28


「そんなに落ち込むなよ」
 運転席から声がする。
「落ち込んでなんかないですよ」
 凪は笑おうとしたが、それは唇の端を強張らせただけの努力で終わる。
「気、すんだか」
 碧人の声は、優しかった。
 車は夜の街を進んでいく。街頭には気の早いイルミネーション。2005年の終りに向けて、すでにカウントダウンが始まっている。
「すんだろ、あんだけ言いたいこと言ったんだからさ」
「……反省、してます」
 凪はぽつりと、それだけを言った。
 そして唇を強く引き結ぶ。
 これ以上何か喋ると、押さえていた感情の箍が外れてしまいそうな気がした。
 自分の無力さ、幼さ、浅はかさを、今夜ほど強く味わったこともなかった。笑えるほどの独りよがり――ずっと肩肘はって追い続けていたことが、全部、自己満足の思いこみにすぎなかったという現実を思い知らされた夜。
「……過去は、動かせないんですね」
 暗い窓に映る自身の輪郭を見ながら、凪は呟いた。
「海堂さんの言うとおりだったな……バカでした、私」
 ただ、娘と妻を失った男を苦しめ、傷つけるだけの結果になった。沢山の人を巻き込み、迷惑をかけたその挙句に。
「あんだけ、自由になる金があんのにさ」
 碧人が、ラジオのボリュームをあげた。
 どこかで聞いた洋楽が流れている。どこだったろう、凪はぼんやりと流れていく景色を見る。とこかで聞いた旋律、でも、どこだったろう。
「……少し誤解してたのかな、俺。もっと楽しくやってんだと思ってた。不思議だな、働かずに金もらってぶらぶらしてんのに、少しも幸せそうじゃないんだな、あのおっさん」
 不思議に懐かしくやるせない曲と共に、碧人の声が流れていく。
 ああ、と凪は思いだす。
 これは柏葉さんと聴いた曲だ。たった一度、彼とドライブにいった時に。
「美波さんって人の時計も止まってんのかもしれないけど、あのおっさんの時計だって止まってんだ。……眠ってる娘さん、辛いだろうな」
「…………」
 美波さんのためにも、愛季さんのためにも、何か、自分にできるかもしれないと思っていた。何か――しなくてはならないと思っていた。
 少女漫画の読み過ぎだったのかもしれない。これが美波さんと私の運命、そんな風に思いこんでいたのかもしれない。
「さて、今夜は僕も驚きました、あのお騒がせアイドルストームが7月以来3か月ぶりとなるテレビ復帰。そのサプライズ放送、放送終盤の内容にびっくりされたリスナーの皆さんも多いかと思います」
 音楽がフェイドアウトし、小気味よいDJの声が流れだす。
「番組で急きょリスナーの声をリサーチしたところ、復帰については賛否両論真っ二つ。テレビ局には柏葉将さんの件で問い合わせが殺到し、すでにインターネットでは、批判中傷が相次いでいるという話ですから……すごいですねぇ、一時期は全く忘れ去られたかにみえたストームですが、年末に向けて、一気に目が離せない存在に躍り出てきましたよ」
「私、成瀬君好きだったんですよー。かっこよかったなぁ、ほら、サッカー部とかやってたじゃないですか、あの試合観に行ったんです」
 ゲストらしき女性の甘い声がした。
「まだ復帰は早いと思うけどなぁ……でも、個人的には応援したいです、頑張れ、雅くーん」
 頑張れ、雅君……か。
 凪はかすかに笑んで、窓に額を寄せて目を閉じた。
 やっぱ、あんたはすごいや、成瀬。
 私はいつも、あんたみたいになりたくて……なりたくてなりたくて、それでも絶対になれないんだね。
 今もまた、どっか遠くに、今度こそ手の届かない遠くに行こうとしているあんたに、私、近づくことも、手を延ばすこともできないから……。
「なんか、しゃくに触るな」
 運転席から、ふてくされたような声がした。
 凪は、少し驚いて顔あげる。
「俺らだって結構苦労してんのにさ、結局は何も変わらないし誰一人救われないんだ」
 前を見つめる碧人の目に、わずかな怒りの色がある。
「なんだろな、しょせん何もできないのかな、俺たちには」
「ごめんなさい、海堂さんにまで」
「そんなこと言ってんじゃないよ」
 交差点でハンドルを切る。凪の家はもうすぐだった。
「……先週さ、珍しくお袋と親父が帰ってきたんだ。夜中に二人で話しあってた、親父、今の会社辞める気らしい」
 凪は息を飲んでいた。前原さんが、どうして。
「業界から圧力かかってて、ストームの仕事受けたら、もう2度とまともな仕事は入ってこなくなるんだってさ。親父、お袋に土下座して頼んでたよ、どうしてもやらせてくれ、これが最後のわがままだって」
 言いさして、碧人の横顔がわずかに緩んだ。
「あんたの土下座には何の価値もないって、お袋口悪いから、くそみそだったな。結局最後は折れたけど……ま、親父が今更何しようと、うちの経済には何ひとつ関係ないんだけどね」
 前原さんが……。
 凪は胸が熱くなるのを感じた。前原さんが、そこまで。
 そこまでストームのためにしてくれようとしている。
「……昔さ、親父に言われたことがあるんだ。高校受験の時だったかな。碧人、失敗をおそれるな、人は何度だってやり直せるし、過去はいくらだって書き換えることができる」
 凪は目を見開いていた。
 過去は、いくらだって書き換えることができる。
「どういう……意味、ですか」
「熱血バカの親父らしい言い方だろ」
 碧人は苦笑して肩をすくめた。
「そん時は、何くだらねーこといってんだクソ親父、くらいにしか思わなかったけどさ。……過去ってさ、どこにあると思う?」
「どこに……?」
 戸惑う凪を見下ろし、碧人は片手で自身の頭を指した「ここ」。
「過去はさ、人の記憶の中にしかないんだ。記憶の中にしか存在しない。だからいくらでも変わるし、変えることができる、人の心の持ちようしだいで」
「………………」
「前言撤回、変えられるよ過去は」
「………………」
「お前がやろうしてたのはそういうことだろ。今日のやり方はまずかったけどさ。でも、絶対何か方法あると思うぜ、俺は」



               29


「随分、顔つきが変わったようだ」
 将はフォークを持つ手を止めて、対面の男を見上げる。
 真田孔明。
 照明のせいか、普段より青白く見える顔をうっすらと緩ませ、老人はグラスを持ち上げた。
 ずっと無言で食事を口に運んでいた真田が、今夜初めて挨拶以外で口にした言葉。将はわずかに身構える。
「大人になったのかな、……ほんの半年前は、まだやんちゃな子供のような気がしたがね」
「……どうも」
 キャビアソースで和えた子鴨のロースト。
 最高級の食材も、この不気味な静けさの中では味気ないゴムのように感じられる。
 将はナプキンで口元を拭って隣席のしずくを見た。最初から食欲がないのか、しずくの皿はほとんど手つかずのまま、今もグラスのミネラルウォーターを唇にあてている。
「今夜は、よく来てくれた」
 口元をほころばせて、真田は続けた。
「食事はどうだったろう。すまなかったね、せっかくの再会の夜なのだが、私は食事中に会話をする習慣がなくてね」
「いえ、別に」
「厳しくしつけられた……今でもビジネスランチというのが、一番の苦手だよ」
 独り言のようにそう呟くと、真田は肉の皿を押しやった。申し合わせたように、ウエイターがそれを下げにやってくる。
 確かに異様な会食だった。
 席についているのは、真田孔明、真咲しずく、そして将。
 すずやかな彩を凝らした前菜も、濃厚なポタージュもフォアグラを添えた金目鯛のフォーレも、三人は終始無言で口に運んだ。
 なのに、沈黙の陰で、饒舌に喋るより遥かに重く、意味深い会話がなされている。それは、真咲しずくと真田孔明の、視線、微笑、触れあうグラス、そのささやかなやりとりの中に毒棘のようにひそんでいる。
 無論将に、対峙する2人の感情の底にあるものまでは判らない。が、深い、底しれない憎しみとも違う何かを、しずくが押し殺した感情の淵で、じっと見つめているのだけは判るような気がした。
 一体これは、何のための集まりだろう。
 最初、真田の目的は自分だと思ったが、今は違う。今夜は、むしろしずくがメインゲストで、将がその付添だ。対峙する2人の力量の差も明らかで、それは今夜、将が一番に受けた衝撃だった。真田は余裕に満ちた目でしずくを眺め、しずくはかろうじて余裕を取り繕っている。しかし、その真田に今夜、いってみれば真珠湾攻撃にも値する奇襲を仕掛けたのは、しずくの方なのだ――。
 将にはまだ判らない。この会合の意味も理由も、二人が抱いている思惑も、だ。
「こうしていると、静馬と真治が目の前にいるようだ」
 しずくと将を交互に見つめ、真田は初めて破顔した。
「2人とも、実に父親によく似ている。真治の娘がマネジメントして、静馬の息子が表舞台に立つ。そして、それを妨害しているのが私だときている」
 声をたてて笑う。
「実に面白い、まるで神様のいたずらのようじゃないか」
 将は気付く。この人は無表情だと理知的で、美しいほど端正なのに、笑うとその質が格段に落ちて見える。口角が広すぎるせいなのか歯並びのせいなのか、悪く言えば野卑に見える。ひどく損な顔だちだと思う。
 高すぎる背に、典型的な鷲鼻、灰色に碧が滲んだ瞳。おそらく生粋の日本人ではないのだろう、そういう意味では、真咲しずくと同類だ。
 店内には透き通るようなアイーダ。窓に面した一角、周辺に客の気配はない。ただ、斜め後ろのテーブルに、最初から一人の男が席を取っている。
 メインの皿が下げられ、デザートが運ばれてくる。フルーツをふんだんに使ったミルフィーユ仕立てのケーキ。
 一人座る男の元にも、同様のものが運ばれる。将のテーブルと同じタイミングで同じメニュー。ただし、男もしずく同様、その皿には手をつけていない。
―――誰だろう。
 将は視線でしずくに問ったが、しずくの横顔は答えてはくれない。
 ずっとその存在が気になっていた。異様に背の高い、色白というより蒼白な肌に、斬り裂かれたような鋭いまなじりを持つ男。顔の左側には、一目で刃物傷と判る痕があり、目にある種の障害があるのか、黒眼が左右ばらばらの方向を向いている。
 真田のボディガード……にしては、ひどく凶悪だし、第一年を取りすぎているような気がした。これで紳士的な容貌なら、老いた執事といった風情だ。
「素敵な夜だ」
 真田は、最初と同じセリフを繰り返した。「我々にとっては、記念すべき夜だ」
「本当ですね」
 しずく。
「亡くなった私たちの父も、この再会を喜んでいると思います」
 強烈な皮肉をあっさりと言うと、グラスを持ち上げて微笑する。しかし真田は、その挑発には乗らずに、より意味深に微笑んだ。
「そう、今夜は、長年死んでいた静馬が蘇った夜なのだからね」
 長い指を持つ手が、自身の胸元をやんわりと押さえる。
「君たちの手で、どうやら呼び覚ましてしまったようだよ」
 目だけが、静止画のように笑っていない。唇だけの奇妙な微笑。
 一秒、二秒、見ているうちに、将は手肌がそそけだつような戦慄を覚えた。
 ここで会ってからずっと、真田の落ち着きぶりと慇懃な態度が不思議だった。今夜のオンエアの内容を、真田が知らないはずはない。そこには、彼が長年にわたって隠し続けてきた城之内静馬の過去が明らかにされているはずなのだ。
 が、確かに真田は怒っていた。将はようやくそれを理解した。それもひどく、尋常ではないほどに。
 真田は胸から手を離し、その手を少しおどけた所作で翻した。
「あれが君の宣戦布告かね、真咲君」
 しずくは答えず、目だけで笑う。
「素晴らしい内容だった……当時の関係者は、誰もが即座に、私の名前をそこに当てはめようとするだろう。静馬に刺された元マネージャーとして」
 今夜のオンエアのことだろう。将の携帯にも、イタジや他のメンバーからの着信が、オンエア終了直後から溜まりっぱなしになっている。
「しかし……」
 苦笑して、真田はゆったりとしずくを見下ろす。
「ドキュメンタリーとしては秀逸でも、ストームの宣伝効果としてはどうだったのだろう。むしろ今夜は、君らに憐れささえ覚えたよ。あんな忘れ去られたゴシップまで待ちだして……ほかに手はなかったのかね」
「忘れられたんじゃありませんわ」
 しずくは答えた。声が硬い。「あなたが、意図的に報道させなかったゴシツプです」
「では、興味本位にマスコミが騒ぎたてるのが、静馬のためだったとでも?」
 真田は余裕で肩をすくめる。「確かに私は、ある時期、静馬の存在そのものを芸能史から消し去ろうとしたことがあったがね」
 穏やかな、子供に言って聞かせるような口調だった。
「何か誤解があるようだから言っておこう。私は決して、私の保身のために静馬の報道をやめさせたのではないよ。むしろ、静馬と、彼の仲間たちを守るためにやめさせたのだ。残酷なようだが、私は被害者で彼は加害者だ、私に叩かれて出る埃はないが、静馬にはある」
「本当にそうでしょうか」
「では、どうして静馬は法廷で沈黙を守ったのかね?」
 真田は余裕の微笑を浮かべた。
「誤解してもらっては困るな……静馬のことで騒ぎたてられて困るのは、当時の君の父親にしても同じことではなかったのかな?彼らは新しい会社を軌道に乗せるのに必死だった。そこに、かつての仲間の殺人未遂のことがあれこれ騒がれ続けては……どうなるだろう」
 しずくの横顔が押し黙る。
「あらためて言うまでもないがね、芸能界というのは誰もが憧れる光の世界だ。そこに殺人だの障害だの暗い言葉は似合わない、ふさわしくない」
 その目が、ゆったりと将に向けられる。かすかに笑い、視線を再びしずくに戻すと、真田はグラスを持ち上げた。
「あの番組に企画を売り込んだという、君の意図はなんだったのかね?またぞろ世間の注目を集め、奇蹟の二番煎じを狙っているなら、なんとも底が浅いとしか言いようがない。失望したよ、柏葉家まで巻き込んで本当に傍迷惑なことだ」
「これから奇跡の復活を果たす柏葉将が、かつて悲劇の天才と呼ばれた城之内静馬の血を引いているんです。これ以上の宣伝効果はありませんわ」
「そう、今夜から、元暴力アイドル柏葉将は、殺人未遂犯の血を引くというおめでたい称号まで得たわけだ」
 将は身を強張らせていた。
「さっきも言った、芸能界は光の世界だ。私はもう止める気はない、これからしばらく、メディアは静馬の事件を何度も何度も繰り返し報道するようになるだろう。その中で否応なく将の事件も父親と比較されるようになるだろう。暴力イメージを、忘れさせようとしてもできなくなるだろう」
「…………」
「アイドルの経歴としては最悪だ。誰がそんな将に憧れを抱くだろうか。誰が今までのように純粋な好意をぶつけてくれるだろうか」
「…………」
 殺人未遂犯。
 それが、静馬が持つことになった残酷な側面で、将にとっては逃げられない現実でもある。
 それを悲劇ととるか、厭わしいととるかは……解釈ひとつに掛かるだろう。いずれにれせよ、イメージはマイナス。真田の言うとおりであることは間違いない。
 覚悟はしていたし、静馬の息子を名乗ることになる以上、いずれ暴かれる過去だろうとも思っていた。が、それを今――東京ドーム復活公演まで二か月を切った時点でさらしてしまうことが、果たして正解だったかどうか。
 それがストームにとってプラスに働くのかマイナスなのか。もう将には読み切れない。すでに自分がなすべきことを決めてしまっている以上、後は運を天に任せ、そしてしずくを信じるしかない。
「それがいかに、宣伝効果になるとしても」
 苦笑して真田は続けた。
「真治が生きていたなら、決してやらない戦略だったと思うがね。あれは静馬を実の弟のように愛していた。静馬が傷つくことは決してやらないし、むしろ沈黙を守っていたはずだよ」
「私は父じゃありませんし、彼は弟でもありませんわ」
「では、なんだと?」
「私は彼のマネジメントをしている、それだけです」
「売れてしまえばそれでいいと」
「なんとでも解釈なさってください」
「ずっとそのゴシップを隠してきた私は、少なくとも君より、将のことを大切に思っているということかな」
「……なんとでも」
 しずくの横顔が冷たく強張っている。
「君は確かに、有能なビジネスマンのようだ」
 真田は笑った。
 演技だろうか。将は横眼でしずくの横顔を伺い見る。この邂逅、しずくには最初から余裕がなかった。ひどく冷静に振る舞っているように見えて、目にも仕草にも、いつにない緊張と強張りがあった。
 演技であればいい――本心はいつものように余裕しゃくしゃくで、真田に対してさらに上をいくカードを隠し持っていればいいと将は思う。が、おそらくそうではないだろう。今のしずくからは、演技ではない本物の感情がすけてみえる。
 それは将が感じる限り、畏怖でも萎縮でも気後れでもない。何か、もっと他の、氷のように頑なで冷ややかな何か。その張りつめた冬の空気のような感情が、隣にいる将にも伝わってくる。
 真田が将を見る、その目が「どうだね」と問っている。まるで今のしずくの、後がない心境を見透かしているかのように。
「少しの間、将と二人で話したいのだが、かまわないかね」
 しずくの返事を待たず、真田は背後の男を振り返った。
「耳塚、このお嬢さんを別室へ案内してやってくれ」
 明らかにその刹那、しずくの横顔が緊張した。が、女はすぐに微笑でそれを上書きし、コーヒーを押しやってから立ち上がった。



              30


「君らのボスは、私が最も嫌うことをやってのけた、その意味は判るだろう」
 将は黙って聞いていた。
 最後の敵。
 将にとっては、今、目の前に悠然と座る人がそれに思えた。巨大な音楽市場をその手中におさめ、今またメディアの一角を手にしようとしている男。かつて父がいたハリケーンズを闇に葬り、ストームを解散させ、J&Mを崩壊にまで追い込んだ男。
 判っている、どんなに巨大でも、決して避けては通れない壁。
 が、こうして目の前で見つめられると、どうしようもなく揺れている自分を感じる。超えることなど、敵うことなど、果たして本当にできるのだろうか。
「君は静馬の息子だ……私は、君が、心から愛おしいと思う」
 真摯な眼差し。
「君と、君の大切な仲間たちを、今すぐにでも助けてやりたいと思っているんだ」
 将はうつむく。
 無論それを、表通りの言葉で受けとめることはできない。
 将はもう知っている。あの逮捕は仕組まれたものだった。それを命じ、実行したのが誰なのかは判らないし、少なくとも真田ではないとしずくは言ったが、――それでも、まるで無関係だったとは絶対に思えない。
 信じるわけにはいかないし、大切な仲間を托すわけにはいかない。
「聞いてもいいですか」
 将は初めて、自分から口を開いた。これだけは、絶対に聞かなければならないと思ったし、返答次第では許しを乞わなければならないことだとも思っていた。
 城之内静馬を、父として認めた以上は。
「僕の父は、何故あなたを刺したんでしょうか」
「…………」
「差し支えなければ、はっきりと教えてください。……あの日、二人に、一体何が起きたのか」
 いさかいがあったとしても、互いに憎しみを募らせていたとしても、その時、決定的な何かがあったはずなのだ。相手を、殺してもかまわないとまで思いつめた何かが。
 あの「奇蹟」を書いた父が、「君がいる世界」を書いた父が、そうでなくて、短絡的な感情だけで、あの行為に及んだとは思えない、思いたくない。
 無言のまま、真田の眼差しが柔らかく潤う。それは不思議な変化だった。慈愛にも憐みにも、そして酔いしれるような幸福にも見える。
「刺したものの感情は、静馬にしかわからない。同様に、刺されたものの感情は、私にしかわからない」
 ゆっくりと噛みしめるように真田は続けた。
「いってみればそれは、世界中でたった2人にしか共有できない感情だ。静馬はそれを言葉として残さなかった。私も生涯残すことはないだろう」
「父を、もう、恨んではいないと」
 将は注意深く、その意味を考える。
「私が惜しみ、そして悔やんだのは、それで彼を永遠に失ってしまったことだけだ」
 私は君を愛している。
 真田は再度繰り返した。
「非情なことをいうようだが、仕掛けられた戦争は受けるしかない。それが企業間の戦いというものだ。我々のJ&Mへの反撃は、おそらく君らが想像している以上に過酷なものになるだろう」
 思わず視線を下げた将に、真田は静かにたたみかける。
「私は君を救いたいと思う。前もそうだったが、今回も心からそう思っている。幸いなことに君にはまだ選択肢がある。今の事務所を捨てて、私の元に来るという選択肢だ」
「…………」
「それは君だけではない、君と、君の仲間たちを守るための選択肢だ」
 俺と。
 俺の……仲間を守るため。
 それは、ゆるやかな、まるで首を絞めるような恫喝に聞こえた。実際将の首には、最初から真田の腕が幾重にも巻きついている。
「今の僕に……」
 将は言葉を途切れさせた。
「あなたが拘る意味がどこにあるのか、僕には、正直わかりません」
「私は静馬を失った、永遠に、だ」
「…………」
「君という遺伝子を手にいれることで、私はようやく、この胸の痛みから解放されるのだ。静馬には理解されることのなかった私の魂を、君に理解してもらいたいのだよ」
 理解。
 この人の何を……どう理解すればいいのだろう。
 将は眉をひそめている。
「弱い者は、悲しい」
 実際、そう呟いた真田の目は、本当に悲しみ憐れんでいる人のそれに見えた。
「そして弱い者に、正義はない」
 正義はない。
 将は、ただ無言で、もう自分を見ていない真田の目を見つめる。
「この世界は、全て力関係でなりたっている」
 自分に言っているような口調だった。
「才能も血筋も国籍も関係ない、力だ、力だ、力こそが全てだ」
「…………」
「正しいことをすれば正義なのか?誤ったことをすれば悪なのか?そうではない。事実も歴史もいかようにも書き変えられる。力あるものによって、正義はいくらでも上書きされる。それが世界の現実で真理だ、そうは思わないか、将」
 力だ。
 真田は静かな声で繰り返した。
「そしてそれを手にいれたものが、……正義だ」









                

 

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