11



「全滅?」
「今日のとこは、全滅」
 互いに疲れた息を吐いて、黙り込む。
「へこむなよ、まだ二日目、そんな数だってこなしてないんだ」
 聡は軽く笑って、頑なに締めていたネクタイを緩めた。
「……そりゃ、あきらめてはないけどさ、なんつーの、このままじゃ噂だけが先行しちゃって」
 雅之はため息をつき、アイスコーヒーを一口飲む。
 午後十時のスターバックス。周辺はカップルや女性客でにぎわっている。
 えっ、ストームもう一回やるの?
 それ、テレビの企画か何か?
 頓挫しかけている舞台。新たなスポンサーを探すのに、どうしてもそこに触れないわけにはいかなった。でも。
「元々のストーム復帰計画が、事前におしゃかになりそうでさ、まぁ、今日も散々説教されたよ、甘いだの、子供だの、なめてるだの」
「説教してくれるのは、俺らのこと心配してくれてるからだよ」
「……わかってるけど」
 雅之は言い差して、嘆息する。
 個人的に話しができる知り合いがいて、今回の騒動でも助けの声は出さなかったものの、批判はしなかった企業を、いくつか回った。
 が、かすかな期待は、すぐに甘いものだったと思い知らされる。
「まぁ、確かに、ストーム復帰がまだ形にもなってないのに、俺らがそれ、宣伝して回ってもな」
 聡の口調も、わずかに翳った。
「そこは、声かける相手を選んだつもりだったけど……噂はいずれ広がるだろうし、結局はどこにも断られたし」
「…………」
 どん詰まり。
 まだ形にもならない復帰発表を待っていたら、継続か中止かぎりぎりの選択を強いられている聡の映画も、雅之の舞台も、取り返しのつかないことになる。
 待っている時間はない、残酷なほどに。
「まだ、事務所にも話してないしな」
「つか、もう噂は伝わってるだろ、舞台製作の人、事務所に違約金請求するって言ってたくらいだから」
「………………」
 しばらく無言だった聡は、あきらめたようにコーヒーを飲み干した。
「将君信じて、待つしかないよ、今は」
「わかってる」
 いったんアメリカに渡った憂也も、これからが正念場だ。
 キャスティングの白紙撤回が水嶋の脅しならいいのだが、もし、そうでなかったら――。
 日本中が期待していただけに、日本中の非難が、今度は憂也一人に集中するかもしれない。かつての将やりょうのように。
「あれ?メール」
 聡がふと、顔を上げた。
 まだ振動している携帯を、ポケットから取り出す。
「将君から?」
「違うみたい」
 携帯を開いた聡が、眉を寄せる。
「……なんだろ、これ?」
「え?」
 差し出された携帯。狭い画面には一行しか記されていなかった。

 株式会社スターダストプロジェクト

「…………?」
「知ってる?」
「いんや」
 互いに顔を見合わせて首を振る。
―――誰から?
 いたずらかな、そう思いながら、雅之は最後に記された差出人の名前を見る。
 白馬の騎士
 そこには、そう記されていた。
 


                 12


「元気だったか」
「……おかげさまで」
 ごく、自然に交わした会話。
 その一言で、将は、車椅子の人が記憶など失っておらず、のみならず将がそれを知っていることを、その人自身が認識していることを理解した。
「ひどくやられたみたいですね」
「たいした傷じゃない」
「相手は」
「知らん」
 秋の日差しが、穏やかに2人の頭上に降り注ぐ。
 目的の場所は、病院の裏手から、歩いて十分もかからない緩やかな丘地だった。
「この病院で、亡くなられたんですか」
「最期はな、生まれた町に戻りたいというから、転院させた」
 手すりに添えられた青白い指。
「……どうして、記憶がないなんて、そんなふりしてるんですか」
 将は、その指を見つめながら訊いた。
 唐沢の横顔が、しばらく黙る。
 青い空が稜線越しに見え始めたころ、ようやく答えが返ってきた。
「最初はな、本当に判らなかったんだ。……出血がひどくて、意識が戻る可能性も半々だったそうだ、目が覚めてしばらくは、自分が誰かさえも判らなかった、なんでこんな場所にいるかさえも判らなかった」
 ひどく静かな声だった。
「……しばらくして、夢のような現実のような、そんな不思議な記憶の断片が頭に浮かんでくるようなった」
 その声が、わずかに途切れる。
 こみあげてくる何かに、感情を囚われてしまったかのように。
「夢であればいいと、思った」
「…………」
「それだけだ」
「…………」
 無言のまま、将は車椅子を押す腕に力を入れる。
「同じことを、俺も拘留中、何度も何度も思いましたよ」
「そうだろうな」
「これは悪い夢だ、現実じゃない、目が覚めればきっといつもの生活が待っている」
「…………」
 当時のことを思い出し、将はわずかに苦笑した。
「そう思ってるうちが、実は一番辛かったっすけどね」
「…………」
 答えない唐沢の目が、わずかにすがまった気がした。
 見晴らしのいい丘を登りきると、遠景に、木立に囲まれた墓標の列が見えてくる。
「もう、戻んないすか、東京には」
「なんのために戻る」
 唐沢の返事は即座だった。
「財産の処分もした、迷惑をかけた各方面への賠償は、榊を通じて全て済ませている。もう、俺が東京に戻る理由は何もない」
「じゃ、ここで、ずっと下手な芝居続ける気なんですか」
「じゃあ、お前はどうする、東京に戻って何をする気だ」
 逆に、鋭く問い詰められる。
「世間にリベンジでもする気ならやめておけ、せっかく生き延びた命だ、お前の芸能人生は、まだ完全に終わっているわけじゃない」
「ストーム、もっかいやりますよ、俺」
「…………」
「つか、もっかい作りたいんです、J&M」
「…………」
「唐沢さんに、その社長になってもらうつもりでした」
「俺は無理だ」
 迷いのない返事。
 唐沢は自身の左腿を軽く叩いた。
「腱が切れている、二度と、まともには歩けないと言われた」
「むしろ、かっこいいと思うけどな、足引きずってる唐沢さんも」
「ダーティなイメージが強すぎる。俺を憎んでいる人は沢山いても、助けようとする輩はいない。逆に、お前らの足を引っ張るだけだ」
「…………」
「今まで俺は、そういう人とのつながりしか持てなかった……悪いが、お前らの力にはなれない」
「そうでもないと思うけどな」
「なぐさめなら不要だ」
「じゃなくてさ」
 だったら、俺、ここまで来てないと思うから。
「俺ら、……りょうはいないけど、俺ら全員、唐沢さんで行こうってことになったから」
「…………」
「唐沢さんが言うような関係しかなかったら、そんな風には思えないじゃないっすか、俺らだって」
 わずかに黙った唐沢が、かすかに息を吐くのが判った。
「これ以上、親父を苦しめたくない」
 親父。
 雨の中で、背をまるめたまま、泣き笑いを浮かべていた男。
「今まで、親父にはずっと心配ばかりかけてきた……意識が戻りかけの頃だったか、一晩中、俺の手を握って泣いているんだ」
「……………」
「許してくれ、すまなかった、多分、そんなことを言っていたような気がする」
 私がしずくさんに頼んだんです。
 この会社を潰してくれと、私が頼んだんです。
―――あの人は、多分。
 会社を潰したいっていうより、唐沢さんを楽にしてあげたかっただけなんだろうな。
 あの人にしてみれば、いくつになっても泣き虫で頼りない、子供のままの唐沢さんを。
「本音を言えば、俺の記憶が戻らないことで、一番ほっとしているのが、親父なんじゃないかと思う」
「…………」
 そうじゃないと思うけどな。
 が、それは将も、口には出せない。
「……お前には判らないだろうし、判って欲しいとも思わない」
 実際その口調は、将にこれ以上立ち入ることを拒否しているかのようだった。
「お前らと俺は違う。俺はな、他人を苦しめるためだけに、今まで生きてきたようなものなんだ」
 将が口を開きかけた時だった。
 笑うような明るい声が、前方の木陰から聞こえてきた。



                  13


 まだ、少し腫れてるな。
 将は、わずかに目をすがめ、灰色の墓標の前で手を合わせている女を見る。
「ごめんなさい、付き合ってもらって」
「いえ」
 女が立ち上がり、その隣に立つ男が苦笑する。
 唐沢省吾。そして真咲しずく。
 どうしてこのタイミングで、九石ケイではなくこの2人がいるのか、将にはまだ判らなかった。
 2人の位置は、ちょうど唐沢直人と将からは、大樹の影になっている。
「あれも喜んでいると思います。お嬢さんのことは、実の娘のように思っていましたから」
「どうしてかなぁ」
 しずくは、楽しそうにくすくすと笑った。
「唐沢のおじ様も、古尾谷もおじ様も、みんな私のことお嬢さんっていうの、嫌だなぁ、そういう呼ばれ方」
「……しずくさんは特別でしたから、私にとっても、平蔵にとっても」
「古尾谷のおじ様にも言われたわ、私はね、死んだパパよりもパパらしいんですって」
「そうです」
 男の目が、はじめて楽しそうになる。
「何かしてくれそうな目をしている。だからつい、僕らも頼るし、気おされてしまうんです」
 黒いワンピースにグレーのボレロ。
 しずくは笑って、スカートの裾を手で払った。
「でも、今度は、私が頼りたいんだけど、いい?」
「なんでしょう」
「直人君、しばらく私に預けてくれないかな」
「ぶほっ」
 と、吹き出したのは、無論その父の省吾ではない。木影に隠れている将である。
 ぎりぎりで喉で飲み込み、胸を叩いて堪えはしたが。
「私にじゃない、ストームのために、唐沢君、しばらく私に預けてください」
 しずくは、静かに頭を下げる。
 唐沢省吾の顔が目に見えて翳っていくのが、傍から見ている将にも判った。
「……無理でしょう」
「そこを、なんとか」
「話したはずです、あれは記憶が」
「またまた、冗談ばっかり!」
 急に笑顔をはじけさせたしずくが、その唐沢の父の背を叩いた。
「親子そろって、何面白いことやってんですか、判ってるんでしょ、おじ様だって」
 天真爛漫とも悪魔とも思える笑顔。
 どう反応していいか判らない風だった省吾の顔が、あきらめたように苦笑する。
「………もう少し」
 そのまま目を細くして、省吾は墓の前に膝をついた。
「もう少し、このままでいたかったんですがね……」
 その痩せた中年男の気持ちが痛いほど判り、将は思わず視線を下げていた。
 将には頭しか見えない唐沢直人の表情は判らない。
「どこにいたって、親子は親子じゃないですか」
 しずく。
「そうですか、やはりお嬢さんには、見抜かれていましたか」
 寂しそうな声で、男は呟く。
 将は、立ち聞きしているのが心苦しくなる。が、唐沢直人が何も言わないので、将も何も言うことはできなかった。
 そっか。
 わかってたんだ、親父さんも。
 俺が一発で判ったくらいだから、判んない方が不自然だとは思ったけど。
 もしかして2人とも判っていて、その上でぎこちない親子関係を、かろうじて保っていたのかもしれないな。
「もう少し、……あれに、償う時間がほしかったんです」
「子供に何を償う必要があるんですか」
「…………」
 うつむいた男の眉が悲しげに翳る。
「最近、思うようになりました、あれは、私にとっては罰なんです」
 罰。
 風が、しずくのスカートを揺らした。
「夢に、仕事に夢中になって、私は妻も直人ことも、ほとんど省みることがなかった。妻が病気になって、直人が私への恨みを募らせていると判っても、……それでも、あの時の私の関心ごとは、会社をどうしよう、それだけでした」
「…………」
「直人が色んな人を傷つけるたび、それは、私への神様が下さった罰だと思った……私が…………」
 男が、声を詰まらせる。
「直人を、あんな風に変えてしまった、私が……、私が」
「おじ様」
「せめて……私が、代わってやりたかった、私の足など、いくらでも、いくらでも直人にやるのに」
 切なげな嗚咽を聞きながら、将は、唐沢直人の手を見ていた。車椅子の手すりに添えられた微塵も動かない指を見ていた。
「あのね、おじ様」
 しずくの声がした。
「親に罰を与えるために生まれた子供なんて、いませんよ」
「…………」
「そんな子供、どこにもいません」
 額づく男は何も言わなかった。
 将の目には、強く握り締められた唐沢直人の手だけが見えていた。










 
 ※この物語は全てフィクションです。



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