PM2:03 神田冗談社



「白ウサギからの連絡は」
 ケイの苛立った声を、高見は軽く頷いて受け流した。
「まだです、でも必ずあると思います」
「くそっ……」
 舌打ちして、席につく。背後では、すっかり傷心した大森が、見るも無残に荒らされた室内の片付けをしている。
「よかったですね、大掃除した後じゃなくて」
 高見一人が、怒るでもなく苛立つでもなく、平然とコーヒーを飲んでいる。その冷静さが、にくらしくもあり、唯一の頼りでもある。
「まぁ、落ち着きましょうよ。焦ったって何もできないんです。打てる手は全部打ったんですから」
「…………」
 ケイは、陰鬱な目をパソコン画面に向けた。
 ライブライフの無料動画サイト「ピーテレ」。
 そこで、今日の九時から、ストームの東京ドームコンサートが生中継される。予告やお知らせ欄には、まだメンバー変更のことは出ていない。
 柏葉将が来ていない。
 片野坂イタジからの第一報を受けたのは高見だった。
 あれから一時間おきに連絡をしているが、いまだ柏葉将は、ドームに到着していないらしい。コンサート開始まで7時間を切った。今、会場は、想定外の予定変更に、てんやわんやになっているだろう。
 ミカリと同じ時期に、柏葉将も消えた。
 それは何を意味しているのだろう。今、二人はどこにいて、何をしているのだろう。
 ミカリのことは、片野坂には言わなかった。万が一、それが東條聡の耳に入れば、事態はますます最悪の状況に突入すると思ったからだ。
 今は、意地でも、無理でも、柏葉将の抜けた4人で、ドーム公演を成功させるしか望みはない。
「僕は、救世主……」
 高見が天井を見上げながら呟いた。
 今朝からずっと、高見は煌探偵事務所から取り寄せたばかりの報告書をにらみ続けている。
「白ウサギを探せか。結局は、そこに何か意味がないと、どうにもならないんですよね」
「あんたの頭はどうなってるんだい」
 その冷静さに辟易しながらケイは呟く。
「あたしにゃ、そこまで頭がまわんないよ。ミカリと柏葉将のことでいっぱいいっぱいだ」
「そこが、ケイさんのいいところですよ」
 高見はいたずらめいた笑いを浮かべると、その笑みを消してケイを見上げた。
「逆に私は、もうこれしかないと思ってるんです。正直言えば、昨日の時点では諦めてましたけどね。東邦のネットワークに侵入するパスワードを掴むことは」
「…………」
 ケイは、無言で高見を見る。確かに今の時点で、見いだせる活路はそれしかない。が、仮に情報を手に入れたとしても、それをどう使えばいいのか。悔しいが、今のケイには見当さえつかない。
「パスを掴んでネットに侵入したところで、それは使えない情報なんだろ」
「使いようのない情報でも、取引の材料にはなるじゃないですか」
「…………」
 取引の、材料。
 取引の、材料……か。
「それこそ、命がけのゲームにはなりますけどね」
 しばらく黙って、ケイはわずかに唇を歪めた。
 つかそれ、命捨てろって言ってるようなもんじゃないか。
「大森、あんたは実家に帰ってな」
 高見の目を見たまま、ケイは言った。
「いやですよ、私だって戦います」
 背中から、泣くような、けれどはっきりした声が返ってきた。
「まだまだ子供かもしれないけど、私だって冗談社の一員なんです!」
 よく言った。
 その言葉は胸のうちだけで呟いて、ケイは高見を再度見る。それでも大森だけは、この事務所から遠ざけておきたい。せめて、今日一日だけでも。
 その意味を理解したのか、高見は耳のあたりを掻きながら立ち上がる。
「じゃあさ、大森、悪いけど、今から韮崎に飛んでもらえないかな」
「……山梨の、ですか」
 うん、と言って、高見はファイルを持ちあげる。そして、その眼差しをケイに向けた。
「実は、少しばかり気になる情報があるんです。真田孔明の愛人なんですけどね、ほら、唯一真田さんの子供を産んだ――篠田社長の産みの親になるんでしょうか。出身が韮崎なんですよ。韮崎の……あー、スナック勤務」
「それで?」
「極秘に出産したらしいんですけど、地元じゃ、あれは死産だったんじゃないかって噂があるみたいなんです。まぁ、とるに足らない噂ですけど、真田孔明の過去の中で、唯一ひっかかる個所だったので」
「死産?」
 ケイは眉をひそめている。
「だったら今の社長は、一体誰の子供なんだい」
「それを、大森に調べてもらおうと思って」
 なんつー無理なことを、このひよっこに。
 と、ケイは思ったが、「はいっ」と、大森は勢い込んで頷く。
「いきますっ、すぐに行ってきますっ」
 この大晦日、店も役所もやってはいない。どうせ無駄足になるだろう。それに出産後すぐに捨てられた愛人など、多分、見つけたところでパスワード探しの足しにさえならないに違いない。
「ま、これで年明けまでは戻ってこないでしょう」
 手渡された資料を抱いて、喜々として飛び出して行った大森の背中を見送ってから、高見は言った。さすがに気まずいのか、首の後ろに手を当てている。
「で、どうやってパスワードを探すんだい」
 ケイが訊くと、高見は黙って手元の紙にマジックで文字を書き始めた。
「これです」

 僕は救世主、白ウサギを探せ。

「パスワードは、間違いなくこのメッセージに隠されているんです。そうでないと、白馬の騎士が私たちに近づいてきた意味がない」
 ケイは眉を寄せたまま、時計を見上げた。
 あと6時間。
 それまでに、何が何でも東邦のネットワークに侵入する必要がある。







PM2:45 帝国劇場控え室


「柏葉将がまだ来ない?」
 千秋楽。午前の公演が終わったばかりの控え室に挨拶にきた後輩の言葉に、緋川拓海は手にしたペットボトルを取り落とすところだった。
 柏葉将、そしてストーム。
 世間の猛パッシングに耐えながら今日という日を迎えた5人は、今、ドームコンサートの最終リハーサルに挑んでいるはずだ。
 開幕は午後九時。実質あと六時間しかない。
「来ないってどういう意味なんだ、いい加減なデマなら許さねぇぞ」
「だから、俺にもわかんないんですよ」
 困惑したように今井智樹。
「緋川さんの舞台の最中に、河合のアホからメールがきとったんですわ。どうもドームが、目茶苦茶なことになっとるらしいって」
 増嶋流が、その後を継ぐ。
 J&M解散後、MARIAの五人はニンセンドープロに残った。
 緋川についていくと言った五人を、緋川自身が止めたからだ。それが、弁護士榊の背後にいた人のメッセージだと気がついたから。
 J&Mそのものが、別の何かに吸収されてはならない。
 それがニンセンドーでも、東邦でも、だ。
―――俺たちの、アイドルとしての時代は終わった。
 拓海は、もう自身の決断を悔いていない。振り返ることもないし、そんな余裕も芸能界は与えてくれない。
 あの時、解散するしか生き残るすべがなかったJ&M。しかし、同時に拓海が信じた祈るような願望は、今、奇跡のようにストームが受け継ごうとしてくれている。
「目茶苦茶って、どういう意味だよ」
 拓海の問いに、今井が眉を寄せながら頷いた。
「バンドとダンサーが、今日の朝になってドタキャンしたらしいんです。そりゃま、なんとかなるだろうけど、音響も照明も振り付けも全部変更、現場はもうピリピリして、取材陣も全部シャットアウト状態だって」
「柏葉が来てないってのは、マジなのか」
「朝から、そんな噂がスタッフの間に流れてたみたいです。決定打は最終リハ」
 増嶋がその後を続けた。
「幕が開いたら、4人しか立っとらんかった」
 沈黙。
 その意味は、全員が口にしなくても知っている。
「探せ」
 拓海は立ち上がっていた。
「さ、探すゆうて、どないして」
「どうでもいいいから、さっさと探せ、こんなとこでくっちゃべってる暇なんかねぇだろ!」
「せ、せやけど」
 増嶋と今井は顔を見合わせる。
「どこも思いつかへんねん」
「だったら、思いつく限りのとこに電話しろ!手がかりなんて、どこに転がってっかわかんねぇだろ!」
 唖然と緋川を見上げる増嶋の顔が、ふいに緩んだ。
「なんや、断るまでもなかったな」
「どういう意味だよ」
「俺ら、今からドームに行きますねん」
 ドームに。
 黙る拓海を見上げ、今井と増嶋は立ち上がった。
「せっかく招待してもらったんに、緋川さんの舞台みれへんから、謝りによらせてもらいましたんや。俺ら、ドームに行きます。暇なもん誘うてみんなで行きます。何ができるかわからへんけど、何もせずに見とくことだけはできへんから」
「事務所の方は……大丈夫なのか」
 それには、拓海の方が、やや気おされている。
「参加するわけやない。オフ使って観に行くだけや。ドームのまわりには青いリボンつけた女の子が仰山いて、警察もびっくりするほど整然と並んで、コンサートが始まるのをまっとるっちゅう話ですねん。俺らも結んでこよかな、おもうて」
 そう言うと、増嶋は、蒼みを帯びたハンカチを取り出してひらひらと振ってみせた。
「俺もいくよ」
 苦笑してから、拓海は言った。
 やっぱ、ここは最高だよ。
 ここは――もう俺は戻らないけど、心の中で決して消えることのないJ&Mは。
「公演が終わったら必ず行くって伝えといてくれ。それまでに、つまんねーもんにしたら絶対に許さねぇって、そう言っとけ!」
「了解!」
 三人で拳を突きあわせている。
 一人になった拓海は、上着のポケットにしまっていた包みを取り出した。
 今夜、千秋楽が終わったらプロホーズするつもりだった。
 もう何年も、待たせ続けていた恋人に。
 もう少しだけ待ってろ、向日葵。
 多分これが、アイドルとしての、俺の最後の仕事になるから。








PM3:12 東京ドーム西口


<ご来場のお客様、みなさまに申し上げます>
 どこか遠くから、くぐもった声で聞こえてくるアナウンス。
 グッズ売り場に並ぶ女の子たちにブルーリボンを配っていた凪は、手を止めて顔をあげていた。
<コンサート事務局からのお願いです。本日のお客様の中に、元J&Mのキッズの方がおられましたら、身分証を持参の上、至急24ゲートにお越しください。繰り返します。本日のお客様の中に>
 きゃーっとという歓声がいたるところで上がった。
 凪は顔色を変えかけていた。
 予想外の大観衆が押し寄せた東京ドーム周辺。もともと波乱を含んだイベントだけに警察も多数詰めている。ここで、騒動を起こしては元も子もない。
<ご来場のみなさまに、重ねてお願い申し上げます。ただいま、コンサート会場周辺は、大変危険な状態になっております。キッズを速やかに24ゲートに通してくださいますよう、このコンサートをみなさまの手で成功させてくださいますよう、重ねてお願い申し上げます>
 アナウンスが繰り返す。おそらく、ドーム周辺、いたるところでこの放送は流れている。
「すいません、移動しないようにお願いします」
 わっと駆けだそうとした一団を、凪と同じ「チームストーム」のジャンバーを着た女の子たちが両手を広げて制止した。
 今回のコンサートに、ボランティアとして警備をかってでてくれた元ファンクラブ会員や、騒動後にストームファンになった人たちである。
 このジャンバーも、全員の持ち出しで作成した。今年の春、ストームがやったコンサート「チームストーム」、そのレプリカジャンバーだ。
「騒ぐのはやめようよ」
「そうだよ、騒ぎになったら、困るのはストームなんだよ!」
 そんな声が、いたるところから上がり始める。
 一瞬騒然とわきたった空気は、やがて潮が引くように静かになる。
 場内アナウンスが、まだ同じセリフを繰り返している。
 ボランティアスタッフを取りまとめていた凪は知っている。ボランティアの中には、沢山の元キッズが含まれている。北海道から、沖縄から、今日のために駆け付けてくれた決して表には出ようとしない彼らが、今まで
「支援ネット」を支えていてくれたのだ。
「それにしても、何、今の放送」
「こんなことって普通ないよね。もしかして人手が足りないとか」
「まさかー」
 そんな囁きが、凪の背後から聞こえてきた。
 実際は、そのまさか以上のことが場内で起きている。
 バンドが来ない。ダンサーも来ない。元キッズを呼び集めたのは、誰が言い出した奇策なのか、本当にそれしか手がなかったからだろう。
 しかしコンサートまであと数時間、今からにわかに集めたところで、一体何ができるというのか。
 しかも――未だ公表されていない最大の問題は、柏葉将が、まだ到着していないということである。
―――美波さん……
 凪は、ポケットから携帯を取り出す。そこにはなんの反応も見いだせない。
 コンサートの異変は美波の携帯に留守電で伝えた。チケットは渡している。凪に送られてきたものを、美波の部屋に置いてきたのだ。
 雅之には悪いと思ったが、絶対に今日だけは美波に見てほしかったから。例え自分は見られなくても、絶対に。
 クリスマスの夜から行方をくらませている美波とは、一切連絡が取れなくなった。最後の夜、初めて現実に向き合うような表情を見せた美波を見て、もう大丈夫だと、凪は思った。もう私がいなくても大丈夫だと――なのに。
 美波さん……どこにいるの。
 不安で胸が潰れそうになる。
 どうなるんだろう。
 柏葉将のいないストーム、アクシデントだらけのステージ、せっかくここまで準備してきたものが、もしとんでもない失敗に終わったら。
 どうしちゃったの、柏葉さん。
 どうして来てくれないの。
 いつだったか、建設中のビルの屋上で、亜佐美が言っていた言葉が思い出される。
 他人のことになるとしつこいくらい拘るのに、自分のことになるとあっさりあきらめる所があるじゃない。
 もしかして、逃げたのだろうか。
 自分がいては足手まといになるから、それで――。
 いや、違う。と凪は思う。
 柏葉さんは絶対に来る。
 きっと、ドームの中にいる他のメンバーも、疑うことなくそう信じているに違いない。
 凪は焦燥にかられて腕時計を見る。
 午後四時四十五分、コンサート開始まで、あと4時間。
 











 

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