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「雅君」
 休憩時間、ベンチに背を預け、タオルで顔を覆っていた時だった。
 顔をあげると、半開きの扉の向こう、おはぎが笑いながら手まねきしている。
「……なんっすか」
 雅之はタオルを首にかけて立ち上がった。
 スポンサー降板騒動により、予定より一週間遅れとなったが、無事公演開催が決まった舞台「どついたろか」。
 初日まであと二週間。今日は、都内の私立高校を借りての、舞台稽古初日である。
 チケットは、多分J&M復活の話題性も手伝ってか、即日完売。ただし、いいことばかりではなかった。やたら稽古中に記者や見物客がくるようになったし、野次も飛ばされるようになった。そのターゲットは、無論雅之である。
 できるだけ丁寧に対応しているつもりだが、無断で写真は撮られるし、時にはハタ迷惑な大騒ぎを繰り広げる。三流ゴシップ誌の記者はマナーが悪く、何を言っても、紙面に載るのはひやかしの記事ばかり。
 今は、フタッフ全員が、稽古場のガードにピリピリしている。今日の稽古も取材規制をかねて、前日に場所が変更になったものだ。
 母親は何も言わないが、江戸川の実家にも、ある程度の余波がいっているはずだ。もう家を出ている雅之には、一人家を守っているおふくろに、ただ申し訳ないとしか言いようがない。
「すいません、今日は、俺のせいでばたばたで」
「何言ってんだよ、今更」
 おはぎが笑いながら、うながすように雅之の肩を叩いた。
 どこへいざなわれるか判らないまま、雅之はおはぎと肩を並べて歩き出す。
 暖かな日差しが降り注ぐ体育館裏。休日の学校からは、懐かしい匂いがした。
 ポケットに手を突っ込みながら、おはぎがのんびりと口を開く。
「元々日陰でひっそりやるはずだった舞台が、こんだけ注目されてんだ。みんな興奮してるし、意識もしてる、仮にも芸能人が、騒がれるのが嬉しくないわけないでしょ」
「……まぁ、そうっすけど」
 大手メディアからは完全に黙殺されている。これを注目されているといっていいのかどうか。まだ躊躇する雅之の肩を、再度おはぎは暖かく叩いた。
「雅君のファンだって沢山来るじゃないか。雅君も嬉しいだろ、雅君のこと待ってる人たちが、あんなにいるなんて、すごいことだよ」
「…………」
 雅之は黙って、額から流れた汗を指で払った。
「チケットは……確かに、すぐに売れたけど」
 正直言えば、今の自分たちの置かれた立場が、雅之にはよく判らない。無視されているのか、注目されているのか。
 テレビや全国規模の新聞雑誌からはまるで相手にされないのに、舞台のチケットは恐ろしい勢いで売り切れた。ネットでは、すでに相当の高値がついて出回っているという。
 ネットといえば、J&Mの公式サイトも連日ものすごいアクセス数だ。掲示板には賛否両論、応援から中傷まで、様々な書き込みがあふれている。
「売れたけど、……何?」
 黙ってしまった雅之に、おはぎが不思議そうに先を促す。
 二週間足らずの舞台は、ホールも小さくキャパシティもごくわずか。もともと少なかった舞台の公演チケットは、殆んど女性名義と報道関係者に押さえられたと聞いている。
「本当に……舞台観たい奴が、来るのかなって思って」
 雅之は、ずっと不安に思っていたことを口にした。
 出演者もスタッフも、みんな、あんなに頑張っているのに。
 全員が必死になって、この舞台を存続させるための資金をかきあつめたのに。
 実際、素人の雅之が見てもいい舞台だ。脚本もいいし、演出もいい、何より情熱に溢れている。
 その舞台が……雅之一人のせいで、意味もない所で騒がれるだけのものになってしまったら。
「昔、マリアの永井さんの舞台、観に行ったことあるんです。俺がまだキッズの頃の話だけど、そん時の永井さん、もう、すげー人気があって」
 キッズのみんなで楽屋に挨拶にいく途中、一人はぐれた雅之が、たまたまその会話を聞いてしまった。
(やってらんねぇな)
(どんな見せ場でも、客は馬鹿なアイドルしかみてねぇんだ、やっててバカバカしくなってくるよ)
(ま、しょうがねぇって、どんだけいい舞台でも、アイドルが主役ってだけで学芸会と同じなんだからさ)
「……客席、若い女の子ばっかで、俺も座ってんのが恥ずかしくなるくらいで」
 当時のことを思い出し、雅之は言葉に詰まっている。
 もう自分はアイドルとは違うと思っていたけれど、また、こんな形で注目を集めてしまった。それで、他の仲間たちに同じような思いをさせてしまったら。
「……今日、うちの会社の人が、また記者会見するみたいなんです」
 その詳細は、そう口にした雅之も、実のところよく知らない。
 ただ、この数日、やたら事務所はばたばたしていて、何か大きな動きが起こりそうな気配だった。
 驚いたことに、雅之と聡が契約を交わしたスターダストプロダクションの飛嶋ローリー社長を、J&Mの事務所で見かけたことがあった。カーリーヘアに口ひげが特徴の飛嶋が、真咲しずくと織原瑞穂社長、三人で顔をつきあわせるように協議している最中だった。
―――何を……するつもりなのかは、わからないけど。
 ただ、ストームのコンサートに向けて、ちゃくちゃくと準備が進んでいることだけは間違いないような気がする。
 唐沢社長と榊弁護士は、憂也が所属するオフィス水嶋と、連日のように協議を重ねている。
 おそらくコンサートでの憂也の立場、今後の処遇、嫌な言い方だが、使用条件について話し合っているに違いない。無論その中には、柏葉将の本格復帰に対する危惧も出ているだろう。憂也サイドは、憂也にマイナスイメージがつくのを極力防ごうとしているのだ。
 それもあってか、いまだ、ストームのメンバーは正式には公表されていない。将の立場は、相変わらずフリーのまま、新事務所と契約さえ交わしていないらしい。
 雅之にはそれが不安だし、はっきり明言しない上層部への、若干の不信も感じている。
 が、それが表だって公表された時が、この穏やかな時間の終りだということも覚悟している。
 あの記者会見から二週間。
 やはり、雅之には、今の自分たちの立場がよく判らない。海が凪いだような静けさの底に、火のついた導火線が隠されてでもいるような、そんな気分だ。
 いったんは腹を括って身構えていたものが、ふっと肩すかしをくらってしまった。雅之だけでなく、多分五人全員が、この不思議な束の間を、漠然とした不安を抱きながら、過ごしている。
 しかし判っている。いずれこの時間は、確実に終わるのだ。
「俺らのコンサートの準備も、これから本格的になってくると思うし、そうなると、また色々……マスコミとか来るだろうし、ますますみなさんに迷惑かかるような気がして」
「……雅君は、何を心配してんのかな」
 が、おはぎの横顔はいつも通りだった。
「マスコミがいくら来ようと、お客さんが誰であろうと関係ないよ、最悪、酔っ払いの客だってかまわない、まぁ、周りに迷惑かけるような客は、確かに困るけどね」
 言いさして、おはぎは苦笑した。
「雅君は幸せだね。きっと雅君のことを大好きな人の前でしか、舞台にたったことがないんじゃないかな」
「…………」
 そうじゃない時が、一度だけあった。
 最後の、ストームのコンサート。
「でも僕らは違うんだ、酔っ払いの前でやったこともあるし、ヤジとおしゃべりが飛び交う中、誰も聞いていないのにやったこともある、それが当たり前の下積み時代で、そんなもの、ここにいる連中の全員が経験している」
 その横顔は、少しだけ厳しかった。けれどすぐに、おはぎはおはぎらしい人のいい笑顔になる。
「心配しなくても、みんな必死だからこそ、注目されて嬉しいんだ。マスコミや客に負けたことを雅君のせいにするような甘い奴は、この中に一人もいないよ」
 マスコミや客に、負けたこと。
 負けたこと……か。
 何故かその言葉が、厳しく胸に引っ掛かる。
 あの日。
 あの最悪のコンサートの日。
 俺達は、いったい何に負けたんだろう……。
「あれ、もしかして彼女、雅君の知り合いじゃないかな」
「え?」
 ふいに遠くに目をやったおはぎが、どこかわざとらしい声を出した。
 雅之が、その指さしたあたりを凝視する間に、「あっ、そういえば、俺、監督に用事があったんだ」と、おはぎはくるりと背を向ける。
―――え……?
 校舎から校門に続く階段の下、自転車置き場の隅。その壁際に寄りかかるように、空を見上げている女の子。
 心臓が、跳ね上がった。



                 5


「……よ、」
「………うん」
 待っててって、そういうことだったんだ。
 凪は、戸惑って視線を下げる。
 戸惑う、というより眩しかった。伸びた髪も、白いシャツからのぞく胸元も。
 髪に手を当てて歩み寄ってきながら、雅之もまた、凪以上に困惑しているのがよく判った。
 数歩前で、その影が止まる。
「……なに?」
 第一声に、少しだけ胸が痛んだ。
 当たり前だ。もう、用がなければ、会う理由のない関係。
「通りかかったんだ、この隣なの、大学」
 凪は笑って、手にしたヘルメットを胸元まで持ち上げた。
 大学に隣接した付属高校。
 凪が通う大学は、道路一本隔てた隣の敷地にある。駐車場が共用で、凪は丁度、バイクを降りて、構内に向かっていた所だった。
「……あー、」
 と、多分、そんなことも知らなかった雅之が、困ったように周囲を見回す。
「たまたま、おはぎさんに声掛けられて、……預かってるものがあるから待っててって言われて、知らないんだね、彼」
 今はもう、昔とは違うことを。
「うん……まぁ」
 雅之がおはぎさんと呼んで親しくしている男には、サッカー部の時顔見知りになって、打ち上げのミニコンサートでは、紹介めいたことをされた。
(あー、俺の幼馴染っつーか、友だちっつーか、まぁ、そんな感じ)
(ふぅん、じゃあ彼女、僕に紹介してよ)
(だ、だめっ、それは無理)
(判りやすいなぁ、雅君は)
 あんなことがあったから、気を使ってくれたつもりだったんだろう。
 雅之もまた、何も知らずにここまで来たことが、その表情から容易に伺える。
「ごめん、時間取らせて、でもそういうことだから」
「あ、いや、こっちこそ」
「…………」
「…………」
 少しぎこちない間の後、凪は笑顔で片手をあげた。
「じゃ、元気で」
「会えた?」
 ふいに雅之が顔を上げた。思いつめた声。
 会えた?
 凪は戸惑ってその顔を見る。
「……お前の、探してる奴」
「…………」
 うん、と凪は小さく頷いた。
 覚えてくれていたことが、嬉しくもあり、苦しくもある。
「やっと連絡取れて、今週末に会う約束してる。……海堂さんと一緒に行くから」
「……そっか」
 また、沈黙。
 凪には今、雅之が考えていることが判らない。雅之もまた、同じように凪のことが判らないのかもしれない。
 離れた距離、影だけが重なっている。
「美波さんは?」
 その質問には少し考えてから、凪は何度か頷いた。
「元気」
「……そっか」
「…………」
「…………」
 例え、世界中が見放しても。
「じゃ、行くね、講義あるから」
 大切なものを失っても。
 凪には、今の、まるで抜けがらのような美波を放っておくことはできない、絶対に。
 唯一のレギャラーだったラジオ番組の終了と共に、仕事は、一切なくなった。今の美波は不思議なほど規則正しい日々を送りながら、自宅と病院を、ただ車で行き来するだけ。
 日ごとに表情に穏やかなものを浮かべる美波に、凪は、ある種の不吉な予感を感じている。愛季さんの容体はどうなんだろう。倫さんが言った時間がないってどういう意味なんだろう。
 もしかすると美波さんは、何かを待っているのではないだろうか。何か――自分が、この世界から消えてしまうタイミングみたいなものを。
「あのさ」
 背後から声がした。凪は足を止めている。
「初日、来月の十五日なんだ、チケット」
 ぎこちない声、少し怒った風な真っ直ぐな眼差し。
「送る、来れたら、来て」
 昔。
 その目の中に私がいないのが、悔しくて悲しくて。
 絶対に入ってやろうと思って。
 意地みたいに、J&Mに入ったことがあった。
 でも、今までだって多分一度も。
「うん……行けたら、行く」
 凪は微笑して手を振り、そのまま雅之に背を向けた。
 その目に、私が映ってたことは、本当の意味でなかったような気がするよ。
 そんなこと百も承知で、ずっとあんたのこと好きだったんだけど。
 








                

 

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