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「どいてどいて!」
「成瀬君、一言いいですか!」
「なんでダンマリなんですか、一言くらい喋ってくれてもいいじゃないですか」
「ちょっと危ないよ!」
「今朝の新聞、読まれましたよね、それについて」
「通れません、どいて、どいて!」
「スポンサーも知らなかったって本当なんですか」
 怒声と罵声、ひしめきあう人とカメラと照明。
 雅之は、その中を、逢坂真吾に庇われるようにして走り抜ける。
 脛に立ちふさがろうとした記者の脚が当たり、機材が容赦なく肩を打つ。むろん、謝る者は誰もいなかった。
「ストームは、またファンをだましていたってことですよね」
 甲高い女の声。
 雅之は思わず足を止めていた。
 ここ数日、耐えに耐えていた感情が、ふいに体内で膨れ上がった。
「どういう意味っすか、それ」
 まだ若そうな女性記者が、一瞬だがひるんだ目になる。フラッシュが一斉に叩かれる。声、声、声、顔、顔、顔、それらがまるで、人間ではないモンスターにように見えた。苛立ちとストレスが、一気に爆発しそうになる。
「憂也のことを言ってるなら」
「雅君!」
 逢坂が悲鳴のような声で割り込んできた。頭を強く抑えられ、報道陣に無理に頭を下げさせられる。
「すみません、申し訳ない、初日でピリピリしてるんです。後で必ず会見を開きますから!」
 逃げるように駆け出す二人の背中をフラッシュが追う。関係者以外侵入できないエリアに入り込むと、ようやく二人は、ホール裏手にある楽屋出入り口にたどり着いた。
「雅君、ケガないか」
「……大丈夫っす」
 へたりこむ心臓が、嫌な風に高なっている。
 まるで夏のデジャヴのようだ。まがまがしいライト、悪意と好奇心に満ちた眼差し。
「それにしても、ものすごい記者の数だったな」
 立ちあがって汗を拭った逢坂が、独り言のように呟いた。
 沿道も会場前も報道陣の群で溢れていた。中継車やカメラを持った連中がひしめきあい、通行人が足を止めるほどの異常な様相。しかし、メディアが注目しているのは、今日の六時から開演する雅之初主演の舞台ではない。
 柏葉事件の被害者がテレビ出演して以来、メディアから姿を消していたストームが、今日、初めて表舞台に出てくること。
 それに加え、今朝のスポーツ誌の一面を飾った、ある衝撃的なニュースが、この報道の過熱ぶりを引き起こしていた。

綺堂憂也、スポンサーを裏切ってハリウッド映画から極秘降板。
情報隠しはJ&Mの指示。何も聞かされていないと、スポンサー二社は大激怒。


「もしかすると、今日を狙ってのリークだったのかもしれない、そうとしか思えないよ」
 舌打ちをして、逢坂。
 雅之には何も言えない。
 締め切った厚い扉の向こうから、聞こえるはずのない声がまだ聞こえてくるような気がした。
(――ストームは、またファンをだましていたってことですよね。)
 だます。
 騙す、……か。
 雅之は、大きく息を吐いて、目を閉じた。
 それを騙されたと言うのなら、雅之も同じだった。今朝のスポーツ誌を逢坂に見せられるまで、憂也のことは何も知らなかったのだから。
 舞台「どついたろか」の初日。東京丸の内ホール。
 この三日、雅之は舞台初日に備え、ずっと都内のホテルに詰めていた。6月23日の被害者がテレビに出てからというもの、合宿所でもあるマンションやリハーサルスタジオには、記者が押し掛け、どうにもならない状態になってしまったからだ。
 テレビ報道翌日から起きた騒ぎは、今思いだしても胸が悪くなる。
 頼みもしないのに、ストームを一斉に持ち上げた連中は、今度は一斉に手のひらを返したように叩き始めた。
 芸能コメンテーター曰く、年末のコンサートなど反省していない証である、まだテレビに出すべきではなかった、柏葉将にはある程度の謹慎期間が必要、善悪の理解もつかない子供集団、J&Mの金儲け主義……云々。
 夏の時と全く同じだ。同じ口で、同じ刃で、さも正義の味方づらをして最もらしいことを言う。 
 この件に関して、将は公式サイトで直筆メッセージを公開している。
 それは、ファンへ心配をかけていることを詫びたものと、「訴訟の可能性があるため、マスコミには詳細はお話できません。申し訳ございません」と、マスコミに向けて、この件の取材を拒否したものである。
 しかし、それが、逆にマスコミの猛反発を買っている。
 都合のいい時だけテレビに出て、悪くなったら逃げるのか。
 卑怯、男らしくない、反省のかけらもない、等々。
「ま、しょうがねぇよ。謝んなきゃ何言ったって、結局は叩かれるんだし」 
 全員の心配をよそに、将一人は妙なほど落ち着いて、さばさばしていた。
「心配すんなって、俺にしてみれば訴訟は願ったりかなったりなんだ。このバカ騒ぎもじきに終わる。じたばたしてもどうしようもねぇし、しばらくは腹括って休養といこうぜ」
 その明るさだけが、救いだった。
 今は騒動を避けるため、将は一人でホテル住まい。憂也はオフィス水嶋が用意したマンションに移り、りょうと聡は唐沢のマンション、雅之は逢坂真吾のアパートに身を寄せている。
 コンサートの稽古は一時中止となった。
 さすがに関係者への迷惑がはなはだしいのと、雅之の舞台と聡の撮影が佳境に入ったのとで、混乱が収まるまで、しばらく様子を見ようということになったのである。
 憂也の記事が出たのは、そんな最中、しかも今日、11月15日、雅之の舞台初日の朝のことだった。
―――憂也のやつ……。
 朝から頻繁にかけている携帯は、何度やっても繋がらない。
 雅之は、唇を噛んで、再度接続を試みた携帯を鞄に滑らせた。悔しかった。ここまできて、まだ憂也が隠し事をしていたことが。
 どおりで、ここ最近はいつもマンションにいりびたりで、まるで仕事をしていなかったはずだ。
 知らなかった。
 想像してもいなかった。
 今朝の新聞で初めて知った。ハリウッド映画「最終防衛線」。憂也のキャスティングは、もう一か月も前に白紙に戻っていたのだ。
 しかも、それを、憂也のスポンサーであるトヨダ、ライス食品に隠したままで。
「綺堂君が黙ってたの、水嶋さんの意向もあったんだと思うよ」
 雅之の心中を察したのか、逢坂が乱れた髪を整えてくれながら、そう言った。
 憂也が所属する「オフィス水嶋」の代表取締役社長、水嶋大地。
 憂也の元マネージャーで、憂也のストーム復帰に最後まで……いや、今でも難色を示している男だ。
「新聞じゃ、唐沢さんが指示したことになってたけど、とんでもない。憂也君の降板の件は、水嶋さんが、向こうの制作会社に念書まで書かせて、年末のドーム公演が終わるまでは公表しないでくれと、密約を交わしていたようなんだ」
「なんの、ために」
「ドーム公演を成功させるため……といいたいけど、どうかな、考えたくないけど、そこだけは新聞の言うように、スポンサーを離したくなかったんじゃないかな」
「…………」
「あそこも、資金繰りが大変みたいだから」
 じゃあ、憂也はどうなる。
 ファンを騙したとまで言われている憂也は。
「……つか、逢坂君は、いつから知ってたんだよ」
 感情を抑えながら雅之が呟くと、逢坂は困惑したように嘆息した。
「ちょっと前から、薄々は、ね。……そりゃおかしいと思うだろ、あれだけ煩かった水嶋さんサイドの仕事がひとつもなくなったんだ。スケジュール管理してると、どうしても、さ」
「…………」
 憂也は、何も言わなかった。時折冗談みたいにプーなんだ、と言って笑うくらいで。
「やっぱ、将君のせいなのかな」
 呟いて雅之は唇を噛む。
「暴力とか……水嶋さんが、そういうの、アメリカじゃ受け入れられないって言ってたから」
 将は、このニュースを聞いてどう思うだろう。自分を責めたりしないだろうか。憂也のことと同様に、雅之にはそれも気になってならない。
 逢坂は、気のどくそうに首を横に振った。
「詳細はわからないけど、ただ、そんなことが理由になるとも思えないよ。こっちでは大事件でも、外国じゃ話題にさえならないことが多いんだ、いくらなんでも……」
 それでも。
 それでも雅之には、ある種の疑念が離れない。もし、誰かが、ハリウッドにも影響力のある誰かが、憂也を使うことの危険性をそそのかしていたら。
 憂也を起用することで、映画そのものが日本でバッシングを受ける可能性があることを、誰かが示唆していたとしたら。
 が、雅之がなにより悔しく、拳が震えるほど憤ったのは、新聞の論調が、すべからく憂也を批判していたことだった。

 綺堂憂也、自業自得の降板劇。
 あまりにも軽率な判断に、映画界から落胆の声。
 身勝手綺堂、ハリウッドから干される。
 CMスポンサー激怒、映画降板をひた隠し?綺堂憂也は日本の恥。


 これを、意図的なリークと呼ばずしてなんと呼べばいいのか。
 昨夜、憂也とは電話で話した。
 今朝の朝刊だ、当然、オフィス水嶋には情報がいっている。憂也だって、聞かされていたはずだろう。なのに憂也はいつも通りで、暇だからゲームばっかしてると言って笑っていた。
―――……どうして、何も言ってくれなかったんだよ。
 そんな大切なこと、なんで。
 憂也の性格なら、よく知っている。実力以外のところで降板させられることが悔しくないはずはない。苦しまなかったはずはない。誰よりも負けず嫌いで、そして責任感が強い男だから。
 言えよ、頼むから。
 雅之は拳を握りしめる。
 せっかくひとつになったと思ったのに、もう五人は大丈夫だと思ったのに。
 一人がまた抱え込んで、それじゃ、前とかわんねぇじゃないか。
「雅君、そろそろ時間だ、急がないとまずいんじゃないか」
 気まずそうな逢坂の声に、うつむいたままで頷く。そしてはっと顔を上げた。
「そうだ、携帯預けといてもいいですか、憂也から連絡あったら、聞いといてもらいたいし」
「いいけど、舞台の方に集中しろよ」
「わかってます」
 少し焦って鞄の中の携帯電話を掴み取る。振動で判った、着信かメールが入っている。もしかして。
「すいません」
 断ってから携帯を開く――憂也から、メールだ。
 もどかしくボタンを押す。



 みんな悪いな。
 しばらく水嶋さんと一緒に動くことになった。その間連絡はとれないけど、一週間もしたら戻れると思うから心配すんな。
 じゃ。


「え……」
 なんだろう、これ。
 どういう意味だろう。
 雅之一人に来たものではない。同胞メールだ。多分、ストーム全員に送られている。
「雅君、早く早く、もうみんな揃ってるよ」
 スタッフが、フロアの向こうから駆けてくる。雅之は慌てて、自分の感情を飲み込んだ。時間はあまり残されてはいない。今から最終リハ、そしてメイクに衣装を合わせて、本番が始まる。
「雅君、スマイルだぞ」
 背後から、少し不安気な逢坂の声がした。
「何があっても、空気に呑まれるな。いいか、この舞台のことだけを考えるんだ」
 振り返って頷いた雅之は、自分の表情ががちがちに強張っているのに気がついた。 
 多分、激しい動揺のために。








                

 

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