――気味が悪い、あの子の眼。

 おめかけさんの子だからねぇ。
 しっ、近寄っちゃいけなない、薄気味悪い、あれは鬼の子、異人の子だよ。

――大学までは出してやる、会社のひとつもくれてやる、あとは一切、うちには縁のない人間だと思え。

――親父も遊びが過ぎる、よりにもよってその女、横浜の売春婦だ。

――あんた、財産目当てで近づきなはったんやろ?ほないいなはれ、金ならうちがあげるさかい。一体なんぼあれば満足なんや。

 許してください。
 許してください。
 この子は関係ないんです。
 全部私が悪いんです。

――薄汚いドブネズミやな
――二度とその顔、みせんときや!


 昔の夢は

 この子はもう、私の子ではございません。
 もう二度と、生涯お会いいたしません……


 いつも母の泣顔ではじまる。

 それから。
 彼だ。

(遊ぼうぜ)
(お前、なんて名前?どこに住んでんの?)


 不思議だな。
 私は、彼が大好きだったのに。
 彼をただ、自分の一番にしたかっただけなのに。

(ふざけんなよ、なんだよ、それ)
(俺さ、金で、誰かの言いなりになる気はねぇから)


 あの時感じた、無限の愛しさと悲しみにも似た憎悪。
 街を去った彼は、私には永久に手の届かない存在になった。
 けれど、あの日見失った何かを、私は二十年もたってようやく見つけたのだ。
 彼と同じ目をして、同じ笑い方をする若者を。

 真田のおっさん。

 静馬……。

 夢に、鎖はつけられねぇぜ。 

 静馬。





「お疲れのようで」
 軋んだ声に、真田孔明は眉をしかめて顔を上げた。
 午後のオフィス。
 暖かな日差しが、背後のブラインドから差し込んでいる。
 見下ろしているのは、この会社で、唯一ノックをせずに入室を許可している男。
 真田は軽く咳ばらいをして、居ずまいを正した。
 転寝など何年ぶりだろう。いや、眠っていたという感覚はまるでなく、ただ、過去の様々な一場面を、断片的に思いだしていただけのような気もする。
「もう、引退なさってもいい年なのですから」
 耳塚恭一郎はそう言うと、オフィスの中央に備えてある来客用のソファに身を沈めた。
 骨ばった190近い長身、歩く度に関節がきしむ音が聞こえてきそうでもある。
 真田にとっては、何10年も苦楽を共にしている、僕という名の同士。
 耳塚は、焦点の定まらない目をすがめて、あるかなきかの笑みを浮かべた。
「無理をなさらずに、そろそろご子息に身代を譲られてもいいんじゃないですか」 
「真樹夫にか、バカを言うな」
 真田は鼻で笑って、とり出したシガーに火をつける。「あれに、うちの会社の経営は無理だ」
「随分と可愛がっておられるのに」
「バカバカしい、何を言っている」
 篠田真樹夫。
 会社では旧姓で通させているが、戸籍上は親戚から引き取って養子縁組をした義理の息子。実子だという噂を否定してはいないが、真田は今まで、一度も真樹夫を息子として扱ったことはないし、真樹夫もまた、真田のことを一度も父と呼んだことがない。呼ばせていないからだ。
「あれは、私の便利な手足であればいい、私が本当に引退するような日がくれば、真樹夫もまたお払い箱だろう」
 真田は冷めた目で呟いた。
 経営の才もなければ、人の上にたつ器でもない。ただ、優しいだけが取り柄の気まじめな息子。
 もし――真樹夫に優れた点がひとつでもあれば、真田にしても、もう少し違ったポジションにつけていたかもしれない。真田は同族支配という企業形態を毛嫌いしている。血族支配は、会社を根本から駄目にすると信じているからだ。
 そういう意味では、真田孔明という男は、徹底したビジネスマン気質の持ち主だといってよかった。
 20代で、東邦の前身でもある小さなレコード会社を譲り受けた時も、社長職は他に任せ、現場で業界のいろはを学んだ。その時代の経験が、苦労が、確実に今に生きている。いや、その時拾った奇跡のような宝石が、今の東邦の基礎を作ったのだ――城之内静馬。
「そんなことより、ジャパンテレビの買収は進んでいるんだろうな」
「あと一歩という所ですな、しかし、ソフト面での進展は相変わらずです」
 耳塚は、叱責を予想していたのか、骸骨にも似た肩をすくめた。
「数字では勝負は見えている、それは向こうさんも判っているはずなんですがね、なのにジャパンのおえら方は、業務提携の話し合いにさえ応じる気はないようで」
「無駄なあがきだ」
 紫煙と共に吐き捨てる。
「それが、そうとも言えないので」
 耳塚は、見ていると酔いそうな眼差しで真田を見上げた。
 生まれつきの異相と、そして極端な斜視、耳塚はその容姿から、業界ではモンスター、死神などと囁かれている。
 実際、元広域指定暴力団に属していた耳塚の本性は、極めてその愛称に近い。その深淵の底には、おそらく真田にも理解できない黒いものが蠢いているのだろう。
「“協力者”の情報では、ジャパンテレビは、どうやらバックマンディフェンスをしかけてくるつもりのようですな」
「バックマンディフェンス……逆買収か」
 真田は鼻で苦笑する。
 やれるものならやってみるといい、そんな真似ができるほど、東邦のガードは甘くない。
「ただ私は、それは囮情報だと思っていますがね」
 耳塚は、自身が悪魔のような笑みを浮かべた。
「本当の狙いは別にある。というよりジャパンTVの連中にもし勝ち目があるとすれば、もうそれしかないと思いますから」
「それとはなんだ」
「世論を味方につけることですよ、そして経団連や政治家、しいては内閣府を動かすこと」
 言いさして耳塚は、膝の上で、骨ばった手を組み合わせた。
「だから敵に、あまり時間を与えたくはなかったんですよ」
 記者発表の前倒しに、あくまで反対の意をとなえていた男は、それみたことかという視線を真田にぶつけてくる。
「それをやられると、うちはライブライフと同じ末路を辿りかねない。ライブライフ社長の逮捕劇は、経団連から依頼を受けた内閣府が、トップダウンで検察を動かしたというまことしやかな噂もあるくらいです。世論を味方につけた政府というのは、憲法も人権もおかまいなく、なんでもやってのけますからな」
 仕組まれた逮捕劇――。
 それが、決して単なる噂でないことくらい、財閥に育った真田にしても心得ている。
 我が国においては、それほど政治家と企業、そして官僚の結び付きというのは強固なものなのだ。企業は法令上の便宜を求め、官僚は天下り先を求めて寄り合う。
「ジャパンテレビは、我々を、言論の自由を脅かす悪魔だと決めつけ、連日視聴者の啓発につとめています。知識人や憲法擁護団体、熱狂的なジャイアントファンがそれに乗っかり、言論形成に一役買っている。残念ながら、現時点で我々の擁護者は一人もいません」
「郵政省は押さえている」
 真田は言った。
「いくらでも世論をあおればいい、こちらはその程度ではびくともしない」
 放送事業の許認可は、全て郵政省に握られている。郵政省――ひいては郵政族と呼ばれる議員たちをどう取り込むかが、今回の成否のすべてだと真田は思っていたし、それは八割がた成功していた。
 郵政族が動かなければ、内閣も動かない。
 ライブライフの二の舞だけはないと、真田はそれを確信している。
「世論形成は、何も政治家を動かすだけじゃないんですよ」
 耳塚の口調は子供に言って聞かせるようだった。
「それは単なる布石です、ジャパンテレビの本音はその先にある。私の読みでは、あちらさんの切り札は、MBOではないかと思いますがね」
「…………」
 MBO――マネジメント・バイアウト。
 経営陣買収。
「……なるほどな」
 真田は顎に指をあてて、肘をついた。
「勝ち目がないのに執拗に世論操作を繰り返しているのはそのためです。それをやられると、うちはすこしばかりやっかいなことになる」
 経営陣買収とは、会社の経営陣が、株主から自社の株式を譲り受けたり、会社の事業部門の事業譲渡を受けるなどして、オーナー経営者として独立する行為のことをいう。
 いってみれば、敵対的買収からの究極の防止策だ。
 ただし、それには莫大な費用を要する。経営陣の個人資金ではおぎなえるはずもなく、大手ファンド等からの融資が大前提となる。
 究極ゆえにデメリットも多く、既存株主の猛反発も予想される。実際、ライブライフに追い詰められたエフテレビもそれを検討し、株主の猛反発にあうという憂き目を経験している。
「MBOとなれば、会社の価値は下がり、一部上場からの撤退も視野に入れなければならなくなる。しかし、それらのデメリットを押し流すほど世論が高まれば……どうなります」
 たたみかけるように、耳塚は続けた。
「ジャパンテレビとしては、今のうちに世論を味方につけ、既存株主への大義名分を得ておきたいという腹なのでしょう」
「……世論か」
 はじめて真田は、目にみえない靄にも似たそれに、一抹の陰を感じ取った。
 確かにそれは、数字や金では動かすことができない、やっかいな相手なのかもしれない。
「放っておけば、うちがライブライフの二の舞になりかねません。別の方面から、ジャパンの動きを封じ込める必要がありますな」
「わかった、もういい」
 部下の言葉を切り、即座に立ちあがった真田を、耳塚は冷めた目で追った。
「どこへ」
「わかっているはずだ」
「大仁多にやらせますよ、何もあなたが直接動くことはない」
 腹心の心外に悠長な言葉に、真田は苛立って眉をあげる。
「俺にしかできないこともあるだろう」
「今は、自重されてもいいかと思いますがね」
「しているさ」
 言い捨てた真田は、冷ややかに耳塚を一瞥してから、秘書を呼ぶべくベルを鳴らした。
 こと、この件に関し、耳塚が妙に及び腰なのがささやかな苛立ちの種になっている。
「時間がない、のんびり吉報を待つほどの猶予はないんだ。年内には全てのかたをつける必要がある」
「……何を、そんなに」
 耳塚は、嘆息して立ち上がる。
「大仁多がびくびくしてますよ、坊ちゃんが毎日結果ばかり求めるから」
「買収は時間が勝負だ、時の勢いがなければどうにもならん」
「それだけですかね」
「なんだと」
「坊ちゃんが焦っているのは、それだけですかね、と言ってるんです」
 しばらく不愉快な感情を抑えていた真田は、やがてかすかに笑って、顔をのぞかせた秘書を手で制して退室させた。
「J&Mのことを言っているのか」
「そう、もう我々の計画にはなんら関係ない、過去の遺物のことを言ってるんです」
 耳塚の言葉を聞き流し、真田は悠然と背もたれに身を沈めた。
 J&M
 J&M……か。
「……関係なくはない」
 いや、むしろ、実にタイムリーだ。
 そう、実に。
「メディアから追放された柏葉将を擁しての大晦日のコンサート、新生J&M、タイムリーといえば、これほどタイムリーなゴシップもないだろうな」
 予想の範囲内だったのか、耳塚は無表情で真田を見つめる。
 自身の思いつきに満足し、真田は小さく唇を鳴らした。
 唐沢君、またもや君は、私の救世主となってくれそうだよ。
 君の新しい会社も命運を賭けたコンサートも、全ては一睡の夢と消えるだろう。
 切り札でもある柏葉将は、全てを根こそぎ吹き飛ばす爆弾でもあるということを、まんざら忘れたのではないだろうね。
 真田は笑いをかみ殺して、耳塚に向かって顎をしゃくる。行け。
 耳塚も判っている、あとはそれを、どうジャパンテレビに絡めるかだけだ。







act15  最後の敵




               1
 

「レインボウは、諦めろ」
 入ってきた唐沢直人の、第一声がそれだった。
 立ち上がった柏葉将が、眉を曇らせて、唇を噛む。
「無理ですか」
 東京神田、冗談社ビル四階。
 新生J&Mの事務所兼ミーティングルームには、再結成して初めて全員集合したストームの五人が、かき集めた事務椅子や会議用ベンチに座っていた。
 東條聡。
 成瀬雅之。
 綺堂憂也。
 柏葉将。
 そして、片瀬りょう。
 変わったな。
 唐沢のために椅子を用意しながら、片野坂イタジは嬉しくなる。
 片瀬りょう。
 表舞台から姿を消して、ほぼ三カ月になる。心を病んでいた時期を考えると五カ月近いブランク。なのに美貌のオーラは衰えるどころか、いっそうなまめかしく光を放ち、野性美に濡れた憂いのある瞳は、ますます魅惑的に観る対象を捕らえている。
 いや、変わったのは外見ではない、その内面から滲み出ている何か。
 単に落ち着いたのでもなく、大人びたのでもない。静かで穏やかで、なのに深くて重い覚悟と情熱、それが、ただ黙って座っているだけの片瀬から漂っている。
 もう――すべてをふっきったのだろう。
 島根で最後に見た片瀬は、恋人と再会を果たしたばかりで、まるで子供のように無邪気で、そして幸せそうだった。
 イタジはそれを最後に東京に戻った。もう片瀬に会うこともないだろうと、内心では予感もしていた。
 が、その片瀬は数日前、故郷で約束された幸福を全て捨て去り、身一つで上京してきたのだ。そして今、まるで何事もなかったかのように、四人の仲間と共にここにいる。
 片瀬をここまで立ち直らせたのは、けれど四人の仲間ではない。イタジはそれを知っている。単に立ち直らせるだけなら柏葉にもできたろう、けれど、再び光の下に立たせることまではできなかった。それができたのは――
「…………」
 島根で垣間見た束の間の幸福を思い出し、イタジは苦い思いで目を伏せる。
 あの彼女は、今はどうしているのだろう、片瀬とはどういう約束をしたのだろう。
 が、片瀬の横顔は、過去をすでに葬り去った人のように穏やかだった。
 今も一人、四人から離れた場所に座り、椅子の背にかけた腕に顎を預けている。
 十月半ば、今日は、新生J&Mの初イベントでもある東京ドームコンサートの打ち合わせ会議、第一回。
 息がむせるほどの狭い室内には、副社長についた真咲しずくと弁護士の榊青磁をのぞく、現時点でのスタッフ全員が集合している。女手のない(正確には一人いる)殺風景な事務室だが、窓辺にはオアシスのような一輪の花。
 一人遅れて席についた唐沢は、手にしていた鞄をデスクの上に投げ出した。補助杖に馴れた歩き方からは、ぎこちなさが完全に消え、まるでそれ自体が、最初からある唐沢のツールのひとつのようだ。
「前ちゃん、断ってきたの?」
 そう訊いてきたのは、綺堂憂也だった。
 昨夜、単身ロサンゼルスから帰国してきたばかりだ。
「信じらんないな、本当に?マジで?」
 この中では、綺堂だけが所属が違って「オフィス水嶋」。
 今回のコンサートのみ客演で参加という形で許可を得ているが、正式には「ストーム」としてここにいるのではない。
 綺堂を「ストーム」のメンバーとして発表できるかどうかは、これからの両社の話し合いにかかっていて、これまた、未解決の大きな壁だ。
 唐沢は、唇を引き結んだまま、小さく頷いた。
「はっきり言えば、そういうことだ」
「なんで?唐沢さんの頼み方が俺様すぎたんじゃねーの?俺が今から行って話してこようか」
「無駄だな」
 身を乗り出した綺堂を軽くいなして、唐沢は小さく息を吐いた。
「レインボウにコンサートを任せたいというのは、お前らのたっての願いだ。俺にしても、今の俺たちの立場は心得ている。向こうの条件はなんでも飲むつもりで話し合いをしてみたがな」
「ダメだったの?」
「前原社長の、大人の選択だ」
 最初から躓いたか。
 暗くなった空気、イタジもまた、知らず溜息をもらしている。
「お金ですか」
 思いつめた目で柏葉が言った。
「いや、金のことならどうにでもすると、それは俺の責任で約束した。それに、前原社長は金で動くような人間じゃない」
「じゃあ、東邦プロの……圧力ですか」
 東條聡が、思案気に呟く。
 わずかに黙る唐沢の横顔は疲れていた。彼が、断られるためだけに足を運んだ会社は、レインボウだけではない、それを、イタジはよく知っている。
 音楽業界を通じて、大手PA、イベント企業には、全て圧力がかかっている。今が旬のタレントを抱えたオフィスネオ、東邦EMGプロダクション、ニンセンドープロダクション、これら全てを敵に回してまで、新生J&Mを助けようという企業は、正直いって皆無だろう。
「それもあるだろうが、それだけでもない。ひとつ俺が言えるのは、前原さんにしても、一人であの会社をやってるわけじゃないってことだ」
―――レインボウが難しいとなると……ここからが苦しくなるな。
 唐沢の声を聞きながら、イタジは眉を寄せている。
 圧力の範疇外で、小さくても、良質なスタッフを探すしかない。その候補の筆頭が前原率いるレインボウだったのだが、しかし、その程度の中堅にまで手が回っているとなると、正直言えば八方塞がりとしか言いようがない。
 実際、東京ドームレベルの大規模イベントを手掛けている会社で、業界の影響を受けないものなど、皆無に等しいのが現実なのだ。
「どうしても、駄目なんですか」
 重苦しい沈黙の中、暗い眼差しで顔を上げたのは、柏葉だった。
「わがままだって思われるかもしれないけど、俺には、前原さんしか考えられないから……何か、譲歩できる条件があるのなら」
「担保がいると言われた」
 唐沢は親指の爪を、唇にあてた。
「担保?」
「スポンサーだ」
 スポンサー。
 イタジも、眉をあげている。
「上場企業程度の規模の、知名度がある優良スポンサー、それが一社でもつけば、受けてもいいと言われた」
「…………」
 イタジだけでなく、全員が、それには黙る。
 それが、いかに困難で不可能な条件か、説明されるまでもない。
 成瀬雅之や東條聡の仕事が一時暗礁に乗り上げたのも、ストーム復活に対する世論のバッシングをおそれ、従来のスポンサーが撤退したからだ。
 ネットで投資家を公募する「スターダストプロジェクト」を利用してついた小さな企業でさえも、新生J&Mの記者発表後、対応を検討したいと言い出し、結局は撤退してしまった。
 今はインターネットで簡単に「世論」が形成されてしまう時代だ。一人の悪意が、簡単に会社を動かす異常な時代。その「世論」が、決して「総意」ではないと判っているのに、企業は悲しいほど「世論」の動向に敏感で、そして及び腰だ。
「前原社長も、我々の志には理解を示してくれた。が、あそこも前回の失敗で業界中の信用を無くしている、零細企業なんだ、なんらかの後ろ盾が欲しいのは当たり前だろう」
 柏葉将の隣で、東條聡もまた、かすかな溜息をついている。
 成瀬雅之は複雑そうな顔をして、綺堂憂也は唇をへの字の曲げて、鼻の頭を指先で擦った。
 イタジも無言で唇を噛む。
 この五人が、いかに前原大成を頼りにしていたか、誰よりもイタジが一番よく知っている。
「アマチュア関係で、探してみたらどうですか」
 身を乗り出して口をはさんだのは、浅葱悠介だった。
 柏葉将の学友で、今は休学中だという大学生。家は相当の金持ちらしいが、今は家出も同然だという。
 柏葉も心配しているようだが、本人がどうしてもコンサートスタッフとして参加したいといって譲らない。経歴を聞いてみればPAとしては知識豊富で優秀だし、アマチュア業界に顔も通じている。経理も事務もなんなくこなすし、折衝も巧みで駆け引き上手。
 結局は、人手が足りないということもあって、黙認された。今は、半ば押しかけ社員同然でここにいる。 
「少なくともバックバンドは、インディーズの連中に頼んでもいいと思ってるんです、俺。かなり上手い連中沢山知ってますし、元々フリーで好き勝手やってる奴らだから、業界の圧力もさほど気にはならないと思いますし」
「バンド関係は浅葱に任せる、そっちの方でイベンターにも心当たりがあるか」
「ええ、馴れた連中あつめて、チーム作ればいいんじゃないかと」
「悪くはない、しかし時間はあまりないぞ」
「わかってます」
 と、唐沢にすでに信頼を得ている浅葱悠介を、今も柏葉だけが、苦い目で見ている。
「逢坂」
 唐沢が、その視線を室内の右隅に座っている男に向けた。
「機材の調達はどうなっている」
「国内は無理ですね」
 逢坂真吾。
 元成瀬雅之のマネージャーだった男は、ジャパンテレビ内定を蹴って、再び新生J&Mに舞い戻ってきた。会見の翌日。新入社員第一号である。
「YAMADA、三橋、ソミー、国内全ての音響会社を当たりましたが、ドーム級の規模で使用できる機材は、その日全て押さえられているそうです」
「実際はどうだかな」
 唐沢は肩をすくめる。
「今、海外をあたっています。なんとかなりそうですが、ただし予算は倍以上を見込んでもらわないといけません」
「今月中に、確約だけは取り付けておいてくれ」
 唐沢は、せわしない目を、今度は柏葉将に向けた。
「それから、お前らに出した課題だがどうなった」
「コンサートの、コンセプトなら」
 答えたのは、見つめられた柏葉ではなく、その隣に座っている東條だった。
 傍らのビニールケースから書類を出す。
「用意してきました、夕べ憂也が戻ってから、五人で話し合ってみたんです」
 一回り大人びた感のある面差し。イタジは不思議な気持ちでその横顔を見つめる。
 成長したな、とつくづく思う。以前は、こんな風に、進んで表に出るような男ではなかったのに。
 そのまま、全員に配られたペーパー。
 最後にそれを手にしたイタジは、そこに記された文字に視線をとめていた。

 Final Departure

 最後の、出発。
「終わり、そして始まりという意味です」
 東條聡が口を開いた。
 髪を黒くしているせいか、やんちゃな幼さは影をひそめ、いつもより随分大人びて見える。
「いろんな意味があります……、その日が、2005年最後の日だというのもありますし、従来のJ&Mが終わり、新しいJ&Mが始まるという意味もあると思いますし」
 その言い方に、どことなく歯切れの悪さを感じ、ふとイタジは、語る東條を見上げている。
 が、綺堂憂也のきれのいい声が、その空気に割って入った。
「ちょっと復活コンサートにしては印象くれーなぁって思ったんだけど、最後かもしれないってインパクトもいいかなって思ってさ、あ、別にお客さん騙すわけじゃないけどさ」
「ライブは、同じものは2度とできないし、同じ日に同じお客さんが同じ場所に集まることは、絶対不可能なわけだから」
 柏葉将だった。
「結局はその日その日が一期一会だと思うんです。全員にとって最後で、それから新しい何かが始まる日、そういうものにしたいと……思いました」
 Finalか。
 確かに、インパクトというか、覚悟めいた怖さがある。
 誰も口に出さないし、出す必要もないが、確かにそうだ。このコンサートが実質最後になるかもしれない可能性は、そうでない可能性より、今ははるかに高いのだ。
 誰が発案したんだろう、イタジはそっと5人の表情をうかがい見る。
 判るようで判らないような気がしたし、昨夜、このコンセプトをめぐって5人の中でそれなりの意見が交わされたような気もした。
 けれど、そういった全ての葛藤が今、ひとつの綺麗な、そして力強い覚悟を匂わせる言葉となって、イタジの目の前にある。
 Final Departure
 終わり、そして始まりか。
「いいんじゃないか」
 黙ってペーパーを見つめていた唐沢がそう言った。感情を見せない乾いた声だった。
「コンセプトとサブタイトルはこれでいこう。構成の叩き台を、明日までに出してくれ。あとは人材確保だな、資金繰りがなんとかなっても人材が集まらないと話にならない」
 期限はたった2ヵ月半。
 ここからが、本当の勝負どころだ。
「悪いが施設を借りるだけの金がない、当面は、ここの4階を臨時の稽古場として使え、コンサートの構成、選曲、編曲、演出は全てお前たち5人に任せた。必要なものがあれば、片野坂に用意させる」
「どんな演出もありですか」
 片瀬りょう。
 唐沢は頷いた。
「実現不可能な絵空事でも構わない。それを実現させるのは本職の仕事だし、その本職をみつけてくるのは俺達の仕事だ、お前たちは自由な発想で考えろ」
 会議は終わり、全員が意気込みと焦燥を感じて立ち上がる。それは、イタジにしても同じだった。
 少なくとも今月中には、全てのスタッフを揃えた状態で走りださなければならない。しかし、いまだ正式な融資もスポンサーも決まっていないJ&M。スタッフもまるで足りず、コンサートを任せるイベント会社も未定のまま。不安要素は、それこそ星の数ほどある。
 が、それら全ての解決を悠長に待つ間もない。リミットの年末は、あっという間にやってくる。
 不揃いの車輪のままでも、それがいつか揃うと信じて、今は走って行くしかないのだ。
 そして、その列車に沢山の人間の運命を乗せている以上、蓋をあけた所、実はできていませんでした、というオチだけは絶対に許されない。
 まさに、がけっぷちぎりぎりぎりの線路を、燃料さえない欠けた車輪で走っている列車。それが今のJ&Mなのだ。
―――真咲さんに、何か秘策がありそうなんだがな……。
 今、唯一席を外している真咲しずく。
 資金繰りのことなら、少し待ってもらえるかな。
 ちょっとしたひらめきがあるんだ、まだ形にはなってないんだけど。

 イタジもそうだが、唐沢もまた、真咲を信じて走り出そうとしているに違いないような気がした。










                

 

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 > storm beat
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