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「ああ、飛嶋君か」
 インターネットからプリントアウトした紙を見せると、前原大成は即座に頷いた。
「確かに、昔YAMADAで一緒だったこともあるよ、といっても顔見知り程度だが」
「その会社は、ご存知ですか」
 聡は聞いた。
 株式会社、スターダストプロジェクト。
「……最近できた会社だね、いや、僕は知らなかった」
「まだ、実績があまりないのと、メールの差出人が特定できないんで……それが少し不安なんですけど」
 前原は無言で、眉を寄せる。
「匿名のメールだと言ったね」
「ええ、多分、回った企業の関係者の誰かが、情報提供として教えてくれたんだとは思うんですけど」
 再び前原は難しい目になって黙り込む。
 その雰囲気が、いつもとまるで違うので、聡は少し戸惑って、傍らの雅之を見た。
「……前ちゃん、何か怒ってんのかな」
「さぁ」
 と、雅之も、しょっぱなから続く対応の硬さに、戸惑っているようだ。
「僕らも色々調べてみたんですけど」
 居住まいを正して聡は続けた。
 株式会社レインボウ。
 アポイントを取ろうとしたら、この時間しか空いていないと言われた――午後十時。
 さすがに事務所内は照明も半分落ちて、ひっそりと静まり返っている。
 社内にいるのは社長兼現場スタッフの前原大成1人だった。
「僕らにとっては渡りに船みたいな会社だったから、少しびっくりしたんです。スターダストプロさんがやってるのは、インターネットを通じて、舞台や映画の投資家を募るっていうシステムで」
「個人投資家から出資してもらって、興行収入からバックする。そういうシステムをマネジメントしている会社みたいなんです。舞台やってる友達に聞いたら、ブロードウェイとかでも同じやり方で興業してるって」
 雅之が、勢い込んで言葉を継ぐ。
「どう思います?前原さん」
 が、前原は答えない。
 どこか不機嫌そうな目で、じっと紙面を睨みつけている。
 気づまりな沈黙に耐えかね、聡は、再度雅之の顔を見た。
 なんか問題あるのかな?
 わかんねぇ。
 雅之も不思議そうな眼をしている。
 株式会社スターダストプロジェクト。
 謎の差出人から送られたメール。インターネットで検索してみたら、それは簡単にヒットした。
 今年の春に設立されたばかりの新しい会社だ。
 社長のプロフィールが、元YAMADAの音響エンジニアとなっており、しかも年齢が前原と同じだった。
 知人頼みの企業回りにも限界を感じていた時だった。ネットカフェ、2人してパソコンにしがみついた。イメージ優先の企業ではなく個人投資家が相手なら、もしかするとなんとかなるのかもしれない。――時間がない、今の雅之や聡にとっては、まさに救世主のような会社。
 が、差出人が得体の知れない白馬の騎士で、社長の名前が国籍不明の飛嶋ローリー。
 いきなり飛び込むのは、あまりにも無謀な気がした。
 で、迷いながら躊躇しているよりは少しでも情報を得ようと思って、前原を訪ねることにしたのである。
「色んな会社批評サイトもみてみたんですけど、こういったシステムは日本では根付かないとか、リスクが大きい割にはバックが少ないから出資者が渋っているとか、……マイナスな話ばかりで」
「東條君」
 前原の、ため息まじりの声が聡を遮る。
「その前に聞きたい、君らは本当にストームを再結成するつもりなのか」
「…………」
「…………」
 いきなり、抜き身で斬りつけられた気分だった。
 顎の下で指を組み、前原は黒目がちな丸い目で、じっと雅之と聡を見上げている。
「前原さん」
「もしそうだしたら」
 再び前原は聡を遮る。冷徹な声だった。
「悪いが僕は、今回ばかりは、何の協力もする気はない」
 聡と雅之は黙る。
 頭から、水をかけられた気がした。
「今僕に言えるのは」
 前原は、紙をおいて立ち上がる。
「そんなバカな真似はよせと、大人の観点から、君らを止めることくらいだ」
「前原さん、」
「先日も、柏葉君が来たよ、はっきりいえば、彼の甘さに腹さえ立った」
 将君が――
 聡と雅之は顔を見合わせる。
 俺らには、何も言わなかったのに。
「飛嶋君にアポを取ってほしいなら、それくらいはしてやってもいい。変わり者だが人間的には信頼できる、それは保証してもいい」
 淡々とした事務的な口調。最初からずっと、前原が他人行儀だったことに、聡はようやく気がついた。
「でもその前に、まず自分たちの仕事を責任もってやり遂げるのが、大人の選択というものじゃないのか。あまりにも無責任すぎるよ、君たちも、柏葉君も」
 冷淡な声。冷ややかな目色。
「僕だけじゃない、誰だってそう思う、誰1人信じやしない、そんな無責任な君らが、一体年末のドームで、どんな奇跡を起こそうっていうんだ」
「僕らは、どの仕事も責任もってやる気でいます」
 口を開きかけた雅之を制し、聡は落ち着いた声で言った。
 内心は、こんな話を前原にまですることになったのに、動揺してもいたし、辛くもあった。もうここ数日、何度も何度も企業相手に説明してきたこと。
「ただ、ストームを再結成することで、どうしても仕事に支障が出るというなら、申し訳ないですけど、僕らにも譲れない線があるんです」
 答えない前原は、背を向けたまま暗い窓辺に立つ。
「それは、バッシングに負けて逃げるんじゃなくて、認めてもらうという形で、なんとか両立していきたいと思っています」
「それが甘いって言ってるんだ」
 振り返った前原の目は、冷たく厳しかった。
「そんな綺麗ごとが、通じるとでも思ってるのか、正しいことを言えば、それでみんな納得してくれるとでも思ってるのか」
「…………」
「現実は、金だ、金と人、口だけで夢を語るのは簡単だ、だが、現実には、金がないと何ひとつできやしない」
 聡は黙る。雅之も、唇をかみ締めている。
「君らはこの芸能界で、一番上、つまり綺麗な部分しか見ていない。そんな君らに、土下座して金を集めるような、相手を騙す覚悟で大風呂敷を広げて資金をかき集めるような、そんな汚い真似ができるのか」
「土下座なら、昨日も今日も、何度もしました」
 暗い声で、雅之がたまりかねたように口を開いた。
「大風呂敷なんて広げる気はないっすけど、俺らだって、必死なんです、靴舐めろって言われりゃ舐めるし、土下座なんてなんでもない」
「じゃあ、それでどうなった、君たちの土下座にどれほどの価値があった」
 前原の切り替えしは、残酷で冷静だった。
 言葉に詰まり、拳を握る雅之を見上げ、前原は再び目を逸らす。
「J&Mの看板を無くした君たちはな、今は、何ひとつこの世界で生きるすべを持たないただの子供だ。そんな子供の土下座程度で企業が動くと思ったら大間違いだ、勘違いもいいところだ」
 眉をしかめ、前原は苦々しく首を振った。
「甘い、甘い、甘すぎる。甘すぎてへどがでる。今からでも遅くない、所属事務所に謝罪にいって、ストーム再結成の噂を取り消してくるべきだ、今ならまだ遅くはない」
「それは、できないです」
 雅之を遮って、聡はその前に出る。
 揺れたりしない、この程度で。
 聡は自身に言い聞かせた。
 例え甘くても。
 それがはっきりと判る間違いだとしても。
 今は、今できる全てを持って、目の前の壁ひとつひとつを乗り越えていくしかない。
 別の場所で頑張っている将のためにも、今は、自分が踏ん張るしか。
「これが失敗すれば、もう二度と芸能界に立てないってことくらい、俺も、雅之も、将君も憂也も、みんな全部判ってるんです」
 甘いのも、無謀なのも、全て理解した上の決断。絶対に譲れない五人の決断。
「そんくらいの覚悟なら、全員が持ってるんです」
「だったら、口だけでなく、結果を持ってくるんだな」
 熱を断ち切るように冷ややかに言い放った前原が、興味をなくしたように背を向けた。
 結果。
 聡は眉を寄せている。
「結果……ですか」
「君らは、ただ飛嶋君のことだけを聞きにここに来たのか、そうじゃないだろう」
 前原の横顔が見知らぬ人のように見えた。
「年末に、巨大な祭りが出来る規模のスタッフと資金、機材と企画、君らのマネジメントをつとめる事務所スタッフ、それが全部用意できるなら、少しは相談に乗ってやってもいい」
 さすがに聡が、気色ばんだ時だった。
 携帯の着信音。聞き覚えのあるメロディは、前原のものだ。
 携帯を持ち上げた前原が、わずかに眉をひそめてそれを耳に当てる。
「帰ろう、聡君」
 雅之が聡の袖を引いた。暗い怒りと、置き去りにされた子供のような寂しい目をしている。
「もういいよ、俺らそんなつもりで、ここに来たわけじゃないんだし」
「……うん」
「これ以上話すと、マジで前ちゃんのこと嫌いになりそうだよ、俺」
「よせよ、あの人にはとんでもない迷惑かけてんだろ、俺たち」
 それは、むしろ自分に向けて言った言葉だったのかもしれない。
 前原さんも、他の連中と同じだったのかな。
 聡は、後ろ髪引かれる思いで、携帯を耳に背を向けた前原を振り返る。
 バッシングの前後で、手のひらを返したように態度を変えてしまった連中と。
 だからといって、前原さんを恨むつもりはないし、恨む筋合いでもないけれど、他の誰よりも深い信頼で結ばれていたような、そんな気がしていたから――どこかで、この人なら、無条件で協力してくれると思っていたから。
 だから、寂しいし、何を言っても理解してもらえないことがたまらなく悔しいのかもしれない。
「流川さんが?」
 背後から声がした。
 ルカワ――流川?
 聞き間違いかと思ったが、聡より俊敏に、まず雅之が振り返っていた。
 表情が変わっている。
「まて、碧人、落ち着いて説明しろ、流川さんがどうしたっていうんだ」
「……凪ちゃん?」
 聡が口に出した時には、もう雅之は、前原の傍に駆け寄っていた。
「警察には連絡したのか、退学になる?バカ野郎、だったらなんで、そんな場所に女の子一人で行かせたりした!」
「前原さん!」
「いいか、俺が行くまでそこで待ってろ!」
 前原がいらだたしげに携帯を切るのと、雅之がその腕を掴んだのが同時だった。
「ちょっと出てくる」
「流川に何かあったんですか」
「雅君には関係ない」
「だから何があったんですか!」
 雅之の剣幕に、むしろ聡の方が驚いている。
 凪ちゃんと雅なら、とっくに別れたはずなのに。
 しかも雅にとっては、最悪な形での――失恋。
「前原さん!」
 振りほどこうとした前原だが、雅之は離さない。
 そのまま数秒、互いを憎み合うかと思うほどびりびりした沈黙が続く。
「……あの子が、怪しげな風俗店に入ったきり、出てこないそうなんだ」
 苦々しげな声で、嘆息した前原が呟いた。
「風俗店?」
 信じられないとでも言う風に呆然と雅之。その腕を、前原が引き剥がす。
「碧人が追って入ろうとしたら、そんな子は知らないと拒否されたらしい、理由はよく判らないが、流川さんはまだ未成年だ、とにかく俺が行ってみるしかないだろう」
「俺も行きます」
「いい」
 上着を掴んで大股で歩き出す前原の腕を、雅之が再び掴む。
 噛みつくような横顔だった。
「俺も行きます!」
「馬鹿野郎!!」
 耳朶が震えた。
 初めて聞くような大声だった。
「これから再デビューしようって男が、何馬鹿なこと言ってんだ!!」
 仁王立ちになる前原の、全身から気炎がほとばしっている。
 雅之の目が打たれたように見開かれた。
 それは聡も一緒だった。
 が、雅之はそれでも我に返ったように、小走りに出て行こうとする前原の腕を掴む。
「行かせてください」
「駄目だ」
「せめて行かせてください、絶対に馬鹿な真似はしませんから」
「駄目だといったら駄目だ」
「お願いします、絶対に危ない真似はしませんから!」
 雅之の剣幕に、聡はもう言葉さえ出てこない。
 じっと雅之を睨みつけている前原の眼差しが、迷うように揺れる。
「絶対に、だな」
「絶対にです」
「約束できるな」
「約束します!」
 しばらくにらみ合っていた2人が、同じ方向にきびすを返す。
「前原さん、店の名前と場所、教えてください」
 聡は携帯を取り出していた。
 こういう時は、迷惑覚悟で呼ぶしかない。
「九石さんに連絡してみる、捕まったら、雅の携帯に連絡するよう言っとくから」
「頼んだ」
 前原さん――
 携帯はすぐに繋がる。
「何よ、こっちは今、新幹線降りたばっかなんだけど」
 どこかへ旅行でもしていたのか、眠たそうな声に、聡は手短に用件を告げた。
 窓から階下を見ると、丁度レインボウのバンが、駐車場を出て行くところだった。
―――前原さん……。
 聡は胸に熱いものを感じ、自分も後を追うために事務所を出た。
 前原さん、なんだかんだっつって、理解してくれてんだ、俺らのこと。
 何か俺らには言えない事情があるんだ、前原さんの態度には。
 でなきゃ、
 これから再デビューしようって男が、何馬鹿なこと言ってんだ!!
 でなきゃ、あんなセリフが、咄嗟に出てくるはずがない。










 
 ※この物語は全てフィクションです。



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