18
「カット」
の声を聞いた直後だった。
銃声???
と、一瞬死を覚悟した聡だったが、すぐにそれは、スタッフが鳴らしたクラッカーの音だと気づく。
「おめでとう!」
「CDリリース、おめでとう、東條君!」
拍手と掛け声。
流れ出すセイバーの主題歌「ミラクル」、テレビで流しているストームバージョン。
特撮スタッフのエヴァ鈴木、脚本の神田川、降木庭監督、新藤プロデューサー。みんな笑顔で手を叩いている。
その輪の中に、鏑谷会長の仏頂面を見つけ、聡は思わず、目の奥が熱くなっていた。
東京某所。
鏑谷プロの撮影所。
今日、聡は、最終回まであとわずか、大詰めに迫ったミラクルマンセイバーの撮影に挑んでいた。
「なーに、泣いてんですか」
「まったく随分待たされましたよ、おたくの事務所のごたごたには」
「す、すいません」
「だから、謝るとこじゃないですって」
背後からGanのメンバーに取り囲まれ、そして背中を尾崎智樹に叩かれる。
にぎやかな笑い声と、スタッフの拍手が続く。
「東條さん」
今、ラブシーン(といっても抱き合うだけ)を交わしていた仲村レイラ役の遠藤諒子が、ハンカチを差し出してくれた。
「あー、それ、純の役目だと思ってたのにぃ」
と、隣でふくれっつらの、元ヒロインだった夏目純。
今ではすっかり出番をレイラに持っていかれているが、それでもめげずに頑張っている。聡がある意味、尊敬さえしている根性の持ち主。
いい現場だよ。
聡は涙を手の甲でこすって顔をあげた。
本当にいい現場だ、最高の仲間だった。
放送は7月いっぱいまでだが、ここでの撮影は、映画を含めてあと数回。ほとんど毎日顔をあわせ、今は家族も同然になったスタッフや共演者。
今から別れを想像するだけで、新たな涙が溢れてくる。
「じゃ、今夜は聡のおごりで宴会だな」
「賛成〜!」
「あ、俺」
聡は慌てて、目をこすりながら顔を上げた。
「すいません、今夜もレコーディングが入ってるんです」
「え、発売、確か5月の…」
「なんかこう、急だったんで」
昨日がアーベックスのスタジオでの初収録。予定は簡単にオーバーして、結局、昨日1日では、全てを録り終えることはできなかった。
「でも、すげーいい仕上がりになりましたから、セイバー」
聡は熱をこめて拳を握った。
「憂也と将君が、アレンジしてラップをつけて……あ、これストームバージョンの方なんですけど、超かっこいいっすから」
その突合せの作業を、昨日の収録に同席した作詞、作曲のアーティストとやっていたため、時間がかかった。その場で、用意した譜面も何も全て変更になったから、バンドやオーケストラにも迷惑をかけてしまった。
将は、
「そんなの迷惑でもなんでもねぇよ」
と、堂々と強気だったが、基本、押しの弱い聡には、1日伸びた収録に、一体どれだけの予算がかかるかと思うと、それだけで気が気ではない。
なにしろ、現場に行って驚いた。
スタジオで待っていたのは、いつものバンドだけではなく、東京交響楽団、つまり数十名からなるフルオーケストラが勢ぞろいしていたのである。
理由を聞いてさらに驚いた。ミラクルのストームVrだけが、オケ付きの生収録。それは、ストームにとっては初めての経験である。
オケ演奏は、これまでずっと別録りだったから、当日ライブ感覚でやるレコーディングは初めてだ。それには、聡だけでなく将も憂也も驚いていたようだったが――が、2人は、すぐに水を得た魚のように、活き活きとアレンジの打ち合わせをやり始めた。
実際、あの2人は、昨日の現場で一番楽しそうだった。
「でも、すごいですね、ストームさん、最近すごい人気じゃないですか」
傍らに立ったままの遠藤諒子が、控えめな笑顔でそう言った。
モデル出身、このドラマが初出演作だが、おそらく、今後一番ブレイクしそうな新人女優。
役柄は、飾り気も素っ気もない女性パイロット役だが、素顔は清楚な和風美人である。
クラッカーを鳴らされるまで、聡は、この諒子演じる仲村レイラと、最後の出撃前の抱擁を交し合っていた。
「最近、色んな人に東條さんと会えないかって聞かれるんです、前はそんなことなかったから」
「……って、それ、どうせ雅之に会わせろって話なんでしょ」
聡は、わざと意地悪く言ってみた。
「あ、そういうのもありますけど、それだけじゃなくて」
「そもそも、前はそんなことなかったって、どういう嫌味?」
「あ……その」
遠藤諒子は、少しだけ頬を赤くする。
綺麗でクール系の顔をしている癖に、どこか天然の気がある新鋭女優は、この現場で、聡が唯一つっこめる稀有な存在だった。
クランクイン当初は短髪だったが、今はそれが肩のあたりまで延びて、可愛らしい。
「クールなレイラが、少しずつ恋をしてるっていう、髪型も変化のひとつなわけ」
と、それも脚本家神田川の指示らしいが、実の所、ただの趣味なんじゃないかと聡はひそかに思っている。
「なんか、お似合いですよね、東條さんと遠藤さん」
隣に立つグラビアアイドル夏目純が、じとっと聡を見上げながら言った。
「えっ」
「ち、違います」
と、同時に手を振って二人。
「出た出た、似たものカップル」
「東條と同じリズムで生きてる女は、諒子ちゃんくらいだからねー」
「同時進行でつきあっちゃえよ、そういや明日は結婚式のシーンだったっけ」
たちまち、悪乗りして冷やかし始めるGanのメンバーたち。
「そもそも、諒子ちゃんと絡みのシーンが欲しいって、そう言ったの東條さんだし」
「ばっ」
―――な、なんつー余計なことを大声で。
慌てて、まだ何か言いかける尾崎の口を塞ぐ。
スタジオの隅、スタッフが休憩を取るベンチの前。
そこに、現実の恋人が佇んでいることに、聡は、夏目純の妙な突っ込みの時に気づいていた。
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「怒って……ます?」
「何が?」
意外そうに眉をひそめられる。
ま、そうだよな。
聡は、ははは、と内心乾いた笑いをこぼし、ミカリの隣に腰掛けた。
日差しが眩しい。
額に手をかざすミカリの横顔が、少しだけ険しく見えた。
撮影所の裏庭。少し前、ここで焼肉パーティをやった。
あの時はまだ、白っぽかった草が、今は鮮やかな青みをおびて日光に煌いている。
そういや、あの夜、ミカリさん、いなかったっけ。
今度、みんなで焼肉パーティでもやりたいな。もうすぐ夏だし――海で、花火でも持って行って。
あまりに空が穏やかだから、つい、そんな現実離れしたことを考えてしまっている。
「今日は、取材ですか」
「わかっちゃった?」
額から手を離したミカリは柔らかく笑って、大きなバックからカメラを取り出した。
白い七部丈のシャツにジーンズ。髪をひとつにまとめたミカリは、完全に記者モードになっている。
リリースが決まれば、一気にプロモで忙しくなる。これから当分会えないと覚悟していた聡には、まさかの遭遇だったが、ミカリにそんな感傷はさらさらないようだった。
「いい現場ね、クランクアップ間近の撮影現場を撮りにきたんだけど、丁度いいタイミングだったから、さっきの写真使っちゃおうかな」
「もしかして、CD発売……のこと、聞いたんですか」
そういや、ここ数日、ミカリさんに連絡していなかった。
実質的な解散通告、そして突然決まった新曲のリリース。最後の大勝負にどこか乗り気ではないような将と憂也。
なんだか、驚天動地のことが色々ありすぎて、何をどこまで、どう話していいか、気持ちの整理がつかなかったというのもある。
それに――。
「そう、それも含めて、少し話しが聞きたかったのよ」
少しドキドキした聡だが、何も連絡がなかったことを、ミカリはさほど気にしていないようだった。
「いつ、リリースのこと知ったんですか」
「昨日の夜、音楽関連のサイトで先行して情報が流れてたの。で、今朝、J&Mとミラクルマンセイバーの公式サイトで、正式に発表」
「………………」
知らなかった。
道理で、何も言っていないのにここの人たちがリリースのことを知っていたわけだ。
業界では、どんな形でニュースが広まっているんだろう。聡もまた、逆に興味を引かれている。
「タイトルは奇蹟、ダブルAで、テレビ版ミラクルとストーム版ミラクル収録、5月8日水曜日発売ね」
ミカリはそう言うと、少し怖い目で聡を見上げた。
「なにしろ、今注目のストームの一年ぶりの新曲が、貴沢君のデビュー曲と同日発売でしょ、業界じゃ、ちょっとしたサプライズ扱いよ、これは」
「ちゅ、注目っすか」
ストームが。
それはない……いや、あるか、と聡は思い直す。
雅之だ。崖っぷちサッカー部の生中継試合以来、雅之の人気は、ちょっと怖いほどうなぎ昇りというやつだ。
テレビガイド誌の表紙を飾ることは勿論、来週には、単独でエフテレビの看板昼番組「笑っていいとも」への出演も決まっている。
「まぁ……今まで、同じ事務所でバッティングってのもなかったっすから」
「何か、特別な理由でもあるの?」
「……いや………」
つか、これ微妙だ。
これが、恋人同士の会話なら話してしまってもいいことも、取材される立場だと思えば、迂闊には話せない。
ミカリは基本、そういう部分が徹底していて、記事にするべき部分を聞き出す時は、必ず今日のような記者モードになるからだ。
そこで、情に負けてほろりと語れば、たちまち記事、である。
「雅が、今、貴沢君の番組でがんばってるから……リリースも、ダブルで、って感じなのかな」
「まぁ、確かに、相乗効果はあるでしょうね」
適当な言い訳だったが、不思議にミカリは納得して引き下がった。
「で、新曲はどう?」
「あ、今夜もレコーディングです」
「今夜?明日は記者発表よ?」
ミカリは、はじめて呆れたように声を高くした。
「ヒデ&誓也とストームの、合同記者発表、高輪プリンスで、午後二時からよ」
そして、それには、聡が驚いていた。
「マジっすか???」
「聞いてないの?」
「は、はい……」
昨日まではみっちり曲のアレンジと練習ばかり、正直、殆ど寝る間もなかった。プロモの確認までする余裕はなくて、それは夕方、六本木の事務所で、マネージャー陣から説明を受ける予定になっている。
ただ、先日、デモテープを渡された時、片野坂イタジから内々に釘を刺されたことがある。
「解散云々が絡んでいることは、使い方によっては大切な戦略にもなりえるから、今は、とりあえず、黙っていよう」
と。
戦略として、解散を効果的に使うという意味もあるのだろうが、イタジの口調からはむしろ、「一度それを口にしてしまえば後がなくなる」と、いったニュアンスが感じ取れた。
イタジとしては、この勝ち目のない勝負、例え負けたとしてもリリースの実績だけを残し、それで存続の道を模索したいのだろう。
その場にいたのは、聡と雅之とりょうだったが、三人ともそれには納得した。実際、現実的に考えて、ストームを残すのはそれしかない。
「……今頃、J&Mから5月リリースの追加発表があったのにも驚いたけど、本当にばたばたなのね」
「まぁ、……俺らにも急だったっていうか」
聡は曖昧に濁して視線をそらす。
しかし、記者発表。
通常なら、そこで曲のお披露目をするところだ。が、レコーディングはおろか、振り付け、衣装さえ決まっていないのに、一体、何をどう発表すればいいのだろう。
まぁ―――言えないよな、記者モードになってるこの人には。
内心では、打ち明けたいし、相談もしたいけど。
「………………」
ミカリはわずかに黙り、何かを考える横顔になる。
そして、おもむろにカメラをバックに収め始めた。
「じゃ、明日ね、高輪プリンスで」
「あ、は、はい」
あ、次……いつ、会えるか、
口にしようとした途端、ミカリの携帯の着信が鳴る。
「あ、ごめん、ケイさんからみたい」
そのまま、すっくと立ち上がり、「もしもし?」と言いながら、すたすたと去っていく後ろ姿。
ま――いいんだけど。
結局、俺ばっか好きなんだよなぁ。
聡は苦笑して、晴れ渡った空を見上げる。
でもいいんだ、俺、こういう精神的Мな関係が、結構幸せだったりするから……。
「聡君」
が、少し先、撮影所の裏口付近で、ミカリが足を止めて手招きしている。
「あ、はい」
「彼女、もしかして」
慌てて駆け寄った聡に、ミカリがそう言って指さした先。
倉庫前の陽のあたるベンチ。
そこで、一組の男女……男女というか、孫娘と老人が、笑いながら何かを話している。
ほほえましいな……と思った聡は、ん?と目を剥いていた。
「えっ、えええ??」
ど、どういう組み合わせ?
よりにもよって有り得ない、真咲しずくと鏑谷会長のツーショット。
「……珍しいわね、真咲さんが現場にまで出てくるなんて」
つ、つか、なんだってあの二人??
ミカリの声も耳に入らず、聡は顎を落としてしまっていた。
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「ごめんね、1人にさせて」
扉を開けながらミカリがそう言うと、留守番を頼んだ即席アルバイトは、明るい笑顔で顔をあげた。
冗談社。
今日も国道のトラックで建物ごと揺れている。
九石ケイは取材中、高見ゆうりは印刷所、普段なら入稿後の、ちょっとした息抜きの時間だが、ストームとヒデ&誓也の同時リリースのニュースが流れてから、場末の出版社も、少しばかり忙しくなっていた。
「いえ、もう慣れちゃったから」
末永真白。
初夏のワンピースを身につけたスレンダーな少女は、窓辺に活けた花より輝いて見える。
「今日は大学、休みなんだ」
「ええ、今週はずっと、でも明日の朝には帰らないといけなくて」
「バイト?」
そう聞くと、真白の綺麗な眉がわずかに翳った。
「……やめたんです、時間的に難しくなって」
「そっか」
じゃ、バイト代弾むわよ。
そう言って真白の傍をすり抜けて、ミカリはコーヒーのサーバーに向かう。
―――片瀬君のため、なんだろうな。
週末、休日と、末永真白は休みの殆どの時間を割いて上京しているらしい。費用は、多分片瀬りょうが出しているんだろうけど。
一時は、その片瀬りょうが頻繁に大阪に行っていたというから――。
「………………」
二人のことは、柏葉将も、気にかけているようだった。
あれきり何もないから安心してはいるけれど、片瀬りょうと末永真白の身辺には、確かに、何らかの監視がついていた形跡がある。
互いの住所地と関係が知られていることは間違いない。が、いまだ何ら動きがないそれを、どう捉えていいのかミカリには判らない。
少なくとも同業者ではない、ミカリはそれを確信していた。
同じ記者ならそんな陰湿なやり方はしないからだ。とすれば、J&M事務所内のけん制なのか、それとも、個人的な恨みや執着からきたものなのか……。
「で、新曲って、どんな曲なんですか」
やはり、恋人から何も打ち明けられていないのか、真白も、ニュースで知ったリリース情報が気になるようだった。
「明日が公式会見だから、それまでは極秘なんでしょうね。ヒデ&誓也の曲は、結構巷で出回っているんだけど」
「急に決まったのかな、りょう、何も言わないから」
「うん……」
ミカリはわずかに眉をひそめる。
今日、もっと弾んでいると予想した聡の表情もどこか精細を欠いていた。
もしかして、このリリースには、何か裏があるのかもしれない。今、それを、ケイが直接唐沢社長に取材を試みているようなのだが。
「あ、そうだ、これ写真なんですけど、前ミカリさんに頼まれてたやつ」
「あら、もう?」
二人分のコーヒーを淹れてデスクに戻ると、真白が、バックの中から小さな紙袋を取り出した。
沢山の写真の束。
デジタルカメラで撮影したそれを、パソコンでプリントアウトしたものである。
「カメラなんて初めてで……ちょっと、どう撮っていいのか、わかんなかったんですけど」
「いいのよ、気持ちさえこもってれば」
ミカリは微笑して、真白が撮った片瀬りょうの写真を、一枚一枚、めくってみる。
素になった笑顔、寝起きなのか眠たそうな顔、不機嫌そうな微笑、ぼんやりとしている横顔。
トーストをかじっていたり、雑誌に目を落としていたり、足を投げ出して無造作に寝そべっていたり。
「……うん」
確かにそれは、信頼している人にしか見せない、虚構をすてたアイドルの素顔だった。
「すごく、いい」
「そうですか?」
「アングルもいいし、なんていうかな、捉え方がいいよね、すごくいいタイミングで、シャッター切ってる」
「えー、プロの人に言われたら、照れちゃいます」
「プロじゃないのよ、私も」
ミカリは思わず苦笑する。
本格的に習ったことさえない、ずぶの素人。
「写真っていうのはね……流れる時の一瞬だけを切り取ったものだから」
すぎてしまえば、もう二度と戻らない時間の記憶。
「その時をね、本当に愛しく思う、そんな気持ちがあれば十分なのよ」
そう教えてくれたのは、かつて初めて愛して、そして離別を決めた恋人だった。
彼の文学的な表現や感覚が好きで好きで、脆弱な部分もずるい部分も含めて全部、生き方の全てに心酔していた人。
「人生の中から、幸せな瞬間を焼き付けて、不思議ね、もうこの時の片瀬君はどこにもいないのに、この写真の中だけでは永遠なの」
「………家に帰ったら、このまんまの奴がいるんですけど」
それにはミカリは笑っていた。
「あら、これ」
笑いながら、ふと手を止めた一枚。それには、片瀬りょうだけでなく、カメラマンであるはずの真白も写っている。
「………………」
顔と顔を近づけあって、ものすごく至近距離から。ふざけたように笑っている片瀬と、やや困惑気味の笑顔の真白。
少しだけぶれている。多分、片手でカメラを構えて自身を撮影したのだろう。
「りょうが撮ったんです、嫌だって言ったのに、いけない、抜いてたつもりだったんですけど」
「すごく可愛い、なんだか似てるわね、二人とも」
顔立ちは全然違うのに、一見して冷たい印象と、それを裏切る笑顔の優しさが、すごく似ている。
ミカリは、暖かな気持ちが胸を満たしてくるのを感じていた。
「カップルって似てくるのかな……雅君と凪ちゃんも、なんだか最近似てきたわよね」
「あ、それはすごく同感です」
「柏葉君と真咲さんも似てるし」
「え………ええっっ?」
あら、余計なことだったかな。
ミカリは笑って、肩をすくめた。ま、いっか。どうせいつか判っちゃうことだろう。あの一見クールな柏葉将の判りやすさは、ちょっとミカリでも笑ってしまう。もちろん、ミカリのそれは、聡にかまをかけて簡単に聞きだしたものなのだが。
「東條君と、ミカリさんも似てますよ」
「全然違うわよ」
「似てますよ、なんかこう、ふわっとした雰囲気が」
「………………」
ミカリは黙ったまま、手元の写真に視線を落す。
笑っている恋人同士の写真。
まだ、人生の、本当の意味での挫折も苦悩も知らない二人の笑顔。
ふいに今日、撮影所で聡をみた時に感じた、意味の判らない寂しさが胸を締め付けた。
「ほんと、似てますって、感覚的なものですけど」
真白はまだ言っている。
―――全然似てないわよ、私と……彼は。
「柏葉君のこと、片瀬君から何も聴いてないなら、秘密よ」
ミカリは笑って、手にした写真を裏返しに置きなおした。
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―――ミカリさん、何も言わないのかな……。
真白は、写真を一枚一枚見ているミカリの横顔を見ながら、少し拍子抜けした気分になっていた。
手伝いに来ない?と、一昨日電話を受けた時、てっきり一言くらいは言われるだろうな……、と覚悟していた。
澪との付き合い方のことで。
柏葉将が心配しているのも知っているし、それを、あろうことか澪が、完全無視していることも知っている。
完全無視、というのはまだ可愛い言い方で、真白の前だと澪は、「柏葉将」の名前を出すだけで、露骨に不機嫌になるのである。
真白にしても、このままではいけないことは判っている。
が、真白が澪の傍にいないと、澪は有無を言わさず大阪のアパートにやってくるし、来れば必ず泊まって帰る。あの防音も何もないアパートで、すでに近所の噂にもなっていて――、なんにしろ、それだけは、絶対にやめさせなくてはいけない。
―――やっぱ、まずいよね、このままじゃ……。
真白は、天井を仰ぎ、ふっと軽く嘆息した。
もし、万が一、二人の関係がスクープか何かされてしまったら。
そんな別世界の話、真白に実感はわかないが、昇り調子のストームにとっても、澪にとっても、とんでもないイメージダウンになるだろう。
実の所、その話なら、真白は澪に何度もしている。
が、その度に澪は、
―――ま、いいじゃん
―――なるようになるよ
と、曖昧に逃げるだけ。
まぁ、そこで流されてしまう、私も私なんだけど。
「今日は、片瀬君のところに泊まり?」
ミカリの声。真白は我にかえって、居住まいを正した。
「あ、……はい」
「気をつけてね」
「あ、わかってます」
ドキドキする。が、ミカリはそれきり何も言わず、席を立って背後の書棚の方に向かった。
今夜は……ちゃんと話そう。
真白は、少しだけ気持ちを引き締めた。
いつもみたいに流されずに、不機嫌になられても、くじけずに。
やっぱ、私が年上なんだし、こういうところは、しっかりしないと。
が、その反面、一秒でも一緒にいたいという、理不尽な感情が首をもたげる。
澪に求められるまでもなく、真白もまた、澪に会いたくて仕方がなかった。1日でも離れられない。東京に来る前は嬉しくて浮き立って、別れが近づくたびに、苦しくて切なくて、何度も未練のようなキスを交わしてから玄関を出る。タクシーの中で、泣いてしまったことも何度かある。
―――あー、私、なんかおかしくなってんだ、前はこんなでもなかったのに……。
澪なしではいられない身体?
なんていったら、ちょっとエッチな小説みたいだけど。
で、そろそろ……。
真白は腕時計を見る。ここを出て、夕飯の買い物をして、澪の部屋に戻らないと。
「あの、」
そして、声を呑んでいた。
ミカリの後ろ姿。
書棚の前で、立ったまま、何かの雑誌をめくっている。
ガラスの扉に、その顔が映っていた。
真白には、それが、泣いているように見えた。
「なぁに」
返された声だけは、普段どおり。
「あ、私……そろそろ、いいですか」
ドキドキしながら、言葉を繋ぐ。
黙ったミカリの背中、手で、そっと目の当たりを拭っている。
間違いなく泣いていた。泣いている、というより、無言で涙だけを零していた。
―――どうしたんだろ、
私、何かまずいこと言ったんだろうか、それとも、何か、別の心配ごとが、この人を悲しませているんだろうか。
机の上には、先ほどミカリが見ていた写真が広げられたままになっている。
一枚だけ、裏返った写真。
真白は、それを、そっと手で持ち上げてみた。
真白と澪が、二人で写った写真。
「今日はありがとね、真白ちゃん。大森が実家に戻ってるから、助かったわ」
「………はい」
振り返った笑顔は、いつもの優しいミカリだった。
※この物語は、全てフィクションです。
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