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「メディアは半ば黙殺、音楽業界はひたすら沈黙ってとこだね」
 ケイは軽く嘆息し、うるさく伸びた前髪を髪で払った。
「同日の東邦の記者発表がまずかったねぇ……、J&Mの再結成、話題としては申し分なかったのに、すっかり影が薄くなった感じ」
「複雑ですね、もっと目茶苦茶に叩かれると思ってましたけど」
 大森も背後で腕を組む。
 国道沿いの冗談社、相も変わらず揺れている。その振動でテーブルのコーヒーさえも揺れている。
 これから数か月、ますますその揺れは激しさを増すだろう。なにしろ、三階と四階に、ただ同様で居ついている居候の連中がいるのである。
 で、その四階に、昨日から綺堂憂也や浅葱悠介、その他見知らぬパンクめいた男たちが、ぞくぞく音楽機材を運び込んでいる。
―――ここは、スタジオじゃないっつーの。
 が、今更どう抗議しようと、火がついた男たちは止められない。ケイはもう諦めている。こうなったら死なばもろとも、最後まで一緒に心中だ。
「そこそこ叩かれちゃいるけどさ、どうも、そこで終わりそうな気配なんだよね」
 最後の週刊誌を読み終え、ケイはそれを卓上に投げた。
 あえてマスコミを挑発する形で挑んだ直人の真意は、自らがバッシングの矛先になることによって、ストームを守り、メディアの注目を新生J&Mに集めることにあったはずだ。むろん、その注目の先にあるものはスポンサー、融資先確保に他ならない。
 危険極まりない賭けではあったが、ストームを守るという意味では、確かにそれは成功だった。
 しかし、直人が最も欲しかったであろう銀行融資とスポンサーについては、会見から二週間たった今でも、まるで目途がたっていない。
 日がたつにつれ、J&Mの印象はますます薄れ、今は隆盛しているネットユーザーの関心も、いずれ冷めてしまうだろう。
「へんな話ですけど、柏葉君の名前をはっきりと表に出したら、……また、少しは違ったのかもしれないですね」
 言葉を濁しながら大森。
 ケイは軽く嘆息した。
「アタシは、今出さなかったのは正解だと思うよ。直人なんて、いくらでも叩かれちゃえばいいんだけど、あの子たちが厳しい目にあうのは……ちょっと辛いね。今はまだ、色んなことがデリケートな時期だから」
 メンバーの公表を先延ばしにしたのは、成瀬雅之と東條聡、そして綺堂憂也が抱えている仕事を守るためだろう。そしてその目論見は、危ういながらも成功している。
 ゴシップ雑誌の見出しは、相も変わらずくそみそだった。
 すでに業界では過去の人、唐沢直人の再挑戦
 死に体、暴力アイドル柏葉将を担ぎ出しての茶番劇?
 問われるモラル、お茶の間を裏切った元アイドルたちに再起はあるのか
 実はかなりお寒い内容、新生J&Mのあきれた実態
 希代の詐欺師、唐沢直人

 等々。
 テレビではほとんど取り上げられないが、二流以下の雑誌では、扱いはそこそこ大きい。背筋が寒くなるほどひどい内容だが、その刃は柏葉将らストームではなく、もっぱら唐沢直人一人に向けられている。
 むしろストームの五人は被害者的な立場で取り上げられており、おかげで、心配していた綺堂のCMスポンサーも、いまだ騒動を静観中、ハリウッド映画のキャスティングが白紙に戻ったという話も聞こえてはこない。成瀬雅之の舞台も、東條聡の映画も、とどこおりなく進行しているようだ。
 が、それでも、とケイは思う。
 仮に東邦が同日にテレビ局買収というサプライズをぶつけてこなかったら、どうだったろう。五人を庇うという意味で、ここまで上手くいっていたかどうか。
 いくら直人が庇おうとしても、メディアの注目は、否応なしに五人の若者の私生活や信条に向けられていたはずだ。
 そういう意味ではストームの五人は、東邦の妨害によって救われたといってもよかった。真田会長には、むしろ皮肉な結果なのかもしれないが、決して直人の戦略が百パーセント当たったわけではない。偶発的に回避され、先送りされただけなのだ。
「この程度ですむなんて、なんだか後が怖い気がするんですけど、私」
 呟いた大森の不安は、同時にケイの不安でもある。
 おそらく、最大の波は、ストームのメンバーが正式に公表された時にやってくるだろう。
 J&Mの公式サイトでは「ストーム」とだけしか公表されていない、コンサートの出演者。ネットでは、その構成をめぐって様々な憶測が飛び交っている。
 が、待望論はあっても、柏葉将に関しては、復帰はまだ早いという意見が大半で、それはケイも同感だった。気持ちはわかる、が、それが世間にどこまで通用するか。
 間違いなく柏葉将の名前が出た途端、批判の大合唱が待っている。そこに、もし東邦が便乗してきたら……。
 背後で、奇妙な唸り声が聞こえた。思考を遮られたケイは、ぎょっとして振り返る。
 高見ゆうり。
 すでに業務を放棄した女は、今はひがな一日中パソコンに向き合っている。世界中のサイトを検索して、彼女をして敗北宣言をなさしめた白馬の騎士の手がかりを探しているのである。
 ハンドルネーム「白馬の騎士」
 「彼」が、高見ゆうりだけでなく、東條聡の携帯にアクセスしていたという事実が知らされたのは、先週末のことだった。
 その情報をもたらした人物が、コーヒーカップを片手に、高見の傍らに腰かけた。
「今、真咲しずくさんが、スターダストプロに赴いているそうですね」
 阿蘇ミカリはそう言うと、綺麗な目をすがめて高見のパソコンをのぞきこんだ。
 多少ほっそりとして見える頬に、長い髪が被さっている。
 グレーのニットに黒のプリーツ。半年ぶりに戻ってきた有能社員は、ブランクなどまるで感じさせない落ち着いた趣で、コーヒーカップを唇につけた。
「ライブライフの織原社長と、スターダストの飛嶋ローリー社長、三者会談は何か考えあってのことだと思いますけど、未だ融資元もスポンサーも決まっていない中で、真咲氏の動きは、気になるところではありますね」
 真咲しずく。
 「白馬の騎士」の情報を、東條聡と冗談社双方から得て、先週遅くまで、このオフィスで「スターダストプロ」のことを調べていた女の動きもまた、迅速だった。
 今や真咲氏の相棒ともなった織原社長を引き連れ、スターダストプロ社長飛嶋ローリーに面会を申し入れたのである。
「多少怖い気はしなくもないね、白馬の騎士が味方かどうかはっきりしない以上、スターダストを紹介してくれた意図も、はっきりしてはいないんだ」
「真咲氏は、白馬の騎士を味方だと判断したということなんでしょうか」
「……さぁ、それは判らないけどさ」
 ケイに言わせれば、真咲しずくもまた、敵か味方かはっきりしない。
 いや、味方には違いないのだろうが、そのスタンスがはっきりしない。  例えば、唐沢直人はすでに丸裸になっている、もう底の底まで見せている、が、真咲しずくに関して言えば、まだどこか高見から、左うちわでこの騒動を見下ろしているような気がしてならないのだ。
「大森、こないだ頼んだこと、調べはついてる?」
「……あー、真咲さんの、身辺調査、ですか」
 書棚の方に向かっていた大森が、足をとめて言葉を濁した。正直言えば、こんなことをボスに依頼されたことそのものに戸惑っているのだろう。
「まだはっきりとした報告は……ただ、彼女が相続した資産が、もう殆んどなくなっているのは、事実みたいです」
「あれだけの金持ちが?」
 ケイは眉をあげる。正直言えば、真咲しずくの個人資産だけで、コンサートなど軽く開催できると思っていたほどだ。
 大森は頷いた。
「彼女って、元来浪費家なんでしょうか?ここ数年で不動産は全て譲渡、売却されているようなんです。唯一残っているのが都内のマンションくらいで……それも、もう地価をのぞけば、あまり価値はないみたいです。彼女の資産の大半はJの株式だったわけですけど、それも……多分、結婚時に、その殆んどを御影氏に譲渡したんじゃないかと」
 結果、それは大暴落した。
 しずくがそれを持っていたとしても、結局は大損していただろう。
「不動産の売却金はどうなってんのさ、それだけでも相当な額だろ」
「今、調査中です、なにしろ、パリに在住していらっしゃった頃の話なんで……しかも目茶苦茶ガードが固くて」
「榊、青磁か……」
 ケイは呟く。真咲しずくと同様、どこか得体のしれないJの顧問弁護士、榊青磁。
「真咲さんが未成年の頃から、あの人の資産管理は全て、榊弁護士に一任されているみたいなんです。正直言えば、ちょっと怖いんですよ、榊さんって」
「…………」
「今、真咲さんは都内のホテルで寝泊まりしています。マンションの荷物も全部処分して、多分、このコンサートが終わったら、また海外に行かれるつもりなんじゃないでしょうか」
「向こうに母親がいるんだっけ」
 ケイが訊くと、大森は慌てて背後のデスクからペーパーを取り上げた。
「そうです、ヒルトンの元役員夫人です。真咲氏は、日本に戻るまでは、再婚した母親と一緒に暮らしていたみたいですね」
「まぁ、どのみち、金には困らない身分ってことか」
 いずれ、去るつもりで接しているから、今はどこか離れて見えるのかもしれない。
 ケイは嘆息し、パソコンのスイッチを入れて、ポケットから煙草を取り出した。
 みてな。
 いつかあたしが、あんたを丸裸にしてあげるから。
 ノックの音。立ち上がったのはミカリだった。
「すいません、スタッフ募集って聞いて、来たんですけど」
 ぼそぼそとした男の声が聞こえてくる。
「大森、表の張り紙なら、とっととはがしとけって言っただろ」
 パソコンのキーを叩きながらケイ。
「え、いや、剥がしたはずなんですけど」
 わたわたと立ち上がった大森が、そこではた、と動きを止めた。
「ケ……、ケイさん、この人たちって」
「え?」
 煙草を口にくわえながら振り返る。ケイもまた、そこで動きを止めていた。


                 3


「もう来ちゃだめって言ったでしょ」
 そう言ってくびれた腰に手をあてる人に、流川凪は慌てて頭を下げた。
「すいません、でも、その」
「お見舞いも禁止、うちはね、事前の許可がないと、そういうの一切受け付けないとこだから」
 分かっている。
 凪も短い間ではあるが、ここで仕事をしていたから。
 それでもこの部屋まで通してくれた人――海堂倫に、凪は再度頭を下げていた。
 千葉にある医療施設「Generosityホスピタル」
 海堂倫は、この施設の院長であると共に、凪の友人、海堂碧人の母親でもある。
「無理、きいてもらってすいません」
「ま、いっけどね」
 倫は嘆息して、カーテンが揺れる窓際に立つ。窓からは海の匂いがした。波の音、永遠に途切れることのないリフレイン。
「耳は……聞こえてるんですよね」
 凪は、その窓の傍のベッド、白いシーツに包まれて眠り続ける人を見ながら呟いた。
 波の音。泣いているような海の音。ここに眠る人は、朝も、昼も、夜も、それを絶え間なく聞き続けているに違いない。
「そうね」
 倫も、不思議に優しい、けれど寂しい目になって微笑した。
「光にも音にも反応はないけど、彼女の頭の中が本当はどうなっているのか、それは誰にも分からない。ひょっとして眠っていても意識ははっきりして、私たちの言葉も、彼女の王子様の言葉も、全部理解しているのかもしれない」
 彼女の王子様――
 美波涼二。
「時々思うの、もしそうだとしたら、彼女は何を思ってるんだろうって、いつまでも自分の元に通ってくる恋人に、どんな感情を持ってるんだろうって」
「…………」
 普段、特定の患者に感情移入しない倫らしからぬ言い方に、凪は少し驚いている。
 その感情を見抜いたのか、美貌の医師は、少しだけ肩をすくめた。
「私だって人間だし、女だからね。彼女はやっぱり特別なのかもしれない。だって私がここに来る前から、ずっとこうやって眠り続けているんですもの」
 海風がその前髪を跳ね上げる。
 冬晴れの午後、気候は穏やかで室内は明るい陽光で満たされていた。
「あんな素敵な王子様がいるのに目覚めない眠り姫。知ってるでしょ、彼女が自殺しちゃった理由」
 自殺。
 そうは、まだ、認めてはいないけれど。
「シンデレラの過去が暴露されて、王子様の結婚相手にはふさわしくないって国中が騒ぎはじめちゃったのね。シンデレラを庇った王子様にも、それなら王子をやめろって非難の声があがるようになった……。それが、シンデレラには耐えられなかったのね」
「…………」
 アダルトビデオに出演した。
 それは、以前、柏葉将に聞いて知っている。
 それだけのことで、と思う反面、やはり女性としての、一種の嫌悪感もそこには同様につきまとう。
 気の迷いだとしたら、弱すぎるような気がしたし、お金に困っているとしたら、解決策としては安易すぎる気がした。
 その一点だけが、凪が聞き知った保坂愛季という女性のプロフィールに、一種不思議な違和感を与えている。
 そんな人だったのだろうか、そんなに弱い人だったのだろうか。しかし、同時に思う。自分だったら絶対にそうはならないとは断言できない。どんな状況で、どういった選択を迫られたかは想像するしかないけれど、人間なら――誰だって、過ちをおかしてしまうことはあるから、絶対に。
 だから、どんな過去があったとしても、この女性を責めることは、この世界の誰にもできないと凪は思う。
「お姫様が身投げしたのは、大切な王子様を守るためだったのかしらね。それとも、この世界に生きることに疲れちゃったのかしらね。でも、皮肉なことに、それで王子様の時間も止まってしまった。そんなことを、彼女が望んでいたとは思えないんだけどな、私」
「自殺じゃない可能性だってあると思います」
「碧人から聞いた、彼女をはねたトラックの運転手に聞いたんでしょ」
 倫は苦笑して天井をあおいだ。
「凪ちゃんはすごいね、本当にすごい、よくそこまで調べたし、諦めなかったね。誰にもできないし、しようとも思わないよ。若いなぁってびっくりしたし、うらやましくもなったけど」
 そして倫は、どこか憐れむような目で、眠っている人を見下ろした。
「こんなに沢山のCDがあるのに」
 棚に並ぶCDボックス。
「美波君のCDは、一枚もないの。すごく不思議だと思わない?」
「どうして……なんですか」
 それは、凪も最初から不思議に思っていた。
 ここには、保坂愛季が青春を過ごした時期の、全ての思い出がつめられている。
 本、音楽、映画、フレグランス、でもその中にあって、不自然なほど美波涼二の思い出だけが抜け落ちている。
「それが保護者である美波君の方針。あなたもいずれ分かると思うけど、保坂さんのご両親は、もう娘さんを後見できる状態じゃないの、今、彼女を支えているのは美波君一人だけ」
 保坂愛季の両親。
 都営アパートで一人暮らしをする母親は、心を閉ざしたまま、外部とのコミュニケーションをとることができなくなっている。
 そして父親は――
 今週末、碧人と二人で会いに行く。
「凪ちゃんががんばってる気持ちは分かる。私だって、美波君を見るのが、時々つらくなることがあるから、最近は特にそう」
「…………」
「美波君は?一緒に来たんでしょう?」
「海に……行っちゃいました」
 無理に美波を誘い出し、ここまで同行したのは凪だった。彼は一人で恋人の褥に立ちたかったのだろう。そんな気がする。
 J&Mがなくなって以来。
 本当にからっぽになってしまった彼に。
 今、凪がしてあげられることは、悲しいくらい何もない。
 なんのために、出会ったんだろう。
 むしろ、幸福の微笑を浮かべている美波の恋人を見つめながら、凪は思う。
 私と美波さんの出会いには、なんの意味があったんだろう。そして今、どうして私は。
―――あなたの傍にいるのかな、愛季さん。
「美波君は、本当に望んでいるのかな」
 倫がふと呟いた。
 望む?
 凪は目をすがめている。
「愛季さんが、どういう理由でこうなったかなんて、もう彼にはどうでもいいような気がするの。私の勝手な感覚だけどね。それはむしろ、彼を苦しめるだけのような気がする」
「どういう……意味ですか」
 それには答えず、倫は白い白衣をひるがえす。
「どっちにしても、もう時間はあまりないの、それは美波君が、一番よく分かっていると思うけどね」



 終わったな。
 何もかも終わった。
 ここが俺のきたかった場所だ。
 俺が望んでいた場所だ。

 愛季。
 もうお前を苦しめるものは何もない。
 この世界のどこにもない。
 壊したから、俺のこの手で。

 ごめんな、遅くなって。
 ごめんな、ずっと待たせてごめんな。
 もう俺たちを縛る鎖は何もないんだ。
 旅に出よう、二人で。
 キャンピングカーを借りて、世界中の小さな舞台を、旅をしながら回るんだ。

 愛季。
 もうすぐだ。
 そこで俺を待っていてくれ。
 もうすぐ、俺が迎えにいくから――。











                

 

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