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 新曲発売まで、あと二週間。
 明日の公式発表を控え、ストーム全員に手渡された、二週間のスケジュール表。
「………………」
 将は無言で、デスクの椅子に座ったまま、どこか人事のような目をしている女を見上げた。
 六本木。
 J&M仮設事務所。
 ここは、事務所の副社長としての、真咲しずくのオフィスである。
「これだけ、ですか」
 最初に呟いたのは、たった今、セイバーの撮影から合流したばかりの聡だった。
「けっこう、大変だと思うけど」
 と、あっさりとしずくは答える。
 このスケジュールに衝撃を受けたのは、同席していた片野坂イタジも小泉旬も同じだったようで、どこか沈鬱な、そして迷うような目を、ボスと手持ちタレント、その交互に向けている。
「明日が、新曲の記者発表、て、言ってもレコーディングずれこんじゃったから、曲は無理ね。ひとまずトークでもたせるしかないか」
 ひとまずトークって、
 なんだよ、それ。
 将は、眉をひそめながら、平然としている女を強い眼差しで見上げた。
 黒の上下のスーツを着ていてるしずくは、疲れているのか、そもそもこういったミーティングが面倒なのか、普段より、少しばかり精細を欠いた表情をしていた。
「トークねぇ……」
 隣のソファに腰掛けている憂也も呟く。
 その横顔は、不機嫌なのか、いつも通りなのか、相変わらず感情が読めない。
「まぁ、確かに、レコーディングはこれからだもんな」
「それだって今日で終わるかどうか」
 雅之と、りょう。
 午後七時から、アーベックスのスタジオで二度目のレコーディングが始まる。現在、午後六時半。移動の時間を考えると、このミーティングも、そろそろ切り上げ時だった。
「NINSEN堂のCМ撮影って、二日もあるんですか」
 それが気になっていたのか、たまりかねたように聡が口を開いた。
 スケジュール表によると、明後日と明々後日のまるまる二日間。朝の五時から夜の十時まで拘束される予定になっている。
「東條君、世界シェアを持つ会社の、全国に流れるCМだ、ストームにとって、どれだけの宣伝になるか、計り知れないぞ」
 イタジが口を挟む。
「でも、CМ初回放送、5月12日の夜って……なってますけど」
 りょうが言うまでもなく、その意味は全員が、落胆と共に理解していた。
12日は、オリコンの集計の締切日。6時が締め切りだから、夜というのはおそらくその後。
 つまり、CD売り上げに、これっぽっちも意味のないCМのために、大切な次期、二日間も拘束されることになる。
「………NINSEN堂との契約は、随分前から決まっていたんだ、向こうにとっては1年以上も前から準備していた新作ソフトの販売で、こちらの都合では、どうにもならない」
 そこは、気持ちが同じなのか、イタジも少し苦しそうだった。
「つか、そもそも、一体どういうCМなんですか、俺ら、どういう商品かってことも、何も知らされてないんですけど」
 やや、苛立った口調で雅之。
「NINSEN堂が、満を持して発売する次世代ハードウェアの新製品、その名称も機能も、一切、極秘。ファンの間では、相当以前から発売が期待されている、新型家庭用ゲーム機」
 そう言ったのは、憂也だった。
「の、専用ソフト第一弾、でしょ?」
 と、少し意味深な目でデスクの真咲しずくを見上げる。
 しずくは、わずかに眉をあげて、微笑した。
「さぁね、私も詳しいことは聞いてないの。うちと同じで、ぎりぎりまで情報を隠しておく主義だから、あそこの社長も」
「CМはいいけど、肝心の曲のVCはいつ撮るんだよ」
 将は、苛立ちを隠せないまま、そう言った。
 VC、つまりビデオクリップ。新曲のVCは、その発売先週から、ケーブルテレビ等の音楽情報番組で公開されるのが慣例になっている。
「VCは……、まぁ、なんつーの、今回のプロモがそのままって感じかな」
 しずくは笑って立ち上がった。
「レコーディングの風景とか、そのあたりを、そのままVCに使うから。今夜が奇蹟の収録だから、今夜の絵が、そのままVCになると思ってて」
 えっ、
 マジかよ、
 と、困惑の声があがる。セイバーの撮影終了後、すっとんできた聡は、まだ髪さえ生乾きだ。
「………なるほどね、そのための生オケか」
 将は嘆息して、ソファに深く背をあずけた。
 おかしいと思った。将にとっては、初めて、リアルタイムでアレンジすることが許される生演奏でのレコーディング。
 が、それにどれだけの予算がかかるのか、実際、型どおりの歌を歌うしかないアイドルの新曲リリースでは、有り得ない光景である。
 それも、VCを兼ねているというなら、納得だった。となれば、逆に随分安くすませたものだ。
「ま、それもあるんだけどね」
 しずくは曖昧に言うと、窓を覆う夕暮れのオフィス街に目を向けた。
「テレビ出演に関しては、唐沢君にしてやられちゃったのよね。8日までの週は、全部ヒデ&誓也に押さえられてるから……ま、それでこういう結果」
 空白だらけのスケジュール表。
 あるのは、各々に課せられた単独の仕事くらい。
「ま、そこは私の不徳のいたすところってやつかしら、日本語の使い方があってればだけど」
 もちろん、誰も笑わない。
 将は、目をすがめてスケジュール表に視線を落した。
 リリースには何の意味のないCМ撮影。
 ジャケット写真撮りを除けば、いつもと同じ雑誌の取材、グラビア撮影、それだけである。
 偶然にも、リリース週の金曜が、将の主演した昼ドラ「嵐の十字架」の最終回オンエア日だが、無論、撮影は全て終わって、ドラマの仕事さえ入っていない。
 ほぼ、真っ白なスケジュール。
 エフのHaiHaiHai、深夜のカウントダウンTV、天野雅弘が司会をしている歌バン、サンライズテレビのМスタ、新曲発表時、必ず出演させられる看板歌番組に、今回に限って出ることさえできない。
 正直、普通でもこんな扱いは初めてだった。
「……つか、こんなことで」
 雅之が言葉を切って、うなだれた。
 その雅之が健闘している崖っぷちサッカー部のエンディングには、今週からヒデ&誓也の新曲が流れることになっていた。
 今、サッカー部は、解散前の最後のひととき、ということで、各メンバーの半生を振り返る、というお涙頂戴の総集編をやっている。結構な反響で、視聴率もまずまずだ。
 ゆえに、雅之にしてみれば、頑張れば頑張るほど、余計自分の首を絞めるという皮肉な結果になりかねない。
「い、いっそのこと……ですね」
 黙っていた小泉旬が、おどおどと口を開いた。
「あの、明日の記者発表で、解散がかかってるって、言ってみたらどうでしょうか」
 イタジが、何か言いかけて、口をつぐむ。
 全員が、しんとした。
 その戦略は、確かに強い。が、同時に、言ってしまえば、二度と後戻りできなくなる。
「………それは、アリなわけ?」
 将が聞くと、しずくは、軽く頷いた。
「事務所から正式な公認は絶対にしないと思うけどね。うちが独自に発表するのはかまわないんじゃない?そういう制約はもらってないから」
「……………」
「好きに決めちゃっていいわよ、君たちで」
 まるで、本当に他人事のような口調。
「……………つか」 
 かまわないんじゃない?
 好きに決めちゃっていいわよ?
 なんだよ、それ。
 しばし唖然とした将は、たまらず立ち上がっていた。
「あんたさ、どうでもいいけど、それはないだろ」
 どうでもいい、まるで他人事みたいな言い草は。
「ん?」
 と、不思議そうに瞬きするしずく。
「あんた、そもそも、本気でプロモやる気あるのかよ」
「何、急に怒ってるの?」
 そのとぼけた表情に、ふいに我慢の糸が切れた。
 将は、手にしたスケジュール表を、机の上に叩きつけた。
「これで一位とれって?笑わせんなよ、つか、それくらいも考えてねぇのかよ、一体、なんのためのミーティングだよ、これ!」
「……君こそ、何も考えてないの?」
 表情を微動だにさせないしずくは、冷たくさえ見える目で微笑した。
「何のためのミーティングって、一方的にこっちの提案聞いてるだけの君に、そんなこと言われたくないんだけど」
「なんだと?」
「曲を売るための努力はするわよ。でも、魅せる努力くらい、自分たちで少しはしなきゃ」
 ぐっと詰まる。
 つか、じゃあ、あんたは、一体どういう努力してんだよ。と、口の中で反論しかけた時だった。
「甘えん坊ね、バニーちゃん、一体いつまで、おんぶにだっこのアイドルなんてやってるつもり?」
「しょ、将君」
 立ち上がった聡に、咄嗟に腕を引かれていた。
 多分その刹那、すごい顔になっていたんだろう。
 将は、歯噛みしつつ、再びソファに腰を下ろす。
―――くそ、一生言ってろよ。
「真咲さん、俺らで考えろっていってんだよ」
 聡が囁く。
「うるせぇな、判ってるよ!」
 将は、その腕を振りほどいた。
 しずくは楽しそうに笑って立ち上がった。
「振り付け、衣装、今回専門家は誰1人ついてないわよ、予算だけは取ってくるから、そういうのも全部、自分たちで考えなきゃ」
「………………」
「本気で一番取ろうと思ってるならね、こんなとこでぼやいてる時間だってないんじゃない?」
「………………」
 判っている。
 この女の言うことは、悔しいけど、どっかでいつも的を得ている。
 でもなんだってそれを、こんな意地の悪い伝え方しかしてくれないんだろう。
 父親の話を曖昧にはぐらかすのもそうだ。こんなんで、この女を信じろって言うほうに無理がある。
「まぁ、解散云々はさ、明日……すぐに言わなくてもいいと思うんだけど」
 微妙に険悪な空気の中、どこかおずおずと、聡がそう言った時だった。
「つか、使えるカードは全部切ればいいじゃん」
 あっさりとした声だった。
 ソファの上で膝を曲げて座りこみ、その膝の上で頬杖をついている――憂也。
「解散のこと…?」
 雅之の問いに、「そ、」と憂也は軽く肩をすくめた。
「雅から、イタちゃんの思惑は聞いたけどさ、そんなせこい真似しても、唐沢社長がうんって言わなきゃ意味ねぇわけだし」
 イタジが、あわわ、と手を振っている。
 それは予想していたのか、しずくの目は静かだった。
「涙でも何でも利用して、今は、一枚でも多く売るのが先決だと思うけどね」
「お涙頂戴で、売り上げアップなら、俺はあんま好きじゃねぇな、そういうの」
 将は、うつむいたまま、憂也の言葉に反論した。
 そこにすがりたい気持ちは判らないでもないし、確かに効果的ではあるけれど。
 昔、モーニングガールがデビューする時にとった戦略だ。
 解散をかけて、涙を誘っての全国行脚。
 先日、ヒデの涙をみた時に感じたいやらしさも、まだ胸の中にくすんでいる。
 そんな惨めな真似までして、あんないい曲を売りたくない。それにアイドルが同情されて売れるような存在で、それで本当にいいんだろうか?
 現実の厳しさは判ってしても、将には、そんな気負いが、捨て切れない。
「憂也、でもさ、……ぶっちゃけ、それ口にしたら、もう後には引けないだろ」
 やや、遠慮気味に、雅之が口を挟む。
「俺、イタさんの言うことも、一理あると思うんだ。唐沢社長だって、俺たち潰すのが目的じゃないだろうし」
「このままじゃ普通に惨敗、2位どころか、トップ3入りも難しいだろ」
 憂也の声が、初めて苛立って聞こえた。
「ファンじゃなくて、社長の温情にすがるのもいいけどさ、先のことなんて深読みしてる場合じゃねーんじゃねぇの」


                  23



 うとうとしていたから、夢かな、と思った。
 暖かな夢心地の中、冷たい感触が、自分の傍に滑り込んでくる。
「………澪……?」
 真白が、薄く目を開けて呟くと、
「ごめん、起こした?」
 囁くような声が返ってきた。
 狭いベッドの中、身体ごと擦り寄ってくる。真白は頭を少しあげて、澪の腕が自分の首の下に入り込むのを手伝った。
「……ごめん、寝ちゃった」
 まだ、少し眠い。
 澪の髪から、いつも使っているシャンプーの匂いがした。まだ、少し髪が湿っている。
「いいよ、もう二時、ごめんな、遅くなって」
 額に軽く唇が寄せられる。
「ご飯……」
「食った、美味かったよ」
「うん」
 半分寝たまま、澪の腰に腕を回して、抱きしめた。
 澪も同じように、真白の腰を抱き寄せてくれる。
 額に、髪に、何度か優しくキスされる。
 少し暑くなったから、七部丈のズボン、足に触れる澪の脛がざらざらしていて、ちょっとリアルな感覚が真白に戻ってきた。
「ごめん……今日は、ちょっと眠いかも」
「いいよ、俺もかなり疲れてるし」
 実際、キスはそれだけで、澪はすぐに正面を向き、天井を見上げたまま目を閉じたようだった。
「………………」
 そうなると、少し真白が寂しくなる。
「……レコーディングだったの?もしかして」
「ん?」
 少し驚いたように振り返られる。
「知ってた?」
「今日、ミカリさんのところに行ったから」
「うん、新曲……来月発売になったから」
 お互いに向き合う。
 澪の手が、真白の前髪を払ってくれた。
 見下ろされる眼差しが優しい。綺麗な二重の瞳。愛しさで、胸が締め付けられるほど。
「……どんな曲?」
「聴く?」
「聴けるの?」
 澪は、何も言わずに起き上がる。
 隣の部屋から物音がして、すぐに澪が、ipodを片手に戻ってきた。
 再び真白の隣に滑り込んだ澪は、その片方のイヤフォンを真白の耳にそっと差し込む。
 もう片方は自分の耳に入れて、互いに再び抱き合った。
 真白は目を閉じる。
 澪の胸の中、まるで闇夜に浮かぶように、鮮明な旋律が広がっていく。
「いい曲……」
「ほんと?」
「うん、すごく、……ストームらしい」
 明るくて、楽しいのに、どこかそれが切なくて。


「現実をみて」
 ごめん、僕は君を置いて、多分この先に行く。



 
僕ら、しょせん夜にまぎれて見えない、小さな星屑
 地上に届かない光を放ち、やがて消えていくDestiny
 夢見ても、百年先の未来さえないんだ
 キラキラと、束の間の命を燃やし、散っていく



「今日ね……」
「ん……?」
「………ううん」
 

 思い出の中、今も君が輝いている
 僕は、今は、君を照らす光になって

 キラキラと、
 この時間に、限りがあると知っているから
 キラキラと、
 僕らの光、百年先の未来まで届け



 今日、ミカリさん、泣いてたんだ。
 その涙の理由をね、私、澪を待ってる間、ずっと考えてたんだけどね。
 なんか、途中でね、考えるのが辛くなっちゃって。


「……なんで泣くの?」
「……いい曲だから」 
 作り笑顔で誤魔化すと、澪が、そっと耳からイヤフォンを抜いてくれた。
「俺は、消えないよ」
「……え?」
「真白を置いていかない、思い出なんかに絶対にならない」
「………………」
「約束する」
 そのまま、胸元に抱き寄せられる。
 うん。
「大丈夫……」
―――うん……。
 信じてる。不確かな言葉だけど、今は、澪の全部を信じてる。
 額に、瞼に唇が触れる。
 少し濡れた頬に、何度も何度もキスされる。
 髪を、少し痛いくらいの力で撫でられて、そのまま強く抱きしめられた。
「真白……」
 うん。
 幸せすぎて、言葉が出てこないよ、澪。
 そのままの姿勢で、澪が小さく呟いた。
「一緒に暮らそっか、大学出たら」
「え……?」
 それには、さすがに驚いていた。顔をあげて澪の目を見上げる。
「無理だよ、そんな」
「無理じゃないよ」
「…………」
「いつまでも、アイドルやってるわけじゃないんだ、無理じゃない」
「……………」
 青いカーテンが、澪の顔を深海の底のように翳らせている。
「ずっと一緒にいよう、つか、今でも離れてる時間、頭おかしくなりそうなんだ、俺」
「……澪……」
「絶対に、俺から離れないで」
「……………」
 こんな時間が。
「こら、なんで、また泣く」
「知らない、最近、妙に涙もろいんだもん、やになっちゃう」
 こんな時間が、いつまで続くんだろう。
 澪と一緒にいられる時間がどうこうじゃなくて、こんなに深く、澪に愛される時間が。
 こんなに深い感情が、一体いつまで、二人に宿り続けてくれるんだろう。
 いつかお互い年をとって――それは、いつかじゃなくて、今、この瞬間にも、年をとり続けているわけだけど、そうなっても、この感情はずっと続いているんだろうか。
「やっぱ、朝まで起きてよっか」
「うそ、マジで?」
「限られた時間、愛をかわしあわなきゃね」
 閉口したが、結局笑って唇を合わせていた。
 今は、眠る時間さえ惜しい。
 今しかない澪の愛を、全身で感じていたいから――。









※この物語は、全てフィクションです。
一言感想があればどうぞ♪内容によってはサイト内で掲載することもあります。
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