15


「将君、ものすごい緊張してない?」
「してねぇよ」
 といいつつ、足は確かにぶるっていた。
 マンションを出て一時間、聡が運転する車を降りた時、初めて四人は、聡の目的地がここだと知った。
 東京郊外にある鏑谷プロダクション。
 撮影所を兼ねた広い敷地、長々と連なる建物からは、今は静けさしか漂ってこない。足元には枯れた芝生が広がっている。
 今年の初夏、そういえばここで焼肉パーティをした。セイバーも打ち切られ、当時のスタッフは散会したと聞いている。機材やガラクタが積み上げられているそこに、初夏の頃の片鱗はもう何も残っていない。
「すみません、会長にお会いしたいんですが」
 エントランスを入ってすぐの受付。五人を代表して受付に立ったのは聡だった。
「約束はおありですか」
「いえ……あの、J&Mの東條聡と伝えていただけますか」
 将はそこでも目を剥いていた。中に入るのは初めてだが、受付嬢が、初代ミラクルマンの地球防衛軍の制服を着ている。
「将君、何かさっきから浮き足だってねー?」
 そんな将を見て、いぶかしげな目でりょう。
「ぜんっぜん、怖いほど冷静だよ」
 とは言ったものの、確かに将の目は泳いでいた。
 とにかく子供時代、好きで好きでたまらなかったミラクルマンシリーズである。
 クールな将としては、決して表に出したい感情ではないが、実際、今の自分の立場も忘れて、受付横の等身大初代ミラクルマンの前で、写メでも撮りたい衝動にかられている。
 なのに、その大好きなシリーズの創立者の前で、これから五人は、おそらく罵倒されるか笑い飛ばされるしかないことを口に出そうとしているのだ。恥知らずとしか言いようがないことを。
 将も辛いと思ったが、ここで人間関係を構築し、公私に渡って世話になってきた聡はなおさらだろう。
「あ……あのう、今、受付に、J&Mの東條様が、……ええ、あの東條聡様です」
 受付嬢の声にも、戸惑いがあるのがよく判る。
 聡は無言で目を伏せている。
 いっそ穴でもあれば入りたいだろうに、それでも聡は、ここに来ることを選んだのだ。
「身体売るって……どういう意味だろ」
 雅之が、不安そうにつぶやいて将を振り返った。
「ここで働くって意味じゃねぇかな」
 首をめぐらせて憂也。
「ま、あとは聡に任せようぜ」
 将にも、今はそれしか言えない。
 不揃いながらも、全員リクルートみたいなスーツを着ている。軽口を叩く憂也も、そんな余裕さえない雅之も、無表情のりょうも、多分今、全員が胃が痛いほど緊張している。
「あの……申し訳ありませんが」
 電話を切った受付嬢が、本当に申し訳なさそうな目で顔をあげた。
「会長は、今日は一日不在だそうです、おそれいりますが、次回はアポをとってからおいでください」



               16


「てゆっか、普通アポくらいとるだろ」
「全然ぬけてんじゃねぇか、聡君」
「もんのすげー、時間の無駄」
「社会人としての常識だろ」
「ご……ごめん」
 枯草の上、うなだれる聡に浴びせられる、容赦ない言葉の数々。
 秋晴れの正午、日差しが燦々と照りつけている。昼時なのか、どこかからカレーにも似た胃を衝く匂いが漂ってきた。無論、弁当を持参している者など誰もいない。
「どうすんだ、これから」
「出なおすしかねぇだろ」
「聡、電話番号くらい控えてんだろうな」
 うん……と曖昧に頷き、聡は青空の下に広がる建物を見あげた。
「……俺、少し、ここで待ってみるよ」
 懐かしい光景。正直言えばもう二度と、来られないと思っていた場所。
 あの横長二階建の建物は撮影スタジオ。窓が閉め切ってあるから、今はきっと使われていないんだろう。
 エヴァ鈴木などの特撮スタッフ、脚本の神田川、オタク監督古木庭は、今はどうしているのだろう。それぞれが、別の仕事で頑張っているのだろうか。
「待つっても、今夜は戻らないかもしれないんだろ」
 将に、頭をはたかれる。
 聡は微笑して、その顔を仰ぎみた。
「わかんないけど、もう少し」
 もう少しだけ、ここにいたい。
 もう二度と足を踏み入れることがないと思っていた、聡にとっては全ての思い出が詰まった場所に。
「みんなは東京に仕事もあるし、コンサートの打ち合わせもある。先に帰ってもらっていいよ。車、将君に頼んでいいかな」
「……いっけど」
 投げたキーを、将が片手でつかみ取る。
「俺は電車で帰るから大丈夫。よく電車使ってたんだ、イタちゃん忙しくてまわんない時とか」
 立ったままの四人が、互いの顔を見合わせている。
 聡は寝ころんで、目を閉じた。
 頬を撫でる風が気持ちいい。
「んじゃ、腹もへったし、いったん戻るか」
「あんま、遅くなんねー内に戻ってこいよ」
 憂也と雅之の声がする。
「聡君、なんかあったら電話しろよ」
「んじゃな」
 りょうと将。
 話声と足音が、同時に遠ざかっていく。
 昔から、こんなだったかな。
 少しくすぐったいような気持ちで、聡は目を閉じて思い出す。
 憂也と雅之、将とりょう。ストームには定番みたいなカップルが最初からあって、こういう時、たいてい聡が一人きりで残される。
 なのに、不思議なくらい寂しさみたいなものは何もなくて、むしろ仲がよすぎる故に感情がもつれ合う仲間を見るにつけ、ああ、俺がしっかりしなきゃな、とか、そんな意味のないプレッシャーを感じたりもしていた。
 今は……すごく安心して、去っていく四人を見ていられる。
 なんで五人だったのかな。
 ずっと思っていたことだった。なんで五人で、なんでその中に、俺なんかが混じってたのかな、と。
 でも、今なら判る。
 五人だからこそ、ここまでこれた。一人でも欠けたら、今の最高のストームは、この世界のどこにも存在していなかった。
 それがりょうでも、雅之でも、憂也でも将でも。
 自分でも。
 それを、胸を張って言える自分が何よりも誇らしい。
 なんでも、できるよ……俺。
 ネクタイが風ではためく。
 聡はそれを抜きとってポケットに収めた。
 なんでもできる、五人の場所を守るためなら何でも。
 まだ、乗り越える壁はあまりに厚くて高いけど、絶対に超えていける。  2005年最後の日。その先に待っている世界に。
 感慨など無視して、ふいに腹が生理機能を訴えた。
 聡は閉口して眉をしかめた。
 そういや、朝、あんま食べられなかったっけ。おかしいや、緊張してるはずなのに、今頃腹が減ってきた。
「海老マヨと紅しゃけ、どっちがいい」
「えっ」
 いきなりの声。
 ぎょとして跳ね起きる。
「どっち」
 しゃがみこんで、猫みたいな目でじっと見下ろしている憂也。
「……海老」
「ほい」
 うっかり答えてしまった聡に、コンビニおにぎりが手渡される。
「肉まんとピザまん、どっちがいい」
 憂也が去って、今度は雅之。
「……肉」
「ほい」
 投げられたのは、少し冷めた紙袋。
「がんもと丸てん、どっちがいい」
 りょう…………おでんかよ。
 聡の前に、がんもが皿ごと置かれる。
「ウーロンと総健美、どっちだよ」
「……苦くない方」
 将君。
 てゆっか。
 てゆっか、なんで。
「結構広いだろ、ここ」
 聡の隣に腰をおろしながら、将がサンドイッチの袋を開いた。
「せっかくだからリハやろうぜ。ステージ分の広さくらい、使わせてもらってもバチあたんねぇだろ」
「てゆっか、どうすんのさ、聡君が一人でいる時に会長さんが戻ってきたら」
 背後から、憂也が軽く蹴りを入れる。
「俺らだって、自分が売られる時の条件くらい聞いときたいよな」
 雅之。
「そう、誰が一番高く売れるか確認したい」
 気まじめな目でりょう。
 いや……そっちかよ!
 なんだよ。
 もどってくるなら、最初から言えよ。
 こんなしょーもないことで、妙に涙腺が緩む自分が恥ずかしくて、聡はあわててペットボトルを口に含む。
 本当に――本当に最高の連中。最高の仲間。
 その中の一人に、自分が入っているというめぐり逢い奇跡。
 結局は芝生の上、思い思いの場所に陣をとって、即席の遠足みたいになってしまった。食事もそこそこで、話はすぐにコンサートのことに飛ぶ。
「とにかく、前半は固めたからさ、この流れで通してみようぜ」
「聡君の新振り付けも試してみたいし」
「アカペラで通してみるのも、いい練習になるんじゃないかな」
「えっ、将君、サンドイッチをどうやって箸で??」
「その意味のない器用さ、少しは恋愛にいかしてみろよ」
「…………憂也、てめぇ」
 おかしいや。
「聡、てめぇも何笑ってんだよ!」
 だって。
 だって、おかしくて。
 こんな泣けるくらい笑ったのって、マジでどのくらいぶりだろう。
 神様がいたら、聞いてみたいよ。
 こんな夢みたいな時間が、あとどれくらい俺らに残されているのかな。
 神様がいたら、お願いしたい。
 こんな夢みたいな時間が、ずっとずっと続きますように。



                17


「なんだ、あの人だかりは」
 中庭に、やたらと人が集まっている。
 制服からして社員のようだ。勤務時間外だが、一体何の騒ぎだろう。
「撮影でしょうか、そんな予定は入ってないんですが」
 車のドアを開けながら、秘書が慌てて携帯を耳に当てる。
 その確認を待つまでもなく、鏑谷創は車を降りて歩き出していた。
「あ、会長」
 午前中に来訪した客のことなら、秘書室からの連絡を受けて知っていた。
 ジャパンテレビと長年にわたり、密接な関係を続けてきた鏑矢プロにしても、東邦プロの敵対的買収は決して他人事ではない。ストームとの接触には注意しろ、とは、今日もジャパンテレビの役員筋から受けた警告でもあった。
 鏑谷に詳しい事情は判らないまでも、底に流れている気配のようなものは読み取れた。どうも、一部ジャパンテレビの上層部に、旧J&Mつまりストームを使って、東邦のスキャンダルを暴きたいという意図があるらしい。
 輪になった連中の頭越しに、どこか間の抜けたアカペラの歌声が聞こえてくる。一人じゃない、数人の男の声。
―――なんつー、下手な歌だ。
 鏑谷は眉をしかめる。
 そろってないどころか、キーが思いっきり外れている。
 けれど、聴き違いでなかったら、この曲は、
「すごーい、さっきより随分いいね」
「柏葉君って生が全然かっこいい、私、ファンになっちゃった」
 人垣の中の女子社員が騒いでいる。
 鏑谷は、その隙間を縫うようにして前に出た。
「ほう」
 思わず、声が零れていた。
 一メートル程度の幅をあけて、五人の青年が横一列に並んでいる。全員が黒っぽいパンツに長そでのシャツ姿。ネクタイをつけているのは髪が長い青年一人で、それは鏑谷の記憶では、片瀬りょうというタレントのはずだった。
 身体を回転させるたびに、五人の髪から汗の飛沫が舞い散っている。
 舞降りて、ターン、そして再び身体をひねるようにしてターン。
 それは、束の間舞い上がる、何かの光の結晶のように見えた。
 鏑谷は思わず目をすがめる。


 人は一人、だけど、一人じゃ生きられない
 君がそれに気づけば、世界はもっと優しく見える



 歌。
 鏑谷の記憶では、ここは綺麗なハーモニーだが、今のは、力強さはあっても、音程としてはみじめなほどバラバラだ。しかし、不思議と聞き苦しくないのはなぜだろう。
 一人を残し、全員がステップを踏みながら背後に回る。残った一人が両手を前に突き出すようにして歌い出す。
 柏葉将。
 今日、ジャパンテレビで一番警戒するように警告された要注意人物。


「この世界の全て、今は儚く遠く見えても、
 君がいるだけで何かが変わる、変えていく
 かけがえのない光放つ僕ら、
 愛されて強くなる僕ら、
 代わりなんてどこにもない命、
 君を愛する確かな力」

 

「きゃーっっ」
「もう、超かっこいいーっ」
 歓声がいたるところから上がっている。
 野次馬を決め込んでいるのは女子社員だけではない。仏頂面の男性社員も、腕組しながら見つめている。その表情にも「へぇ」という意外な感嘆の色が見て取れる。


 you are hero
 奇跡を起こそう
 この胸に眠る光を解き放って


 見事な高音のソロパート。
 鏑谷は思わず苦笑してる。
 あんちゃん、歌が上手いってのは冗談じゃなかったのか。
 アイドルの唄なんて、全部調整済みの音響装置だと思ってたけどな。


 小さな声が、やがて時の風になる
 気づいて
 1人の輝きが世界の光
 そう、君こそが本当のヒーローだから



 全員でしめて、踊りながら外側に向いた円形になり、静かに胸に手を当てて、――楽曲終了。


 鳴りやまぬ拍手と歓声に、ようやく我にかえった五人が、戸惑ったように周囲に頭を下げている。
 一体いつから、ここでこんな真似をしていたのだろう。
 秘書から電話があったのが昼前で――今が七時、まさかと思うが、それからずっと、ここにいたのだろうか。
 全員が肩を上下させ、苦しげに息を喘がせている。
 額から滴る汗と、濡れた髪に張り付いたシャツ。
 アイドルらしくない妙にかっちりしたリクルートパンツ、全員裾は汚れ、折など綺麗に取れてしまっている。
「よかったぞ、東條君」
「コンサート、ガンバレよ!」
「柏葉さーん、がんばってーっ」
「応援してるからな!」
 東條聡が、五人の中心に立って頭を必死に下げている。
「すいません、本当にすいません」
 声は聞き取れないが、何度も何度もそう言っているように見える。
 その視線が、ふと止まる。
「…………」
 俺に、そういや用だったな。
 鏑谷は目もとの笑みを消し、無表情で、ここを逃げるように去って行った元主演男優を見る。
 伝統あるミラクルマンの歴史に、唯一取り返しのつかない泥を塗った男の顔を。
 東條聡は、目をそらさずに、翳りを帯びた目で一礼した。
 その不思議なほど落ち着いた眼差しに、逆に鏑谷が何も言えなくなっていた。









                

 

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