ヘリコプターだったのである。
「三十分もすれば、着きます」
 将の腕を引っ張り上げながら、小泉が言った。
「向こうでバイクが待機してます。ドーム側の受け入れも万全です。大丈夫、絶対になんとかなりますから」
 将は時計を見る。すでにコンサート開始から一時間近くが経過している。
 これからヘリで三十分、そこからの移動で十五分程度だろうか、それも順調にいったらの話だが。
「御影さんが、用意してくれたのか」
 爆音を上げて浮き上がる機体。シートベルトを締めながら将は訊いた。
 御影亮。
 ニンゼンドープロダクションの社長で、真咲しずくの元夫。
「そんなことより、怪我は……って目茶目茶してるじゃないですかっ!」
 振り返った小泉が目を剥いて立ち上がろうとした。ヘリが揺れて、あわてて元の席につく。
「そんなにか?」
 そういや、少し顔が濡れているような。
 額を手で拭った将は、その手のひらを見て、雄叫びをあげた。
「うおーっっ血まみれになってるし?!」
「……無自覚だったんですか」
 嘆息した小泉が、引き寄せた救急箱からガーゼと消毒液を取り出した。
「わっ、よかった、傷はちょっぴりです。額だから出血がひどかっただけですね」
 思いっきり蹴られた顎や、胸が、今頃になって痛みだす。特に肋骨あたりがひどかった。もしかすると、ヒビでも入っているのかもしれない。
「ほかには、何かされませんでしたか」
「睡眠薬みたいなの飲まされた。そのせいか、少し頭がぼーっとしてんだけど」
「だ、大丈夫なんですか??」
「いまんとこはな」
 最初のものは、随分効果が薄れてきたし、追加分は、幸運にも吐きだせた。
 いったんは諦めて飲み込もうとしたが、渇ききった口中、痺れが残る喉も幸いしたのか、結局は飲み下すことができないまま喉奥に張り付いていたのだろう。咳こんだ際に吐きだした。ばれたら殺されっかな、とも思ったけど、どうせ殺されるのにそんな心配も無用だと腹をくくった。
 ようやく冷静になれたのはその後だった。ここはまだ東京だ、希望はゼロのわけじゃない。手足のしびれも収まっている。時間がたてば、もっと身体は動くようになるはずだ。
 それからはずっと、背後の死神に反撃する機会を待ち続けていた。
 策があったかと言えば、実のところ何もなかったが、何もしないで死を待つような真似だけはしたくなかった。
 それに、信じていた。
 絶対にみんなが、自分を探してくれているはずだと。
「顎も……少し蒼くなってますけど、痛みませんか?」
「ひとまず腫れないように冷やしとくから、保冷剤とかないかな」
「あ、はい」
 多分、脱いだらもっとすごいことになっているだろう。
 が、腫れるのも内出血も、全て明日になってからだ。今夜は、怪我のことは考える必要はない。
「御影さんです」
 将の顎に冷却シートを張りながら、小泉はようやく最初の質問に答えてくれた。
「警視庁に働きかけて、都内に繋がる高速道のオービス、ガソリンスタンドの監視カメラ、携帯電話の電波を全て調べさせたんです。午後8時の時点で、柏葉さんが、この範囲五キロ圏内にいることは判ってました。でも、そこから先が判らなかった」
 小泉が言葉を途切れさせる。
 そして、少しだけ笑って将を見上げた。
「御影さんは、決してあなたたちの敵ではないんです。手放しの味方でもありませんけど。あの人はずっと、ある目的をもって、今の事務所を経営していたような気がするから」
「目的?」
 将は、小泉の頼りない笑顔を見上げている。
「僕は、御影さんの真意を探るために、ニンセンドーに残ったんです。……まぁ、とはいっても、僕なんかのできることは限られてましたけど」
「…………」
 将の不審を察したのか、小泉は苦笑して、救急箱を隅におしやった。
「全ては、コンサートが終わった時にわかると思いますよ」
 将は無言で腕時計を見る。
 新しい年まで、あと二時間。
「夕方になって、夜になって、コンサートが始まって……。正直言えば、もう駄目だって、何度も何度も思いました。でも、絶対にあきらめないんですね。御影社長も、真咲さんも」
「あいつらは、執念深いから」
 将が言うと、わずかに笑って、小泉は続けた。
「柏葉さんもあきらめなかったじゃないですか。あのクラクションが聞こえたから、僕らも柏葉さんを見つけることができたんです。あれは――奇跡みたいなタイミングでした」
 奇跡。
 奇蹟――か。
「小泉ちゃんは、ずっと藤堂さんと一緒にいたのか」
 喋るたびに助骨あたりが痛んだ。そうとうきてるな、それを押し隠して将は続けた。
「わかんねぇな、一体今夜のからくりはどうなってんだ」
 藤堂戒。
 元J&Mの専務で、今はオフィスネオの社長。その藤堂が、どうしてあの場に現れたのか。しかも、どう考えても接点のなさそうな小泉旬と一緒に。
「僕の叔父ですから、あの人は」
「ああ……」
 そういえば、そんな噂を聞いたこともあった。その時は性質の悪いジョークとして聞き流していたが。
「藤堂さんにしてみれば、とうの昔の縁を切られた姉の子供です。高校で傷害事件を起こして、街でちんぴらみたいなことをやってた時に拾ってもらいました。二十歳の時です、あの人はもう、J&Mの社員だった」
「…………」
「J&Mでは別れさせ屋だのなんだの恐れられてましたけどね。僕にはいつも優しい叔父でした。どれが、あの人の素顔かと聞かれれば、それはよく判らないですけど」
 誰にだって、人には見せない顔がある。
 将は、事務所で、まるで悪鬼か悪魔の使いのようだった藤堂の無表情な面差しを思い出していた。
 が、その藤堂は今、緋川拓海というスターを擁した「オフィスネオ」の社長である。
 そしてJ&Mを崩壊させた立役者の一人。藤堂は間違いなく、東邦の真田会長と通じているはずだ。
「俺を助けてくれた理由ってなんなんだ。小泉ちゃんが頼んでくれたのか」
「まさか、てゆっか僕もびっくりしたんです、今日になっていきなり連絡があった時は、でも」
 思案するように、小泉は視線を下げた。
「僕にニンセンドーに残るように指示したのは藤堂さんなんです。御影さんの動向を探れと言ったのも藤堂さんです。僕に、あの人の考えはよく判らないけど、それは……東邦のためなんかじゃなかったと思いますよ」
 なんのために。
 とは、将はもう聞かなかった。
 J&Mの別れさせ屋。闇の部分を全て一人で背負っていた男。
 もしかすると、今も、藤堂はその闇を、一人で背負おうとしているのかもしれない。
「そういや、警察へは連絡したのか」
 将がそう言うと、小泉は、はじめてみるような怖い目になって首を横に振った。
「する必要はありません」
「…………」
「藤堂さんが、僕にだけ連絡をとって隠密に動いていたのはなんのためだと思いますか。そんな真似をしたら、僕があの人に殺される」
 ある種の覚悟が、透けて見える眼差しだった。将は初めて、小泉旬という男の本質を見たような気がしていた。
「あの怖い目をしたお爺さんは、藤堂さんにとっては因縁のある人です。あとは、あの二人の問題だ。もう、僕も柏葉さんも、気にする必要はないし、絶対に振り返ってはいけないんです」
 それは――。
 その意味を深いところで理解して、将は唇を噛んで、東京の空に視線を馳せた。
 あと少しで2005年が終わる。
「ドームさ」
「はい」
「絶対に……間に合わせてくれ」
 胸にこみあげるものを押し殺し、将はそれだけを呟いた。
 その先で、俺たちを待っているもの。
 その先で、俺たちが、しなくてはならないこと。
 全ての答えは、数時間先の世界に待っている。








PM10:20 東京ドーム



 まずいな。
 美波涼二は、腕時計を見て、眉をひそめた。
 十時二十分。コンサート開始から、すでに一時間以上が過ぎている。
 いまだに開幕の挨拶もなければトークのひとつもない。最初の勢いのまま、有無をいわせずに突っ走っている4人は、ほとんど幕下にさがることなく、歌いっぱなし、踊りっぱなしだ。
 通常のコンサートならMCの時間はとうにきている。
 美波が出した指示は、綺堂にあっさり拒否された。
(わりーけど、将君来るまで、MCにいくつもりはねーから)
 あいつら、目茶苦茶だ。演出も進行も、全く無視。しかし、それをいつまでも黙認するわけにはいかない。
 観客も、さすがに異常に気づき始めている。
「そろそろ、休ませた方がええんちゃいますか」
 背後の扉が開いて、そんな声がした。振り返らなくても判る。増嶋流。
「あいつら、飛ばし過ぎや。最後までもたんのんちゃうかな」
「判っている」
 呟いて美波は沈思した。
 ここらでMCに切り替えるか。が、確かに綺堂の言うとおりだ、それをどう4人で乗り切るかが問題だ。
 柏葉がこちらに向かっているという情報を得たのは十分前のことだった。しかし、周辺道路は大混雑している上に、ドームの周囲には沢山の人がつめかけている。果たして、いつの時点でたどり着くのか、それは誰にも判らない。最悪――間に合わないことも、当然視野に入れなければならない。
 会場では、時折、柏葉コールが沸き起こっている。
 不安そうな眼をした女性の顔が、モニターに映っている。
 判っている。演出で誤魔化し続けるのは、もう限界だ。
 今の状況を説明して許しを請うか。しかし、場内には間違いなく不穏分子が紛れ込んでいる。ここで、主催者側の弱みをみせれば、一気にムードを壊されるおそれもある。
「不審者のチェックはどうなっていますか」
 美波は、背後の唐沢直人を振り返った。
 発煙筒が投げられる可能性がある――その情報を小泉から得た唐沢直人の眉は、陰っていた。
「男性客には、場内ボランティアが近くに立って監視している。中には声をかけた途端、席をたって退出した者もいたそうだ。しかし、全てをそうやって抑え込むのは、無理だ」
「…………」
「場内には、警察の連中もいる。何か騒動が起きれば、そのまま中止にすると息まいている。絶対に、それだけはさせてはならない」
 美波は、無言で眉を寄せた。
 とんでもない崖っぷちか。本当に最後の最後まであいつららしい。
 どうする。
 コンサートの流れを維持させたまま、どう柏葉不在のことを説明する。
 4人だけでやるMCでも、柏葉の話題に触れないわけにはいかないだろう。
 いかなる事情があろうとも、大切なコンサートに穴をあけた。
 世間が、果たして、それを許すかどうか。
 どうする……。
 柏葉コールが激しくなる。もしかすると、それにも扇動者がいるのかもしれない。
「俺らが出たいわ、いっそのこと」
 舌打ちしながら、流が悔しげに呟いた。

















 

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