18



「あんちゃんの気持ちは判るがな」
 長い長い沈黙の後、鏑谷創は、ようやくそう呟いた。
「無理だな、それは」
「無理は承知してます」
 鏑谷プロ一階にある会長室。が、会長室といっても質素な畳敷きの六畳間。鏑谷の対面、年代物の座卓の向かい側に、五人の青年が二列に並んで座っている。
 最も東條聡以外の四人は、最初の挨拶以降何も言わない。ただ、神妙な眼差しで、自らリーダーと名乗った男の言葉を聞き続けている。
 日はとうに暮れていた。
 五人の客人の前に並べられた茶は、もうすっかり冷たくなってしまっている。
「無理は承知で、どうして来た」
 鏑谷は、少しだけ厳しい声になった。
「あんちゃんのせいで、うちがどれだけの損害を被ったと思ってる。金のことじゃねぇ、信頼だ。そして子供たちの夢でありスタツフの情熱だ。あんちゃんはな、それを全部裏切って踏みにじったんだ」
 黙って聞いていた東條聡が目を伏せる。
 その聡より、背後に座る柏葉将の方が、苦しそうな眼をしていた。
「何を言われても……」
 畳に拳をつき、聡は肩を震わせた。
「ただ、申し訳なかったとしか、言えません。僕が未熟で浅はかでした。本当に申し訳ありませんでした。どれだけお詫びしても追いつかないことは判っています」
「若いうちは過ちもあらぁな、それはもういい、それをいちいち責めてるつもりはねぇ」
 吐き出すように鏑谷は言った。
「おれが腹がたったのは、打ち切りが決まってからのあんちゃんの態度だ。確かに事務所に金の面では十分な補償をしてもらったさ、でもあんちゃんはなんだ、社長の陰に隠れて、ただ震えてただけじゃねぇか!」
「…………」
 たまりかねたように、鏑谷は机を叩いた。
「古木庭さんに一言でも詫びを入れたか、神田川のとっつぁんに一言でも謝りに言ったか、スタッフにも、出演者にも、きちんと詫びを入れたのか!」
 答えられない聡が、うなだれて肩を落とす。
「それがなんだ、金が必要になったら、恥もなんも忘れてほいほいやってくるわけか。一体どの面さげてここまできた、そこまでおらぁ、お人よしじゃねぇ」
「手紙を、書きました」
 たまりかねたように口を開いたのは、一番背の高い青年だった。
 成瀬雅之――ストームの解散前、テレビへの露出度が一番高かった男だ。
 聡が、少し驚いたようにその成瀬を振り返っている。
「俺、毎晩毎晩聡君がこっそり手紙書いてるのみて……最初、意味がわかんなかったけど、わかってから、逆にすごく悔しくなって」
 元来口べたなのか、ぎこちない口調で雅之は続ける。
「聡君にとって、あの現場は本当に故郷みたいものだったんだなって……そこを出ていかなきゃならないって判った時、どんな気持ちだったんだろうって」
 がばっと、そのまま頭を下げた。鏑谷はただ、驚いている。
「悪いのは俺なんです。俺が聡君そそのかして、へんなインタビューに答えたからいけなかったんです!聡君優しいから、俺につきあってくれただけなんです!」
「雅、それは違うだろ」
「スポンサーの話なんてもういいです。だから、だから、聡君のこと、どうか許してあげてください!」
「聡君は、むしろ僕らの犠牲者だったと思います」
 片瀬りょうが、静かな口調で口を開いた。
「僕らが神経質になって喧嘩ばかりして、責任感の強い聡君を追い詰めてしまったんです。いろんなことの後始末を全部聡君に押し付けて……我慢させて、結局、ボロボロになるまで追い詰めてしまいました」
「違うよ、りょう……」
 初めて聡が涙ぐんだ。
「俺こそ……ひどいこと言ったじゃないか」
 それには答えず、片瀬りょうも両手をついて頭を下げる。
「いや、一番悪いのは、言うまでもないですけど、やはり僕です」
 柏葉将。
「僕が起こした事件が、みんなをここまで追い詰めてしまいました。そんな僕がもう一回ストームに戻りたいという、これほどひどいわがままもないと思っています」
「将君」
 聡を遮るように、将はかすかに首を振った。
「そんな俺を……みんなは、快く受け入れてくれました。もし……俺に、聡なんかよりもっとひどいことした俺に、もし、償えることがあるとすれば、それは言葉だけの謝罪なんかじゃなくて、もう一度、みんなを元の場所に戻してやることだと思いました」
 鏑谷は目をすがめる。
 鋭い眼差しで、将の眼差しと対峙する。
 将は、両手をついて畳に額を押しあてた。
「出資してください、借りたお金はどんなことをしても返します、一生かかってもお返しします!」
「俺は……別に謝るようなことはしてないけど」
 綺堂憂也。
「恥もなんも捨ててやってくんのかって言われたけど、その通りだとしか、俺には言えない。聡は弱い奴だけど、ここまで来た勇気は、ちょい俺には真似できないし」
 そして憂也はわずかに笑った。
「聡は鏑谷さんを信じてここまで来たんだ。だったら俺も鏑谷さんを信じる。どんなひどい条件だって飲むし、絶対に損はさせない」
 頭を下げる。言葉はひどかったが、その姿勢は真摯だった。
「お願いします、俺らのスポンサーになってください」
 聡がたまりかねたように涙を拭う。
 そしてみんなと同じように頭を下げた。
「お願いします!」
「…………」
 鏑谷は無言で冷たく冷えた茶をすする。
 長い長い沈黙があった。
「なんといわれようと、無理なものは無理だ」
 飲みほした茶と同じ、渋みを帯びた声が出た。
「金の額じゃねぇ、これは信頼の問題だ。うちは子供の夢を育てる会社だ、そこが暴力タレントのスポンサーなんてできると思うか」
 将が表情を強張らせるのが判った。
 聡は、がばっと顔をあげた。
「全部わかってるんです、そういうのも、全部!」
 涙が滲んだ声だった。
「何社も何社も回りました、その度に同じことを言われました、絶対無理だって、一部上場程度の企業は、相手にもしてくれないって、それも全部判ってるんです」
 畳を掴む指先が震えている。
「ものすごく無理で、とんでもなく迷惑な話だというのは全部承知しています。それでも、それでもお願いしたいんです、僕らの夢に、無理を承知で投資してほしいんです!」
「………………」
「この一回きりのコンサートが終われば、僕らはなんだってします。どんな仕事だってします。それがドサ周りのステージでも、着ぐるみショーの怪獣役でも」
「……綺堂もか」
「できれば僕だけは、あっ、ミラクルマンだって、叫ぶ役にしてください」
 真面目な声で憂也。 
 鏑谷は、自分の表情が、わずかに緩むのを感じた。
 そのまま、深い嘆息をする。
「顔をあげな、あんちゃんたち」
 それでも、誰ひとりとして顔を上げない。
「東邦さんが、来月にも、ジャパンテレビ買収を完了させるのは、知ってるか」
 鏑谷は、静かな声でそう続けた。
「どんな因縁があるんだかしらねぇが、東邦はあんたらストームを毛嫌いしてるってのが、業界の評判だ。もし東邦が民放連に入れば、あんちゃんたちがブラウン管に復帰するのは、かなり難しくなるだろう」
「………………」
「それが、どういう意味か判ってんのか」
 誰も、何も答えない。
 それは誰にとっても、ある種衝撃的なニュースに違いなかった。
「だったら教えてやるさ。たった一回こっきりのコンサートが終わったら、あんちゃんたちは実質引退するしかねぇってことなんだよ」
 時計の秒針が、静かに時を刻んでいる。
「つまり、あんちゃんたちのスポンサーについたこの会社も、同様にテレビから干されるってことなんだよ」
「…………」
「わかるだろ、俺がいいたいことが」
 鏑谷は席を立つ。もう何を話しても、ただ時間の無駄のような気がした。自分にではなく、この性急に今を生きようとしている若者たちにとって。
「僕は、そうは思いません」
 背後から、静かな、けれど強い声がした。
「ミラクルマンに代えなんてないから」
 柏葉将。
「例えテレビが締め出しても、視聴者がそれを待っています。あなたが創ったミラクルマンは、テレビに依存しなきゃダメなものじゃないはずだ、そんな規制品じゃないはずだ、それと同じでストームも」
 澄みきって輝く瞳。
 こんな目をしていたことが、かつて自分にもあったのだろうか。
 光だ。
 鏑谷はふいに、中庭で見た情景を思い出している。
 光、光の結晶が煌めいている。
「絶対に代わりなんていないんです。僕は、そう信じています」



                  19


「ごめんな、みんな」
 暗く陰る車内、最初に口を開いたのは助手席に座っていた聡だった。
「なにがだよ」
 将は、苦笑してその肩を叩く。
 ラジオの音だけが流れる車内。馴れない他人の車の運転は、少しばかり緊張した。
 帰りの道中、ずっと目を閉じていた聡が、実はまんじりともしていないことを、将はよく知っている。
「ギャラリーつきで、初めてリハができたんだ。反応も判ったしラッキーだったじゃないか」
「……うん」
 うかない顔で、頷く聡。
「気にすんなよ。鏑谷の会長さんだって、本音じゃ聡が可愛いんだ。それがわかっただけでも俺はよかったと思ってるよ」
 後部座席では、疲れ果てた雅之が、これは本当に熟睡の寝息をたてている。
 憂也はその肩に寄りかかり、目は閉じてはいるが、多分まだ起きている。
 りょうは一人、IPODを耳に、指でリズムを取っていた。
「ここなんだよなぁ」
 ふいに呟いたりょうが、そのイヤフォンを引き抜き、前に身を乗り出してきた。
「将君、ちょっとここ、あわせてみてくんねーかな」
「えー?」
「ほら、次のフレーズ」
 将の耳に、背後からイヤフォンがさしこまれる。
「ばかっ、運転中にそんな器用な真似ができるかよ」
 丁度車が交差点に入る。りょうが一人で歌い出した。
「伝えたい言葉は、 宝箱に仕舞い込んで」
「りょうって、意外にオンチだよな」
 遮ったのは、目を閉じたままの憂也だった。そして間髪いれず、見事な音程で同じフレーズを歌ってみせる。
 一瞬むっとした風のりょうだったが、素直にもう一度、同じ個所を繰り返した。
「だめだめ、仕舞い込んでのとこは半音下げるんだよ、でないと綺麗にハモれないだろ」
「悪いけど、もっかい」
「雅も、こんくらい熱心だったらいいんだけどさ」
 肩をすくめ、それでももう一度歌う憂也。
 歌の鬼門は、りょうと、それから雅之だな。ハンドルを切りながら、将は思わず苦笑している。
 りょうは音を外しまくるし、高音がふらふらと頼りない。雅之は、音自体は綺麗に取れているものの、音楽や周囲とあわせるのが苦手なのか、気がつけばいつも独唱状態。
 将にしても後半、声質ががくっと落ちる。だみ声になって、歌詞が飛んだり滑ったりする。自分でも判っている、喉が弱い、疲労が一番声にくるタイプだ。
 憂也は、りょうほどではないが、高音がこれまた極めて不安定。高い音域がどうしても音符どおりに出ないらしい。
 非の打ちどころがないのは、ただ一人、聡だ。
 ただし聡は同時に、ダンスでも抜きんでた実力を持っていて、歌のためにその踊りを抑えることに、内心かなりの抵抗を持っているようだった。
 なんにしろ、歌に関しては、五人ともまだまだこれからだ。完成までには果てしない思考錯誤を繰り返さなくてはならないだろう。しかも期限はたったの二か月。
「スポンサーのことは、もういいよ。ここらで頭、切り替えよう」
 マンションの駐車場はすぐそばだ。将は、背後を確認しながらそう言った。
「まだまだ考えなきゃならないことも、やんなきゃならないことも沢山あるんだ。聡、お前、振り付け全部組み直すんだろ」
「うん」
 控え目に微笑して、聡が頷く。
「憂也は編曲。歌と踊りのめりはりつくようにさ、全曲コンサートバージョンで作りなおしてみてくんねぇかな」
「ラジャー」
 びしっとおどけて敬礼をする憂也。
「今回のドームはさ、何も俺らだけで作っていくわけじゃねぇんだ。前と違って事務所が全面的に助けてくれる。俺らはステージだけに専念してさ、コンサートスタッフのことは、唐沢さんや、イタちゃん、逢坂君に任せようぜ」
「……ま、そだな」
 ようやく、納得した……というより、自分を納得させるように聡が頷く。
 強張った頬に浮かんだ笑みを見て、将もまた、そっと安堵の息をついていた。
「つか、腹、へったろ」
 車を所定の位置に止めながら、将は背後を振り返る。
「俺コンビニで金下ろしたいんだ。ついでになんか買ってきて作るからさ、みんなは先戻ってろよ」
「いいの?将君」
「だったらどっか食いにいこうよ」
 首を振り、将は車のロックを外した。
「いいって、雅ももうぐだぐだだし、外の方が面倒だ」
 それじゃあと、憂也が寝ぼけた雅之を引きずりだして引っ張っていく。去り際に、りょうだけがちらりと視線を向けたが、そのまま背を向けてエントランスに消えていった。
 多分、見抜いてるんだろう。
「………………」
 一人になった将は、しばらく無言で、ウインドウ越しの夜の暗さを見つめていた。
 ごめんな。
 ごめんな、みんな。
 謝らなきゃいけないのは、聡じゃなくて、俺なのに。
 一体いつまで、どこまで俺は、みんなを苦しめれば気がすむんだろう。
 いつまで、この苦しみは続いて、それはいつか、本当に許される時がくるんだろうか……。 
 目をすがめ、軽く唇を噛んでから、ポケットに収めたままの名刺を取り出す。
 名刺にまでミラクルマンのイラストが施されている。どこか可笑しいような寂しいような不思議な気持ちで、将は紙面の隅を指でこすった。
「………………」
 携帯電話を持ち上げる。
 手のひらで、冷たい機械が震えたのはその時だった。
―――えっ。
 着信画面に浮かんだ文字。え、なんで?将は意味もなく周囲を見回す。こんな時間に、向こうからかけてきたことあったっけ。
 手を繋いで歩いたのは昨日の夜だ。いいムードといえばいいムードだった。まさか、まさかと思うけど。
「よっ、今、よかった?」
 聞こえてきたのは、拍子抜けするほど気楽な声だった。
 一体今、どこで何をしているのか真咲しずく。
「いっけど、なんだよ」
 逆に将は緊張して、その緊張を隠そうと、妙なほどぶっきらぼうな口調になっている。
「実はさ、ホテル暮らしも退屈になってきちゃったから、ゲーム買ったんだよね」
「ふーん」
 それで?
「ニンセンドーの新機種、今、すっごい流行ってるやつ。ソフトは……なんだっけ。なんでもいいから店員さんに適当に選んでもらったんだけど、それがまた面白そうで」
 延々と続くゲームソフトの説明を聞きながら、将は少しだけ苛立っている。
「……で?」
 つか、なんの話だよ。
「あ、そだそだ、それで早速やろうと思ってね。アダプターとかも全部揃えて、ちゃんと説明書見て繋げたの。なのにね、聞いてる?」
「聞いてるよ」
「何回スイッチいれてもテレビにうつんないの。何でだと思う?」
「……………………」
 一瞬、唖然と口を開けてから、将は我にかえっていた。ふ ざ け ん な。
「知るかよ!なんだってそんなことで、いちいち俺に電話してくるんだよ」
 わずかでも期待した俺がバカだった。そうだ、忘れていた。こいつにとっては昨日は昨日、今日は今日。
「な、なによ、何ソッコーで切れてんのよ」
「切れてねぇよ」
「切れてるわよ、いいわよ、君に電話するんじゃなかった。他の人に聞くからいい」
「ああそうしろよ、そうしてください」
「ええそうします。あ、そうだ、アキラ君に電話しちゃおーっと、ゲームのことなら、君より何百倍も詳しいしね」
 アキラ?
 晃……御影亮。
「おい」
「なによ」
「…………ちゃんとコード繋いでんのかよ」
「うん、繋いだ」
「赤と白と黄色のプラグ、色あわせて差し込んでんだろうな」
「間違いない」
「チャンネルの切り替えは」
「やりました」
「…………」
 将は唇に指をあてた。
 わかんねぇな。なんだろう。多分、何か根本的なことを、思いっきり間違えてるんだろうけど。
「行くよ、今から」
「えっ、いいよ」
「行くって、見てみなきゃわかんねぇだろ」
「本当にいいって。わかんなかったら、最悪ホテルの人に聞くから」
 ホテルの人って。
 そいつが男だったら、まだ俺の方がマシじゃねぇか。
「行く」
「いい」
「行く!」
「いい!」
 将がさらに語気を強めようとした時だった。
「あれ?ちょっと待って?」
 ごとん、ずしんという物音と共に、砂が勢いよく流れるような雑音。それから、チラリンと、今の状況で、むかつくとしか言いようのないゲームの効果音が聞こえた。
「できた!」
「そりゃよかったな」
「ごめんごめん、コンセントが根元から外れてみたいでさ」
「よくあることだよ」
「怒ってない?」
「俺?全然」
「…………なんか寒気してきちゃった。じゃ、ありがと、忙しいのにごめんねー」
 プツリ、ツーツー。
「……………………」
 なんなんだよ、一体。
 なんなんだ、こんな時間に、一体なんの嫌がらせだ。
 しかも、いい年した大人の女が、なんつー、しょーもないことで。
「ばっかじゃね?」
 それでも携帯を閉じ、将はそのまま笑っていた。
 そして、ようやく落ち着いた気分で、月の輝く空を見上げていた。







                

 

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