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「まさに火だるまだな」
 唐沢直人は小さな息を吐いて、顔をあげた。
「バーチャル世界の反応は、最悪、といってもいいと思います」
 いつもどこか若々しい、織原の顔にも疲れがあった。
 東京、六本木。
 ライブライフのオフィスに今、唐沢直人、片野坂イタジ、鏑谷プロのカン、矢吹一哉が集まり、臨時の、そして緊急の打ち合わせを開いていた。
 狭いパーティションの向こうでは、ライブライフの社員が電話対応に追われている。
 その大半が苦情――しかも、J&Mがらみであることは、会話だけで容易に察しがついた。
「まことに申し訳ありません、うちは業務提携をしておりますが、J&Mさんの基本方針にまでは係わっておりませんので」
「はい、誠意をもって対応したいと思っております。ご理解いただければと思っております」
 これでは仕事にならないだろう――。
「うちも、似たりよったりの状況ですよ」
 カンが、軽く息を吐きながら乱れた髪を背後に払った。
「まるでサイバー攻撃です。業務は停滞、公式サイトも昨日一時中止することになりました」
 社内は激震にゆれているだろう。子供向け番組に、暴力。もっともふさわしくない組み合わせだ。
「まるでテロだ。私にはまだ理解できない。日本のような法治国家で、このような合法テロがまかり通ってといるとは」
 憤った声が続く。ここに来た最初から、理性あふれる韓国人は怒りを目元ににじませていた。
「日本はつくづく平和な国ですね。たかだか殴ったか殴られたかの喧嘩ひとつが、戦争が起きたかのような大事件だ。こうやって社会問題にまで発展する。何かがおかしくなってるんじゃありませんか」
 唐沢には何も言えなかった。
 信念をもって柏葉を支援することを決めてくれた鏑谷プロだが、こうも暴力の痕跡がメディアにさらされ、有無をいわせない流れができてしまえばどうしようもないのだろう。
「残念ながら、感情のみに支配された世論と、法的な結論は別なんです、カンさん」
 織原が沈んだ口調で、言った。
「柏葉君は無罪を主張し、それは一部で認められました。けれど、世論は人気芸能人の暴力という行為を許さず、刑罰をのがれた柏葉将に、メディアを使って再度制裁を与えようとしているんだと思います。そのきっかけとなったのが、例の被害者が出してきた写真と……彼の、予想外に冷静でクレバーなビジュアルだったんでしょうが」
 それまで柏葉を擁護していた連中も、あの写真を見せられては黙るしかなかった。
 あまりにも強烈な、暴力の痕跡。
 それと、もう一つ。
 唐沢は苦い思いで目をすがめる。
 テレビなどの主要メディアが、必要以上に柏葉を持ち上げ過ぎたことにある。
 それまでむしろ、同情される立場だった柏葉は、そこで一気に嫉妬と憎悪の対象になってしまったのだ。
 形成は逆転。
 世論は、柏葉将、J&M、そして情熱王国でストームを担ぎ出したジャパンテレビへのバッシング一色に塗り替えられた。
 カンのいうところのサイバーテロは、おそらく、冗談社にもレインボウにも及んでいるはずだ。
 インターネットを通じて匿名でなされた書き込み等により、J&Mを応援しようと協力を申し出たあらゆる企業の代表電話が公開され、苦情の呼びかけが扇動されたからだ。
 上記三社だけではない。どこで調べ上げたものか、電源車のレンタル先、輸送契約をした運送会社、舞台装置の製作を発注した会社にまでも、苦情の電話が相次いでいるらしい。
 一昔前なら問題にもならなかった小さな声が、今は社会全体を動かす時代だ。そういう意味では、メディアはもう大企業だけの特権ではない。個人は誰しも情報の発信者たりえるのだ。
 どんな浅慮者でも、偏狭者でも。
 人の心に共通する悪意と、匿名という隠れ蓑に守られて。
「インターネットが、世界を滅ぼす、か」
 ふとカンが、皮肉な笑いを浮かべながら呟いた。
「昔、そんなことが書かれた本を読んだことがありますよ。現代において、大規模な種の絶滅はどうやって起こるのか。簡単なことだ、世界中が一斉にヒステリー状態になって、核のスイッチを押し合えばいいんです」
 言いさしてカンはわずかに首をすくめた。
「そのヒステリー状態を、世界同時に起こしうるのが、今の時代――インターネットだ」
「あながち、笑えない話ではありますね」
 織原が、口元だけで笑いながら、相槌をうって頷いた。
「ストームを擁護する意見をわずかでも書けば、たちまち悪意に満ちた言葉で蹂躙される。これは形を変えた言葉狩りであり、バーチャル世界の集団ヒステリーです。そうやって形成された匿名意見がやがて世論になっていくのだから……実際、おそろしい社会だと思いますよ」
 話を本題に戻します。
 織原は、軽く居ずまいを正してから、再び正面に向き直った。
「被害者男性の独占インタビューがオンエアされてから今日で五日、ご存じのとおり、今朝、新たな醜聞がメディアをにぎわせました。それによって我々は、一刻も早く、いや、一秒でも早く、適切な対応を取らなければならなくなりました」
 綺堂憂也降板のニュース。
 このスキャンダルが想像以上に深刻なのは、綺堂とCM契約を結んでいるTOYODA、ハウス食品などに、事前に情報がいっていなかったことにある。
 むろん、唐沢にも寝耳に水だった。まさか、そんなマネジメントの基本中の基本を、水嶋のような切れ者が外しているとは思いもよらなかったのだ。
「スポーツ新聞各紙、後追いで報道したワイドショーは共に同じ論調で、非難の矛先は、軽率な判断で仕事に穴をあけた綺堂本人に向けられています。当然、スポンサーやファンに降板の件を隠していたことも、激しい批判の対象になっています」
「降板隠しは、あたかもJ&Mさんの指示だったかのようなコメントをしていますね、水嶋さんは」
 書面に目を落としながら、カン。
 新聞のリーク記事も、そういう趣旨で書かれていた。そして水嶋は、否定しなかった。今、世論は激しいJ&Mバッシングに向かう一歩手前というところまで来ている。
「うちは、早急に否定会見を開くべきでしょうが、ただし、そうなるとオフィス水嶋さんとの関係が難しくなる……」
 織原が唇を噛んで言葉を切る。
「水嶋社長と協議して、最善策をもって逃げるべきか、それとも水嶋さんを切るべきか、難しいところです」
――水嶋の会社は、これで危うくなるかもしれないな、
 織原の声を聞きながら、唐沢は苦い思いで腕を組む。
 もともと独り立ちには早すぎると思っていた。水嶋大地、才走ってはいたが、それゆえに足元を見るのが苦手な男だ。昔の綺堂とどこか似ていて、だからこそ、綺堂も信頼を寄せたのかもしれないが。
―――綺堂は辛いところだろう……水嶋も、同じだろうが。
 映画を降板してまで得たストーム復帰。綺堂も譲らないだろうが、水嶋もおそらく必死だ。今頃懸命に説得し続けているだろう。
 コンサートはあきらめろ、ストームを、抜けろ、と。
「水嶋さんには、俺が会おう」
 腕を組んだまま、唐沢は言った。
 実のところ、ここ数日、水嶋大地とは何度も連絡を取ろうと試みている。結果はいつも梨のつぶて。どうやら水嶋は、徹底的に唐沢を避けているようだ。
 となれば、並大抵のことでは水嶋を捕まえることなどできないだろう。
―――榊に、動いてもらうか。
 オフィス水嶋に関しては、資金借入先の質の悪さが、以前から気がかりではあった。今回の騒動でCMスポンサーの降板となると、今後、何らかの金銭トラブルが生じてしまう可能性もある。
「綺堂を人質に取られている状態だ、うちから迂闊なコメントはできない。今は会社の面子のことより、綺堂を守ることを第一に考えよう」
「柏葉君は、どうします」
 織原の問いかけに、唐沢は黙った。
―――柏葉将か。
 取材を一切シャットアウトして、柏葉は今、都内のホテルに身を潜めている。唐沢は、あれから一度も柏葉に会っていない。
「問題の根本は、むしろ柏葉君の方です。いつまでも裁判を理由に取材を拒否していたら、騒ぎは加熱するばかりだ。綺堂君の降板が、柏葉君の事件に起因しているとあれば、なおさらです。これ以上逃げ回るのは……得策ではありません」
 唐沢は黙っている。
「批判が……インターネットの中でなされているだけなら、まだよかったんですが」
 溜息をついて、織原が続けた。
「問題は、それが現実社会に波及してしまった場合です。いや、すでに、その段階に移行しつつあるのですが、スポンサーの降板、売り上げの減少等、目に見える数字に出てきたら、本当におしまいです。ネットの理論は社会の理論になり、J&Mは社会全体の敵だという構図が完成してしまう。柏葉君は、今、非常にデリケートで難しい立場に立たされています。取り返しのつかない事態になる前に、なんらかのアクションを起こすべきです」
「……謝罪、させるか」
 唐沢は呟いて、黙っている片野坂を見上げた。
 被害者への謝罪。世間を騒がせたことへの、再度の謝罪会見。
 こと、ここまで至れば、もうそれしかないことは唐沢にも判っている。織原が、暗にそれを勧め、その決断を待っていることも。
「柏葉はどうしてる」
「落ち着いています」
 いつにない暗い目で、片野坂は頷いた。
 饒舌な男が、今日は最初から一言も口をきかない。
「僕にはむしろ、彼にはこうなることが予想できていたんじゃないかと思いました……おそらく、情熱王国のオンエアがあった時から」
 ただ。と、片野坂は思いつめた眼差しで唐沢を見る。
「柏葉は絶対に謝罪はしないでしょう。暴行に及んだ理由も事情も、絶対に語らないと思います。前科がつくのを覚悟で20日間も黙秘を貫いたんです。そんな男が、今更信念を変えたりすると思いますか」
 唐沢は無言で目を閉じる。
「それに、大衆はともかく、被害者が求めているのはストームからの脱退、コンサートの中止です。それをするくらいなら謝罪などする意味はないし、逆に脱退しなければ訴訟になる。訴訟で争いになると分かっていることを、今謝罪することなどできないでしょう」
「確かに、八方ふさがりではありますが」
 苦しげに、織原。
「謝る必要なんてありませんよ」
 矢吹が、初めて口を開いた。
 矢吹一哉。今はドームコンサートのステージプランナーとしてここにいる。
 今日は、唐沢だけでなく、全員がその存在を忘れていた男。
 往年の美貌を残した男は、注視の中、冷徹な目で唇を開いた。
「アイドルが地べたにはいつくばって、大衆様に許しを請うんですか。すいません、申し訳ありません、頼むから僕を応援してくださいって泣いて謝罪するんですか。ばかばかしい、本末転倒もはなはだしい。そんな情けないマネさせるくらいなら、とっとと引退させればいいんだ」
「矢吹さん、今は昔と違って」
「何が違うんですか、何も変わりはしませんよ」
 織原を遮り、矢吹ははき捨てるような口調になった。
「俺たちはどこにでもいるような隣のお兄さんじゃないんだ。強烈な光を放って、その光で大衆を輝かせるのが俺たちの仕事だし、存在意義だ。その光をなくした奴に、ステージに立つ資格なんてない」
 唐沢は、驚きを隠して矢吹を見つめた。
 長年矢吹とは一緒にやってきた。会議でもいつも寡黙で、決して自らの意見を述べることなどなかったのに。
 冷えた目で全員を見回し、矢吹はそのまま睨むように視線を止めた。
「引退か、それともこのまま突っ走るか、柏葉が柏葉でいられるためには、それだけしかないですよ」
 引退か。
 それとも、このまま突っ走るか。
「それは理想ですが、現実的ではありません」
 織原。
「ネットの流れを軽視したら大変なことになる。それはストームさんが身をもって体験されたことでしょう」
「正直に言えば」
 カン。
「建前などどうでもいい。なんとか上手く、この難局を乗りきってほしいのというのが我々の本音です。株主からのクレームが相次ぎ、鏑谷会長は、今、非常に苦しい立場に立たされている。株価下落に歯止めがかからなければ、会長は辞任するしかない。そうなれば、今までのような支援を続行することは不可能でしょう」
 わかっている。
 唐沢は、腕組みをしたまま考える。
 わかっている、全部、分かっている。
「片野坂」
 前を見たまま、唐沢は聞いた。
「お前はどう思っている」
「……僕は」
 何か口にしがたい思いがあるのか、片野坂は唇を噛んだ。
「形だけの謝罪なら、むしろしない方がいいと思います。片瀬の例もある、謝罪など、よほどのサプライズでもない限り、いたずらに大衆の嗜虐心を煽るだけになる……」
 いったん口をつぐみ、男は思いを吐くように唐沢を見つめた。
「矢吹さんの言うとおりだと僕も思う。なにより、柏葉がダメになる。それを、僕らの口から強制することだけは、絶対にしたくありません」
「迷っている時間はないんです、すでに綺堂のスポンサーは撤退を検討している」
 織原が初めて立ち上がった。
「残酷な言い方だが、柏葉君のパーソナリティを考えている場合でもない。わかってるんですか、みなさん、ここでステージそのものが中止に追い込まれたら、莫大な借金を抱えたまま、J&Mさんは倒産するしかないんですよ!」
 全部――わかっている。
 目を閉じたまま、唐沢は考える。
 同じように、真咲しずくにも分かっていたはずだ。こうなることが、ここまでの展開が。
 だったら、その先に何を見ていた。
 その先にお前は、一体何を見ていたんだ――。

 

           48


「なんだろ、すっごい怖かった」
「どうしたんだろ、雅君」
 ひそひそと囁きが聞こえる。
 ホール全体が、不穏な空気に包まれていた。警備員が、ぴりぴりした形相でエントランスへの通路を指し示している。
 見渡す限り、会場から出てきたどの顔も陰っている。それが、今日の舞台の成否を何より雄弁に物語っているようだった。
「なんか……コメディって書いてあったけど、全然面白くなかったね」
「セリフも噛んでたし、観てて痛々しかった、まだ復帰は早かったって感じだねー」
 通り過ぎざまのOL風2人連れ。
 凪は振り返ったが、そのままパンフを握りしめた。
 一瞬むっとしたが、悲しいくらい同じような感想しか浮かんでこない。
―――どうしちゃったんだろ、あいつ。
 思う端から、結論は見えている。今朝のニュースだ、綺堂さんのこと、そのショックを引きずったまま、初めての主演舞台に立ってしまったのだろう。
 大根にもほどがある固い演技を見せただけではない。雅之一人が舞台に立った第三幕の終り、多分、一番の見せ場だったそこで、一人の観客が野次を飛ばした。
「ひっこめ、下手クソ」
 会場が静まり返った。しかし本当の衝撃はそこからだった。舞台の上、泣いていたはずの雅之が顔をあげ、「うるせぇ!」と、言い返したのである。
「悪い、待たせた」
 ふいに背後から、一緒にここに来た男の声がした。海堂碧人、二枚もらったチケットを渡した相手。むろん、恋愛感情からではなく、今、二人はちょっとした運命共同体で同志だからだ。
「男子トイレがっらがら、入ってびっくりしたよ、いきなりババアが出てきてさ」
 それはそうだろう。見渡す限り女、女、女……女子高生から年配の方までの四方八方女の世界。十万近いプレミアがついたというチケットだ。全員がここぞとばかりに着飾っている。
「……ま、退屈しのぎにはなったけどさ、悪いけど、そんなに退屈でもなかったんだよな、俺」
 腕を首の後ろに回し、碧人は独り言のように呟いた。
「つまんないものに誘っちゃってすいません」
「なんだよ、お前までそんなこと言ったら可哀想じゃん」
 二人の目の前にはポスター、白い背広にシルクハットという昔の成金みたいな格好で、雅之が笑顔を浮かべている。
 わけもなく悔しくなって、凪はそのポスターに拳を入れた。
 パネルが震え、痛みがじん、と伝わってくる。
 どう贔屓目に見ても、今日の舞台は失敗だ。失敗というより、大失敗。
 しかも、大袈裟でなくストームにとって存亡がかかったこの時期に、格好のスキャンダルをマスコミに提供してしまった。
 バカじゃない?
 何やってんのよ。
 何柏葉さんや、みんなの足ひっぱってんのよ。
 本当のこと言われて怒るくらいなら、もっと真剣にやりなさいよ。
「ま、雰囲気も、ちょっと普通じゃなかったしな、そもそも野次った方が悪いんだし」
 碧人になぐさめられ、ますますみじめな気持ちになる。
 エントランスを出ると、街路樹の向こうに沿道が見えた。ずらりと並んだ中継車、ホールを後にする観客に、リポーターめいた女性がマイクを向けている。
 確かに雰囲気は普通ではなかった。最初からホールは、異様な空気に包まれていたような気がする。
「気づいただろ、前後左右記者とカメラでびっしり。お客さんもびびってたよ、俺もなんだか気づまりだったし」
「……そうですね」
「そういうのに呑まれたのかな。……気のせいかもしんないけど、下手クソって野次、記者がいる方の席から聞こえてきたような気もするし」
「…………」
 そうだろう。
 間違っても、女性ばかりのファンがそんな野次を飛ばすはずがない。もしかすると雅之を挑発し、記事のネタを取るための姑息な罠だったのかもしれない。
 それでも――と、凪は思う。
 それでも、雅之は絶対に言い返してはならなかった。舞台の上から放たれた以上、あれは、特定の人への反論ではなく、どうしても会場全体に向けられた言葉になってしまうからだ。
 何万ものお金をはたいてここまで来た人はどう思ったろう。
 ストームのことを、雅之のことを心配して、ようやく笑顔が見られると喜んで来てくれたお客さんはどう思うだろう。
 できることなら、今すぐ楽屋に乗り込んで、そのほっぺたをひっぱたいてやりたい。
 甘えるのもいい加減にしろ、と言ってやりたい。
「これでまた、散々叩かれんだろうな、ストームは」
「自業自得ですよ」
 まだ怒りが収まらない凪の頭を、碧人は軽く叩いた。
「あいつらはそれでよくても、オヤジの人生だってかかってんだ。正直、最近、オヤジ見るのがつらくてさ、俺」
「…………」
 それには凪も、胸を穿たれるような思いで黙り込んだ。
 事態は急激に、最悪の状態へ移行しつつある。
 柏葉事件の被害者がテレビに出て以来、世論は柏葉バッシング一色になった。
 あれから一切テレビに出てこなくなった柏葉将は、今はマスコミを避けてホテルに身をひそめているともいう。それがますますマスコミの不評を買い、逆に、美青年風の被害者者は、社会悪に敢然と立ち向かう英雄みたいな扱いだ。
 ジャパンテレビとJ&Mがぐるになって世論操作を行ったという、ありえない論調までも飛び出して、二つの企業は、あたかもメディアの敵のような叩かれようをされている。
 そんな時、ストームの中では、唯一の光、唯一、後ろめたさのない光を放っていた綺堂憂也がスクープされた。
 ハリウッド映画の極秘降板、ファンとスポンサーをだましていたかのような、ひどい書かれようである。
 これが、ストームにとっては致命的な、ある種防波堤を崩されたような衝撃であったことは間違いない。
 夏と、同じだ……。
 凪は、わずかな脱力を感じながら、もう冬の気配が濃厚な夜の歩道を歩く。
 何かをしなきゃ、と思うのに、私には何もしてあげられない。
 自分の無力さに打ちのめされ、ただ、ドーム公演が成功することを、信じて、祈ることしかできない。
「……不思議だな」
 行列にそって、駅への道を歩きながら、碧人が静かに呟いた。
「ネットみてると、ほんと、つくづく不思議なんだ、一体どういう奴らが、あんな書き込みしてんだろ」
「書き込み……?」
「柏葉を国外追放しろ、とか」
 ああ、と、凪は頷く。読んでいて心ごと寒くなるような、ネットに溢れる誹謗中傷のことだ。
「だってさ、俺らのまわりにそんな奴いる?大学にも合コン先にも、いろんな知り合いいるけどさ、そんなひでーこと書く奴なんて、絶対にいないだろ」
「…………」
 どうだろう。
 そんな能天気な碧人が、少しだけ可愛く思える。
「そういうのって、人の裏の顔なんじゃないですか」
「そっか?じゃ、お前は書いてんの?」
 いや……それはないけど。
「だろ?俺、会ってるやつみんなに聞いてるもん。ああいうの書き込んだりしてる?見てるけど書いたことないって奴がほとんどだぜ」
 まぁ、実際書くような人は、聞かれたからって答えるとは思えないけど。
「いや、お前が今思ってることは判るよ」
 凪の表情を察したのか、碧人が、少しムキになる。
「でもさ、よーく考えてみろよ。書いてる奴より、書かない奴の方が絶対に多いはずなんだ。圧倒的に多いんだよ。それってなんかおかしくないか?」
「……意味、わかんないんですけど」
「本当はさ、別の意見もってる奴も、すげーいっぱいいるんだよ、世の中には」
 うつむいて歩いていた凪は、ふと足を止めている。
「でもそういうのってさ、例えば今の流れの中で、ストーム好きです、とか柏葉君は無実ですとか、言いたくてもさ、言えねーじゃん。言えばボコボコに叩かれそうな気がするし、第一そこまで暇じゃねーし、バカ相手に熱くなるのもばかばかしいし。知りあい同士でも理解しあうのは難しいのに、ましてや相手の顔も性格も知らないネットでさ、自分の言うことが絶対だって思ってる奴ら相手に、何言ったって、どう説明したって、絶対に判り合えないっていうあきらめみたいなもんがあるじゃん」
「………………」
「ネットの声が、まるで社会の声、みたいに言われてるけどさ、それって一部の直情人間が感情に任せて書いてるだけなんだよ。俺やお前みたいにさ、あがってこない声だって、絶対にあるんだよ」
 その声を。
 凪は、碧人の横顔を見上げる。
 その声を、あげればいいと、いうことだろうか。
「お前だったらどうよ、どういう状況だったら、ストーム応援しますって宣言できる?」
「…………」
 どういう状況だったら。
「いや、別に俺は全然応援したくもないけど、一応、親父の人生かかってっから」
 言い訳のように碧人はうそぶく。そして空を見上げて呟いた。
 夜空には、かき消えそうな小さな星が瞬いている。
「なんかさ、絶対何かあるはずなんだ。それが何か、今は全然思いつかねーんだけどさ……」
 







                

 

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