75
「正式な就任は年明けになりますが」
大仁多の報告を、真田は空を睨んだまま、聞いていた。
東邦EMG本社ビル。
最上階にある、真田専用のオフィスである。
―――いまいましい。
「年内には、理事職への就任内定が発表される予定になっております。えー、就任披露パーティーは一月四日、国内全てのメディア関係者を招待する予定です。おめでとうございます、何もかも予定どおりですね」
「余計なことを、いちいち言わなくてもいい」
忠実な部下のおべっかを退け、真田は不機嫌も露わに立ちあがった。
大仁多が、豚のようなだらしない身体をびくり、と震わせる。
小心で卑怯、ゆえに犬よりも忠実なこの男に、真田は、今回のジャパンテレビ買収プロジェクト――その決して公にできない闇の部分を任せてきた。
その成功の見返りに、男は今、専務取締役として、この部屋に立っている。
―――いまいましい。
真田は再度、舌打ちをした。
いまいましい、あの、ゴミどもめ。
「BPOは、動いているんだろうな」
「そ、それはもう、年内にも報告がでると思います」
「年内では遅い、来週中にも出すようにと言っておけ!」
「は、はい」
俺を舐めるなよ。
俺の力を甘くみるな。
どんな才能も、夢も、希望も、金と権力の前ではいかに無力かということを、骨の髄まで思い知らせてやる。
「エフテレビとサンテレビに通告しろ。これ以上片瀬りょうのニュースを取り上げるようなら、今後一切、うちで囲っている、どのタレントも使わせないとな」
「わ、わかりました」
「わかったら、さっさと行け!」
わたわたと大仁多が退室する。
ストームめ。
唐沢め。
今度こそ、徹底的にこの世界から追放してやる。
「随分、ご機嫌が悪いようですな」
ゆったりとした声がした。が、その音調は金属が軋んだような不快なものだ。
薄闇から滲むように姿を現した男を、真田はさらに不機嫌な目で睨みつけた。
「だったらなんだ」
「何をそんなに苛立っているのかと思いまして」
耳塚恭一郎は、落ち着いた態で、来客用のソファに腰を下ろす。
「もう我々の勝利は見えている。ストームもJ&Mも、しょせん今年で終わる花火のようなものですよ」
「そんなことは、言われなくとも判っている!」
手元のシガーを握りしめ、真田は憮然としつつ、それを唇に挟みこんだ。
判っている。
勝敗など最初から見えている勝負。なのに何故、あの愚か者どもは、全ての望みを自らの手で断ち切ったのか。
「株が急落しているライブライフは年内で銀行融資打ち切りが決まっている。レインボウは音楽業界から干されたも同然、今後、国内ではどんな仕事も回ってはこないでしょう。鏑谷プロも、じきに音をあげますよ。テレビ局の援護なくしてこの業界で生き残れると思っている方がどうかしている」
淡々と、耳塚は続ける。
「荻野を欠いたアーベックスはすでに我々の子会社も同然、奇蹟再リリースの企画など、二度と話題にさえならないでしょう。唯一の懸念は、業界の圧力が一切通用しないニンセンドーですが」
そこで、言葉を切り、耳塚は薄く笑った。
「幸いなことに、御影社長は、ひたすら中庸を貫くようだ。ストームの版権をめぐってJ&Mには億の額をふっかけたとも聞いています。まぁ、真咲しずくというキーマンが消えた以上、あの会社は無害でしょうな」
そしてストームは。
耳塚は続けた。
「あなたがBPOの理事になれば、どの局もその意向に従わざるを得なくなる。今後一切、日本のテレビでストームが使われることはない。ハリケーンズの時と同じです。今どれだけ騒がれようと、いずれ忘れられ、消えていく」
「…………」
「ご心配の種は、まだありますかな」
わかっている。
真田は心の中で呟く。
全て判っている。判っているのに、どうしてこうも不愉快なのか、真田自身にも判らない。
真田の内新を察したのか、耳塚はあるかなきかの苦笑を浮かべた。
組んでいた足を解き、ゆったりとした仕草で、胸ポケットから煙草を出して火を灯す。
そして言った。
「ぼっちゃん、あなたが権力という力を絶対だと信じるなら、私にとっての絶対は、そうではない」
「……どういう意味だ」
眉をあげた真田に、耳塚はわずかに笑んでみせた。
「私には、もっと確かなものがある。でもそれは、あなたが知らなくてもいいことです」
「…………」
「私に、言えるのは」
耳塚はゆっくりと立ち上がった。
「年末の東京ドーム、そこに柏葉将が立つことは、絶対にないということですな」
「…………」
ふと真田の胸に、過去――あるいはと思い、その想像を、しかしすぐに打ち消したある疑念が湧きだした。
しかし、それを口にすることが、ある意味真田自身を危うくすることも知っている。
耳塚とは、真田にとっては原子炉のようなものだ。一度利用すれば、その便利さから逃げられない。が、いったん暴走を始めると、飼い主でもそれを止めることはできないのだ。絶対に。
「さて、そろそろ私の本題に入らせてもらってもよろしいですかな」
窓辺に立った耳塚は、そう言ってわずかに肩をすくめた。
「実は獅子身中の虫の正体がわかりましてね。今日はその報告に伺ったんです」
「例の不正アクセスか」
真田は眉をひそめていた。今月の初め、ジャパンテレビ買収に係る極秘データに、社内から不正アクセスされた形跡があることが判明した。東邦EMGの社内ネットは、昨年にも外部からの侵入を許したという苦い過去がある。その時も、情報はやはり社内から流れていたようだった。
今回、ようやくその尻尾を掴んだ耳塚は、ずっと情報漏えい者の特定に当たっていたのである。
「誰だと思います」
耳塚は、妙に試すような口調で言って唇に笑みを含ませた。「あなたが、ひどく可愛がっていた相手ですよ」
「……誰だ」
「企画部長の安永です」
「…………」
さすがに真田は、言葉を継ぐことができなかった。
安永光。東大政経学部卒、次期取締役の座が内定しているエリートで、社内一の切れ者だ。仕事の清濁を合わせ飲むことができる使い勝手のいい一面も持ち、理論だけでなく行動力もある。真田が、自身の引退後、ひそかに会社の全権を預けるつもりでいた男である。
「安永は、元々無能な篠田社長を毛嫌いしていましたからね。あんなぼんくらの……失礼、二世の下で働くのが我慢ならなかったのでしょう。それに加え、同期の大仁多などに先に取締役の座を奪われた。まぁ、動機はわからなくもないですな」
「それは確かか」
「上手くトラップを張っていましたがね。はがしてみれば、IDコードが一致しました。彼は随分ネットの裏世界に長けていたようだ。どこに情報を流していたか、少しばかり泳がせてみるつもりですよ」
「好きにしろ」
真田はそれだけ言って、さらに不機嫌な思いでソファに背を預ける。
あれだけ目をかけてやったのに――どうしてだ。どうして俺の周囲の者は、全て俺を裏切るようにできている。
しかし、そんなことでさえ、今の真田には半ばどうでもいいことだった。
自身を苛立たせる根源は、そこにはない。あるのはただひとつ、ストームだ。
そして、――柏葉将。
「角田をお使いになりなさい」
「角田だと?」
なんの話だ。ふいに出てきたその名前に真田は眉をあげている。
「合法的に、コンサートを中止させるためにですよ」
耳塚は笑った。「どうも坊ちゃんの頭が、そこから離れそうもないので、けりをつけてあげようというんです。最後の刺客に、角田ほど適任な男はいないでしょう」
角田を、しかし、どうやって。
戸惑う真田を無視するように、耳塚は淡々とした口調で続けた。
「そして、来年に予定されているBPO理事の就任披露パーティですが、……そうですね。できることなら年末、12月31日にされることをお勧めします」
「31日?今からその予定を組めというのか」
「開始時刻は午後九時。ストームのコンサート開始と同時刻に」
「…………」
原子炉に、青白い火が揺れている。
「あなたがパーティをしているその最中に、日本中のメディア関係者が揃っている目の前で、コンサートは確実に崩壊するという筋書きですよ。そしてJ&Mは、莫大な借金と賠償金を背負ったまま、ジ・エンドです」
「……それは確実か」
不思議な予感を覚えながら、真田は思わず念を押した。
「いや、コンサートなどどうでもいい。柏葉将が、そのステージに立てないというのは確実か」
耳塚は頷く。初めてその目の、焦点が合ったような気がした。
「確実ですな」
76
「電源車、確保です!」
電話を切った逢坂が、開口一番、そう言ってガッツポーズをしてみせた。
「よっしゃ!」
同時に立ちあがった全員が声をあげている。
唐沢直人。
片野坂イタジ。
織原瑞穂。
前原大成、そして海堂碧人。
十二月十五日。ドームまであと二週間。
ここ数日、睡眠時間を削って走り続けてきた男たちの、最後の準備が整った瞬間だった。
立ち上がったどの顔にも疲れの色が滲んでいる。けれどどの顔にも、それを凌駕するほどの満足がある。唐沢は微笑して、一番末席にいる男に顔を向けた。
「ボランティアスタッフへの進行表はどうなってる」
「できてます」
即座に立ちあがったのは海堂碧人。すでにネットを中心としたメディアでは顔の売れた有名人だ。J&M支援ネットの発起人の一人。
その碧人がペーパーを全員に配る。息子の姿を見る前原大成の目が、心なしか潤んでいる。
当日、300人強を予定していたバイトは、全てボランティアが対応してくれることになった。海堂碧人と流川凪が発足させたJ&M支援ネット、それを介して全国から手弁当で手伝いたい、という希望者が殺到したのである。
「随分頼もしい連中もいるんですね」
リストを見た織原が呟いた。
碧人は頷く。
「広島の専門学校生です。電話で話したんですけど、彼女が大の柏葉将ファンだそうで……クラスの連中を引き連れて手伝いにきてくれるそうです。PA育成専門学校だから、かなりの戦力になると思います」
「波が、きましたね」
織原が、微笑して唐沢を見た。
「あなたと真咲さんが、待っていた波だ」
「…………」
決して表には出ない、静かで、力強い波。
唐沢だけではない、全員が、その言葉の意味を噛みしめる。
「……俺たちが作ったわけじゃない」
ふと苦笑し、唐沢は呟いた。
「ストームが今までやってきたことの、積み重ねだろうな、それは」
全国ドサ回りのプロモーション、無謀としか思えなかったライブハウスツアー。
どんな馬鹿げたことでも、笑顔でやり遂げてきた奴ら。
そして唐沢は、前原大成の傍らに座る青年に頭を下げた。
「君のおかげだ」
えっと、碧人が慌てて周囲を見回している。
「素晴らしいきっかけを作ってくれた、今回は本当に感謝している」
「いや、俺は何もしてないっすよ。言いだしたのは流川だし、あいつが表に出たくないっつったから、俺がこうしてしゃしゃり出てるだけで」
「碧人、お前も医者なんかやめていいんだぞ」
隣からにやりと笑って前原。
「ばっ、何言ってんだ、クソ親父」
周囲が穏やかな笑いに包まれる。
しかし碧人は、本当に困惑したように立ちあがった。
「でも本当に、俺なんてほとんど何もしてないんです。今、ネットワークを仕切ってくれてんのもボランティアの人たちだし、もう俺なんかいてもいなくても、勝手に組織が走りだしちゃったみたいな、感じで」
「今、会員は何人いるんだ」
「正式に登録してる人だけで、もう二十万は超えてます」
えっと、全員が、それには意表を突かれたように顔を見合わせた。
二十万。
「登録しない人をあわせると、もっとすごい数だと思うんです。正直、ここまで規模がでかくなるとは、俺も想像もしてなかったんで」
「それは全部、ストームのファンなのかな」
織原。
碧人は、少し慌てたように首を振った。
「それが、そうかと思ったら、実はそうでもないんです。俺も流川もびっくりしたんだけど、どのグループのファンとかじゃなくて、J&Mそのものが好きなんだって人が、結構沢山いるんです」
J&Mの。
「なんつーのかな、もうストームだけの応援っていうレベルじゃないんです。J&Mの応援団っていうか、そんな感じで」
「唐沢さん」
呆然としている唐沢の肩を、織原がそっと叩いた。
「それこそ、あなたが今までやってきたことの積み重ねなんじゃないですか」
しばらく黙っていた唐沢は、無言で首を横に振った。
「いや、それも俺じゃない。……もしそうだとしたら、それは美波がやってきたことだろう」
美波涼二。
「この事務所で、俺は利益を、ビジネス面だけを考えてきた。J&Mの骨格を作り、血を通わせ、魂を作っていったのは俺じゃない、……美波だ」
キッズからは鬼と呼ばれて恐れられていた。
けれど同時に、親よりも強く慕われていた。
事務所に残っていたキッズが、のきなみ美波を頼ってオフィスネオに移籍を決めたのはそのせいだろう。若手の選抜、育成を全て取り仕切っていた男。
タレントが事務所の命なら、その命に光と炎を吹きこんだのは、美波だ。
唐沢は暗い微笑を浮かべ、視線を下げた。
「美波は俺を憎んでいる……皮肉な話だと、思うがな」
そこで碧人が、少し迷うような眼になって、顔をあげる。
「あの……そうでもないと思いますよ、俺」
全員の注視を浴びて、碧人はますます困った眼になった。
「これ言っていいのかな。支援ネットは流川がたちあげたものなんだけど、そもそもそれ、流川が、美波さんって人と相談して決めたことみたいなんですよ」
美波が。
唐沢は、表情を固めたまま、まるで夢としか思えないその話を聞いていた。
美波が、しかし、一体何故。
「……美波は、今、どうしている」
動揺を隠して、唐沢は訊いた。
「どうって……俺も、直接会ったわけじゃないから」
碧人が言い淀む。
「流川の話だと、一時ひどい状況だったけど、今は随分状態がよくなったとか。いや、そもそもなんで仕事もせずに家にひきこもってんのか、俺にはさっぱりわかんないんですけど」
「その流川さんというのは、美波の」
「友達だって、言ってましたよ」
そこは慌てて言い添えられる。
「んじゃ、美波さん、今からでも戻って来てくれないかなぁ」
逢坂が、ふいに口を挟んだ。
「あ、すいません。実は、後で報告しようと思ってたんですけど、応募者が殺到してて、どうしたもんかと、イタさんと二人で頭を抱えてたんですよ」
「なんの話だ」
眉をひそめた唐沢に、話を継いだのはイタジだった。
「アイドル候補生です。J&Mでデビューしたいっていう中高生が、こないだの柏葉と片瀬の会見以来、やたら電話やら履歴書やらを送りつけてくるようになったんですよ」
「中には中々の逸材もいて……断るには惜しすぎるし、どうしたものか、一度唐沢さんに相談しようって話になってまして」
「…………」
風か。
唐沢はぼんやりと、その視線を冬ばれの空に向ける。
新しい風が、吹こうとしているのか。
しかし。
「……気持ちは、ありがたいが」
現実に立ち返り、唐沢は冷静に首を振った。
「現実的には、無理だ。みんなも判っていると思うが、今のJ&Mに、
2006年に向かっていくだけの、余力は、ない」
今年のコンサート終了を持って、唐沢はJ&Mを正式に解散するつもりだった。それはもう、全員の中で、暗黙の了解事項になっている。
コンサートで得る収益を借金にあてて、それでもようやくおいつくかどうか。相次ぐキャンセルによる予定変更、機材を海外からのレンタルに頼らざるを得なかったこと。期待していた奇蹟再リリースも頓挫し、おそらくストームのテレビ復帰は絶望的。この先も、ストームがありJ&Mがあり続ける限り、東邦EMGは徹底的に妨害に出てくるだろう。
ビジネスとして冷静に考えた時、この先事業を続けることは、現実的に不可能だった。
「みなさんには、本当に迷惑をかけた。本当に、申し訳なかったと思っている」
唐沢は深く頭を下げた。
すでに半ば、解散することが決まっているライブライフとレインボウ。
織原と前原には、どう謝罪してもおいつかない。
「エフテレから来たコンサートの中継の件は、断らせてもらった」
顔をあげて、唐沢は続けた。
「現実的には、エフテレが放映に踏み切るのは難しいだろう。どうせお蔵入りになるなら、いっそ、うちで、全世界に向けてオンエアしたい」
そして、織原に向かい、再度深く頭を下げる。
「ライブライフさんのコンテンツで、ストームのコンサートを生中継で流してもらえないだろうか」
織原が、驚きで目を見開くのが判った。唐沢は続けた。
「今まで、沢山の人たちを苦しませ、迷惑をかけてきた。もう損も得もない、ただ、世界中の人にストームの、アイドルの素晴らしさを知ってほしいと思っている。これが、俺たちのしてきたことだと、胸をはって伝えたいと思っている」
誰も、もう何も言わない。
「………これが、俺ができる、最後のことだと思っている」
「わかりました、全て無料で対応させてもらいます」
織原が立ち上がり、唐沢の手を取った。
「そのかわり私にも条件がある、オーディションをしてください、新しい風を受け入れてください、最初から私たちには失うものなどに何もないんです、恐れるものなど、もう何もないんです」
織原の目が潤んでいる。
唐沢は顔をあげられなかった。
「あとは、奇蹟を信じるしかないとしても」
イタジが目を逸らし、逢坂は指先で目の端を拭った。
「未来に光を繋げることが、私たちの責務だと思ってください」
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