20



「よう、遅いぞ」
 先に扉を開けたのは聡だった。その脚が止まる。背中に雅之がぶつかった。
 雅之の背後にいた将は、その肩先に見える人の姿がまだ信じられないでいた。
 九石ビル三階。
 目を見張るほど窮屈だが、J&M事務所である。
「遅かったな、何をしていた、十時集合だといったろう」
 立ち上がり、仏頂面で眉を寄せたのは唐沢直人。
「す、すいません、道路が混んでて」
 呆然と呟いた聡を、唐沢の背後でふんぞりかえったまま腕組している老人が遮った。
「社長さんよ、全員、並ばせてくんねぇか」
 鏑谷会長。
 よれよれに朽ちた灰色のつなぎを着て、頭にはつば付きの四角い帽子をかぶっている。とてもじゃないが、日本で一番有名なキャラクターを作った人には思えない。
 その鏑谷の隣には、眼鏡をかけた色白の男が立っている。輪郭は無骨、が、眼鼻立ちは女性的な優男。長身で、日本人離れした長い手足がひどく目につく。同行した秘書なのか、こちらは、絵に描いたようなかっちりとしたスーツ姿だ。
 戸惑う五人は、鏑谷の前に一列に並ばされる。
 今日は、唐沢が契約したというプロの演出家に引き合わされる予定だった。その名前さえ知らされないまま、ひとまず全員が、事務所に呼びつけられたのである。
―――なんだろう……。
 将は不審を感じたまま、五人の一番端に立つ。
「ポーズ決めてた方がいいのかな」
「いや、それはいいんじゃねー?」
 憂也と雅之。
 指を顎にあてた鏑谷は、まるで値踏みでもするような眼差しで、五人を一人一人、足元から頭まで見上げている。
 正直言えば、しゃれになってないと将は思った。このまま、五人がそれぞれ値段をつけられて、どこかに売り飛ばされてしまいそうだ。
 老人の少し濁ったビー玉みたいな目が、じろりと将に定められた。ドキッとした時だった。
「赤レンジャー」
 えっ?
 驚く将をスルーして、鏑谷の視線は隣立つりょうに移る。
「青レンジャー」
「…………?」
 固まるりょうをスルーして、次は雅之。
「桃レンジャー」
「えっっ?」
 何か大慌てで口をぱくぱくさせたり、りょうを指さす雅之を無視して、次は憂也。
「お前さんは緑だな」
「………微妙」
 憂也は、本当に微妙な表情で眉をしかめた。
 鏑谷の眼差しが、最後に、まるで成長した孫でも見るような優しさで、残る一人にあてられる。
「あんちゃんは、やっぱり黄レンジャーだなぁ」
 聡が、何か言おうとして口を開こうとしたのが判った。その横顔が、みるみるくしゃくしゃに崩れていく。
「あらためて紹介しよう」
 軽く咳ばらいして、唐沢が鏑谷の前に立った。
「こちらは、株式会社鏑谷プロの会長さんだ、こちらは企画開発部長の、カン・ヨンジュ氏」
「はじめまして」
 優男は、白い歯を見せて会釈した。ああ、アジアの人なんだ、と将は自身が感じた初見の違和感に納得する。カンと呼ばれたアジアンビューティーは、にこやかに唐沢を振り返った。
「商品化に関しては、今、会長が仰られたコンセプトでいこうと思います。それでよろしいですか、唐沢さん」
 流暢な日本語だった。
 商品化?
 五人がそれぞれ顔を見合わせる。
「お任せします」
 唐沢は簡単に答え、その五人を振り返る。そしてわずかな間を置いて口を開いた。
「本日、」
 ごくり、と将の隣に立つ雅之が唾を飲み込むのが判った。
 ある予感で、将もまた息苦しいほどだった。
 しかし唐沢は、そっけないほど事務的な口調でその続きを口にする。
「鏑谷プロさんと我社の業務提携が正式に決定した。商品販売部門での提携で、その部門に関してはほぼ全面的に鏑谷さんサイドにお任せすることになる。ストームをキャラクター化した塩ビ人形、各種グッズの制作、販売を、いずれ鏑谷プロの作品に使用する前提で、お願いすることになるだろう」
「ぇ……えっ、ええ」
 息が詰まるような沈黙の後、素っ頓狂な声をあげたのは雅之。
 混乱しながら、将はその意味を考える。ってことは、俺らの人形がミラクルマンとかに混じって売られるってことだろうか。で、それが作品化?そんなことが本当にあり得るんだろうか。
「どんな製品にするかは、これから急ピッチで企画を詰めていくが、ディフオルメされたキャラクターの版権は、全て鏑谷プロの所有物となる。そういう意味で、お前らの一部は、もうこちら様のものだと思ってくれ、ただし」
 言葉を切る。
 どこか厳しかった唐沢の目から、硬質の膜がふいに取れたような気がした。
「同時に、鏑谷プロさんは、年末のコンサートのスポンサーにもなってくださった。商品化されたキャラクターが本当に使われるかどうかは、コンサートの成功如何になるそうだ」
 その意味が。
 時をとめたように口を開け、目を見開く一人一人の胸に、沁みるように浸透していく。
「…………」
 決まった。
 決まった、どうしても欲しくて、そして絶対に不可能だと思っていたスポンサーが。
「……会長」
 聡はもう、涙で言葉が出てこない。 
 唐沢直人と鏑谷会長。
 かつてセイバーの楽曲使用を巡り、真っこうから対立していた二人は、顔を見合わせて苦笑している。
 唐沢が、歯を食いしばったまま泣き続ける聡の肩を叩いた。
「鏑谷プロの取締役会議では、意見が真っ二つに割れたそうだ。これは鏑谷会長の、自身の首をかけた賭けのような決断だと思ってくれ」
「おおげさに言うない」
 ますます苦い笑いを浮かべて鏑谷。
「いえ、決して大げさではありません。実際、一部の役員は、辞表まで叩きつけて反対したのですから」
 口をはさんだのは、カンと紹介されたアジア人だった。
 鏑谷は笑いながら肩をすくめたが、その言葉が決して誇張ではないことは、誰でも察しがつくことだった。
 カンは、痛いほどまっすぐな目で将を見下ろした。
 その視線の鋭さが、取締役会で何が一番争点となったのかを、何より雄弁に示している。
「正直に言えば、私も最初は反対でした。我社も所詮はメディアに依存しなければ生きられない、その向こうに控えている大衆にそっぽを向かれたら、成り立たない商売だからです」
 将を捕らえた目が、険しくすがまる。それは、あたかもボスの選択眼の良否をテストしているかのようだった。
 が、ふいにカンは、張りつめた紙が破れるように相好を崩した。
「けれど、同時に昨夜、我々はこうも気付きました。私たちが売っているのは夢なのです、子供の心を輝かせる正義なのです」
 クールな外見に似合わず、その口調は柔らかな熱を帯びていた。
「今回の正義はどこにあるのか、子供たちに夢を与えるには何が最善なのか、その判断を、今までのようにメディアや大衆にゆだねるのではなく、我々自身の判断でリードしていこうと、最後は会長のその言葉で、全員が納得しました」
「ストームは正義の味方だ、そうだろ?」
 帽子をかぶり直し、鏑谷は立ち上がった。
「それを、コンサートできっちり証明できるはずだっていってやったのさ。そうだろう、赤のあんちゃん」
 将にも、もう言葉が出ない。
「正義ってのはなぁ」
 鏑谷は続けた。
 正義。
「テレビで調子のいいことしか言わねぇおえら方や、ネットでぎゃんぎゃんわめいてる卑怯者が決めることじゃねぇんだよ、ここだ、ここ!」
 老人は痩せた腕で胸を叩く。
「おのれのハートで決めるもんでい!」
 将は無言で頭を下げた。唇が震えた。出ない声のかわりに、雅之が、憂也が、りょうが、振り絞るような声で礼を言うのが聞こえた。
「鏑谷会長」
 ようやく、かすれた声で将は言った。
「ご存じかと思いますが、僕は」
「神様ってのは、絶対にいるんだ」
 鏑谷がそれを遮る。
「世の中のためになることをしてる奴らを、神様ってのは絶対にどっかで見てて、絶対に助けてくれるもんなんだ。おらぁ、長年子供相手の商売を損得抜きでやってきた、だから判る。それは希望でもなんでもねぇ、絶対に確かなことだ」
 将はうつむいたままで頷いた。
 判っているのは、絶対にこの人に迷惑をかけてはいけないし、その信頼を裏切ってはいけないということだった。
「じゃあな、後の話は、カンさんとつけてくれ」
 小さな背中が、事務所の扉を押しあけて消えていく。
 将は深く頭を下げた。
 老人が下した決断が、鏑谷プロにとって、自身の屋台骨を崩しかねない危険なものだということは、判っている。いまさらながら、それを承知でスポンサー提携を依頼した自分が、とんでもなく残酷な悪党に思えてくる。
 聡は――聡もまた、何もかも覚悟の上で、一番頼んではいけない相手に、あえて依頼する道を選んだのだ――。
 そしてこれから、その棘より険しい危険な道に、もう一人、大切な人を巻き込もうとしている。 
 


                  21



 無言で企画書に目を落とす男の眼差しは、最初と同じで、どこか温もりに欠けたものだった。
 一言も発せず、表情さえ動かさないまま、ただ室内には紙面をめくる音だけが響いている。
 最後の一枚をめくり終えても、男の表情に期待していたような変化は現れなかった。
 ダメかもしれない。
 将は黙ったまま、対面に座る前原大成の顔を見る。
 株式会社、レインボウ。
 席の座る前原の背後には、副社長の山田一志、顔馴染みのスタッフ数人が、沈鬱な表情で控えていた。
 将の背後に立つ、聡、雅之、りょう、憂也も何も言わない。
 自分たちがしようとしていることの重みを、鏑谷プロの決断で思い知らされたメンバーは、それこそ重たい覚悟を決めて、今、この場に立っている。
 ページをめくり終えた前原の指は動かない。眼差しも、机の一点を見据えたまま微動だにしない。
「無理は……本当に、承知してます」
 将は言った。
「断られても、仕方のないことだとも、思っています」
 もともと「資金を用意できたら」という条件が、「スポンサーがついたら」に変化した。それ自体が、前原の婉曲な逃げだったとしても無理はないし、仕方がない。
 一企業のオーナーとしては、そう選択するのが間違いなくベターだと、将でさえ思うからだ。
 上場企業である鏑谷プロとは違う。
 日本にひとつしか存在しない商品を持つ鏑谷プロとは、そもそも基盤の強さからして違うのだ。
 前原率いる音響会社「レインボウ」は、ストームを抹殺しようとしている音楽協会の、その末端にしがみついて生きているといっても過言ではないからだ。
 協会を敵に回せば、当然、大きな仕事は確実に入らなくなる。
 仮にコンサートが成功しても、失敗しても、失うものがあまりにも大きすぎる。
「それでも俺たちは、どうしても前原さんにやってほしい、前原さんに助けて欲しい……前原さん以外の人は、どうしても、どうしても考えられなくて」
 本当はもっと、気のきいたことを言うつもりだった。なのに、感情がこみあげ、将も言葉が出てこなくなる。
 うつむいたままの、前原の表情が影に覆われる。
「そう思って、ずうずうしくやってきました」
 沈黙。
 誰も、何も言わない数分が、待っている将には永遠のように長い時間が過ぎていく。
「……柏葉君」
 静かな声がした。
 将は顔をあげる。前原も顔を上げていた。
 その子供のような目が、水の中に沈んでいた。将が何か言う前に、涙がぼたぼたとデスクに落ちた。
「……うれしいんだ……君たちが……」
 ふりしぼるような声だった。
「こんなにも追い詰められた君たちが……それでも……それでも、ここに来てくれたことが」
 前原はたまりかねたように両手で目をこすった。潤んだ目から、それでも新しい涙が落ちた。
「それでも……僕を、必要としてくれたことが」
 前原さん。
 雅之はもう泣いている。聡も必死で歯を食いしばっている。
 将もまた、必死で拳を握りしめていた。
「うれしくて……仕方ないんだよ、俺は」
 手のひらで涙を払い、前原はたちあがった。
「やろう」
 迷いのない声だった。
「ストームの最後で始まりのコンサート、確かに俺が引き受けた」
 前原さん。
 差し出されたあたたかで無骨な手。
 まだ涙で泣きぬれている前原の手を将は握りしめ、そのまま肩を抱き寄せていた。
 背後から、耐えかねたように雅之、聡、りょうと憂也が飛びついてくる。
 前原は、男泣きに泣いている。
「前ちゃん」
「前原さん!」
「ばかやろう、お前らは本当にバカだ、バカな真似ばかりしやがって」
「本当に……すいませんでした」
 子供みたいに泣きながら雅之。
「前ちゃんは絶対戻ってくると思ってたよ」
 憂也の声も潤んでいる。
「俺が、じゃなくてレインボウが、と言ってくださいよ」
 背後から声がした。
 苦笑いを浮かべている、副社長山田の声。
「社長の覚悟は、夕べ聞きましたよ。会社辞めて一人でやるつもりなんでしょう。でも誰ひとり、納得しちゃいないですから」
 前原から体を離し、将は山田の顔を見る。
 名目だけは副社長だが、創業からずっと前原の傍にいる、真面目で忠実な現場スタッフの一人。
「もともとYAMADAの妨害受けながら、じり貧でやってきた会社じゃないっすか。その時の志もエネルギーも、負けん気も、僕らだってまだ持ってるんですよ、前原さん」
「山田……」
 前原が呟く、また始まった男泣きを、今度は雅之も憂也も、なだめる側に回っている。
 そろった。
 これで……本当にストームが揃った。
 ここまできた、ようやくここまで。
 将は無言で、その感動をかみしめる。
「柏葉君」
 山田の鋭い眼光が将に向けられた。
「わかっていると思うが、このステージ、絶対に失敗は許されない」
「判っています」
「今週中に進行表を仕上げる、君たちのプランは、一から全て見直させてもらう」
「よろしくお願いします」
「それから」
 山田の目が、少しだけ柔らかくなった。
「さきほどJ&Mさんから、もし引き受けてもらえる場合、スタッフを派遣してもいいかとの打診をもらっている。了解したのでよろしくお願いしますと伝えてください」
 スタッフ?
 将は眉をひそめている。
「……もしかして、浅葱悠介のことなら」
「違うよ、なんだ、聞いていなかったのか」
 将は背後を振り返る。全員がけげんな目をしている。
 前原が、赤い目をこすって前に出た。
 もうその目は、感慨を振り切って戦う男のものになっている。
「ステージの演出と振り付けを担当してもらうスタッフのことだ。明日にでも全員でミーティングをするから、君たちにも来てもらいたい。その二人の名前は、ウエムラさんとヤブキさんという」
 ウエムラ
 ヤブキ
「………………」
 植村?
 矢吹?
 将の頭には、その変換しか出てこないが。
 前原は、笑って肩をそびやかした。
「2人とも、元の事務所の大先輩で、ステージ経験も豊富な方だ。振り付けにしろ、演出にしろ、適格なアドバイスがもらえると思うぞ」
 植村直樹に、矢吹一哉。
 キャ、キャノンボーイズの。
「えーーーっっ」
「えーーーーっっ」
「う、嘘だろ」
「ありえないよ」
「ありかよ、本当にありかよ」
 混乱する五人を楽しそうに眺め、前原は自席についた。
「……正式発表は、十月末日、か」
 その目が、少し沈んだ優しさで将を捕らえる。
「色々あると思う……耐えるんだぞ、柏葉君」
「……わかってます」
 将は静かに頷いた。
 不思議な安堵が、将の心を満たしている。
 背後では、レインボウのスタッフたちと聡、雅之、りょう、憂也が興奮気味に再会の喜びを交わし合っている。
 それを微笑ましく見てから、将は、暗い夜空に視線を馳せる。
 まだまだ戦いはこれからだ、なのに、不思議な予感が将の未来を暗示しているような気がした。
 終わった……。
 これで、俺のできることは、全部終わった。








                

 

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