9


「そのお客様なら、もう来られないですね、今年に入ってから」
「……そうですか」
 将はドリンクを運んできたウェイターに礼を言って、硬いソファに背を預けた。
 ま、そうだろうな。
 最後に会ったのは、師走だった。
 工藤哲夜。
 この地下ハウスで、1人、くだを巻いていた酔っ払いの不良老人。
 若い頃は、有名なカリスマシンガーだったという工藤。将が会った時、男はいかにもアル中で、声もしゃがれて、かつての栄光の欠片も残してはいなかった。
 今は、――真咲しずくの言葉を借りるなら、東邦プロでゴーストライターをやっているという。
―――病院に運ばれたんだ、そういや。
 最後に、ここでアカペラで熱唱した後に、倒れた。
 悪い病気だっていってたっけ、元気になったのかな、あのおっさん。
 将は、所在無く、つまらない音楽に耳を傾ける。相変わらず、雰囲気の悪そうな店だった。柄の悪い連中が、女を囲んで大騒ぎしている。
 携帯が鳴った。
『どうした?将』
 耳にあてると悠介の声。着信に気づいてくれたのだろう。
「悪い、ちょっと出てこれねーかと思ってさ」
『今から?あー、ちょっと今は、』
 濁すその口調で、1人じゃないな、と気がついた。
「いや、いいよ、電話通じなかったから別の奴誘ったし、うん、気にすんな、またな」
 携帯を切ってポケットに滑らせた。
「………………」
 帰るかな、と思いつつ、まだ帰りたくねぇな、と子供みたいなことを考えている自分がいる。
 りょうの所に電話をしようとして、やめた。
 最近のりょうは、露骨に将と2人になることを避けている。
 おおかた、恋人との付き合い方で、説教でもされると思い込んでいるのだろう。
―――そんな野暮じゃねぇし……ま、心配は心配だけどさ。
 将にしても、もうそのことは、あまり深く考えたくない。考えればりょうに意見しそうだし、今のりょうは、それを絶対に受け入れてはくれないだろう。
 りょうも末永さんも大人だ。
 今は、それを信じるしかない。
―――横浜が実家だって言ってたっけ。
 グラスを口につけながら、まだ、未練のように、将は工藤哲夜のことを考えていた。
 
どうして忘れてたんだろうな、お前は父親そっくりだ。
 一度だけ観たことがある、綺麗な人だった。
 しらねぇのか、だったら俺からは何も言えねぇ、アリーに聞きな。

―――俺の……本当の、親父とお袋。
 どんな奴だったんだろう。かっこよかったのかな、やっぱ、芸能関係の人だったのかな。
 で、なんで――俺のこと、捨てたのかな。
 ま、今更そんなことで、センチになるほど子供でもねぇんだけど。
 将は、レシートを掴んで立ち上がった。
―――ホテル、行ってみるか。
 工藤が滞在していたホテル。将が運転して、しずくと一緒に工藤を送って行ったホテル。あそこなら、もしかして会える可能性があるかもしれない。
―――つか、会ってどうすんだ、俺。
 駐車場に向かう将は、嘆息して月を見上げる。
 会ってどうする。
 聞いてどうなる。
 今さら、何の意味もない思い出話だ。
 父親にも、母親にも、将は何も期待していないし、関心もない。あればとっくに、調べて探し出していただろう。
 正直いえば、お前の本当の父親だ、私が母親よ、将――てな再会のしかただけは遠慮したい。
 今更、だ。
 将の関心ごとは、ただひとつ。
 あの夏の1日、しずくの車で海に行った時に一緒だった男。
 何度も何度も、髪を撫でられた思い出の意味。
 その男が、しずくと交わしていたキスの意味。
 知りたいのは、それだけだった。
 それこそ、知って、どうなるわけでもないけれど。



                  10


「申し訳ありません、そういったご質問でしたら、ちょっとお答えできないのですが」
「そうですか」
 名刺もない、アポもない。芸能人だから、一応顔は知られているようだが、海外からも有名人が訪れるという一流ホテル、個人情報のセキュリティーは厳しいのだろう。
「判りました、お手数をおかけしました」
 将が丁寧に一礼すると、フロントの女性スタッフが、わずかに頬を染めるのが判った。
 結構、可愛いな。
 制服もいいし。
―――って、言ってる場合かよ、今の俺。
 夜の十時過ぎだというのに、フロント付近のロビーには、異国人を含め、まだ多くの利用客の姿があった。
 暖かな照明にゆったりと照らされた、ゴシック超の広々としたロビー。
 まるで西洋執事のようないでたちのホテルボーイが、旅行客の荷物を抱えて将の前を横切っていく。
―――こんなホテルに泊まるなんて、ま、結構な金持ちなんだろうな。
 そんな所在ないことを考えつつポケットに手を突っ込み、そのままエレベーターホールに向かって歩き出した時だった。
「今夜は素敵な食事をありがとう」
「いえ、僕の方こそ、最高の夜でした」
「??????」
 将は、咄嗟に、傍のソファに座り込んでいた。座り込む、というか、ぎりぎりまで腰を落として、椅子の背で自身を隠す。
 先ほど将を見て頬を染めたフロントスタッフが、怪訝そうな目をしている。しかし、そんな視線を気にしている場合ではなかった。
―――こ、この声は、もしかして。
 エレベーターホールから、連れ立って歩いてくる長身の男女。
 女は、淡いグリーン地に幾何学模様が入ったワンピース、胸元は流行のカシュクールで、膝丈から、形のいい長い脚がのびている。
 日本人離れした美貌を持つ女は、現れた一瞬で、ロビー中の注目を集めているようだった。
 あらためて確認するまでもない。華やかにドレスアップした真咲しずくである。
「ああ、肝心なものをお返しするのを忘れていた」
 男は――四十前くらいだろう。結構渋みのある長身痩躯の男。
 切れ長の目許が涼しげで、立ち振る舞いからも、着ている服からも、高級そうな匂いが漂ってくる。
「明日でもいいのに」
 と、しずく。
「いえ、大切なものだ。部屋にあるので、取りに戻りましょう」
「はい」
 はいって、え?部屋って、オイ!
 将は、固まったまま視線だけでその様子を伺い観る。
 仲のいい恋人のように寄り添った二人が、再び、エレベーターホールの方に消えていく所だった。
「……………………………………」
 なに、今の。
 これってマジで、あいつにとってのリアル恋人?
 す、すっげー、へこむもん見ちゃったんだけど、俺。
 女らしいっつーか、まるで見合いに挑むお嬢様みたいなドレス姿。髪もアップにして、全然、いつものあいつじゃないみたいだ。
 どうするよ、俺。
 将は、混乱したまま、ふらりと立ち上がる。
 どうするもこうするも、どうしようもない。
 なにしろ将は、きっぱりばっさりふられた身なのである。
「あんた、一生誰とも恋愛しないっつってたじゃん」
 とか、
「鑑賞用なら、俺の方がまだマシじゃん」
 とか、色んな思いが溢れても、それを言える立場じゃない。
 とりあえずエレベーターで、車を止めている地下駐車場に行かないといけない。
 なのに、足が……どうしても、動いてくれない。
 六台のエレベーターが並ぶホールで、将はただ、立ちすくんでいた。
 28階建のホテル、客室は5階から上の階。一体どこに消えたんだろう。上昇するいくつかのエレベーター、この中のどれかに、いるんだろうか。
 あの女と、四十過ぎのおっさんが。
 部屋で。
 そのおっさんと、あの女が。
 あんな風に……あの夜、してくれたみたいに。
 唇を開いて。
「わーーっっっ」
 消えろ、妄想!
「………………何やってんの?」
 背後で、あきれた声がしたのはその時だった。



                11


「うちの柏葉です」
 紹介されて、将は、営業スマイルで頭を下げた。
 目の前に立つ男は、機嫌のよさそうな目で、何度か頷く。
「撮影は、今週末になりました」
 柔らかい声だった。
 将は、緊張しながら居住まいを正す。
 つか、初めて見たよ。
 この人が、天下のNINSEN堂の社長さんか。
 世界にシェアを誇る、日本を代表するゲーム産業、その草分けでもあり代表的な会社である。

 
御影 亮 みかげ あきら

 もらった名刺には、簡潔にそう記されていた。
 将を見下ろすほど長身の男は、おそらく百八十センチを軽く超えている。
「弊社のソフト開発が遅れ、ストームさんには随分長いことお待たせしてしまった、本当に申し訳ありませんでした」
「あ、いいえ」
 丁寧に頭を下げる御影という男に、肩書きを意識した横柄さはない。
 将も慌てて頭を下げた。
 そういや、今年に入って決まった、NINSEN堂とのCM契約。
 なんだか色々ありすぎて、すっかり忘れていました、とは、とても言えない。
「君は、二十三、でしたか」
 将を見下ろす御影の目は、柔らい。が、間近で視線を合わせれば、どこかとっつきにくいものがあった。
 ゲーム会社の社長というと、なんとなくおたくっぽい人を想像していたが、目の前の男は、理知的な――むしろ、印象的には、冷たくさえ見える。
「いえ、まだ二十一です、来年で大学を卒業ですわ」
 しずくが、にこやかにそれに答える。
「君の弟のようなものですね」
「息子みたいなものです」
 むかっ!
 と、した将だが、無論、その感情は顔に出せない。
 今夜、しずくと会食していた御影は、これから別の接待のために、このホテルに宿泊する予定だったという。男がしずくに手渡したのはCDディスクで、部屋には、御影1人で戻ったようだった。
 妙な誤解をしていた自分が恥ずかしくて、将はまだ、まともにしずくの顔が見られないでいる。
「ゲームはされますか」
 御影が、再び将に向き直る。
「え、まぁ、時々は」
「機種は何をお使いですか」
「あ、えーと」
 プレステU。
 多分、NINSEN堂の機種ではなく、ライバル会社、サニーの製品だ。
 将の戸惑いを察したのか、男は、ふっと相好を崩して笑った。
「遠慮されなくて結構ですよ、僕らは家庭用ゲームソフト開発に比重を置きすぎてきた、若年層の学生世代をターゲットにしたソフト開発で、他社に大きな遅れをとっているのです」
 あまり、ゲームのことは詳しくない。
 が、確かに、雅之の部屋にあるのもプレステだし、憂也が時々持ってくるソフトもプレステ対応だったはずだ。
「ご存知かもしれないが、昨今のゲーム業界は激戦です。生きるか死ぬか、各社がこぞって開発中の次世代ゲーム機の生き残りは、全てソフトの売れ行きにかかっているといっても過言ではない」
 ふっと笑った男の目が、不思議な含みを持っているような気がした。
「うちは、その開発でも、ずっと出遅れてきましたがね」
 上手く言えないが、出遅れている、と言いつつ、妙に自信があるような口調。
 最後に男は、穏やかな微笑を浮かべて、将に手を差し出してきた。
「今回発売するRPGは、我社の精鋭スタッフが精魂こめて開発した、会社の命運をかけたソフトです。期待していますよ。ストームさんのパフォーマンスに」
「……はい」
 いいんだろうか。
 そんな――命運をかけたソフトのCМに、もしかすると来月半ばには解散決定するかもしれない、ストームを起用しても。
「じゃ、真咲さん、僕はこれで」
「ええ、今夜はありがとうございました」
 大人二人が、微笑して握手を交わしている。
「素敵な人でしょ」
「え、ああ?……あ、ああ」
 無駄に動揺して答え、将は、その気まずさを誤魔化すために歩き出した。
「いいのかよ、なんかこう、騙しみたいな」
「解散のこと?」
 しずくが後をついてくる。
「ま、それもビジネスの駆け引きだから」
「気が引けねぇの?」
「そういう心配は、君がすることじゃないわよ」
「あっそ」
 ま、いいけどさ。
 そういう大人の腹芸って、ちょっと俺には向いてない。
「………………」
「………………」
 あれ?
 気づけば、今、二人きりになってるし。
「で、君は何やってたの?」
「え?」
「こんな時間に、こんな場所で、何やってんのって聞いてんの」
 女の声が、少しだけ怖くなった。
「……俺が、オフの時に何しようと、」
「あのね、今がどれだけ大切な次期か、君、マジで判ってるの?」
「いや、」
 つか。
「こんなとこ、写真にでも撮られたらどうすんの、勝負する前に、そもそも舞台にもあがれないって話じゃない、いい、あのね」
「ちょっと、待てって」
「いいから聞きなさい」
「ちょっと待て、だから」
「言い訳なんて男らしくないわね」
「な、何勘違いしてんだよ!」
「何よ、私が何勘違いしてるっていうのよ!」
「…………………」
 いや。
 つか、俺、なんでこんなに怒られるわけ? 
「工藤さんに、会えねーかなって思ったんだよ」
 将は、うつむいたままでそう言った。
「……哲夜に?」
 しずくの声が、いぶかしげなものになる。
「なんで……?」
「飲んでんの?今夜」
 将は、その声を遮って聞いた。
「……少しだけど」
「ビジネスの食事でも、アルコールなんて入れるんだ」
 そこは、ちょっと皮肉を言った。
 つか、俺の方が、むかついてるんだけど、今夜のあんたには。
 そこまで着飾る必要あるのかよ、たかだか、ビジネスのつきあいで。
 ちょっと……せ、正視できねーくらい、可愛いじゃん。
「俺、車だから、予定ないなら送ってくけど」
「哲夜なら、横浜の実家よ」
 しずくは、静かな目で将を見上げた。
「なんで、彼に会いたかったの」
「………聞きたかったから」
「何を」
「俺の親父の話」
「……………」
 綺麗な女の目が、わずかにすがまる。
「今、そういうことやってる場合?」
 将が答えずに歩き出すと、しずくがその後を追ってきた。
 階段を使って、地下の駐車場に降りて行く。
「んじゃ、正直に言ってもいい?」
 車の前で、将はしずくに向き直った。
「俺、あんたが信じられない、信じたいと思ってるけど、どっかで、あんたが判らない」
「…………で?」
「憂也が」
 別に、憂也の言うことが、全てだとは思ってねぇけど。
 確かに今、こんなバラバラな気持ちのまま、ストーム最後の戦いに挑むのは、最初から勝負に負けているようなものだ。
「今度ばかりは、あんた信じられないと、ダメだって言ってるよ」 
「へぇ……」
 腕を組んだしずくは、少し面白そうな眼差しになった。
「それと、君の父親と、どういう関係があるのかしらね」
「そこすっきりしないと」
 将は、少し声を荒げた。
「俺の中で、あんたがよく見えてこないから」
「…………………」
 女の唇から、ため息のような声が漏れる。
「……用事があるのよ、今夜は」
「あっそう」
 じゃ、ついてくんなよ、こんなとこまで。
「付き合いなさい、君に見せたいものがあるから」
 しかししずくは、そう言うと、将の車を軽く叩いた。











※この物語は、全てフィクションです。

一言感想があればどうぞ♪内容によってはサイト内で掲載することもあります。
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